よからぬ噂


噂というものはとても厄介で、一度広がってしまえば火消しは困難を極める。
否定すれば逆に真実味が出てしまうこともあるし、無言を貫けばそれはそれで肯定とみなされる。そうして、単なる噂である物事がいつしか真実へと昇華されてしまうことだってある。
結局、人は自分が信じたいものを信じるのだ。

なんでこんなに真面目腐ったことを考えているかというと、まさに私が噂の渦中にいるからに他ならない。
ほんの数日前にどこからか流れ出した「苗字名前は宮治が好き」という事実無根の噂。それは風に運ばれるタンポポの綿毛みたいにあっという間に校舎の隅々まで届いてしまった。
だいたい治くんを好きな子なんてこの校舎中にたっくさんいるのに、なぜ私の噂だけ広がってしまったんだろう。宮兄弟の惚れた腫れたの話なんて皆聞き飽きてるだろうに。
友達からその噂を聞いた日から、ヒソヒソ言われたり、直接「治のこと好きなん?」と聞かれたりすることがある。
それはまだいい。

悲しかったのは、ほんのりと想いを寄せていた同じ委員会の大耳先輩にまで「苗字さん、治のこと好きなんやってなぁ」とやんわり応援されてしまったことだ。本人から脈無しを突き付けられる悲しみがわかるだろうか。必死に否定したら、大耳先輩はイマイチ不思議そうな顔をしながら「ちゃうんや。変なこと言って悪かったわ」と言ってくれたけど、あれはあんまり信じていないと思う。
許すまじ噂の出どころ。なんでそんな噂が立ったかは、なんとなく分かっていた。

私が所属する料理同好会は部活に昇格できないままの弱小同好会だ。料理同好会とは名ばかりでみんな好きなものを作っては食べている。その緩さが気に入っていた。私はもっぱらお菓子を作っているのだけど、火を使ったりもするからいつも換気のために、窓を開けて作業していた。調理実習室が一階にあるためか、よくメンバーの知り合いが窓から「ちょっとちょーだい」と顔を出すことはあった。
だけどある日、そこに宮治がひょっこり現れたのだ。

「苗字、それ何?」

去年同じクラスだった私にそう尋ねた治くんは、部活の途中なのかジャージ姿で、興味津々にこちらを覗いていた。

「タ、タルトタタンもどき?」
「めっちゃええ匂いやわ。うまそう」

確かに我ながらカラメル色に焼きあがったリンゴはとてもおいしそうに見える。ほめられて気をよくした私はちょうど切り分けていたタルトタタンもどきの1ピースをアルミホイルに包んで治くんに渡した。

「一つどうぞ」
「ええの?」
「うん。みんな自分の友達に分けたりしてるから大丈夫」
「ありがとぉ」

治くんは嬉しそうにアルミホイルを手に去っていった。そして再び「あれ、うまかったわ」と窓から現れてから、治くんはちょくちょく調理実習室へやってきては少し雑談して私のお菓子を手に去っていくようになった。

部活中はお腹空くだろうし補給所的なものだろうか。きっとそれを目撃した人が、そんな噂を立てたんだと思う。私はただのエネルギー補給担当なのに。主に女子の間で広まっている噂なのか、治くんサイドは静かなものだった。
それはもう不思議なくらいに。知ってるけど興味がないのかもしれない。自分に関するそんな噂慣れっこだろう。

どうしたもんかと思いながら、ふかしたサツマイモを潰していく。おばあちゃんから届いた沢山のサツマイモの消費手段としてスイートポテトを作ることにした。
うちの同好会の活動はゆったりのんびりなので今日は私一人だ。人目を気にすることなく思いっ切り潰していった。
バターにハチミツ、お好みでシナモンを加えて混ぜていく。形を整えて、予熱したオーブンに入れた。焼きあがるまで宿題をしていよう。

