「もういい!ゾロなんか知らない!!」
「あのな、真鶸。それじゃ話になんねェだろ」
「もういいってば!…帰ってよ、先に!」
頭の上から落ちてくる溜め息が、私の心に重くのしかかる。
「早く!!」
可愛くない。
ぎゅうぎゅうと、ゾロの躰を向こうへ押しやりながら。
自分で、自分をそう思う。
心に溢れる感情を、上手く言葉に表せなくて。
躰も、思うように動かせない。
押し退けたいんじゃない、抱き締めて欲しい。
先に帰ったりしないで。
一緒にいたいの。
「真鶸」
呆れたような、諦めたような声が、私の名を呼んで。
「戻るぞ、先に」
やだ。
ここにいて、ゾロ。
「さっさと行けば!」
どうして口から出る言葉は、こんなにも真逆なんだろう。
手の先にあったゾロの躰が、ふっと失われて。
ゆるゆると顔を上げた私の瞳に映ったのは、遠ざかってゆく背中。
「…」
呼び止めようと開いた唇から、虚しく息が洩れ。
大好きな背中が遠く、揺れてぼやけだす。
ぎゅっと瞳を閉じると、涙が零れ落ちた。
《果敢なく、消える》
ゾロの背中が、完全に見えなくなってから、
「ふうぅぇ──」
私は、情けない嗚咽を洩らし、その場にしゃがみこんだ。
鼻と口許を隠すように覆った両手が、溢れる涙に濡れてゆく。
手の甲から手首、肘の方へと、つたい落ちる水滴が地面を濡らし。
地面はその雫を、余すことなく吸い込み続けた。
公園の隅の、美しい藤棚の下で、しょんぼりと沈み込んでいるだろう、私の影。
このすばらしい藤棚を、私にも見せようと。
さほど迷いもせず(奇跡!)ここへ連れてきてくれたゾロに。
お礼もまだ、言ってない。
ぎゅっと結んだ唇をすり抜けながら、嗚咽は洩れ続け、掌を濡らすのはもう、涙か鼻水か判らない。
この涙を、ゾロの前で見せれば良かったのかもしれない。
でも、それが出来るくらいなら、こんな風に泣く必要も、きっとなかった。
「…っく…」
何時までもこうしている訳にも行かず、立ち上がったのに。
果てもなく溢れる涙に、私はなす術もなく、再びむせび泣いた。
風が、びしょ濡れの顔と、掌をひんやりと撫で。
潤む視界で、紫の花が幾つもゆらゆらと揺れた。
船に戻ろう。
ゾロに、会わなきゃ。
謝って、藤を見せてくれたお礼も言わないと。
瞼にタオルハンカチをあてると、肌がちりっと痛んだ。
黒く残る、マスカラの跡。
顔を洗って、瞼を冷やして、化粧をなおしてから戻らないと。
こんなぐずぐずな私、ゾロに見せられない。
鼻をすすって、とぼとぼと歩き出す。
2、3歩進んだ所で、また涙が流れ落ちた。
完全に呆れられてたら、どうしよう。
怖い、会うのが。
重い足を引きずりながらようやく、公園内部に続く獣道にたどり着いた。
「なんで…いるの?」
獣道の入り口で、木に寄りかかっていたゾロが、
「こんな人気のねェところに、女ひとり置いて帰れねェだろ。…真鶸」
ぐずぐずの私を、見た。
私は慌てて、びしょ濡れの手の甲で涙を拭う。
謝って、お礼を…。
でも、こんな状態でゾロに会うなんて、思ってなかった。
動揺のあまり、また可愛くない言葉が口をつく。
「別に、ひとりで、平……っく」
慌てて顔を覆った掌の隙間から、漏れ出た嗚咽。
こぼれ落ちた憎まれ口は、流れる涙に果敢なく溶けた。
ゾロの気配が近付いてきて、私は温もりに包まれる。
「どうした、真鶸」
「ゾロ。あ、の…あの」
今、言わないと、もう二度と口に出せない気がするのに。
伝えたい言葉までもが、止まらない嗚咽にかき消されてしまう。
「…ひぃーっ…、く」
「真鶸。泣いてるだけじゃ、判らねェ」
ゾロ。
さっきは、ごめんね。
藤の花、綺麗。
見れて、良かった。
でも、心に溢れるそんな言葉より先に口をついたのは。
「…すき」
とてもシンプルで。
そして、凡て。
「…ああ」
判った、と囁いたゾロの腕が、強く私を抱き締めた。
07.10.05
Written by Moco
(宮叉 乃子)