恋するおまじない



ころん、と視界に突如勢い良く転がり込んできた消しゴム。どうやら誰かが落としたものを更に誰かがうっかり蹴飛ばしてしまったようだった。私はその消しゴムを拾い上げて、そっと辺りを見渡す。だけど、消しゴムを探しているらしい素振りの人は見当たらない。もっと離れた席から飛んできたのだろうかと、手のひらの消しゴムを見つめた。
まだ新しいそれは、4つある角のうち3つが綺麗に残っていて持ち主の几帳面さが伺える。残念ながらどの面にも名前は見当たらない。これじゃあ持ち主に返せない、と弱り切っていた時、ふとあることを思い立った。そっと消しゴムのスリーブをずらす。この下に名前を書いている人もいるな、と思ってのことだ。するん、とスリーブを外すと、汚れひとつない白いボディが現れる。

「え、」

異質だったのはそのボディに古式ゆかしいおまじないが刻まれていることだった。外したスリーブを急いで戻す。
今見たものは気のせいかもしれない。そう言い聞かせながら、そっとスリーブをずらしてみる。するとやはり、例のおまじないが顔を出す。
見たな、とどこからか声が聞こえてきそうだった。
消しゴムに描かれた傘のマーク。柄の部分を境に両側に記された名前。恋愛成就を祈る相合傘だ。
書かれている名前は「きよおみ」と「もとこ」今何かを言えるとしたら、私は暴く必要のなかった秘密を白日の元に晒してしまったと言うことだった。
私が知っている名前は「きよおみ」の方だった。まさか、そんな、と壊れたブリキのおもちゃみたいにぎこちない動きで「きよおみ」の方を見る。
教室の一番後ろに座る佐久早聖臣は、いつも通りの静かな表情でバレー雑誌を読んでいた。クラスでも抜きんでて身長が大きいから、みんなと同じ揃いの机が小さく手狭に見える。あと、日常じゃ不必要に思えるくらい足が長い。だから机の下に足が収まらず、投げ出すようにしている。クラスメイトとはいえ、私は彼と話したことはほとんどない。
佐久早くんは、誰彼構わず談笑するようなタイプではないし、話しかけやすいタイプでもない。どちらかというと近寄りがたい方だった。だけど、私はこの消しゴムを持ち主に返さなくていけない。正直佐久早くんの方に転がしたら気づいて拾ってはくれないだろうかと思うけれど、万が一気がつかなかった時だとか投げたのがバレた時だとかがめんどくさい。私は親切心120%で席を立ち、佐久早くんに声をかけた。

「あの、佐久早くん」
「…なに」

佐久早くんは雑誌から目を放して訝し気に私を見た。柔らかに波打つ髪の隙間から覗く眼孔は鋭く、友好的ではない。

「あの…これ」

落ちてたよ、と消しゴムを差し出せば、驚いたように少しだけ、本当にほんの少しだけ、眉が動いた。

「…ありがとう」
「うん」

よっしゃ引き渡し無事終了!とそそくさ席に戻ろうとした私を、「待て」と先ほど私にお礼を告げた時よりワントーン低い声が呼び止めた。

「どうかした?」

やりきった充実感からにっこりと笑顔で振り向くと、佐久早くんはなにかどす黒いオーラを放ちながら私を見ている。なぜだろう。座っている佐久早くんの方が私を見上げているようにしているのに、見降ろされているような気分になる。

「なんでコレが俺のだってわかった?」
「えぇっと…勘」

我ながら雑な言い訳だが、どうか誤魔化されてくれないものだろうか。そんな願いも虚しく「見たな?」と確信を持った声で言われる。
そういえば「見たな」って言われる怪談があったなぁと現実逃避に走ってしまう。あれは何だっただろうか、雪女?番町皿屋敷?だめだ思い出せない。

「ちょっと来い」

現実逃避に走っていた私を、雑誌を閉じて立ち上がった佐久早くんがどこかへ引っぱっていく。突然の出来事に教室がざわついた。
抵抗しても、手首をがっちりつかまれているから逃げられない。どうにか手を抜けないかと捻ったりしてみるけれど、普通なら痛いはずの角度に捩じっても佐久早くんは平気そうだった。もしやこの人、手首が柔らかいのかな。
適当な空き教室に放り込まれて壁に追い詰められる。身長が高いというか体の大きな人間に凄まれるのはものすごく怖いんだって、知りたくなんてなかった。

「な、なに、どうしたの佐久早くん」
「…見たんだろ」
「…誰にも言わないよ」
「信用できない」
「そんな!」
「お前がどういう奴かよくわからねぇし、人の口に戸は立てられぬって言うだろ」
「それ最初から信用する気ないよね」
「うるさい」
「ほんとに言わないったらぁ相合傘のことなんて」
「しっかり見てんじゃねぇか」