問題集を解いているとだんだんとオーブンから良い香りが広がり始める。焼き上がりが楽しみだなぁ、とワクワクしていると聞こえるはずの無い声がした。

「おお、ええ匂いがすると思ったら苗字さんか」
「大耳先輩!!」

椅子に座っているのに、ぴょんと体が跳ねた。思わず変じゃないかなって慌てて前髪を整える。

「スイートポテトを焼いてまして」
「料理部や言うてたもんなぁ」
「はい!」

本当は同好会なんだけど少しでも覚えていてくれたことが嬉しい。

「大耳さん何してるんすか」
「治くん」

大耳先輩の後ろからひょこっと治くんが現れた。噂が広がってからまともに顔を見るのは初めてだ。
悲しいことに、大耳先輩は治くんの登場におやっという顔をして「じゃあ部活頑張りや。治、先戻るで」と去っていく。
気を使われた。それも嫌な方向に。
違うんです大耳先輩。私は治くんと2人になっても嬉しくないんです。せっかく大耳先輩と2人だったのに、としょんぼりしてしまう。そんな私の様子なんてお構いなしの治くんは、大耳先輩に「うっす」と返事をした後「これ何の匂いなん?」と直ぐに興味をこちらに移した。
至っていつも通りの様子に、きっと治くんの耳に噂は入ってないんだろうなと結論づける。

「スイートポテト…」
「もうできる?」
「あと5分くらいやで」
「あ〜休憩ギリギリやな」
「体育館持っていこか?」

大耳先輩にも渡せるかもしれないという下心を隠して言うと、治くんは嬉しそうに「ええの?」と目を輝かせた。

「ええよ」
「よっしゃ」

嬉しそうな治くんに何気なくを装って気になっていたことを切り出す。

「あの、大耳先輩って彼女とかおるんかなぁ」
「大耳さん?」

なんで急にそんなことを、と言いたげな顔で治くんは私を見る。私は無意味に右手で左手の人差し指をいじりながら「なんとなく…」と返す。治くんは、急にブスッとした顔をして「おるんちゃうか。知らんけど」と言った。

「やっぱおるんや」
「おるからどうしたん」
「いや、彼女さんおるならスイートポテト渡せんなぁって」

そう言うと、治くんは「…やっぱ、体育館持ってこんでええわ」今貰ってく、と急に言い始めた。

「えぇ、時間大丈夫なん」
「走ればいける」
「ならええけど…」

タイミングよくオーブンが焼き上がりの合図を出した。

「あっ、ちょお待ってて」

急いでオーブンからスイートポテトを取り出すと、こんがり良い色に焼きあがっていた。急いで友達に渡す用に準備していたラッピング袋に入れる。それを渡すと「ありがとう」と治くんは走っていった。
速い。流石強豪チームにいるだけはある。気持ちが急かされたせいで、一袋しか渡せなかった。大耳先輩にも食べて欲しかったなぁ。あーあ、と思いながら食べたスイートポテトはとても丁度いい甘さだった。


事態が急転したのは、その翌日のことだった。友達に昨日作ったスイートポテトを渡しに行ったところ、「名前、宮治と付き合い始めたん?」と言うではないか。

「そんなわけないやろ!!」

びっくりして勢いよく否定すると「だよねぇ。大耳先輩気になる言うてたもんな」と友達は静かに頷く。
あの噂が信じられないことにお付き合いが始まったにアップグレードされてしまった。

一体なぜこんなことに、と落ち着かない気持ちになる。周りのヒソヒソが余計に酷くなり教室すら居心地が悪い。

頭を抱えたくなった時「苗字さん?」と私を呼ぶ声がした。

顔を上げるとそこには治くんファン筆頭である書道部のカナちゃんが立っていた。(ちなみに侑派筆頭はソフトボール部のハナちゃんだ。ちょっとややこしい)
カチコミだ!と一気に血の気が引く。私の机の前に立つカナちゃんは、綺麗なポニーテルをふわりと揺らして「治くんと付き合いはじめたんやって?」と私を見下ろす。

「ち、ちが「ええねん」

即座に否定しようとした私をカナちゃんは色白な手で制する。

「治くんが誰と付き合うとかはええんよ。それは治くんの自由や。私も治くんと付き合いたいわけちゃうし。ただ、治くんを傷つけたり悲しませたりした時は…わかっとるよね?」

鋭い視線に射抜かれた私は反射でコクコクと頷く。カナちゃんはにっこりと笑い「治くんをよろしく」と購買で人気のメロンパンを私の机に置いて去っていった。
ファンの鏡のようなお人だ。

