「最初は、やっぱりルフィだろ」
タバスコの蓋を開けながら、ウソップはそう言うと、自分を納得させるように頷いた。
さっきから、会話は堂々巡りだ。
昼下がりのウソップ工場支部。
その隅に腰かけた私は、陽光に輝く海に目を向け、腕を組んだ。
そのまましばらく考えたあと、ウソップへと向き直り、
「でもでも!ルフィが一番遠くにいたらどうするの?やっぱり近くからなのが効率良くない?」
「翡翠。近くにいるのが、おれやナミだったらどうすんだよ。どう考えても効率悪ィだろ」
自信ありげなウソップの口調と、その言葉の中身は全然釣り合ってない。
私は腕組みしたまま、頬をぷーっと膨らませた。
「そんなの堂々と言わないでよ」
「いや、おれはそこには自信がある」
「もー!」
ウソップのネガティブには、付き合いきれない。
気分を変えようと、私はアイスティーをひと息に飲み干した。
ガチャリと、ドアの開く音。
「あ、ロビンだ。ロビーン」
頭上で大きく手を振った。
微笑むロビンが、測量室のドアを後ろ手に閉め、こっちへ近づいてくる。
私は、支部の床を手で払い、
「ロビン、座って座って!汚いとこだけど」
「翡翠、お前な…」
ウソップが、不服そうに顔をしかめた。
ロビンがクスクス笑いながら、私の隣に腰を下ろす。
ふわりと漂う花の香り。
私はグラスを置き、膝の上で頬杖をついた。そして、じっとロビンを見つめる。
「ねぇねぇ、ロビンならどうする!?」
「何を?翡翠」
首を傾げるロビン。
私は、ウソップと自分の顔を交互に指差し、状況の説明を試みる。
「今、ウソップと話してたの。えっとー、えっとねぇ」
「自分以外のクルーが、全員川に流されてんだ。手元に浮き輪は1つしかねェ」
タバスコを入れた器に、粉を入れて練りまぜながら、ウソップが助け船を出してくれる。
「全員効率よく助けるためには、どうすりゃいいかってな」
ウソップと私を順に見て、ロビンは困ったように手を頬に添えた。
問題の答え欲しさに、私はロビンにずいと迫る。
「もし、もしだよ。そんな風になったら、ロビンはどうする?」
《Beloved》
「そうね」
ロビンは僅かに首を傾げ、目を細めた。
手のひらを示し、そこに腕を1本咲かせると、
「流されてしまわないよう、まず全員つかまえるわ」
「あっ!」
ウソップと私は、同時に間の抜けた声をあげた。
「そっか、そーだった」
「その状態なら、ルフィとゾロとサンジは、自力で上がってきそうだしな」
「そしたら全員大丈夫だもんね」
サンジはすぐ、ナミと私を助けてくれるだろう。
そしてルフィとゾロなら、その間に男クルーを引き上げてしまえるはず。
「でもでも、それって大変じゃない?」
ナミと私、人獣型のチョッパーと骨だけのブルックくらいなら、ロビン1人でもそんなに辛くないかもしれない。
でも、筋肉質なゾロとサイボーグのフランキーは、ものすごく重たそうな感じがする。
ルフィやウソップやサンジだって、細身だけど女の子より軽くはないはず。
私は膝に頬をつけるようにして、ロビンの顔を覗きこんだ。
「9人もつかまえてたら、腕痛くなるよ?」
「そうね。でも離さない」
さらりと言い切り、ロビンは穏やかな微笑みを浮かべた。
そのきっぱりとした雰囲気に、私はちょっと呑まれてしまう。
ウソップが、容器にまた何かを混ぜ入れた。
タバスコの成分が空気に混ざったのか、少しだけ目が痛い。
手の甲で目をこすっていると、
「大丈夫?翡翠」
「ありがと、大丈夫。…そういえば、ロビン」
渡されたハンカチからも、素敵な花の香りがする。
心配そうな表情で私を見ていたロビンが、途切れた言葉の続きを促すように頷いた。
