S×S【1】 | ナノ
Sour-ball Delight

甲板の端に見える、赤い点。

振り返り振り返りそれを確認しながら、私は格子状に編まれたロープを下った。

お酒が入っているから、寒さは気にならない。

ただ、月のない暗闇に満ちる寂寥。
妙に静かな波音。

それが、私を急き立てた。

「サンジ」

身長ほどの高さから飛び下り、勢いまかせに足を進めて、

「怒ってるの?」

物寂しげな背中に、躰を寄せた。

右向の姿勢で背中に寄り添い、サンジの顔を見上げたけれど。
この位置からでは、表情が窺えない。

サンジの指が、口許のタバコを摘んで、

「翡翠ちゃんを?まさか」

煙混じりの言葉が、夜に滲んだ。
口許に戻されたタバコの先で、炎の赤色が強くなる。

「サンジは…私がゾロたちと飲むの、嫌?」
「翡翠ちゃんが楽しいんなら、構わねェ」

タバコの煙が、闇に白く浮かぶ。

それを見てから、背中に額を押し付け、

「嘘つき」

サンジの躰に腕を回し、そう呟いた。

微かに揺れる背中から、サンジが笑ったのが伝わってくる。

「そうだな。…嫌じゃねェけど」

何を言うのか気になって、顔を上げた。
空を見るような上向きの輪郭が、目に入る。

「…けど?」
「内緒にされたのが、もっのすげェ、淋しい」

思わず、笑ってしまった。

「ひでェな、翡翠ちゃん」
「ごめん。だってサンジが…」

なんだか、すごく可愛いから。
背中に顔をうずめ、クスクス笑う私の腕を、サンジが優しく掴んだ。

「翡翠ちゃん。おれが、何?」

可愛いって言ったら、どんな顔をするだろう。
見てみたい気もするけど、

「ううん、何も?」

今日はやめておく。

再び伝わる、背中の微かな揺れ。

「翡翠ちゃんも嘘つきだな」
「…ねぇ。サンジの顔、見てもいい?」

返事を待たずに腕をほどいて、右隣に並んだ。
見つめたサンジの顔に浮かぶ、困ったような笑い。

その表情、新鮮。

あの夜から、ドキドキさせられっぱなしで。
それは、もちろん幸せな時間だったけれど。

どうしよう。
こんな感じも意外と好き。

サンジといるといつでも、どんなことも嬉しくなる。

「この前のことがあるから、言ったら止められるって思った」
「うん」

背中に手を沿わせ、真ん中あたりの服地を軽く掴んで、

「黙って飲んでてゴメンね」

目を見つめたまま、呟いた。

ほっとしたように笑うサンジが、船縁に置いた灰皿でタバコを押し潰して。

私の肩を抱き寄せる。

「来てくれたから、構わねェ」
「ん?」
「置いてきた酒の肴に夢中だったら、どうしようかと」

返す言葉に迷いながら、心の中でゾロとフランキーに手を合わせた。

──危ない。
私、ちょっと甘えすぎてるかも。

「…『飲むな』って言っても、いいんだからね」
「言わねェ。楽しんでるの知ってるからな」
「うん」

サンジに寄り添いながら、肩口に頬を押し当てた。
見上げる私の視線を、サンジの瞳が絡めとる。

「でも、サンジだけは言っていいんだから」

目をあわせたまま、口許をほころばせた。
サンジの唇の端が、つられたように上がる。

「ね?」
「──でも、翡翠ちゃん」

私の額に額を当て、サンジが目を細める。

「言っても、やめねェだろ?」
「うん。飲みたいもん」
「ひでェ」

笑うサンジが、額をぐいぐいと押し付けてきて。
私も笑いながら、嫌がるふりをする。

「痛いって、サンジ。ひどくないよー、私」
「いや、ひでェよ」

額がさらに押し付けられ、鼻の頭がぶつかった。
笑み崩れながら、優しい眼差しを間近に見つめる。

「えー。じゃあ、怒る?」
