好きなんかじゃない


「名前」

嬉しそうな音で紡がれる私の名前は、どこか首の付け根あたりをムズムズさせた。

「今日は何作っとんの」
「…生クリームで作るフルーチェ」
「カロリー爆弾やな」

治くんの登場に、周りにいた同好会のメンバーが色めき立つ。そして意味ありげな視線を私に寄越すのだ「彼氏のお出ましだぞ」と。

非常にとてもかなり不本意なことに私はすっかり宮治の彼女として定着していた。それは例の噂の力ももちろんあるけれど、治くんのわっかりやすい彼女扱いのせいでもある。
付き合うことに同意したあの日から、名前を呼ぶし、距離が近いし、用事ないけど会いに来たとかいうし、見つめてくるしで枚挙にいとまがない。
幸せオーラがバンバンに出ていて「私といるとそんなに嬉しいのかな」と胸のあたりがそわそわする。

そんな治くんの様子に治派筆頭のカナちゃんも満足そうだった。

「フルーチェやったら持っていけへんな」
「うん」

固形ではなく液体のデザートにしたのはちょっとした意地悪だった。だって絶対持っていけないし。私が美味しそうに食べるのを指をくわえて見ているがいい宮治!

私は窓際の治くんに近づき「今日は分けてあげられへんなぁ」とわざとらしく残念そうな顔をしてボウルにスプーンを突っ込み目の前でプルプルのフルーチェを口に入れた。
カロリーが高いものは美味しい。間違いない。

「美味しくできたのに治くんに食べてもらえへんのは残念やけど、部活頑張ってな」

治くんはジトッとした目でこちらを見ている。どうやら私の意地悪に気が付いているらしい。もう一口いってやろうとスプーンでフルーチェをすくう。すると、スプーンを持つ手を治くんが掴んだ。私の手を余裕で覆ってしまえるくらいの大きさの手がグイッと掴んだ手を引っ張る。

「あぁっ!」

パクンッと治くんは私のスプーンからフルーチェを食べてしまった。

「お、うまいわ」

しまった、と酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせていると「サムぅ!いちゃつくなや!!」という元気な声が聞こえる。

視線を治くんの後ろに動かすと、見覚えのある金髪とそのお仲間がニヤニヤしながら体育館へ向かっていくところだった。バレー部は休憩中ここを通らなきゃいけないルールでもあるんだろうか。

「羨ましいやろ!」
「うっさいわ!はよ体育館戻るで」

双子の元気なやり取りのあと、治くんは私をじっと見つめながら「そのスプーン使たら間接キスやな」と言い残して去っていった。
そう言われた途端手に持つスプーンがとんでもない物のように思えてくる。私はつかつかとシンクに歩み寄りそのスプーンをシンクへ放った。その途端周りから非難の声が上がる。

「なにしてんねん!そこは頬染めてスプーン使うところやろ!」だの、「いちゃつき見せられたうちらの気持ち考えてみ!」だの、「そのスプーン欲しいて泣いて頼みにくる子もおるで。ジップロックいれて保存せな」だの勝手なものだ。

「別に治くんなんて好きちゃうし」

そう言った途端生温かい空気に包まれる。照れちゃってまぁ、という空気。それ以上弁解するのも面倒で、私は新しいスプーンを取り出してパクパクとフルーチェを口に運んだのだった。(勢いあまって全部食べてしまったのは後悔している)

宮治という男の子を改めて考えてみる。
まず背が高い。そしてハンサム。成績はそこそこ。強豪のバレー部でレギュラー。性格は(侑くんと比べて)おっとり。食べることが好き。そんでもって私のことが好き。
こうして考えるととんでもなく好条件の相手に思える。だけど、とても強引に私と大耳先輩の仲を引き裂いた犯人でもある。(悲しいことに私と大耳先輩の間には何もないんだけれども)
治くんが私を好きになる理由も良く分からない。色んな納得いかない気持ちを抱えたまま私は今日も治くんと穏便に分かれる方法を模索していた。

「ええやんそのまま付き合っとけば」

そういうのは唯一事情を知っている友達だ。

「大耳先輩とどうこうなれるような感じでもなかったやんか」
「…そんなことないもん」

グサッと刺さる一言。

「やり口は確かにどうかと思うけどそんだけ好かれてるの悪い気はせんのちゃう?」
「うぅん…」
「どっちやねんそれ」

思わず否定と肯定の混じった変な声が出る。確かに悪い気は、しない。でも、好意はあったって恋ではない。音は似てるけどその間には深くて暗い溝がある。

「自分の方向かんから追いかけたくなるんかも」
「え?」
「ほら、狩猟本能てあるやん?逃げるから追うってやつ。自分の方向いたら途端に飽きたりするんやない?知らんけど」
「そういう、もんなん…?」