「ロビンは9人つかまえたら、結構大変なんだよね?」
「そうね。ぎりぎりかしら」
ハンカチを下まぶたに当て、ロビンの目を見つめた。
さっきはあっさり答えられてしまったから、少し意地悪な質問をぶつけてみよう。
私とウソップが、30分以上悩んでた問題なんだから。
「じゃあ。その状態の時に、違う人が流れてきたらどうする?」
「何もしないわ」
迷いのない答えに、思わず言葉を失った。
助けを求めるように視線を向けた先で、ウソップが手を止め、頭をかいた。
けれど何も言わないまま、再び容器を重たそうにかき混ぜ始める。
私は視線を戻し、なんとかしてロビンが迷うことを考え出そうと、懸命に頭を働かせた。
「でもでも!えっと…それが、ちーっちゃい子供だったら?」
「そうね。余力があればつかまえるけど」
さらっと返ってくる言葉に、私はさらに焦ってしまう。
「じゃあ!じゃあ、余力がなかったら?」
「何もしないわ」
ロビンの言葉には、相変わらず迷いがない。ただ、眼差しだけが一瞬、ふっと遠くなった。
何かを思い出しているかのような表情が、わずかな憂いを帯びる。
急に、ウソップが床に容器を置くと、立ち上がって大きな伸びをした。
そして、空気を変えるように明るい口調で、
「ま、最終的に全員無事なら、それでいいだろ。よく考えりゃ、浮き輪一つしかなくたって、自力で這い上がってくるヤツばっかりだよな」
確かにそうかも。能力者を抱えて、次々陸に上がってくる姿が目に浮かぶ。
全員陸に上がったら、その後は巨人族が流れてきたって、助けようと思えばいくらでも助けられる。
ウソップは首をポキポキと鳴らして、笑みを浮かべた。
「考えるだけアホらしかったな。翡翠」
そのまま、スタスタと下へ続く梯子へ向かってゆくと、
「うぉーい、サンジ。何か冷てェもん作ってくれ。ロビンと翡翠のもな」
そう言いながら、キッチンへおりて行ってしまった。
2人になったウソップ工場支部。
午後の日射しは、さっきと同じように海面を煌めかせている。
キッチンから、ウソップとサンジの話し声が、微かに響いてきた。
「ロビン」
こっちを向いたロビンの表情は、とても柔らかく落ち着いている。
なのに、どうしてか胸が苦しくなった。
「あのね」
懸命に言葉を探すたび、伝えたいことからは遠ざかってゆく気がする。
「あのね、ロビン」
「何?翡翠」
「私、ちゃんと泳げるから。ロビンが辛くなったら、私の手、離してもいいよ」
私が口にした言葉は、ロビンの表情を再び曇らせてしまった。
本の上に添えられた綺麗な手が、ぎゅっと拳を握る。
私は、ただ黙り込んだ。
だって、重みに耐えるロビンの姿を見るのは、私たちだって辛いから。
やがてロビンは、小さく首を横に振り、
「誰の手も離さない。絶対に」
海を見つめながら、きっぱりと言った。
美しい横顔を見ても、私の気持ちが伝わったのかどうか、さっぱり判らない。
前のめりになりながら、私はロビンに顔を近づけ、
「私…私たちだって、ロビンが大好きってことを言ってるんだからね!」
ひと息でそう告げた。
私を見たロビンが、驚いたように何度かまばたきをする。
その顔に、穏やかな笑みが浮かんでゆくのを、私はじっと見つめていた。
「ええ。知ってるわ」
ロビンはきっぱりとそう言って、静かに瞳を閉じた。
波の音が、昼下がりに響く。
それを打ち破るように、サンジの声がキッチンから聞こえてきた。
「ロビンちゃーん、翡翠ちゃーん。冷たいもの用意したよー」
《FIN》
2009.09.23
Written by Moco
(宮叉 乃子)