病室のドアをノックした。
耳を澄ませても、いらえはなく。
私は躊躇いなくノブを回し、スルリと部屋の中へ。
小さな羽ばたきの音がして。
威嚇するように羽を広げたハトが、私の目の前に立ち塞がった。
「ハットリ」
声をかけると、ハットリは暫く考えるようなそぶりを見せ。
次には、慌てたように私の肩に止まった。
「ふふ、久しぶりね」
『お前もな、真鶸』
急に聞こえる声。
ベッドを見ると、上半身を起こして、真っ直ぐこちらを見つめている──
5年ぶりに、会う男。
「起きてたの?ルッチ」
《My "Picaresque"》
「恨み言でも、言いに来たのか?」
ベッドサイドに置いてあった帽子を、深く被る仕草は。
まるで、眼差しを隠すよう。
「…5年も経って?」
ベッドの脇の丸椅子に、私は勝手に腰をおろした。
腰から大きく躰を曲げ、ルッチの顔を下から覗き込む。
「そんな子供じゃないよ、もう」
瞳を反らし、口をきゅっと結んだ表情を。
5年前は、大人の男の哀愁だと思っていた。
今は。
言いたい事を探し出せない、子供みたいだと思う。
「生憎、子供だったお前しか、記憶になくてな」
「ルッチが、大人にしたのにね」
あの頃の私は、私だけの王子様や赤い糸。
永遠に続く『めでたし、めでたし』なんてものを。
心のどこかで信じていて。
その相手がルッチならいいと、本気で願っていた。
5年前のあの日、ふっつりと連絡が途絶えて。
私はルッチを見失い。
世界の凡てが、真っ暗に。
泣き濡れるばかりの私に、皆が、異口同音に説いた。
私とルッチの関係は、ただのよくある男と女の話で。
私はお姫さまではなく、捨てられた馬鹿な女。
彼はおとぎ話の王子ではなく、陳腐な悪党。
私の求める特別な物語など、この世の何処にもないと。
「ルッチは悪党だって。5年前、皆が言ったわ」
「おれが『明日から潜伏任務だ』と、言っていくとでも思ったのか?真鶸」
思わず笑ってしまってから、首を横に振る。
薄い笑いを浮かべたルッチが、目を閉じた。
「昔の話だ」
「そうね」
未だに私を見ない、冷たい瞳。
昔なら泣いた。
そのくらい、凡てだった。
「麦わらのルフィは、強かった?」
ルッチの端正な顔に浮かぶ、剣呑な表情。
瞳に宿る冷たさが、刃のように凄みを増す。
ルッチが、どんなに危険で、どんなに強い男か。
私は、十二分に知ってると思う。
でも、なにも脅えはしない。
「このザマを見れば、わかるだろう?」
肩や胸部を覆う、真っ白な包帯。
聞き集めた、噂。
「ルッチより強い男が、この世にいるなんてね」
ルッチの帽子をさっと奪って。
その横顔を、真っ直ぐ見つめた。
「5年でね、色んな男に会った」
酷薄な瞳は、微動だにしない。
「ルッチとは比べものにならない、詰まらない男ばっかりだったけど」
ルッチが鼻で笑って、また瞳を閉じた。
「でも、中にはルッチより酷い事を、私にした人もいたから」
ルッチの眉が、ぴくりと動き。
それを見た私は、ゆっくりと瞼を閉じる。
「ルッチより強い男も、いてもいい道理ね」
そう言って、目を開けた。
私を見つめるルッチの眼差しを、浮かべた微笑みで受け止める。
酷い男なんか、幾らだっていた。
けれど、あなたに会えないという事以上に。
私を傷付ける事が出来た男は、1人もいない。
「ルッチが、ルッチと闘えなくて良かった」
「何を言ってる?真鶸」
「だって、だからルッチは、生きてるんでしょ」
弱いモノを許さないあなたと、あなた自身が闘えなくて。
本当に──
「生きてて、良かった」
あなたの不在が。
私を大人にして。
あなたの帰還が。
私を、また馬鹿な女に戻す。
冷たく、振りほどかれるかもしれない。
でも、それでもいい。
私は、ルッチの首に腕を回して。
5年間ずっと、言いたかった台詞を、ようやく口にする。
「会いたかった、ルッチ。また、会えて良かった」
07.09.08
Written by Moco
(宮叉 乃子)