どうやら呼吸を忘れていたらしい私は、ハァーッと多めに息を吸う。
どうしよう。否定し損ねた。その事実に気がついた時にはもう遅い。噂に自分で真実味を与えてしまった。

一向に好転しない状況のまま委員会の会議に向かうと、大耳先輩がにこやかに私に話しかけてきた。

「苗字さん治と付き合いだしたんやって?やっぱ照れとったんやな」

大耳先輩は照れ隠しで私が好きじゃないと言っていたと思っているらしい。好きな人にこんな話を振られるなんてあんまりだ。

「違うんです。私、治くんと付き合ってないんです…なんでこんなことになってるのかホンマにわからなくって…」

すると、大耳先輩は困惑した顔で言った。

「…治がそう言うてたんやで?」

衝撃過ぎて絶句してしまった。私の様子にただならぬ物を感じたらしい先輩も、「治とちゃんと話したほうがええで」と気遣ってくれた。その後の話し合いなんてなんにも頭に入らなかった。なぜ、どうして、そればかりが頭を巡る。

兎にも角にも治くんに会わなければならない。

委員会が終わるなり教室を飛び出す。
無計画に体育館へ突っ走ったは良いが、到着してやっと、どうやって呼び出すかを考えていなかったことに気がついた。無鉄砲がすぎる。オロオロしていると、私の後を追うように大耳先輩がやって来て「治やろ?呼んだるから待っとき」と中に入っていった。それからすぐに治くんが顔を出す。

「ちょっと顔貸して」
「体育館裏にか?」
「そうや」
「今からタイマン張る奴の雰囲気出すなや」

相変わらずのマイペースさで治くんはこちらにやってくる。私にとってはタイマン張るに等しい気持ちだ。

人目の少ないところへ移動して、「大耳先輩から聞いたんやけど」と話を切り出す。

「私と付き合ってるって言うたらしいやん」
「言うた」
「なんっでそんなこと」
「好きやから」

明日の天気を言うみたいにあっさりと言われた言葉に口がパカリと開いた。意味がわからない。告白もせずに付き合ってるって一方的すぎない?

「俺は、苗字の作るもんだけが目当てであそこ行ってたんとちゃうねん。苗字と話したかったんや。なのにぜんっぜん俺に靡く感じがせんし、なんや大耳さんにポーッとしよるしでだんだん腹立ってきてん」
「なんでそこでキレるん?」
「キレてへんわ。腹立ってん」
「一緒やん」
「ちゃうわ。ちょうど良い噂も流れてたしダメ押しに自分で付き合ってるって噂流した」
「ありえへんのやけど!」

私の気持ち丸無視なんて酷い。

「大耳先輩に、ちゃんと嘘やって言うて…」

落ち込みながら憧れの人のことを考える。こんなのってない。

「いやや」

私のお願いを治くんはすげなく却下した。
普段侑くんの方が性格の難が目立つが、よく考えれば双子。治くんもたいして変わらないことをすっかり忘れていた。

「大耳さんのことは諦めた方がええ。そもそも苗字のこと後輩以上に思ってへんし」
「うっ…」

薄々気がついていた痛いところを治くんは容赦なく撃ち抜く。

「それに、すぐ別れました俺むっちゃ悲しいって言うたらカナちゃんどうするんやろな」

ダメ押しの一撃にさらにダメージを負う。治くんのファンを敵に回すのは怖すぎる。治くんは女子社会の恐ろしさ生きづらさをしっかり理解しているらしい。一度爪弾きにされたら元に戻るのは難しいに違いない。
明確な脅しだった。

「私…治くんのこと恋愛的に好きとちゃうもん…」

普段通りの顔をした治くんを見ながらそう絞り出す。だけど、これも大した効果は無さそうだった。ケロッとしている治くんは私の両手を取って治くんの両手で握りしめる。

「大丈夫やって、すぐに大耳さんより俺の方が好きになるわ」

笑顔で言い放ったその自信はどこから来るんだろう。何一つ大丈夫ではなかったが、NOと言えない日本人代表の私は、結局治くんの押しに負けて宮治の彼女の座をゲットすることになったのだった。
絶対に穏便な方法で別れてやるんだから!



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