うーん、と考え込む私に、友達はまぁ精々頑張れと応援なのかよくわからない言葉をかけた。絶対にめんどくさがってる。

今日は同好会の活動は無いので、まっすぐ家に帰る。昇降口を出て歩いていると、見慣れた長身を見つけた。

「大耳先輩こんにちは」
「おぉ、苗字さん」

両手を体の前で組んで恥じらってしまう。だけど視線だけはチラチラと先輩を見ていた。

「治とは上手くやっとるか」

そのセリフでテンションがガタ落ちする。

「はぁ…まぁ…」

目を泳がせながら曖昧な返事で誤魔化すと、先輩は「困ったことがあったら相談しいや」と優しく微笑む。その時ずしっと頭に何かがのしかかった。

「名前、何してん」
「お、さむくん」

私の頭を肘置きにする治くんは既にジャージ姿で部活モードだった。

「大耳さんちわっす」

いったいどこから現れたんだろうか。折角大耳先輩とお話できそうだったのに。治くんは私の頭上に置いていた腕を、さもいつもそうしていますというように肩に回す。密着度が上がって反射的に顔がこわばる。こんな、バカップルみたいなことをよくも先輩の前で。

「名前、今日一緒帰ろ」
「…やだ、もう帰る」
「そんなん言わんといて、な?」

至近距離でなお且つ甘えたような声で囁かれて、びりびりと淡い痺れが背筋を這い上がるような感覚に襲われる。それがなんなのか私にはわからなかった。私はグイッと治くんを押しのけて距離を取り、今日は用事があるからもう帰る、ときっぱり告げた。NOと言えない日本人代表でもやるときはやるのだ。
治くんは不服そうな顔を隠しもせずに「ほな明日は」と食い下がる。そんな私たちを大耳先輩は仲ええなとでも言いたげに、目を細めて見ていた。「知らん」ぷいっとそっぽを向いて歩き出す私に、大耳先輩は「気を付けて帰るんやで」と声をかけてくれる。
「はい。大耳先輩また明日」と笑顔で挨拶して背を向けた。治くんはわざと無視した。


しかしそんなことでめげる宮治ではない。翌日の昼休みに治くんによって誘拐された私は、なぜか治くんの教室でランチタイムを過ごしていた。

「…侑くんと過ごさんでええの」
「家でも顔見るんやで?昼休みくらい離れるわ」
「ふーん」
「彼女の顔見たい思たらあかんの」
「私の顔見ても楽しくないやろ」
「楽しくはないけど嬉しいで。好きやもん」

お茶を吹きそうになった。なんでこうもストレートに言えるんだろう。

「ほんま、なんで私のこと好きなん」

そう問いかけると治くんは少し考える素振りをして「わからん」と言い放った。

「わからんの!?」
「わからんけど、強引にでも彼女にするくらいには好きや」
「…ソウデスカ」

ニッと笑った治くんは机の上に置いていた私の右手に手を重ねる。撫でるような動きがくすぐったい。触れられて、嫌ではなかった。心臓はさっきからどきどきと鳴り続けている。治くんをみると、最近心臓がうるさくてかなわない。治くんからのストレートすぎる好意に、いつか心停止を起こしそうだ。
なんでドキドキするのか、その答えをどこに問い合わせたらいいのかわからなかった。


その日の同好会はまた私一人で、カチャカチャとボウルの中身をかき混ぜる音が調理実習室に響く。中身は卵白とバターと砂糖と薄力粉。そうラングドシャだ。

もったりとした生地を絞り袋に入れてオーブンシートの上に絞り出していく。予熱していたオーブンに入れてしばらく待つ。案外お手軽に作れるお菓子だ。

吹き込む風に誘われるように窓際に歩み寄る。外を眺めていると名前も知らない花壇の花が囁き合うように風に揺れていた。
視線を横に動かすとラッキーなことに大耳先輩を見つけた。横には北先輩もいる。二人はなにかを一緒に覗き込みながら話しているようだった。北先輩だって身長は決して小さくないけれど大耳先輩と並ぶと小さく見える。遠近感おかしくなりそう、と思っていると大耳先輩が楽しそうに笑った。そうだった。先輩って大人っぽい外見でいて、年相応に笑うのだ。その時の笑顔が、なんかいいなと思ったことを覚えている。あぁ、やっぱり素敵だなぁ。

