視線の行方



「それでお昼足りるの?」
「うん、運動部じゃないしこれで充分だよ」
「へぇ」

普段気だるげにも見える目を丸くして彼は私の手にあるサンドイッチを見る。大人っぽくて表情があまり変わらないイメージがあったけど、その実彼は案外年相応だった。
昼休み、中庭のベンチに二人並んでのランチタイム。
これだけ聞いたらきっと皆私たちを彼氏彼女の関係だと思うだろう。

「一口小さいな」
「そうかな?」
「口どのくらいまで開けられるの」

ちょっと限界まで開けてみて、と彼はジッと私の口元を見つめる。

「えぇ」

あからさまに嫌そうな顔をしてみせるけど、「苗字」と少し重めの瞼が色っぽい瞳で見つめられると何だか逆らえない。

「ほんとにそれで全開?」

あーんと口を開けた私に訝しげな視線が注がれる。失礼な。全力オープンだというのに。

「それじゃあちょっとキツイだろうな」
「何が?」
「もういいよ」
「んぐ」

話流されたな。と思いながら口に放り込まれたハンバーグをもぐもぐ咀嚼する。チーズが入ってて美味しい。お母さん料理上手なんだろうな。ていうか今お箸が口に入って完全に関節キスなんだけど。これまで男の子と密接に関わることのなかった私はそういう接触にいちいちドギマギしているけど、彼は気にした様子もない。なんか悔しい。
彼、松川一静と私は恋人なんて素敵な関係じゃない。
私たちは観察者と観察対象の関係だ。事の始まりは2週間ほど前に遡る。放課後話したいことがある。と呼び出された私は、灰色の高校生活についに春が!?と浮かれた心地で指定の場所に向かっていた。私を呼び出した松川くんとは2・3年生の2年間同じクラスではあるが正直そこまで仲がいいなんていうことはない。及川くん程じゃないけど大人っぽい雰囲気があってそれなりに人気のある男の子だ。ツンとした口元がかわいいなと思った事がある。平静を装っているがしきりに手櫛で前髪を整えたりしちゃうあたり自分が緊張していることがわかった。松川くんと落ち合うと、緊張はピークに達して心臓の音がやけに大きく聞こえる。耳のそばに心臓移動した?って感じだ。

「呼び出してごめん」
「ううん大丈夫」

本当はこんなの初めてだし全然大丈夫じゃない。心臓バックバクだ。

「その、なんていうか。俺苗字のこと知りたいんだよね」

ちょっと照れ臭そうに視線を泳がせながら松川くんは切り出す。

「知りたいといいますと…」

ドキドキしながら続きを促せば松川くんは言葉を探している素振りで口を開いた。

「観察させてほしいんだけど」
「ん?」

なんか思ったのと違う気がする。もしかして好きとかそういのじゃない?

「俺苗字のことよく知らないなって思って」
「そう…だね」
「どうかな」

どうっていわれても。何と答えたものか悩んだ結果「なんで私のこと知りたいの」と理由を問う。すると松川くんは「先週なんだけど」と前置きして話し始めた。

「昼休みに苗字が階段を駆け上がってくのを見たんだよね。その時スカートがふわってなってさ、中が見えたわけ。そしたら、黒のなんていうのかな、後ろがレースのお尻が見えてる下着だったからびっくりした。俺苗字のこと地味で目立たない子って思ってたんだけど、それ見て違うのかなって思って。そしたら苗字に興味がわいたんだよね」

だから、観察させて欲しい。と松川くんは話を結んだ。
ブワッと変な汗が吹き出す。
デザインが気に入って買ったお気に入りのレースバックの下着。まさか目撃されていたとは思いもしなかった。見られたのは今とりあえず置いといても、だから観察させて欲しいと繋がるのがわからない。あと、自分が地味なタイプなのは自覚あるけど、改めていわれるとちょっと傷つくんですが。

「いや…ちょっと難しいかな」
「そっか。じゃあ俺が質問したりするのはいい?」
「質問?」
「そう。苗字のこと」
「え、どこで」
「教室で」
「えぇ…」

接触のない私たちが急に話し始めたらみんなにあらぬ誤解を受けるに違いない。

「急に仲良くなったら怪しまれるよ」
「付き合ってないし、俺が苗字の下着見て興味持っただけって言えばいいだろ」

大したことないよ。といわんばかりの顔で松川くんは曰う。

「それは‥勘弁してください」
「じゃあ観察させて」

と松川くんは腰を屈めて目線を近づける。じっと見つめられると逆らっちゃいけない気分になる。しかも下着ってカードを切られてしまえば、私に残された選択肢ってひとつだ。流石にクラス中にあの下着を履いてることを知られたくない。密かな趣味なのだから。最初っからわたしにはYESの返事しか用意されてなかったんだと、下唇を噛む。松川くん案外性格悪い。