しまった!と手で口を覆うけれどもう手遅れだった。佐久早くんは眉間の皺を深くして「他言無用だ。からかわれるなんて御免だからな」と私を見降ろす。私はぶるぶる震えながら「…ひゃい」と情けない声で返事をした。
この時はまだ。黙ってさえいればいいとそう思っていたのだ。


不幸は突如舞い降りるモノらしい。どうせ舞い降りるなら幸運とかの方が良かった。
私が何か悪いことをしたのかと神様とやらを問い質したいくらいだ。もしや前世の業とでも言われるのだろうか。
あれから、佐久早くんは私を監視するかの如くそばにいるようになってしまった。聞けば、私が他言しないと信用できるまでらしい。なんか一生信用してもらえない気がする。まわりの皆はいったい何事かと興味津々で私たちの様子を伺っている。他人事だと思って気楽なものだ。本来なら見られたくないもの見られた佐久早くんの方が立場弱いはずなのに、なぜか弱みを握った側の私の方が罪人のような気分と立場になっていた。

顔の整った彼がそばにいることを羨む声も聞こえたが、負のオーラをまき散らしながら私の周りをちょろちょろする様子に、次第にそんな声は遠のいていった。当然最初に持ち上がった交際疑惑は真っ先に消えた。ありがたいような悲しいような複雑な気持ち。まわりの認識は「なんか知らないけど佐久早に絡まれてる人」になっているらしい。絡まれてるって思うなら助けてほしい。

佐久早くんは私のそばにいるだけじゃなく、私の生活態度などにも口を出してくる。しとやかに歩け、大口を開けて笑うな、バランスよく食べろ、湯船には毎日浸かれ、夜更かしするな。お前は大和撫子育成トレーナーか?と聞きたくなるくらいだ。見張られる緊張でお弁当のおかずを落とせば「チッ」と舌打ちされるし、ハンカチを忘れた日に洗った手を濡らしたまま自然乾燥を試みていたらポケットティッシュを投げつけられた。顔面でポケットティッシュを受け止めたのは人生で初めてのことだ。宿題を忘れて半泣きになっていると「フン」と鼻で笑われるし、体育のサッカーではシュートの大チャンス!という場面で空振りを決めた際には憐みの目を向けられた。癪ではあるけれど、佐久早くんの手で私の生活が改善されたおかげか肌艶は良くなった。節度ある生活って大事。できる限り続けようとは思う。

こうなってくると、あの相合傘の相手である「もとこ」さんとやらがどんな大和撫子なのか気になってくる。さぞ素敵な女性に違いない。

「ねぇ、「もとこ」さんってどんな人?」
「は?」
「気になるじゃん。佐久早聖臣が好きになる相手」
「フルネームで呼ぶな」
「はーい」

人間とは慣れる生き物で、私はすっかり佐久早くんの存在に慣れてしまっていた。軽口も叩ける程度にはなったと思う。だけど、件の「もとこ」さんのことを突っ込んで聞くのはこれが初めてだった。現時点で私に分かるのは、どうやらこの井闥山学院に「もとこ」さんはいないということくらいだ。

「好きな人なんでしょ?」
「違う」

はぁ、と重いため息を吐きながら佐久早くんはお弁当のから揚げを口に入れた。

「え、なに、じゃあ憧れの人とか?」
「……」

から揚げを咀嚼する彼は私の質問には答えない。口にモノが入ってるときに話しかけるな、と言いたげな視線だけを私に寄越す。お育ちの良い人だ。

「いいな〜から揚げ」

なんとなくそう口にすると、佐久早くんはおもむろに私のお弁当から竜田揚げを取った。

「え?!」
「ほら」

そして竜田揚げに刺さっていた可愛いピックを引き抜くと自分のから揚げに刺して私の口に放り込んだ。謎の揚げ物交換。

「う、っぐ…ほいひぃ」
「口にモノ入れたまましゃべるな」
「ふぁい」

孤高のオーラを放つ佐久早くんだが、慣れた人間には意外と年相応なのだと知ったのは、ここ最近のことだ。当たる日に予習を忘れて青ざめているとノートを貸してくれたり、傘を忘れた日には駅まで傘に入れてくれたり、体育でバレーをする際にはレシーブを教えてくれたりした。面白い出来事を話せば薄く笑うし、悲しかったことを話せば、少しだけアドバイスめいたことも言ってくれる。佐久早聖臣という人間が私の日常に溶け込み始めていた。だけど、彼の気持ちは例の「もとこ」さんとやらに向いていて、私を見ることなんてないと分かっている。あんなに怖くて口うるさいと思っていたのに、私は佐久早くんの笑った顔を見るのがいつの間にか好きになっていた。佐久早くんがそばにいない時間にふと「今何してるかな」なんて考えてしまう。それはもう、恋と呼んで差し支えなかった。