「まーた、大耳さんにポーッとしとんのか」
「わーっ!」

後から至近距離で聞こえた声に文字通り飛び上がる。いつの間にか治くんが調理実習室に入ってきていたらしい。いつも窓越しにしか現れないから油断していた。

「な、なんでここに」
「外から大耳さん眺めとんのが見えたから中入ってきてん」
「も〜、びっくりさせんといて」

ドキドキとうるさい心臓を胸の上から手で抑えるようにしながら、壁伝いにずるずると床にしゃがみ込む。治くんの顔を見た安心感で力が抜けてしまった。

「名前ほんまに大耳さん好きなんか」

同じく私の前にしゃがんだ治くんがやけに真面目な顔でそう尋ねる。

「好き…やと思う」

思案顔の治くんは「ほな、大耳さんとこうしたいと思うか?」と私の手を取った。握手のような形だったのが、するりと動いて指の間に指を入れるいわゆる恋人つなぎになった。手の大きさが違う。嫌でも治くんが男の子だと感じてしまう。

「したい、と…思う」

大耳先輩と手を繋ぐのを想像してみる。きっと、心臓が破裂しそうなくらいドキドキするだろう。

私の答えを聞いた治くんは「ほな、これは?」とつないだ手をグイッと引いた。

「わっ」

治くんの方にバランスを崩してしまう。ガシッと私を抱きとめた治くんはそのままぎゅっと抱きしめてきた。

「お、治くん!」

誰か来るかもしれないという気持ちから抵抗するけれどびくともしない。体温が直に伝わってきてあったかい。そして少し苦しい。だけど、嫌ではなかった。距離が縮まったことで少しの汗と治くん自身の匂いがする。きゅっと彼のジャージを掴んだ。

「大耳さんに、こうされたいと思うか?」

そう聞かれて、想像してみる。

「…わからない」

想像ができなかった。大耳先輩とそうなる自分がまったく思い浮かべられない。

「俺にこうされるんは?」
「嫌じゃ、ない…」

少しだけ体を離した治くんが私の頬に手を添える。

「これは?」

そう言って治くんの顔が目の前にきた。さっき知ったばかりの体温が唇に触れている。
私、治くんとキスしてる。
心臓がおかしくなったんじゃないかってくらいうるさい。
フ、と唇を離した彼が「大耳さんとキスしたいか?」と言う。想像できない以前に、それはなんか違うなと思った。万が一そんな状況になったとしてもきっと拒否する。じゃあどうして、治くんとは嫌じゃないんだろう。

「したく、ない」
「そうか」

安心したように笑う治くんがまた顔を近づける。つられるように目を閉じた。

「んー!!!」
「いった!」

口の中にするりと入り込んだナニカに治くんを思いっ切り突き飛ばす。

「何すんねん!」
「キスや」
「初めてのキスで舌突っ込むやつがどこにおんねん!」
「2回目やろ」
「どっちも今日やん」
「別日ならええんか」
「良くない!」

ぎゃんぎゃん騒ぐ私に対し治くんは、「口もベロもちっこいな名前は」と急に感想を述べるものだから私はつい押し黙り顔を真っ赤にして俯いてしまった。我ながら乙女な部分があるらしい。ほっぺが熱い。

「名前」

治くんが私の両手を握る。

「俺とキスするん嫌やないんやな」

チラッとその顔を伺うと、治くんは心底嬉しそうな顔をしていた。

「名前結構俺のこと好きなんやな」
「…好きちゃうもん」

ご機嫌の治くんは私の言葉なんて構わずぎゅうぎゅうに私を抱きしめる。

「キスされて大丈夫ってだいぶ好きやで」

観念しいや、と治くんは私の頬をつつく。その時ピーっとタイミングよくオーブンが焼き上がりを告げた。

「おっ、なんか出来た」
「ラングドシャ作った」
「…あーあれな」
「わかってないやろ」

はよ食べさせて、と甘えてくる治くんに、きゅんとした気がするけど、気のせいだと首を振る。本当に治くんのことなんて好きじゃない!…はず。



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