36etude | ナノ
My"Picaresque"

病室のドアをノックした。
耳を澄ませても、いらえはなく。

私は躊躇いなくノブを回し、スルリと部屋の中へ。

小さな羽ばたきの音がして。
威嚇するように羽を広げたハトが、私の目の前に立ち塞がった。

「ハットリ」

声をかけると、ハットリは暫く考えるようなそぶりを見せ。
次には、慌てたように私の肩に止まった。

「ふふ、久しぶりね」
『お前もな、真鶸』

急に聞こえる声。
ベッドを見ると、上半身を起こして、真っ直ぐこちらを見つめている──

5年ぶりに、会う男。

「起きてたの?ルッチ」

《My "Picaresque"》

「恨み言でも、言いに来たのか?」

ベッドサイドに置いてあった帽子を、深く被る仕草は。
まるで、眼差しを隠すよう。

「…5年も経って?」

ベッドの脇の丸椅子に、私は勝手に腰をおろした。
腰から大きく躰を曲げ、ルッチの顔を下から覗き込む。

「そんな子供じゃないよ、もう」

瞳を反らし、口をきゅっと結んだ表情を。
5年前は、大人の男の哀愁だと思っていた。

今は。
言いたい事を探し出せない、子供みたいだと思う。

「生憎、子供だったお前しか、記憶になくてな」
「ルッチが、大人にしたのにね」

あの頃の私は、私だけの王子様や赤い糸。
永遠に続く『めでたし、めでたし』なんてものを。
心のどこかで信じていて。

その相手がルッチならいいと、本気で願っていた。

5年前のあの日、ふっつりと連絡が途絶えて。
私はルッチを見失い。

世界の凡てが、真っ暗に。

泣き濡れるばかりの私に、皆が、異口同音に説いた。

私とルッチの関係は、ただのよくある男と女の話で。

私はお姫さまではなく、捨てられた馬鹿な女。
彼はおとぎ話の王子ではなく、陳腐な悪党。

私の求める特別な物語など、この世の何処にもないと。

「ルッチは悪党だって。5年前、皆が言ったわ」
「おれが『明日から潜伏任務だ』と、言っていくとでも思ったのか?真鶸」

思わず笑ってしまってから、首を横に振る。
薄い笑いを浮かべたルッチが、目を閉じた。

「昔の話だ」
「そうね」

未だに私を見ない、冷たい瞳。
昔なら泣いた。

そのくらい、凡てだった。

「麦わらのルフィは、強かった?」

ルッチの端正な顔に浮かぶ、剣呑な表情。
瞳に宿る冷たさが、刃のように凄みを増す。

ルッチが、どんなに危険で、どんなに強い男か。
私は、十二分に知ってると思う。

でも、なにも脅えはしない。

「このザマを見れば、わかるだろう?」

肩や胸部を覆う、真っ白な包帯。
聞き集めた、噂。

「ルッチより強い男が、この世にいるなんてね」

ルッチの帽子をさっと奪って。
その横顔を、真っ直ぐ見つめた。

「5年でね、色んな男に会った」

酷薄な瞳は、微動だにしない。

「ルッチとは比べものにならない、詰まらない男ばっかりだったけど」

ルッチが鼻で笑って、また瞳を閉じた。

「でも、中にはルッチより酷い事を、私にした人もいたから」

ルッチの眉が、ぴくりと動き。
それを見た私は、ゆっくりと瞼を閉じる。

「ルッチより強い男も、いてもいい道理ね」

そう言って、目を開けた。

私を見つめるルッチの眼差しを、浮かべた微笑みで受け止める。

酷い男なんか、幾らだっていた。

けれど、あなたに会えないという事以上に。
私を傷付ける事が出来た男は、1人もいない。

「ルッチが、ルッチと闘えなくて良かった」
「何を言ってる?真鶸」
「だって、だからルッチは、生きてるんでしょ」

弱いモノを許さないあなたと、あなた自身が闘えなくて。

本当に──

「生きてて、良かった」

あなたの不在が。
私を大人にして。

あなたの帰還が。
私を、また馬鹿な女に戻す。

冷たく、振りほどかれるかもしれない。
でも、それでもいい。

私は、ルッチの首に腕を回して。

5年間ずっと、言いたかった台詞を、ようやく口にする。

「会いたかった、ルッチ。また、会えて良かった」

07.09.08
Written by Moco
(宮叉 乃子)

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