あなたの隣

「しーんちゃーん!!」

彼の名前を大声で呼ばう私に気がついて、信ちゃんが振り返る。

「おぉ、どした」

青々と茂ったトマト畑の間に立つ彼は、頭に巻いたタオルを取りながら微笑んだ。タオルに押さえられていたせいか、髪が少しヘタッとしている。

「農協の人が来てるよ。今おばあちゃんが相手してる」

彼に駆け寄る為足を踏み入れたハウスの中は温度調節をしているからか外気に比べて少し暖かい。

「なんやろ」

今日は特に約束してへんけどなぁと信ちゃんはグッと首を回す。パキパキ鳴る音がこちらまでしっかり聞こえた。同じ姿勢で作業することが多いから凝っているらしい。お風呂あがりにでも揉んであげようかな。

「悪いな、ここまで来てもろて」

信ちゃんは作業着のポケットからスマホを取り出して「電話気ぃ付かんかったわ」と申し訳なさそうに眉を下げた。

「仕方ないよ」

作業してたんでしょ、と言うと軍手を取った信ちゃんがそっと私の頬に手を添える。

「なぁに?」
「目ぇ閉じ」
「えっ」

驚いたものつかの間、すぐに信ちゃんの顔が目の前にやってくる。

「…手慣れてる」

キスの照れ隠しにそう言えば、信ちゃんは「そんなんとちゃうて。夫婦やからええやろ」と悪戯が成功したみたいに笑った。新婚って呼ばれる時期はもう終わったんだけどなぁ。

ハウスを出る彼に続いて外に出ると、冬のひんやりした空気が頬を撫でる。お米の収穫が終わった後、信ちゃんはハウスにいる時間が増える。田んぼはちょっとの間だけお休みを迎えた。お休みと言っても、しなきゃいけないことはあるみたいなんだけど、私はまだまだ戦力になれない。早くちゃんとお手伝いできるようになりたいとは考えている。ハウスからほど近い自宅まで戻ると、玄関の開閉音で気がついたのかおばあちゃんが居間からひょっこり顔を出した。
その腕にはすやすや眠る我が子の姿。

「信ちゃん、お客さんやで」
「おん、聞いたわ」
「名前ちゃんが呼んできてくれて助かったわぁ」
「いえいえ」

ふくふくした我が子のほっぺをひと撫でして居間に入り「どうも」と挨拶をする信ちゃんの声を聞きながら、私はキッチンに引っ込む。おばあちゃんも子供を抱いたまま一緒にキッチンへ入った。

お昼の準備をしてる途中だったから完成させてしまおう、とエプロンを付ける。おばあちゃんが子供を見てくれている内がチャンスだ。捏ねておいた生地を確認すると、信ちゃんを呼びに行っている間にいい感じになっていた。切り終わっていた野菜を煮込んで火が通るまで待つ。そして捏ねておいた小麦粉を一口大にしながら放り込んでいった。小麦粉がゆで上がったところで、顆粒出汁を投入し、火を止めて味噌を溶く。そうすればだんご汁の完成だ。

「寒い日はこういうんがえぇなぁ」

横から鍋を覗き込んだおばあちゃんが美味しそうだと笑う。後は信ちゃんのお話が終わるのを待つばかりだった。お茶を飲んで一息ついていると、隣の居間から小難しい話が聞こえてくる。
掛け金、だとか保証内容、だとか聞こえてくるからきっと共済契約の確認に来たんだろうな、と思った。その辺のことは信ちゃんが管理している。証券の場所とか、私にどういう保証を付けているかとか、信ちゃんにもしものことがあったらいくら下りるのかだとか、以前信ちゃんに説明されたけど、私はどうしてもそう言う話が苦手で、ふんわりとしか分からなかった。

「名前、ちょっとこっち来てや」
「はーい」

私を呼ぶ声に返事をして居間に行くと信ちゃんに隣に座るよう促された。

「どうしたの?」
「子供の学資入ろうと思て」

名前も話聞いとき、と言われコクリと頷く。大事な話をするとき時、信ちゃんは私を蚊帳の外にしない。わからなくても一緒に聞くように言ってくれる。そう言う時私はいつも、私って信ちゃんの家族なんだなぁということを噛み締めてしまう。案の定、説明はふんわりとしか理解できなかったけれど、子供のために必要だってことは理解できた。質問をする信ちゃんの眼力に渉外の人がちょっとだけビビっているのがわかって少し面白かった。目力あるんだよなぁ信ちゃん。

