叶わなくたって君が好き

自分の席から離れた場所で交わされる会話が耳に入ったのは、きっと気になる男の子の名前が聞こえたからだと思う。
耳をダンボにしながらこっそり盗み聞きつつ、片思いのパワーってすごいなと我ながら感心してしまった。だけど、聞こえてきた話の内容に、私は衝撃を受けることになる。

「ねぇ、赤葦が3年の先輩と付き合ってるって聞いた?」
「聞いた聞いた!体育館の近くで抱き合ってたんでしょ」
「真面目そうなのに意外だよね」

ギャップってやつ?とクスクス笑う声がやけに大きく感じる。
大げさかもしれないけど、隕石でも降ってきたかのような衝撃。
え、赤葦君彼女いたの?先輩?落ち着いてるし、年上のほうが馬が合うのかな。なんて、頭の中はぐるぐる色んなことを考えてパニック状態だった。
でもはっきりしていることは、私はたった今失恋したってこと。そう自覚したとたん、スッと身が冷えるような心地がした。
私は、自他ともに認めるおっちょこちょいだ。自覚はあるけど、だからといってちゃんとできるわけでもない。もはや私が何かドジを踏む度に「あぁ、苗字がまたなにかやってる」くらいにしか思われない。
だけど、赤葦君は違った。
私が廊下でプリントをぶちまければ、一緒に拾ってくれたし、お弁当とお財布を忘れてきた日にはおにぎりを分けてくれたし、当たる予定の授業の予習をうっかり忘れてきた日には、こっそり答えを教えてくれたりもした。隣の席になった日から、赤葦君は私に手を差し伸べ続けてくれた。何度も差し伸べられるその手の持ち主を好きにならないはずもなく。私はひっそりこっそり片思いの真っ最中だった。
その片思いも、気持ちを伝える前に終わってしまったのだけど。脱力するように机に突っ伏していると「苗字さん?」と声がかかる。声の主は、今まさに考えていた相手で。

「どうしたの。体調悪い?」

そっと顔を上げると、赤葦君が心配げに私を見ていた。その姿に心がギュッと掴まれたみたいになる。「何でもないよ」と笑顔を作って見せれば、そう?ならいいけど。とそれ以上追及はされなかった。

「もうミーティング終わったの?」
「うん。次の練習試合の確認だけだったし」
「練習試合かぁ」

昼休み明けの授業の準備をしながら、赤葦君は「興味ある?」とこちらを見る。赤葦君がバレー部だと知った日から興味ありまくりの私は、言い訳がましく「ちょっとあるかな。バレーって体育くらいしか触れないし」と返した。すると赤葦君は少し考えるような顔をした後「練習試合見に来る?」と誘ってくれた。「いいの?!」さっきまでの沈んだ気持ちが嘘みたいに声が弾む。
勢いよく返事した私に、赤葦君は優しい笑顔を浮かべたまま「じゃあ、詳しい時間とか場所後でメールする。連絡先教えてよ」と携帯を取り出した。
つられて私も携帯を取り出すと、その慌てた様子に「そんなに慌てないでも」と笑われてしまった。
私は頬がカッと熱くなるのを感じて少し俯いてしまう。
無事に連絡先を交換した途端、なんだか赤葦君の連絡先が入った携帯が急に特別に見えてきた。
赤葦君の彼女さん。絶対に赤葦君のこと取ろうとか考えません。だから、どうか諦められるその日まで好きでいることを許してください。
そう心の中で懺悔しながら画面に表示された連絡先を見つめる。そんな私の胸中などしらない赤葦君は「俺一緒に行ってあげられないけど苗字さん会場までひとりでこれるかな?迷子にならないよね」とすごく心配そうで、その優しいところが好きだなぁ。と私はまだまだ諦められそうにない気持ちにちょっとだけ胸を痛めたのだった。



連絡先を交換したその日に赤葦君は練習試合の詳細を送ってくれた。
ごく事務的な内容だったけど、画面に表示される赤葦京治の名前と文面の最後に添えられた、「無理にとは言わないけど本当に来てくれたら嬉しい」の一言は私を浮かれさせるには十分だった。
私は「連絡ありがとう。当日楽しみにしてます」と当たり障りのない返事をした後、携帯を抱きしめてベッドに倒れこむ。浮かれる頭の隅っこで必死に、赤葦君は私のことをただバレーに興味のある人だと思ってるから誘ってるんだと言い聞かせる。
その言葉に他意はないんだと。
練習試合ということは、きっと赤葦君の彼女さんもいるんだろうな、と寝返りを打つ。
まさかの失恋の後に得た情報によると、赤葦君は3年のマネージャーの先輩とお付き合いしているそうだ。おっとりしていて癒し系の人らしい。そう聞いたとき、ショックを受けると同時にどこか納得している自分がいた。きっと、そういう人のほうがしっかりしている赤葦君も気を緩めてすごせるんだろうな。一方の私は、ドジ踏むしちゃっかりおにぎり赤葦君からもらっちゃうし、うっかりしていて卑しい系だもん。
万が一にもチャンスなんてなかったんだ。