「わかった…。ただし!えぇと…1ヶ月だけ!」

語気を強めてそういうと、松川くんはニッと笑って「ありがとう」とわたしの頭をポンと撫でた。そんなおかしな約束を取り交わしてから、私はずっと松川くんに観察されている。
最初の方はこうしてお昼を食べながらわたしの誕生日だとか家族構成、好きな色に好きな食べ物等々調査された。途中で取り調べを受けてる気分になったのは記憶に新しい。そのうちカツ丼が出てくるんじゃないかと思った。最近は私の目の色とか、手の大きさとか、身体的な部分もマジマジとみられるとこが出てきて正直言って恥ずかしい。しかも毎日のようにお昼を一緒に過ごしているせいで、私はすっかり松川くんの彼女ではないかという疑いをかけられている。先日松川くんの元カノ(松川くんに未練があるらしい)にめちゃめちゃ睨まれた。残念ながら、興味深い生き物として見られているだけだ。面倒な事になったなとは思うけどあと2週間ほどの我慢。その内松川くんだって飽きるだろうし。

「苗字?」

ぼんやりした様子の私を心配してか、松川くんが顔を覗き込んでくる。

「なんでもない」
「そう?」

誤魔化すようにサンドイッチを頬張ると、マヨネーズ付いてる。とくつくつ笑いながら口元を親指で拭われた。恥ずかしい。

「苗字は、俺のこと聞かないね」

興味ない?と松川くんが私を見る。

「松川くんの元カノおしゃべり好きだったから」

基本的なこと知ってるのと苦笑いを返す。昨年クラスメイトだった彼女は松川くんの誕生日や好きな食べ物を嬉しそうに周りに話していた。何回も耳に入れば何となくは覚えている。

「あぁ…」

思い当たる節があるのか松川くんも苦笑いだ。

「私松川くんの彼女だって思われてるみたいですごい睨まれるんだけど」

クレームのつもりでそう言うと「ほっとけばいいだろ」とあっさりした返事。

「何で別れたの?」

シンプルな興味から尋ねてみれば、言い辛そうな顔で首の後ろを手でさする。

「…告白されて、一生懸命好きだって言ってくれるとこが可愛いなって思って付き合ったんだけど、やっぱなんか違うなってなったんだよ」

よく知ろうともしなかったし、と松川くんは目を逸らす。

「ふーん」
「ふーんて」

聞いてきたのお前だろ。と松川くんは私の肩を軽く小突く。ふふふ、と笑い合っていたら「苗字足ちっちゃいね」と唐突に松川くんが私の足を指差す。

「えぇ、松川くんと比べたら大体の女子小さいよ」

視線から足を隠したくてズルズルかかとを引く。

「見せて」
「…やだ」
「苗字のこと教えてくれるんじゃないの」

そう言って松川くんは私をじっと見つめる。座ってると視線が近くて余計に逸らしづらい。とっくにご飯を食べ終わっている松川くんは、私の前にしゃがんで足を彼の右の太ももにおくように言う。結局逆らえない私は靴を脱いで片足を乗せた。意思薄弱がすぎないか私。松川くんの太ももはスポーツマンだけあってしっかりしているのが足裏から伝わる。バレー部みんなガッチリしてるもんなぁ。なんて考えていると松川くんは私の靴下に手をかけた。

「まってまって、何するの」
「脱がす」

するりと松川くんの手が私の足から靴下を剥ぎ取っていく。当然ながら靴下を脱がされるにつれ徐々に素足が顔を出す。

「爪ピンクなんだ」
「見えないからいいでしょ」
「うん可愛い」

松川くんは私の素足を手に取って「小さい」と笑う。何が楽しいのかよく分からないし恥ずかしい。松川くんは足の甲を撫でたかと思うと、確認するようにふくらはぎを下から上へなぞる。人気がないとはいえこんなとこ誰かに見られたら恥ずかしくて死ねる。顔を下に向けると髪がおりて顔を隠してくれた。松川くんの手はふにふにとふくらはぎを揉んでからスルッと太ももを触る。そのせいで少しスカートが捲れ上がった。

「松川くん!」

ゾワゾワした感覚に耐えられなくなって、それ以上はダメ!と手を掴んで止めると、松川くんと視線がバチッと合う。

「苗字、顔真っ赤」

フフッと笑う松川くんは自分がしてることを棚に上げて楽しそうだ。

「教室戻ろうか」

松川くんは立ち上がって校舎を指差す。私は「うん」と返事して靴下を履きにかかった。

「苗字、今日もありがとね」

靴下を履くため下を向いた私の頭を松川くんが撫でる。私の髪をおっきな手で梳くのは、ここ最近のお気に入りのようだった。そうされると、愛玩されているような気分になってつい悦びを感じてしまう。ただの観察対象なのに、松川くんの言動にに一喜一憂して私馬鹿みたい。教室に戻れば、クラスメイトたちのもの言いたげな視線が私たちを迎える。それを無視して席につけば、友達がニマニマしながら近づいてきた。