「奥様もお勤めでいらっしゃるんですか?」
「はい、今は育休中です」

渉外の人の質問にこくりと頷く。なにか契約のことに関係するのかな、と思ったけどただの世間話みたいだった。今は勤めに出てるけど、その内家に入って欲しいということはやんわりと信ちゃんに伝えられている。そのタイミングを少しだけ悩んでいた。

契約はまだ後日、ということで渉外の人は帰っていった。お見送りを終えた玄関で信ちゃんを見上げる。

「お昼食べる?」
「そうやな。頭使こたら腹減ったわ」

そう言って信ちゃんはキッチンへと入る。そしておばあちゃんに抱かれたままスヤスヤと眠っていた子供をそっとおばあちゃんから受け取った。

「ばぁちゃん見てくれてありがとな」
「いえいえ。ほんま赤ちゃんの時の信ちゃんにそっくりやねぇ」

そうなのだ。私が産んだ子は写真で見た信ちゃんの赤子時代にそっっっっっくりで、一瞬北信介を産んだかと錯覚したくらいだった。ツムサム(信ちゃんにはコンビみたいに呼ぶなと言われる)もこの子を初めて見た時「「ちっさい北さんや!!!」」とハモっていた。
よく我が家へやってくる治くんなんかは、何故かこの子に敬語で話しかけるのだ。ビビり過ぎである。信ちゃんに抱かれたせいか子供がパチッと目を覚ます。その眼力は赤子にしては強い。泣くかな?と思ったけれど本人はけろっとした顔で信ちゃんに抱かれていた。

「名前先にお昼食べ」
「え、信ちゃん食べなよ。お腹すいてるんでしょ?」
「俺がこの子見とる間に食べた方がええやろ」
「…わかった。ありがと」

お言葉に甘えて私とおばあちゃんが先にお昼を食べて、その後信ちゃんがお昼を食べた。こういうちゃんと育児に関わろうだとか、私を楽にしようという姿勢は素直にありがたいと思う。そして食後、信ちゃんはまたハウスへと戻っていった。

「名前」
「ん?」

夜、母子手帳に子供のことを書き込んでいた私に、信ちゃんが話しかける。

「今度アランたちが子供見に来る言うてんけどええか?」
「うん、もちろん」
「ほな、来る日決まったらまた言うわ」
「はーい。あ、そうだ。信ちゃんちょっと来て」
「なんや?」

信ちゃんは不思議そうな顔で私の隣に胡坐をかいて座った。私は信ちゃんの背後に回って首から肩にかけてを揉む。

「今日すっごい音鳴ってた」
「凝ってんねん」
「お客さま随分凝ってますねぇ」
「よう揉んだって下さい」
「ふふふ」

凝ってるとは言うものの、首や肩の筋肉は思いの外柔らかい。いい筋肉は柔らかいと聞いたことがある。きっとこれが良い筋肉なんだろうなぁ。
肩を揉んでいた私の手を信ちゃんの手が掴む。信ちゃんの手は農作業で荒れて、少しカサついていた。

「どうかした?」
「いつもありがとうな」
「どうしたの急に」
「家のこととか、子供のこととか負担かけとると思ってんねん」

そう言って手をキュッと握りしめられる。

「家に入って欲しいって話も名前のタイミングでええと思てる。急かさん」
「うん。ありがとう。正直ね、もう一人くらい産んだら潮時かなとは思ってるの」

そう言うと、信ちゃんは私の方に向き直り「そんなら直ぐ産んでもらおかな」と言った。

「えっ」
「冗談や」

驚きに声を上げた私に、信ちゃんはふは、と力が抜けたみたいに笑う。

「も〜…」

びっくりしたぁ、と正面から抱き着くと、信ちゃんから私と同じボディーソープの香りがした。信ちゃんってちょっとだけ冗談か本気かわかりづらいところがある。

「2人目はこの子がもう少し大きくなってからがええやろ」

そう言って、信ちゃんは既に夢の中に旅立っている子供に視線をやる。すぴすぴ言いながら寝ている我が子は驚くほど手がかからないけれど、確かにもう少し大きくなってからの方がいい気がする。体力的に。

「そうだね…わ!?」

私が頷いていると、何者かの手がお尻を撫でた。

「しーっ起きてまうわ」
「ちょっとなにすんの」
「癒されてんねん」
「…すけべ」
「せやな」

信ちゃんって真面目一辺倒かとおもってたけど、案外そうでもない。信ちゃんのことを知れば知るほど、好きだなぁって思う。
きっとそんな人に会えた私は相当に幸せ者なんだろう、と信ちゃんに抱き着く腕にぎゅーっと力を込めた。


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