ジュノーは微笑む




「も〜嫌やぁ!!」

悲鳴混じりの私の訴えに、治は呆れたような視線を寄越した。なに言うとんや、とでも言いたげな視線にムッと唇を尖らせる。

「今年何人目やと思う?裏切りの入籍!!」

暖簾を下げた店内には他のお客はおらずつい遠慮なしに声が大きくなった。そんな私に、明日の仕込みをせっせと進める治は呆れた様子を隠しもしない。

「裏切りて大げさなやっちゃな」

慣れた手つきで大葉を刻みながら「めでたいことは祝ったらな」とどこか説教染みた言い方をした。

トトトト、と子気味良い音を立てながら刻まれていく大葉から、ふわんと香りが立ち上る。さっき食べた大葉味噌のおにぎり美味しかったなぁ。大葉味噌を塗った表面に焦げ目をつけてるのが香ばしくて最高だった。

「だってぇ、“彼氏とかおらへんで“とか言うてたのに付き合ってから半年足らずで入籍って…」

私のこと置いて行かんといてぇ…悲壮感漂う私の嘆きに、治はハン!と鼻を鳴らした。
その様はここにはいない彼の双子の兄弟にそっくりで、何の罪もない侑のことまで腹立たしく感じてしまう。

「素直にうらやましいって言えばええやん。私も結婚したいって」
「ぐぬぬ…」

痛いところを突かれてしまえば反論の言葉なんて出て来やしない。治にいとも簡単に言い負かされた私は、カウンターに突っ伏した。
それなりの年齢になれば、それか、社会人になれば、自然と結婚相手が現れるものだと、私は信じ込んでいた。それが思い上がり、もしくは夢物語だと気がついたのは、20代も半ばを過ぎた頃だった。
気がついたら仲良しの友達の数人は彼氏持ちか既婚者で、次第に話が合わなくなっていく。そんなことで切れるほど浅い友情ではないが、会話に付いて行けない疎外感は切ないものだった。

今年3人目の入籍報告は私を落ち込ませるには充分で、こうして気心知れた治の店に押しかけて管を巻いているのだ。
私たちはいわゆる幼馴染と言うものだった。
宮さん家の斜向かいの家に生まれた同い年の子供である私は、2人がバレーボールを始めるまで何かと3人セットで扱われることが多く、5歳くらいまで裸の付き合いもした仲だ。宮兄弟はめきめきとバレー界で頭角を現し、あっという間にその界隈の有名人になった。私はまるで姉のような気持ちで「立派になっちゃってまぁ」と思ったものだ。
ツンツンしがちな侑より治の方が取っ付きやすいのは昔から変わらない。だからこうして、友達や親に言えない事なんかを治にぶつけてしまう。

「…そんなにしたいんか」
「なに?」
「結婚」
「…たぶん」
「多分てなんやねん」

ふふ、と空気が抜けるみたいに笑う治は穏やかな空気を放っていて、カウンターに突っ伏したままでも、仕込みがいい感じなんだな、と分かった。
ぺたぺたと、滑り止めのしっかりした厨房向けの靴音と共に、治がカウンターから出てくる気配がする。突っ伏したまま、顔を少しだけ横に向けると、タオルで手を拭きながら治が私の横に腰かけるのが見えた。

「するか?俺と」
「んん?」

話の読めない私は、疑問の声をあげる。治は力が抜けたみたいに笑って「昔話したやんか。結婚しよかーって」と軽い調子で言った。

その言葉と凪いだような表情に、稲荷崎高校の中庭の光景がフラッシュバックする。

その昔、私が麗しい女子高生だった頃の事。私と治はほんの一時だけ交際していたことがある。なんてことはない。彼女と別れてにわかに周りが騒がしくなってしまった治と、彼氏いない歴=年齢であることに焦りを感じた私との利害が一致したのである。治は周りを囲む女の子がいなくなるし、私は彼氏ができる。完璧だった。
だから「俺と付き合うてみるか?」と言った治に、知らない相手でもないしまぁいいか、と頷いたのだった。侑だけが「俺は認めへんぞ!!!」と騒いでいたっけ。

交際するといっても、私の生活は大して変わらなかった。それもそうだろう。当時の治は部活で多忙を極めていたし、私に構う暇なんてほとんど無いのは想像に難くない。時折夜に私を訪ねて家にやってくる治の行動も今までと変わりなくて、ちょこっとだけ、物足りないような気持ちになってしまった。

「付き合うってもっとワクワクドキドキすると思てた」
「なんや藪から棒に」
「だって、治と付き合っても今までと変わらへんのやもん」
「わがままやな。手ぇ繋いだりしてるやんか」
「それはなんていうか、治やと新鮮みない」
「贅沢もんめ」

うーん、と納得いってない様子を見せる私に、治は「生活に溶け込んどるんやな俺ら」と呟くように言った。

「せやな」
「ほな結婚しよか、将来」
「突飛な話やなぁ」

話が飛躍しすぎて、一切ドキっとはしなかった。

「生活に溶け込んでるなら一緒に暮らしても平気やろなって」
「まぁ確かに」
「考えといてや」
「うん」

その言葉を最後に、私たちの恋人関係は終わりを告げたのだった。

「今更どうしたん」
「返事聞いてなかったし」
「まぁ、そうやけども」
「俺やったら体の相性もわかっとるしええんちゃう」
「こらぁ!」
「った!」

あけすけな物言いに思わず背中を叩いてしまう。確かに、私の初めての彼氏もその他の初めても全部治だった。侑には「なんにもしてへん」と嘘をついたけど、私たちは決してプラトニックではなかった。これまで彼氏がいなかったわけではないけど、恋人のその先を、想像できる人は終ぞ現れなかった。
朝起きて治がいて、夜も治と眠りにつく。それはなんの違和感もなく、想像することができた。

「…治と暮らすん、平気かも」
「平気てなんやねん」
「治が家におって一緒に過ごすん、スッと想像できるわ」
「ツムでもできるとか言わんよな」
「ない。騒がしくてかなわんわ」
「ほなもう決まりとちゃう?」

6月の花嫁まだ間に合うで、と治はカウンターの向こうのカレンダーを指差す。流石に性急すぎるとは思ったけれど、同時に、悪くないかもなんて思ってしまう。

頭の中の侑だけが「俺は認めへんぞ!!!」と叫んでいた。



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