「ねぇ、本当に松川と付き合ってないの?」
「うん」
「名前が中庭で松川を跪かせてたって噂になってるけど」
「なっ」

見られてたのかと冷や汗が背中をつたう。ていうか私がそうさせたんじゃないんだけど。

「見間違いだと思う」

と苦しい言い訳をすれば、友達はふぅん。と片眉を上げる。変わらず楽しそうな顔だ。

「まぁ、誰に何言われるとか気にしなくていいんじゃない」

と言い残して友達は自分の席へ戻っていった。この友達は、私が元カノに睨まれるのが嫌で松川くんと付き合ってると公言できないと思ってるらしい。度々人の目なんて気にするなと激励される。ちょっとズレてるけどいい子なのだ。無事にその日の授業を終え部活に行くべく廊下に出る。放課後の廊下は生徒の解放感に満ちていて騒がしい。

「あれ、まっつんの彼女じゃん」
「違います」

背後から聞こえた声に食い気味に返す。振り返ればイケメンもとい及川くんがいた。

「え、違うの?」

イケメンってびっくりしてもイケメンなんだなあ。

「違う。松川くん私のこと好きじゃないよ」

頑として言い張れば「まっつんも難儀だね」と気の毒そうな顔をされた。
どういうことだ。

「まあ、クールに見えてまっつん案外情熱的だから頑張って」

と私の肩を叩いて及川くんは爽やかに去っていく。嵐か。頭にはてなを浮かべながら部活に向かうもどこか及川くんの言葉が魚の小骨みたいにひっかかっていた。
青城のバレー部は月曜日がオフらしい。情報源は例にもれず去年の松川くんの元カノである。週1程度しかオフがないってのんびりした部活にいる私には耐えられそうにもない。かく言う私も月曜日は部活がないので早めに帰ろうかなと教室を後にする。すると教室の引き戸を開けたところで誰かの手に後ろから肩をつかまれた。

「苗字もう帰る?」
「松川くん」

うん、帰るつもりだよ。と答えると、松川くんは何かをカバンから取り出して私の眼前へ掲げた。

「あっー!」

それを認識したとたんに興奮した声が出る。

「苗字これしたいっていってたよね」

それは私が以前やりたいと話していたゲームだった。

「えっ、どうしたの?」
「イトウに借りた」
「うっそ!」

イトウくん羨ましい!と両手で口元を抑える。

「うちで一緒にする?」
「いいの!したいしたい!」

勢いで答えてからハッと我に返る。

「じゃあ行こう」

しまったと思っても出した言葉は取り戻せない。やっぱやめるとも言い出せず私はすごすごと松川くんのお家へお邪魔することになった。まあだれか家族がいるだろうと高を括っていた私は、人気のない松川家の玄関で立ちすくむ。

「どうしたの?」
「いや、おうちの人…」
「今日はまだ帰らないよ」

俺の部屋こっち。と松川くんは私の腕を引く。初めて入る松川くんの部屋には羨ましいことにテレビがあって、マイテレビ!と先ほどまでの緊張感も忘れて興奮してしまった。適当に座ってという松川くんの声に、突然あの元カノもここに来たことあるのかな、と考えてしまう。よくわからないモヤついた気持ちを振り払って遊んだゲームは期待した通りの楽しさでついつい2人であーでもないこーでもないと言いながらやり込んでしまった。いったん休憩しようかという松川くんの意見に従って出してもらったお茶を口にする。

「苗字」
「ん?」

呼ばれて視線を声がしたほうに動かせば、松川くんが思ったよりもそばにいた。

「触っていい?」
「え?」

なにを?と聞くや否や「お前」と短く答えた松川くんが私に手を伸ばす。ボールを片手でつかめるくらい大きな手が私の頬を包んだ。その手はスルスルと下に滑ってブラウスから除く鎖骨を内側から外側へなぞる。私は驚きで身をこわばらせて松川くんを見つめた。松川くんは真剣そのものという表情で、まるで人形かなにかを検分しているみたいだった。なんでだろう。観察対象。そう思われていることが悲しい。
そうか、私、松川くんのこと好きになってしまったんだ。
一緒に過ごすようになって、松川くんが意外とたくさん笑うって知った。私の話を聞くときよく聞こえるよう屈んでくれることも。私の髪を優しく梳いてくれることも。好物のチーズインハンバーグを分けてくれることも。2人で笑い合う心地良さも。もう知ってしまった。じわりじわり絵の具が紙に染みていくように、松川くんが私の心に浸食してきていた。美味しいものを分けたいと思える相手には好意を抱いていると何かで見たことあるけど。松川くんのそれはきっと、犬猫みたいな愛玩動物への気持ちと変わらないんじゃないかな。そうやって自分の気持ちを急に自覚して戸惑っている隙に、松川くんの手は私の腰をなぞって下へ降りていく。いつかの昼休みのことが頭をよぎった私はバッと後ずさった。
むなしい。私いま、好きな人に触れられているのにすごくむなしい。

「苗字?」
「…もうやめよう」
「どうしたの」
「もう十分でしょ」

気を抜けば泣いてしまいそうだった。

「観察、もう十分したでしょ」

もう終わり。と抑揚のない声で松川くんに告げる。

「私帰るね」

松川くんの顔を見ないように、私は松川家を飛び出した。自宅に着くや否や玄関先で大泣きする私に、母親は何事かと目をむいた。恋を自覚したその日に失恋しましたなんて言えるわけもなく。何とかごまかしながらその夜を乗り切った。
明けて翌日。学校に行きたくない気持ちをなんとか宥めて、制服に袖を通す。教室にいくと、朝練の為か松川くんはまだいなかった。素直にホッとする。

「苗字」
「わっ!」

ホッとした矢先に声をかけられて必要以上に飛び上がってしまった。振り返ると松川くんが立っていて、昨日の気まずさからつい目を逸らしてしまう。

「放課後時間くれないか」
「…やだ」
「これで最後にするから」

そう言われて渋々頷く。ありがとう。その言葉とともにポンと頭に乗せられた手にまた泣きそうになってしまった。その日の授業は集中出来るはずもなく、気もそぞろに時間が過ぎていった。放課後松川くんに誘われたのはよくお昼を食べていた中庭のベンチだった。

「その、なんていうかさ」

しばしの沈黙の後、そう口火を切った松川くんは、手で首の後ろをさすっている。それが照れ臭い時の癖だと思い至って胸が愛しさで痛む。

「俺、苗字と付き合いたい」
「はぁ?」

何言ってるの?と思わず声が大きくなる。わたし昨日あなたに失恋したんですけど。

「苗字の下着見てから、ギャップでキュンとしてついつい目で追うようになった。そしたら、苗字が穏やかで綺麗に笑う子だって気がついて、可愛く見えるようになった。だけど、その可愛いなって気持ちが、恋なのか分からなかった」

俺、それで前失敗してるし。と松川くんは空を見る。元カノのことかな。

「だから、苗字のこと知っていったらこの気持ちが何なのかわかるかなって思ったんだ」

空を見上げたまま松川くんはそう述懐する。私は黙ったまま松川くんの話に耳を傾けた。

「苗字のこと、知っていくうちに一緒にいたいって思うようになった。この子をそばに置く権利がほしいと思った。この子を抱きしめることを、口付けることを、全て奪うことを許されたいと思った」

それが、俺の観察結果。と松川くんは私をじっと見つめる。強烈な愛の吐露だった。衝撃でポカンと松川くんを見上げると、「何その顔可愛いな」と松川くんは優しく笑った。

「私…愛玩動物みたいに思われてるんだって思ってた」

そう言えば

「動物とは思ってないけど、確かに可愛がりたいかな」

と返ってくる。俺世界中で一番名前のこと知ってるからめちゃくちゃ喜ばせられるよ、と。

「すごい自信」

思わず笑うと

「離れてかないように必死なだけ」

と弱く笑い返される。

「どう?俺のことそばに置いてみない?」

お買い得だよ、と松川くんは私を見つめる。照れ臭くなった私はキュッと唇をひき結んで松川くんを見つめ返す。この甘ったるい空気めちゃくちゃ照れる。

「その顔、照れた時の顔だ」

松川くんは嬉しそうに私の感情を言い当てる。伊達に観察してた訳じゃないんだなぁ。

「…松川くんがまだ知らない事があるの」

そう切り出せば「なに」と楽しそうな返事。

「私の好きな人」
「それは初耳」
「松川一静っていうの」
「まじ、同姓同名だわ」
「私昨日。その人に失恋して泣いてたの」

私のこと好きじゃないって思ったから。こんなに好きにさせたのに、ひどいでしょ。と笑えば「本当サイテーだな」と松川くんも笑う。

「慰めてくれる?失恋を忘れるには新しい恋だもん」
「もちろん」
「ほんと?」
「そんな男忘れさせてやる」

その台詞でついに吹き出してしまった私の髪を松川くんが優しく梳く。

「じゃあ松川くんと付き合おっかな」
「うん。そうして」

俺以外目に入らないくらい大事にするよ、と額同士ををコツンと重ねる。そして近づく顔に瞳を閉じる。触れた唇は、泣き出しそうなくらいに優しかった。


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