勇足のキューピッドは矢を放つタイミングを早まった。今私を恋に落としても、叶うわけないのに。
自分を好きになってくれない相手と一緒にいるのは悲しいものだ。どんなに、自分をアピールしたとしても彼の瞳は違う人に向けられている。私は少しずつその悲しさに耐えられなくなっていた。

「佐久早くん」
「なに」
「半年経ちました」
「なにが」
「佐久早くんが私を監視し初めてから」
「あぁ」

それがなに、と言いたそうに佐久早くんは私をみる。勇気を出して時間をくれといった私に、佐久早くんは部活の前なら、と承諾した。体育館の外、人の往来が少ない場所で、私は彼と向き合い話をしようと試みていた。

「もう分ったでしょう?私、人に言ったりしないよ」
「そうだな」
「だから、もう監視しなくていいんじゃないかな」
「それは、「おっ、いたいたー!聖臣!」

佐久早くんの言葉を遮ったのは、同じバレー部の古森くんだった。いつも通りの朗らかさで私たちの元に駆け寄った彼は「聖臣、飯綱さんが探してたぞ」と佐久早くんに教える。そして、私の顔を確認すると「なんだ苗字か」とカラッと笑った。

「悪い悪い、まーた聖臣が告白されてんのかと思ってさぁ」

邪魔しちゃったな、と古森くんは言う。佐久早くんが告白されると大抵辛らつな言葉で断る為、穏便に済ませる目的で古森くんが割って入ることが多いらしい。それってどうなの?と思いながらも、先ほどの「なんだ苗字か」が引っかかっていた。

「あれ、聖臣まだ苗字監視してんの?」

もういいだろ、と古森くんは軽い調子で続ける。

「あれさぁ、飯綱さんが書いたんだ。聖臣が恋愛なんて下らないって言うもんだから『人の気持ちにケチ付けんな!』って怒っちゃって」

まさか恋のおまじないされるとはなー!と古森くんは大ウケしている。待って、あれって佐久早くんが書いたんじゃないの?

「別に見られても気にすることないのに、コイツ超絶ネガティブでさ。苗字が面白おかしく話したりしたら面倒だって言うんだよ」

苗字そんな奴じゃないって言ったけど聞かなくてさーと、古森くんは明るく話すけど、こっちはとても明るい気分にはならない。

「そもそもあの『もとこ』って俺だし」
「はぁ?!」
「声でっか」
「うるせえ」
「もとこ!?」
「元也だからもとこだ!って飯綱さんが」
「も、もとこ廊下走るし、大口開けて笑うし、絶対シャワーで済ませる日あるじゃん!」
「お、正解。シャワーだけの日ある」

こちらに向けてサムズアップされる親指をへし折ってやりたい気分だった。てっきりもとこが大和撫子だからだとばかり思っていたが、私なんであんなに注意されてたの?マジで目に余るから注意されてたんだとすると地味にへこむ。そんな私をよそにもとこ改め元也がこれまでほぼ無言を貫いていた佐久早くんを見た。

「聖臣もういいんじゃね?」

苗字は人に面白おかしく話したりしないって、と古森くんが佐久早くんを説得してくれる。

「いや、やめない」

静かに放たれた否定の言葉に私は目を剥いた。

「… 苗字は俺が見ていないと何するかわからない。宿題忘れるし、体育はどんくさい。弁当のおかずは落とすし「イキのいい卵焼きだった」とか訳の分からねぇことを言う。それに何もないところで躓くし、すぐ夜更かしする」
「私って良いところゼロなの?」

佐久早くんの言う私はめちゃくちゃダメな人間に聞こえた。流石に落ち込みそうになる。

「あー…聖臣始めちゃったのな」
「始めちゃった…?」

なにそれ?と古森くんの言葉に首を捻っていると「苗字、聖臣のことよろしく!」と眩しい笑顔で佐久早くんを任せられる。状況が呑み込めない。

古森くんは「じゃ、先部活行くわ!」とすたこらいなくなる。急に二人きりにされても私はまだ混乱したままだった。なんでまだそばにいるというのか、始めたとはなんなのか、わからないことばかりだ。

「苗字」
「はい…」

こちらに一歩近づいた佐久早くんは、そっと私の手を取った。もしかして、もしかすると佐久早くんも私のこと好きだったりする?と淡い期待が咲く。しかしそれは、彼の言葉に打ち砕かれる。

「お前をどこに出しても恥ずかしくない女にしてやる」
「へ?」

好きな男の子にダメ出しされ続ける生活は、どうやらまだ続くようだった。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -