「あ」
またたく間の出来事に、とっさに言葉が出なくて。
かわりに、サンジの服の袖をきゅっと掴んだ。
瞳を見つめ、満天の星空を指差すと、サンジの眼差しが優しく細まる。
「どうした?翡翠ちゃん」
「見なかった?流れ星」
その眼差しで、私の指先を追ってから、
「見逃したな。残念」
サンジは白い煙を、空に向けて吐き上げた。
店の灯りが、また一つ消える。
夕食後のほんの僅かな隙に、明日の朝食用の食材がルフィの胃袋へと消えたため。
急ぎ足で買い出しに出かけるコックさんに、私は無理を言ってついてきた。
『明日は朝イチで出航だってのに、手をかけさせんじゃねェ!』
『だってよー、そこにハムがあったら、パンに挟んで食うじゃねェか、ふつう』
『普通じゃねェッ!』
ルフィの理屈は、よくわからないけど。
今、サンジと2人でいられる事は、素直に嬉しい。
閉まる間際の店に飛び込んで買った、薄切りの食パンとハム。
ロビンがハムサンドを食べたいと言ったから、明日の朝食メニューから外せなかった。
だから少し、駄々をこねた。
『私、生クリームとフルーツのサンドイッチ、食べたいな』
『朝から作ると、チョッパーがそれしか食わねェからな。おやつじゃだめかい?』
『…うん。いいよ』
ものわかりのいい振りをしたけど、つまらないヤキモチで心が揺れた。
私、サンジを一番大事にする。
だからサンジもそうして。
我が儘な欲望ばかりが、胸に渦巻く。
私のことは、全部知ってて。
口にしてないことさえも、凡て。
ついてくる口実にした、ドロップの缶を開け、
「さっき、願い事するの忘れたから、もっかい見たいな」
取り出したドロップをひと粒、口にする。
広がる甘さと、フルーツの香り。
「願い事?翡翠ちゃん、かーわいいなァ」
ハートの形の煙を吐いたサンジの口元から、押し殺したような笑い声がもれてきた。
多分、都合のいい妄想をしているんだと思う。
それで構わない。
缶をバッグに押し込んで、ゆるく両手を組み合わせた。
「じゃあ、次に見えたら」
その妄想がどんなものでも、私の望みとのズレはきっと、ほんの僅かしかないから。
「──えて」
「ん?翡翠ちゃん、聞こえねェ」
笑顔を作ったまま、少し傾けた顔。
その耳に唇を寄せ、小声で、だけどハッキリと、
「願い事、サンジが叶えて」
囁きの中に、ドロップが歯に当たる小さな音が混ざった。
サンジの、息をのむ気配が伝わってきて。
私は急に怖くなる。
サンジも私を──そう思ってた。
だって、眼差しも、口調も、態度も、2人の時の空気も特別で。
でも、それが都合のいい勘違いだったら。
もしかしたら、私の気持ちも伝わってないのかもしれない。
だって、言葉にしたことがない。
言葉にされたこともない。
鼓動が早くなるにつれ、怖さも増してくる。
その時、微かな笑い声が沈黙を破った。
「フルーツのサンドイッチ?」
煙混じりにそう言って、サンジがタバコを、備えつけの灰皿で押し潰す。
微笑みを称えた横顔に、ほっとしながら。
胸を締めけるような切なさを隠しつつ、答えた。
「うん、そう。やっぱりおやつじゃなくて、朝がいいなーって」
「翡翠ちゃんは」
新しいタバコをくわえ、すったマッチの炎が。
サンジの瞳を煌めかせた。
「嘘も可愛いな」
ゆっくりと煙を吐き出す唇が、私の視線と心を奪い。
目に見えない何かが膚を駆け抜け、ほの甘い痺れをのこす。
微笑んだまま、空を見上げたサンジに、
「早く、流れねェかな」
「うん」
今、触れたくて触れたくてたまらない。
それなのに。
右の袖口へそっと手を伸ばしながら、あと少しのところで躊躇ってしまう。
もったいないような、不思議な感覚。
私は、サンジの視線を追うように空を見あげ。
口の中のドロップを噛んだ。
「あっ」
光の筋が夜空を横切った瞬間、欲望も、躊躇いも忘れた。
嬉しさにまかせて、サンジの方に視線を向けると、すぐ間近に金の髪を見つけて胸が高鳴る。
耳元で小さく囁かれた言葉は、砕けたドロップよりも甘く、躯中を駆け巡った。
「叶った?」
私が答える前に、サンジは笑って顔を遠ざけ。
唇に、タバコを戻した。
その炎と私の頬は今、どちらの方が赤いだろう。
どうしよう。
嬉しすぎて、新たな欲が心に芽生える。
今の私より、もっと。
もっと、サンジを幸せな気持ちにしたい。
「サンジ。次の流れ星で」
サンジが吐いた煙が、夜空に白く浮かび上がる。
「うん」
「私が」
伝えたい事を、うまく言葉に出来ず、私は口をつぐんだ。
喜ばせたい。
でも、同じことで喜んでくれるのか、わからない。
サンジを全部知りたい。
口に出さないことも。
何もかも、凡て。
「そうだな」
煙を吐ききると、サンジは私を見つめた。
吐いた煙が薄くぼやけるまでの、わずかな沈黙が過ぎて、
「今度は翡翠ちゃんが、おれの」
「うん。うん」
全部言われてしまう前に、あわてて言葉を遮る。
サンジが笑いながら再び空を仰ぎ、つられるように私も顔を上向けた。
「早く──」
声が重なる。
少しの間をおいて、私たちはお互いの手を探し当てた。
微かに汗ばんだ掌を合わせ、絡ませる指の感触。
呼吸のタイミングや、鼓動のリズムを探るたび。
散漫になる意識を、慌てて引き締めながら、空を見つめ続けた。
ゆっくりと、サンジがタバコを吸い終え。
次に、全ての店の灯りが消え。
とうとう、灰皿とベンチだけの休憩所の灯りが、フツリと落ちる時刻になった頃。
サンジは静かに、ベンチに置いた荷物に手を伸ばし、
「遅くなったな。帰ろうか、翡翠ちゃん」
紙袋を左手に抱え、瞳を伏せた。
「残念」
呟きをひとつ残して、歩き出そうとしたサンジを、繋いだ手を引いて止めた。
「サンジ、もうちょっと」
「おれもそうしてェけど、みんなが心配するから」
「あと10分だけ」
「翡翠ちゃん」
「もう少し!」
私も、サンジを喜ばせたい。
今の願いはそれだけ。
次の流れ星にそう祈って、すぐにそれを叶えるから。
それまで──
「翡翠ちゃん、やっぱり」
「ダメ!だって…」
思いが次々に込み上げてくる。
なのに、言葉は喉につまって出てこない。
サンジの手を両手で包み込んだまま、瞳を見つめ続けていると、
「だって?」
そう尋ねたサンジの手に、僅かに力がこもった。
もどかしさを掌にこめ、ギュッと握り返しながら、
「こうしてたいから」
私は、ようやく言葉を絞りだした。
一瞬間をおいたあと、サンジの唇がイーッと横に広がり。
思わず動揺した私を、じっと覗き込んだあと、空を見上げて、
「見逃してたか?」
そう言って再び視線を戻すと、眉を下げるようにして笑った。
照れた表情が私の心を満たし、唇から笑みが溢れ落ちる。
もっと、もっと喜ばせたい。
「ううん、大丈夫。だから、一緒に見よう?」
私を見つめるサンジの笑顔が、眩しいほど輝く。
「楽しみだな」
「うん」
もっと笑ってくれるのが、本当に待ち遠しい。
額をくっつけるようにして笑いあい、同時に空を見上げた。
絡めなおした手を、強く握る。
「早く早く」
そう呟いた瞬間。
星が煌めきながら空を流れ、私たちは同時に声をあげた。
「あっ」
《Fin》
Shooting Star
2008.07.21
Written by Moco
(宮叉 乃子)