天の川に触れる
紺のシーツに横たわる肢体はしなやかな筋肉に覆われていて、肌の白さとシーツの濃い色のコントラストが目に鮮やかだ。
彼の寝ころんでいる場所のマットレスの沈み方とシーツの皺の寄り方が、そのずっしりとした質量を物語っているように思えて、そうそうこの人重たいんだよなぁ、と寝起きの頭でぼんやりと考えた。私が先に目覚めるのも珍しいが、彼が衣服を身に着けずに眠るのもまた珍しい。昨日は疲れてたもんなぁ。そうは言っても真っ裸なわけではなくて、パンイチの状態だった。
日頃あれだけ細やかに生活管理をしている聖臣だから、なけなしの理性がせめてパンツは履こうとさせたのかもしれない。チラ、と視線を下に動かすと、自分の裸体が目にはいる。残念ながら先に意識を飛ばした私のことまでは面倒をみられなかったようだ。いやでも、彼女の事真っ裸で放置って酷くない?
痛む腰を抑えながら私に背を向けて眠る人を見つめる。もうすでにお分かりいただけていると思うが「昨夜はお楽しみでしたね」状態だった。とはいえ、私たちは直前までケンカしておりとても甘い空気なんぞ流れてはいなかったのだ。
昨夜はお互いに疲れていて、思いやりの心をゴミ箱に放り込んでいた私たちは、普段なら流せることも流すことができずイラついていた。
「おい、爪切り出したままにするな」
出したら片付けろ、という普段よりずっとイライラした聖臣の声に、いつもなら「ごめん聖臣怒んないで〜」と返せるのに、思わず「いちいち指摘しないで」と言い返してしまった。
聖臣は「は?」と私に歩み寄り「俺なんか間違えたこと言った?」と詰め寄る。
「間違えてないけど言い方が嫌」
「いちいち優しく言わなきゃいけねえのかよ」
「だって…聖臣のばか…2連ホクロ…」
微妙な悪口を言って口を噤んだ私を氷点下の瞳で見降ろした聖臣は「はぁ…」と重っっったいため息を吐いてさっさとお風呂へ行ってしまった。
顔に「どうしようもねえなこの女」って書いてあった気がする。私はついカッとなって言い返したことを後悔し始めていたが、口から飛び出た言葉はもう取り戻せない。しょんぼりしながら出しっぱなしの爪切りを拾い上げ、元あった場所に戻す。
聖臣にごめんなさいするという小学生のようなミッションをどうこなすか、それが目下の悩みだった。
お風呂から上がった聖臣はさっさと夜のルーティンを済ませようとする。やばい、このままじゃ早々に寝られてしまう!
そう思った私は急いでお風呂を済ませて、追いかけるように既にベッドに入っていた聖臣の横に滑り込む。私が眠れる場所を開けていてくれたことがちょっと嬉しい。
「…聖臣寝た?」
返事は無い。私に背中を向けて眠る彼の後ろから抱き着いて「聖臣ごめんね」やな言い方しちゃった。と謝る。多分これは起きている。だって抱き着いたときちょっとピクッてしたもん。
「きよおみぃ〜…ねぇ、聖臣大好き。もっとしっかりするから許して」
正直しっかりできるかなんて自信は無いけれど、ここでこう言わなきゃきっと許されない。自分でもどうかと思うくらいの甘えた態度で背中に顔を擦りつけながら「聖臣ぃ…」と名前を呼んだ。
「うるさい…」
眠れないだろ、と聖臣が寝返りを打って体をこちらに向ける。
よっしゃちょっと懐柔され始めた!と希望の光が見えた。
「ねぇ、聖臣ごめんなさい…」
この際本当に悪いと思ってるかは問題ではない。目的は、仲直りすることなのだ。いくら普段小姑めいた事ばっか言いやがってと思っていても、おくびにも出してはいけない。
「…出したものは使い終わったら片付けろ」
「…はい」
「嫌いな食べ物を俺の皿に入れるな」
「…はい」
「たまに朝ぎりぎりまで寝て飯食わないのやめろ」
「……」
「おい」
「…はい」
今回ばっかりはそもそも爪切りを出しっぱにした私が悪いので言いなりになるしかない。
でも内心ちくしょ〜!と思ってはいる。これでまた一つ私の生活がきちんとしたものになってしまう。いや良い事なんだけど。
「大体お前は、「聖臣〜!」
お小言が続きそうだったので、これでもう仲直りだよね!!みたいな空気を出しながら聖臣に抱き着く。そして、ちゅっとほっぺにキスをして誤魔化した。
聖臣は一瞬面くらった後、諦めたような顔をした。よし、仲直り完了!そう思った私は、そのまま仰向けに転がって寝る体勢に入る。今日は本当に疲れた。仕事はやたらあっち行ったりこっち行ったりしなきゃいけなかったし、帰れば聖臣と険悪になるし散々だ。ふぅ、明日は休みだからゆっくり寝よう、と目を閉じるとギシッとベッドが軋む音がした。
「名前」
聖臣の声が私を呼んだと同時に掛け布団が奪われる。
「え、」
目を丸くしていると、聖臣の手が私のパジャマのボタンに伸びた。
え、そんな感じ?その流れだった?と思っている内にコトが進み、なんていうかまぁ、盛り上がった。お互い尽き果てるように眠りについたようだ。シーツがグチャグチャになっている。早く洗濯したい。仲直りなんちゃらが盛り上がるというのは本当だったんだなぁ、と未だ眠りの世界にいる聖臣の背中を見つめる。
聖臣の広い背中、背骨に沿うように小さなホクロ、というかおそらくそばかすが広がる。なんか、天の川みたいだ。
聖臣はホクロが多い。白いキャンバスに点在するそれらを見つけるたびに、秘密が増えたような気持ちになる。日頃服で隠れている部分のホクロなんかを見つけると、私は彼の秘めたる部分を見る特権を得ているのだと感じるのだ。
手を伸ばして背中の天の川に触れる。きめ細かくしっとりとした聖臣の肌。そこに横切る傷未満のピンクの跡は、私の爪が昨夜付けた跡だ。
「…くすぐってえ」
寝起きのかすれ気味の声で、聖臣がクレームをつけてくる。お目覚めのようだった。
「おはよう聖臣」
「…ん」
体を起こした聖臣が、私をチラッと見て「服着れば」と言い放つ。
「…脱がしたの誰」
「俺だけど」
ハン、と聞こえそうな顔で聖臣がそばに落ちていた服を拾って袖を通す。私も彼を見習って昨日放り投げられた衣服を身に着けていく。
「…聖臣ってなんで私のこと好きなの」
思わず口をついて出たのは、ここ最近抱いていた気持ちだった。粗忽者の私は聖臣から「雑の権化」と名付けられるような存在なのに、どうして彼は私と一緒にいるのか。
「うるさい」
そんなこと知るか、と聖臣はつっけんどんに答える。
「わぁ!」
言葉の強さとは裏腹に、聖臣の手が私を優しくベッドに転がした。そして聖臣も私の横に寝そべる。
「そんなこと俺が知りたい」
拗ねたようにも思える顔でそう言う聖臣に、むずむずした気持ちが沸き上がってくる。それって理屈じゃないってことじゃん。理性的な聖臣の、理性とは別の部分が私を選んだ。そう思うとどうしても顔が緩んでしまう。
「にやにやするな」
不快そうに言われたってちっとも気にならない。
聖臣知らないでしょ。聖臣が私を見る顔がどんなに優しいかってこと!