夕暮れ間近なのに、太陽はまだギラギラと輝いている。
そんな夏島の陽射しを避け、鮮やかな南国の花を眺めながら、日陰を通って港へ戻った。
はためく洗濯物の影を渡り、やしの木の下をくぐって、今は波に揺れる船々の傍らを歩いている。
港のいちばん端に、隠れるように停泊させたサニー号。船首が見えてくると、私はいつも、嬉しくなって駆け出してしまう。
「ただいま!」
いつも笑顔のライオンちゃんに声をかけ、側面に回ると、タラップを踏み船上へ向かった。
最後にジャンプして、芝生の甲板に着地すると、手にした紙袋が大きく揺れる。
「やっぱり寝てる」
陽光を真っ向に受けながら、船縁にもたれるゾロを見つけて、私は微笑んだ。昼寝なら、影になるところですればいいのに。
そっと芝生を踏み、刀を抱いて眠るゾロに近づいてゆく。
立てた膝の前まで進むと、私の躰で陽光が遮られ、ゾロの上に影が落ちた。
その膚にうっすらと浮かぶ汗を見て、私は紙袋をごそごそ探る。
袋の中には保冷ケース。
買ってきたアイスクリームのカップを、ゾロの頬に押し当ててびっくりさせよう。
「あれ?」
ケースを探りあてる前に、指先にしっとりしたものが触れた。取り出してみると、大きな赤い花。
「そっか」
アイスクリーム屋の、トレードマークになっていた花だ。そういえば店員さんが、ケースと一緒に袋に入れていた。
赤い花の中央からは、長い雌しべが伸びている。島のあちこちで見かけたのと同じ、ハイビスカス。
ケースから漏れた冷気で、少しひんやりとした感触の花を眺めているうちに、悪戯心が沸いてきた。
緑の髪の上に、赤い花をかざし、
「似合うかも」
1人でニヤニヤしながら、静かにゾロの側にしゃがみこみ、そっと左耳の上に花を置いた。
その瞬間、閉じた瞼がぴくりと動く。
あわてて手をひっこめるのと同時に、ゾロが目を覚ました。
「お、おはよう、ゾロ」
「あ?…夕方じゃねェか。寝ぼけてんのか、河鹿」
「寝ぼけてない!」
煩そうに耳を塞ごうとしたゾロの指が、花に触れた。
摘んだ花をじっと見つめたあと、ゾロは鼻の頭に皺を寄せ、
「つまんねェ事すんじゃねェ」
「だって熟睡してたから」
指先で茎を回し、一瞬考えるような顔になったあと、ゾロは芝の上にそっとハイビスカスを置いた。
私は、しゃがんだまま笑顔を浮かべ、
「留守番が、寝てたらダメだよ」
「誰か来りゃ、気配で判んだろ。それが知らねェヤツの時だけ、起きりゃいい」
抱いていた刀を傍らに立て掛け、ゾロは一度伸びをした。
芝生に足を投げ出すと、再び背中を船縁に預ける。
まだ眠そうなゾロの顔を覗きこんで、
「じゃあ。今、帰って来たのが私だって、すぐわかった?」
「あぁ」
「へへ」
当然といった感じの返事に、胸がほんわりと温かくなる。
幸せな気分のまま、ゾロの膝の側に座り込んで、私は紙袋から保冷ケースを取り出した。
「お土産、アイス。食べるよね」
「ああ。暑くてたまらねェ」
「…なんで日なたで寝てんの?」
ケースの蓋を開けると、ドライアイスの煙が広がる。ゾロは身を乗り出し、箱を覗き込みながら、
「ずれたんだろ」
「ずれた?」
「最初は影だったからな」
ゾロが指差したのは、上の方。
振り返ってみると、マストと畳んだ帆の傍らから、真っ赤な夕陽が覗いている。
あんな面積が少ないものの影、あてにするのが間違ってると思う。
箱を覗くゾロが手を伸ばし、アイスの蓋を指で拭った。
「あ、味はね『サボテン』と『根こんぶ』。どっちにする?」
「あ?」
「だから、こっちが『サボテンアイス』で」
先に、ゾロが表面を拭った方を指差し、
「こっちが『根こんぶアイス』」
次に、まだ白い霜を被ったアイスを指差し説明する。
ゾロはガリガリと頭を掻いたあと、呆れたように表情を歪ませた。
「河鹿」
「決めた?」
「普通のヤツはねェのか」
「ないよ」
箱の口をゾロの方へ向け、私はキッパリと答えた。
「普通のはサンジが作ってくれるから、珍しいのにしたよ」
うんざりした表情を浮かべたゾロは、しぶしぶとサボテンアイスを手にした。
私が差し出す、小さなスプーンを受け取ると、
「アホコックに気ィ使ってねェで、次からは普通のヤツにしろ」
ゾロは船縁に体を預け、アイスの蓋を取った。
そんなに嫌なのかな、珍しいアイス。まだ、味もわからないのに。
でももしかしたら、この前お土産にした、玉ねぎとセロリのジュレがイマイチだったからかもしれない。
その前に買ってきたバナナ煎餅も、食べたあと眉間にスゴいシワが寄ってたし──
「…不味かねェ」
薄い黄緑色のアイスを一口食べ、ゾロはふうっと息を吐いた。
私もほっとして、自分のアイスの蓋をあける。透き通った水松色の膜がかかった、白っぽいアイス。
一口すくうと、膜がねばねばと糸を引いた。
「…次は、普通のお土産買ってくるね」
「おう」
砂糖味のダシみたいなアイスに閉口しながら、ゾロの隣に座りなおした。
ハイビスカスを挟んで、むき出しの腕がぺたりと触れ合う。
「暑ィ。離れろ、河鹿」
「いいでしょ、アイスあるし」
「よくねェ」
ゾロはスプーンをアイスに刺し、空いた手で私の頭をグイと押した。
「倒れる倒れる!そんなにされたら、食べらんない!」
「だったら素直に離れろ」
「やーだ!」
「暑いっつってんだろ」
「離れたって暑いよ!夏だもん」
大きな手を剥がそうと頑張ったけれど、力じゃとても敵わない。
結局、膝の上のアイスが落ちそうになるのを止めた隙に、完全に押し戻されてしまった。
「もう!…しょうがないなぁ」
崩れた体勢を立てなおしながら、私は諦めのため息を吐いた。
さっきまでくっついていた腕が、じんわりと汗ばんで熱い。
「じゃあ、ゾロ」
「あ?」
カップを口元で傾け、溶けたアイスを飲もうとしているゾロが、視線だけをこちらに向けた。
スプーンをアイスに差し、私は小さく首を傾げ、
「離れるから、かわりに『好き』って言って」
「断る」
間髪入れずにそう返すと、ゾロは空のカップに蓋をして、向こう側に置いた。
「なんで!?私、1回も言われた事ないよ!」
「言った記憶がねェから、そうだろうな」
カチンときて、つい口調が強くなってしまった。
けれどゾロは怒るでもなく、欠伸をしながら頭の後ろで腕を組むと、船縁にもたれかかる。
私は柔らかくなったカップを、頼りなく握りしめた。
「じゃあ、もうくっつかない!寂しくなっても知らないからね!」
「夏には丁度いいな」
「ゾロのバーカ!マリモ!」
立ち上がると、足下でハイビスカスが小さく震える。
夕日に赤く染まる芝の上で、ひときわ赤い花を見つめ、私は暫くの間そこに立ち尽くした。
「…止めてよ」
「どうせ行かねェだろ、お前は」
目を閉じ、ゾロが笑う。
「行くもん!」
「じゃあそうしろ」
「…そうする」
意地を張って踏み出した足が、芝に貼り付いたみたいに動かない。
後ろで、ゾロが呟いた。
「行かねェんじゃねェか」
「まだ、アイス食べてないから」
ゾロの腿の横にしゃがみ、柔らかくなったアイスを口に入れた。
見つめたゾロの顔に浮かぶ、微かな笑みが憎らしい。
「ホントはいて欲しいんでしょ」
「アホか」
伸びてきたゾロの指先が、私の肩を軽く押した。
倒れないよう慌てて膝をつくと、目の前にはゾロの顔。芝生が膝にちくちく刺さる。
私を見つめるゾロの瞳にドキドキしながら、またアイスを食べた。
「『好き』って言ったら、キスしていいよ。すっごくしたそうな顔してるもん、ゾロ」
「お前がしてェんだろ、河鹿」
ゾロが私のアイスを奪い取り、一口食べて顔をしかめた。
唇を尖らせながら、私は芝の上のハイビスカスを指先で弄ぶ。
「違うよ、ゾロだよ」
「お前だろ」
「素直じゃないなぁ」
辺りは一面オレンジ色。
アイスを食べるたび、変な表情になるゾロを見ていると、胸がほのかに温かくなった。
どうしてだろう、やけに可愛い。
「ねぇ。みんな、そろそろ帰ってくるかも」
食べ終わったアイスに蓋をして、律儀に両手を合わせたゾロの耳元に、早口で囁きを送り込む。
「だからゾロ。早く言って」
「河鹿」
カップを2つ芝生に並べ、ゾロが私の名を口にした。緊張と期待に背筋がぴんと伸びる。
ゾロの指が滑らかに動いて、ハイビスカスを摘んだ。
その花を私の耳の上に飾って、ニヤリと笑う。
髪に触れた指の優しさにどぎまぎしながら、
「な、なに?」
「なんでもねェ」
ゾロは船縁にもたれ、ゆっくりまばたきをした。
焦れた私は、正座したまま前のめりになる。
「『似合う』くらい言ってよ」
「夕陽が眩しくて見えねェ」
ゾロは行動も躊躇わない。
そう言った次の瞬間、私を抱き寄せると、
「近くで見ねェとな」
今にも触れそうな距離で、そう囁いた。
それだけで、さっきまでの物足りない気持ちが、全て消し飛んでしまう。
ゾロの思い通りになるのも、ホントは嫌いじゃない。
けれど少しだけ残る悔しさを、私は呟くように吐き出した。
「『好き』は?まだ聞いてない」
目の前にある瞳が、考えこむように横を向く。
それをしばらく見つめたあと、私はゾロの胸に手を置いた。
「じゃ、かわりに質問」
こちらに戻ってきたゾロの目を、真っ直ぐ見つめ、私は小声で問いかけた。
「ゾロ、私のこと好き?」
「ああ」
一瞬の迷いもなく、答えが返ってきた。
だったら、素直に言ってくれたらいいのに。
だけど、そういうところもゾロっぽい気がして、結局私は許してしまう。
甘いかもしれないけれど。
好きなんだからしょうがない。
私は少し頬を膨らませたあと、
「手間かかるね、ゾロって」
そう言って、ニッコリ笑った。
ゾロの顔が近付いてきて、額同士がコツンとぶつかる。
滑り落ちそうになったハイビスカスを、ゾロの指がもう一度、私の耳に飾った。
「でも、やっぱり好き」
「ああ」
「しょうがないから、キスしていいよ」
一瞬、唇が触れた。
そのあと、2人同時に吹き出してしまう。
笑い続ける私の耳を、ハイビスカスの花がくすぐった。
夏の夕暮れは、まだ終わらない。
《FIN》
2009.07.03
Flowers - ハイビスカス -
Written by Moco
(宮叉 乃子)