彼女さんからしたら、ただのクラスメイトでも女の子が試合会場に来るっていやなんじゃないのかな、なんて心配になる。そんな心配するくらいならそもそもに見行くなよって話なんだけど。でもやっぱり部活している姿を見てみたい気持ちが勝ってしまう。私ってやな奴だなと自覚すると萎びた菜っ葉みたいにしおしおとした気持ちになってしまった。練習試合見に行くのはこれを最初で最後にしよう。
だから今回だけは許してくださいとまだ顔も知らない彼女さんに懺悔して、私はゆっくり瞳を閉じた。


練習試合の当日。私は地図アプリの力を大いに借りてなんとか会場につくことができた。
参加する学校の距離感とかの兼ね合いで一般の体育館を借りることになったらしい。学校の体育館と違うそれは幾分立派で、中に入ったものの梟谷の応援はどこへ行けばいいのだろうと右往左往してしまう。本格的に焦り始めたとき「苗字 ?」と背後から声がかかった。
知り合いがいたのかと藁にもすがる思いで振り向けば、委員会でお世話になっている猿杙先輩がユニフォーム姿で立っていた。大きな体に愛嬌のある表情の先輩とは、警戒心なしでスッと打ち解けられて以来、廊下で会えばそれなりに話す仲だ。

「猿杙先輩!」
「こんなとこで何してんの」

私がここにいることを訝しがる表情で先輩は尋ねる。

「練習試合の見学に誘ってもらったんですけど、どこに行けばいいのかわからなくて」

正直にそう告げると先輩はここ広いもんな、と納得した顔であっちに行けばいいよと教えてくれた。
「そうだ、苗字 。今日は俺のファンしてくれよ〜」と先輩は私の頭をワシャワシャしながら言う。

「ファン?」
「俺がスパイク決めたらきゃーきゃーいう係な」

おれもきゃーきゃー言われたいと先輩はいつもの愛嬌のある顔でナイスアイディア!と自画自賛していた。わかったか〜?と相変わらず私の頭をもみくちゃにする先輩のおかげで段々頭がクラクラしてきた。先輩!ギブですギブ!と訴えていると、先輩の後ろから誰かが現れた。

「苗字さん?」
「あ、赤葦君!」

先輩の背後からひょっこり顔を出した赤葦君に心臓が跳ねる。

「猿杙さんと知り合いなの?」

頭をつかまれたままの私を見て状況がわからないという顔で赤葦君は私を見る。

「委員会が一緒なの」

端的に告げれば、なるほど。とひとつ頷いた。相変わらず察しが良い。
「苗字さん無事に来れたみたいで良かった」とほっとした表情で赤葦君はそう言ってくれた。
うう、優しい。
これ以上私の好き度を上げないで!と胸を押さえそうになる。そんなことは露知らず、赤葦君は見学する場所わかる?案内しようか?と心配げだ。

「大丈夫。先輩に教えてもらったから」

ばっちり!と胸を張って見せると、そっか。と少し残念そうに言われた。何でだろう。赤葦君はすぐにいつもの表情にもどったかと思うと「苗字さん今日終わったあとなんだけど、」と何事かを切り出した。だけどそれは「あ、いたいたー。集合かかってるよー」という声に遮られる。
おそらくマネージャーだと思われる姿が目に入りビクン!と大袈裟に反応してしまった。

「すみません白福さん。すぐ行きます」

その言葉にハッとする。
そうだ、確か「白福先輩」と体育館のあたりで抱き合ってたって聞いた。思わず白福先輩をまじまじと見る。確かにおっとりして見えて可愛らしい人だった。赤葦君が好きになるはずだ。勝手に敗北感を感じながら、私は赤葦君達に声もかけずそっとその場を離れた。我ながら感じ悪い。でも、白福先輩と話してる赤葦君をこれ以上近くで見る勇気がなかった。

コートを見下ろせる応援席は、練習試合にも関わらず案外人がいた。遠慮がちに隅っこの方にこそっと座ってコートを見下ろす。上から見る赤葦君は普段より小さく見えてちょっと可愛い。父兄も居るようで挨拶を交わす声がそこかしこから聞こえてきて、赤葦君の親御さんも居たりするのかなってちょっと緊張してしまった。何気取りだ。
コート脇では、赤葦君と白福先輩が何か言葉を交わしていて、その姿にズキンと胸が痛む。お似合いだ。その姿を見てつい、私が隣に立つ未来もあったのだろうかと考えてしまって虚しくなった。やめよう。今日はただ、赤葦君の姿を目に焼き付けて一生の思い出にして帰るんだ。


試合が始まるともうなんて言うか、体育のバレーとは全然違うんだなって思い知る感じだった。ボールがすごいスピードでコートの間を行き交う。すごい音のサーブ。軽やかに見えるレシーブ。そしてスパイクの迫力。コートの中で躍動する赤葦君は信じられないくらいかっこ良くて身震いしてしまった。
ぼおっと赤葦君を眺めていたら、赤葦君がボールを猿杙先輩へ上げた。先輩はそれを綺麗に相手コートに叩き付ける。
ワッとあがった歓声に、試合前猿杙先輩に言われたことを思い出した。歓声に遅れて「猿杙せんぱーい!!!」と声を出したせいで少し目立ってしまった。コートにも声がしっかり届いてしまったみたいで、猿杙先輩はこちらを見上げてサムズアップしてきた。
ドヤ顔だ。
赤葦君もこちらを見ていてちょっと恥ずかしい。次はちゃんとタイミング考えなきゃと身を縮こまらせる。その試合は梟谷が危なげなく勝利を収めた。噂には聞いていたけど、木兎先輩が大活躍だった。あんなにすごい人だったんだ。
私はと言えば、無事に猿杙先輩に声援を送るミッションを遂行できて達成感を感じていた。上出来だった気がする。先輩何度かこっちにドヤ顔してたし。結局全試合見ちゃったけど、赤葦君本当にかっこ良かったなぁ。写真撮っても良さそうだったから、こっそり赤葦君の写真を撮ってしまった。なんだか悪い事した気分。試合中の鋭い表情の一瞬は学校生活ではなかなか捉えられないものだ。カメラロールに入ったいくつかの写真はきっと今後も宝物に違いない。全行程が終わったとはいえ、選手はミーティングとかあるだろうし、声をかけるチャンスは無いだろうな、と席を立つ。後でメール入れておこう。玄関のある階に降りてお手洗いを済ませたりとモタモタしていたら出るのが少し遅くなってしまった。

さて帰ろう、と出入口に向かっている途中で急に誰かに腕を掴まれた。

「わっ!」
「あ、ごめん。苗字さん今から帰る?」
「赤葦君!」

驚いて振り返れば、ユニフォームからジャージに着替えた赤葦君が立っていた。

「もう帰ったかと思ってた」
「モタモタしてたら時間かかっちゃって」

お手洗いを見つけるのに手間取ったと言うのが恥ずかしくて言葉を濁せば、赤葦君は「丁度よかった。俺も帰るから送るよ」と笑う。
驚いて「部活の皆はいいの?」と聞けば、「あっちは大丈夫」と返された。白福先輩は良いのだろうかと答えに迷っていると、「折角来てくれたから送らせてよ」と顔をのぞき込まれた。
好きな人にそんなふうに言われて断れる人っているんだろうか。
わたしはコクリと頷いた。荷物を取ってくるという赤葦君をしばらくその場で待つ。携帯で撮った写真を見ながら待っていると、すぐに赤葦君が戻ってきた。行こう、と誘われるままに駅への道を歩く。試合の感想を拙い表現で必死に伝えれば、赤葦君は「楽しんでもらえたようで良かった」と嬉しそうに笑った。その表情につられて私も思わず破顔してしまった。

体育館の最寄り駅につくと、赤葦君は「ちょっと寄っていい?」とドラッグストアを指差す。もちろん。と答えると、プロテイン買いたくて、と返された。プロテイン飲むんだ。スポーツマンだもんね。「プロテイン本当に飲んでる人初めて見た」と言うと、赤葦君は「何それ」と笑って、「じゃあ俺が苗字さんのハジメテだね」と嬉しそうだった。赤葦君の喜ぶポイントって不思議だ。

プロテインの棚には思ったよりもたくさん種類があって圧倒されてしまった。
「いっぱいありすぎてわからないや」と漏らすと、「女の子にはコレとか良いんじゃないかな。ミルクティー味で飲みやすいってうちのマネージャーも言ってたし」と女性向けと書かれた商品を指し示す赤葦君。その言葉に、白福先輩が言ってたのかなと思わず口をキュッと引き結んでしまった。私の様子に気が付いたのか、赤葦君が不思議そうな顔で「苗字さん?」と名前を呼ぶ。私はハッとして「私も飲んでみようかな」とその商品を手に取った。お試し用サイズでお手頃だし。赤葦君は表情を和らげて、普段の食事じゃ足りない栄養素も取れるし体型維持にも役立つよ、と背中を押してくれた。

シェイカーも買ったほうがいいのかなと棚を探していた時、赤葦君が唐突に「苗字さんってもしかして、猿杙さんのこと好きなの?」と聞いてきた。真っ直ぐ私を射抜く視線から目を逸らせない。私はビックリしてアワアワと「えっ、いや、先輩は先輩で、好き、とは違うよ」としどろもどろに返す。
「いや、今日声援送ってたから」と、赤葦君は視線を床に落とす。私もつられて視線を床に滑らせる。
赤葦君も恋バナとかするんだ。彼女いるくらいだもんね、と自分で考えて自分で傷ついた。

「それは、猿杙先輩が応援しろよっていったからで…」

ありのままに答えると、「俺のことも応援してくれてた?」と、赤葦君は視線をまた私に戻す。私はなんだか恥ずかしくて、赤葦君の喉仏を見ながら「あ、赤葦君も、応援してたよ」と告げた。
赤葦君は「そっか」とあっさりした返事だったけど、声はすごく嬉しそうだった。猿杙先輩の話はそこで終わりを迎えて、2人してプロテインを手にドラッグストアを後にする。赤葦君が買ったプロテインのサイズすごく大きかった…あれ消費しちゃうのか。なんか感動。

2人の時間はあっという間に過ぎて、駅のホームで電車を待つ。赤葦君とは路線が違うのでここでお別れだ。
家まで送ると言われたけど、疲れているところ申し訳ないからと断った。何とも言えない無言が続く中、ホームに電車が滑り込んでくる。

「赤葦君、送ってくれてありがとう」

また、学校でね、と別れを告げて電車へ向かおうとすると、パシッと後ろから手を掴まれた。

「まだ…もう少し一緒にいようよ」

少しはにかんだ顔の赤葦君。
発車を知らせるベル。
頬を撫でたぬるい風。
それら全てがスローモーションのように感じた。私はその手を振り払えず「…うん」と答えて、次の電車を待った。取り留めのない会話をしながら次の電車を待つ間、私たちの手はずっと繋がれたままだった。
夢みたいな時間はすぐに過ぎて、気が付けば家にいた。どう赤葦君と別れたかぼんやりとしか覚えていない。
自分の部屋に入った途端ストンと力が抜けたみたいに床に座り込んでしまった。
赤葦君。なんであんなこと言うの。
白福先輩がいるのに。
私もっと赤葦君のこと好きになっちゃったよ。
赤葦君の手、振りほどけなかった。ダメなのに。
離したくなかった。
私より大きくて、骨ばってて、温かかった。
ごめんなさい。白福先輩。
私まだ、赤葦君のこと諦められそうにありません。
電気もつけていない部屋でそう懺悔しながら、赤葦君が握ってくれた手を見つめて一人泣いてしまった。




週明け、学校に行くのがなんだか気が重かった。
赤葦くんとどんな顔をして会えばいいんだろう。
教室はいつも通りに私を迎え入れたけれど、どこか落ち着かなかった。
朝練なのか赤葦くんはまだ教室には来ていなくてちょっとホッとしてしまう。気を取り直して友達に朝のあいさつをして自分の席に座った。
赤葦くんがきたら、まず試合に誘ってくれたお礼をもう一回言って、それから次は何を話そうかと話題を必死に考える。

そうこうしてるうちに時計の針は1時限目が近いことを示していて、慌ててカバンから教科書とノート類を取り出した。
慌てたせいか手が滑って、それらはバサバサと床に落ちてしまう。

「あぁっ」
「大丈夫?」
「赤葦くん?!」

上から降ってきた声に驚いて顔を上げると赤葦くんが心配そうな顔で私を見下ろしていた。いつのまに来たんだろう。スッと床にしゃがんだ赤葦くんは、私がばらまいた教科書類を拾い上げ差し出してくれた。

「おはよう苗字さん」
「お、おはよ」

そう言って優しく笑うものだから、駅で「もう少し一緒にいよう」と言われた時の表情と重なって顔がブワッと熱くなった。そのせいでなにを話そうかと考えていたことも全部吹き飛んでしまう。
そんな私を知ってか知らずか、赤葦くんは何故だかご機嫌そうだった。

「ありがと…」
「どういたしまして。そうだ、試合見にきてくれてありがとう。よかったらまた来てよ」
「えっ?!う、うん!もちろん!!あのっ、こちらこそ、誘ってくれてありがとう!」


赤葦くんに先手を打たれた感じになってしまったけど、シミュレーション通りお礼は伝えることができた。
だけど緊張でうまく会話が続けられない。

「苗字さん、プロテイン飲んでみた?」
「えっ、うん!飲みやすくってびっくりしちゃった」

水を向けられてやっと舌が滑らかに動き出す。

「これでムキムキになれるかな」
「ムキムキ…は難しいんじゃないかな」
「そっかぁ」
「苗字さんはそのままでいいと思うよ」
「そう、かな」
「うん」

そう言われて一旦引いた顔の熱がぶり返す。

「そういえば、私服初めて見たけど可愛かった」
「えっ、」
「やっぱり制服と雰囲気かわるね」

ちょっと大人っぽく見えて、びっくりしたと赤葦くんは優しく笑う。
背伸びしすぎかなと思ってたから思いもよらない言葉にピシッと固まってしまった。

「苗字さん?大丈夫?」
「だ、だいじょぶ」
「そう?ならいいけど…」

心配そうな顔でそう言われたところで先生が教室に入ってきてしまい、会話はそこで終わってしまった。

赤葦くんに可愛いって言われた。
お世辞かもしれないけど照れが上限値まで達してしまって周りの音なんて耳に入らない。なんて簡単に舞い上がってしまうんだろう。そのせいで授業に身が入らなくて、結局赤葦くんにノートを借りるはめになり、迷惑をかけてしまった。なにやってるんだろう。

こうして優しくされるとますます恋の沼に深くはまってしまう。早く抜け出さなきゃいけないのに。

なんとか頑張って、午後は多少持ち直すことができた。
最後の体育さえ終えてしまえば放課後だ。体育着に着替えて体育館へ向かうと、今日から単元が変わってバレーボールをするらしい。
赤葦くんの得意分野だ!とついチラッと彼を見てしまった。
するとバチッと赤葦くんと視線が合う。え、何でこっちみてるの。
驚いていると、赤葦くんは、先生にバレないようにヒラリと手を低い位置で振った。こちらもバレないように小さく手を振って見せれば、赤葦くんは表情をふにゃりと柔らかくした。
ドキン、心臓が跳ねる。
そんな顔、初めて見た。なんか、ごく親しい人に見せるみたいな緩んだ顔。せっかく時間をかけて落ち着けた心臓がまた騒ぎ出す。
雑念を払うように頭をぶんぶんと振れば友達に「ちょっと?!どうしたの?!」と心配されてしまった。

バレーの試合をたっぷり見たから、バレーが上手くなるなんて言うはずもなく、ボールはあらぬ方向へ飛んでいくし、レシーブする腕はじんじんと痛む。見るのとやるのじゃ全然違う。当たり前だけど。
吹っ飛ばしてしまったボールを追いかけて男子の方に近寄ると赤葦くんがレシーブの仕方をクラスメイトに教えているようだった。男子同士だと軽口も割ときくようで楽しそうに笑い合っていた。そう言う顔、白福先輩には見せてるのかな。
ボールを抱えながら、足を止めてついそんなことを考える。

「危ないっ!」
「え?」

焦りまじりの声が聞こえたと思った次の瞬間後頭部に強い衝撃が走った。

「名前!」

友達の悲鳴が向こうから聞こえる。

衝撃で床に崩れ落ちた私は、そばに転がったボールを見てやっとバレーボールが後頭部に直撃したのだと理解した。
駆け寄ってきた先生に大丈夫そうだと言ったけれど、念のため保健室に行くよう促された。
ボールがぶつかる原因になってしまった子は、見るからに顔を青くして、彼女の方が保健室に行った方がいいのではと思えるほどだった。事故だし、大丈夫だよと泣きそうな彼女をなだめて1人保健室に向かう。体育館を出て校舎に入ったところで後ろから「苗字さん!」と呼び止められた。

