波の始まるところ
さっきまでの波打ち際に、潮が満ちてきて。
そこを歩く私の足は、ひっきりなしに海水に洗われる。
寄せては返す波に、小さな木片や、貝殻のかけらが水中を舞った。
私の右横の、乾いた砂浜に残る、ゾロの足跡も。
しばらくすれば、きっと、波に消されてゆく。
ゾロの持つバケツが、風に煽られて鞘に当たり、ガラン、と音を立てた。
私は、くすくす笑う。
左手で、持てばいいのに。
その時、もう一陣の、風。
油断していた私の帽子が、風にさらわれて、海面に、ふわりと落ちた。
一瞬で計算する。
距離と、波の強さと、深さ。
太股の半ば丈の、ショートパンツは、波で濡れるかも。
でも、その程度の事。
私は躊躇いなく、海に向かって足を踏み出す。
波飛沫を浴びた、脛や膝が、次第に海水に浸されるままとなり。
時々、いたずらに跳ね上がる波が、ショートパンツの裾を濡らした。
ふらふらと波間を揺れる帽子に、手を伸ばす。
満ち潮の波が脚を舐め、足下の砂の感触は頼りないけれど、そのくらいの事は、私には関係がない。
ただ、その時また、強い風が吹いた。
「翡翠!」
海中に倒れこみそうになった私を支える、力強い腕。
「何、やってんだ。お前は」
答えを期待していた訳ではないらしく。
ゾロは、片手を私の腰に回したま、もう片方の手で私の帽子を波間から掬った。
「持ってろ」
「う、うん」
私の手に帽子を握らせて、ゾロは私の顔を、厳しい目で覗き込んだ。
「声くらいかけて行け。翡翠」
「えっ?」
片手で顔の半分を覆うようにした、苦々しい表情のゾロは、しばらく言葉を探し、
「お前は、出来ると思ってやってんだろうから、それを否定はしねぇ」
腰に回された腕から、服の布地を通り越して伝わるのは。
温もりを通り越した、熱さ。
「転んで、せいぜいずぶ濡れになるくらいの事かもしれねェ、が」
私は、ゾロの背中で。
シャツを握り締めながら、その視線を受け止めている。
体を、風が押した。
でも力強い腕が、私を、揺るぎなく支えている。
「俺の知らないうちに起こるのは、気にくわねぇ。それが、どんな事だろうとだ」
「…ごめん…」
「翡翠、覚えとけ」
急に、顔に影が落ちて。
一瞬感じる、熱さ。
私から唇を離したゾロが、言う。
「一緒にいるんだ、俺が」
「…うん」
多分私は、不安な表情を浮かべてる。
「…戻んぞ」
ゾロが、私の顔を見て笑った、から。
私はいつしか気付いた。
私の不安そうな、泣き出しそうな表情が。
ゾロを喜ばせる事に。
微かに眉根を寄せながら。
私は砂に爪先を立てるようにして、ゾロの唇を求めた。
片端をきゅっと持ち上げた形の唇が、私を迎え入れる。
熱い、乾いた唇をむさぼる私の膝の周辺を。
冷たい波がひたひたと濡らした。
私の不安な表情が、あなたを掻き立てるなら。
いくらでも、私はその材料を探すから。
だから。
だから、ゾロ。
お願い──。