「翡翠ちゃんに、怒るとこなんかねェから」

頬に触れた唇が、耳へと滑り、

「好きなとこなら、沢山あるけどな」

囁きが甘く蕩け、全身にまわる。

顔を少し離し、私の表情を確認すると、サンジは嬉しそうに微笑んだ。

再び、額を合わせる。

「翡翠ちゃん、寒くねェの?キスしたとこ、冷たかったけど」
「寒くないよ」

酔いもまだ残ってる。
それに、さっきの言葉──

今、暑いくらいなのに。

サンジが、残念そうにため息をついた。

「どうしたの?」
「『寒い』って言ってくれりゃあ、こう、後ろからギューッと」
「さっむーい。寒い寒い」

サンジと船縁の隙間に入りこみながら、慌ててそう言うと、

「だったら、しょうがねェよな」

背中に温もりが広がった。

私を包むように腕を回し、肩に顎を乗せたサンジが、首のあたりで囁く。

「早く、次の島につかねェかな」
「この前、楽しかったね。二人きりで」
「早く翡翠ちゃんに、好きなこと、好きなだけしてェ」

吹き出した私の笑い声を、冷たい海風がさらう。

その風がやむのを待って、囁き返した。

「私も」
「…良かった」

サンジの腕に力がこもる。

クスクス笑いが首筋を伝って、鎖骨の窪みに貯まり。
そこから、また全身が熱くなっていく。

二人で、同じことを思ってるのが嬉しい。
でも、たとえ違うことを思っていたとしても、

「楽しみだね。2人きり」

一緒にいるなら、きっと、それも嬉しい。

「あ、翡翠ちゃん。じゃあ今度、おれと2人で飲まねェか?熱燗つけるぜ」
「えー…」
「えーって…」

サンジが顎で、肩をぐいぐいと押す。
くすぐったさに首をすくめると、金色の髪に頬が触れた。

さらさらとした心地よさに頬擦りをして、

「サンジと2人だと、お酒の味に集中できなくなるから、いや」
「でも、美味い肴がつくぜ?」
「今日も作ってくれたでしょ。…食べそこねたけど」

ゾロとフランキーだけが飲んででも、手が空いてたら肴を作ってあげるくせに。

ちゃんと知ってるから、そんな事言ったってダメだよ。

肩の上で、小さな唸り声。

「あ。じゃ、今から食おうか」
「今から?」
「鮭かま焼きで、茶漬け。食いたくねェ?」
「食べる!飲んだあとの締めのお茶漬け、いいよね!」

思わず、パッと振り向いた。

それを器用に利用して、サンジは私の躰を半回転させると。
正面から、私の目を覗き込む。

「なに?」
「顔が見てェなって」

返事の代わりに、笑顔を浮かべた。
腰に手を回すと、掌から温もりが伝わってくる。

「翡翠ちゃん、これからは」
「ん?」

言いづらそうに口ごもったサンジの様子に、首を傾げると。

背中に回った腕が、少しだけ私を引き寄せた。

「飲み会の締めは」
「うん」
「おれの隣で食ってよ」

言い終わった瞬間、僅かに眉を寄せ、誤魔化すように私の肩に額を乗せたサンジが。
私の胸を、たまらなく熱くした。

やっぱり、可愛い。

いつもみたいなカッコいいのも、こういうところも。

もう、何もかも全部好き。

たくさんの想いを込め、私は頷いた。

「うん」

サンジの腕が、私をぎゅっと抱きしめる。
伝わったのなら、嬉しいけど。

「キッチン、行こうか」
「そうだね」

もう一度、ぎゅっと抱き合って。
私たちは手を繋ぎ、笑った。

今から向かう、その先で。
新しい2人の楽しみが、始まっていく。

《THE END》

2008.08.25
Written by Moco
(宮叉 乃子)

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