「あ、赤葦くん!どうしたの?」
「心配だし一緒に行くよ。ボールくらったりするの見慣れてるし万が一先生不在でも処置できるから」

保健委員じゃないのになんで?と一瞬疑問が湧いたが、理由を聞いて納得した。確かにバレーで起き得る怪我とかに慣れてそうだもんね。
「本当に大丈夫?脳震盪起こしてたら大変だから病院に行った方がいいんじゃない?」と保健室に着くまで赤葦くんはひたすら心配してくれた。
その優しさにまた少し胸が軋む。
保健室に着き、事情を話すと養護教諭の女の先生は手早く処置をし私をベッドで休ませてくれた。念のため担任に伝えてくると言って先生が保健室を出て行ってしまい必然的に2人きりになる。

「赤葦くん。私大丈夫だから、体育館戻って」
「先生が戻るまではいるよ。心配だし」

バレーしたいだろうな、と思ってそう言ってみるけど責任感からかスッパリ断られてしまった。こちらを気遣う言葉にまたちょっと顔が熱くなる。それを見咎めてか、ベッド脇の椅子に腰掛けた赤葦くんは、手のひらで熱を測るように額に触れる。

「…顔赤いけど。どっか痛い?」
「だ、大丈夫!元気!すごい元気!」
「そっか、良かった」

安心させるように笑ってみせると。ほっとした顔の赤葦くんは「苗字さんは、笑顔が似合うね」と言う。赤葦くん。そんなこと言わないでよ。諦められる日がまた遠ざかってしまうから。

「赤葦くんは優しいね」
「そうかな」
「うん、いっつも助けてくれるし」
「苗字さん、目が離せないから」

そう言われて、また少し胸が軋んだ。

「赤葦くん。あんまり優しくしないで。私、勘違いしちゃう」

赤葦くんに好かれてるんじゃないかって。
掛け布団に顔を隠しながら胸の内を吐露する。
お願い赤葦くん。諦めさせて。この痛みをもう終わらせて。

「……勘違いじゃないよ」

少しの沈黙の後、ごく優しい声で聞こえた返事に耳を疑った。

思わずパッと掛け布団から顔を出す。
目が合うなり「あ、出てきた」とクスリと笑われた。

「俺、苗字さんのこと好きだよ」
「赤葦くん…ダメだよ」
「俺のこと嫌い?」

嬉しい言葉のはずなのに、それ以上に泥沼の恋愛に陥りそうな予感に怖くなった。

「彼女…いるんでしょ」
「え?」
「え?」

心底びっくりしましたという表情に、私もオウム返しに驚いてしまった。

「白福先輩と付き合ってるって聞いた。体育館の近くで抱き合ってたって」
「え、いや、付き合ってない。本当に。抱き合ってたっていうのも身に覚えがないんだけど、何か勘違いされたのが広まったんじゃないかな」

淡々としているようで、赤葦くんはいつもより口数が多い。もしかして焦ってる?

「本当に?なんか焦ってない?」
「苗字さんに彼女いるって疑われて焦ってる」

白福さんも意中の子が試合見にきてくれて良かったねとか言ってたから本当に全然そういう関係じゃない。と赤葦くんはきっぱり言い切った。その様子に嘘はなさそうだと素直に思えた。

「信じてくれた?」
「うん」
「じゃあ俺の彼女になってくれる?」
「う…」
「やなの?」
「私、おっちょこちょいだし迷惑かけっぱなしで…」

本当に私でいいのかなって、と言うと、赤葦くんはちょっと考えた後に「苗字さんには、俺がいないとダメになってもらいたいから問題ないよ」と言う。

「だから、全く気にならないよ」
「えぇ」

ちょっと怖いこと言われたような気がする。

「1番そばで、苗字さんのこと見てたいんだけどダメかな?」
「だ、ダメじゃないです…」

ちょっと眉を下げた顔で顔を覗き込むのはズルいんじゃないでしょうか赤葦くん。

「良かった」

そう言って本当に嬉しそうに笑う赤葦くんに「今日から俺の彼女だね」と言われた私は、気恥ずかしさから、また掛け布団に隠れてしまったのだった。


後で友達に聞いたところによると、私が保健室に向かった後、赤葦くんは先生にバレーでのアクシデントを軽く見てはいけない。ここはバレー部の自分が付き添うべきだと早口に言い、先生の返事も待たずに体育館を出てきたらしい。
その話を聞いて恥ずかしくなった私がしばらく赤葦くんの顔を見れなくなってしまい、赤葦くんにたいそう心配されてしまうのだが、その話はまた別の機会に。


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