オフィーリアの独白



対の存在として誂えたかのような二人だと思った。
太陽と月のように、光と影のように、そして比翼の鳥のように二人が共にいるのが自然に思えた。
ただの昔馴染みだと彼女は笑ったけれど、お互いを慈しむ様子が愛情に満ち満ちていて、同級生ながら憧れを覚えた。他の同級生より大人びて見える二人だったせいもあるのかもしれない。
二人だけの世界。その花園にはどんな花が咲くのだろう。きっと芳しい香りがするに違いない。

二人が一緒にいると、まるでそこだけスポットライトが当たっているように見えた。
クピドが頭上で笛を吹く姿がみえるような心地。柔らかな陽だまりのような祝福が、そこにはあった。

「二人が一緒にいる姿が好き」と告げた時、彼女は「変なの」と笑った。
「私は貴女と一緒にいる方が好きなんだけどな」と言った時の慈悲深い微笑みは、月の光を纏ったセレネを思わせた。
一方の彼は、深い夜色の瞳を私に向けて「…別に一緒にいようとしてるわけじゃない」と感情の伺えない声で言った。どういうつもりかはわからないけど、それでも彼の中で彼女が古森くんと同じくらい特別なのは誰の目にも明らかだった。

穏やかな日々の中、異変は突如として起きた。卒業を待たずして、夢を叶えるため彼女が国外へ行くと言うのだ。

「佐久早くんを置いていくの」

半ば非難するように尋ねた私に、彼女は困った顔で「置いてくとか、置いてかないとかそういう関係じゃないよ」と言う。
そして「聖臣のこと、よろしくね」とも。
シクラメンが花屋の軒先に並ぶ季節。クリスマスよりも前に、彼女は機上の人となった。

彼女の旅立ちは平日で、私たちは学生の本分を全うするべく学び舎にいた。その日、彼はただ静かに、普段と変わり映えしない表情で空を見上げていた。その瞳が揺れているように見えたのはきっと勘違いなんかじゃない。
それっきり、彼が空を見上げるようなことはなかったけれど、それでも半身のような存在が自らの両翼で飛び立ってしまった後の彼を放っておくことはできなかった。少しでも気が紛れるようにと、彼が余計なお世話だと私を遠ざけないのを良いことに、彼のそばで出来るだけ明るく振舞った。

献身的だと、古森くんは私をそう表現したけれど、私はただ、私の大好きなセレネにエンデュミオンをよろしくと言われたからそうしているに過ぎなかった。
卒業の日、進路が別れるため、きっと会うのはこれで最後だねというつもりで「じゃあね」と告げた私の手を彼がしっかりと掴んだ。
室内競技に励む彼の手は私よりも白くて、人生で一度も日に焼けたことが無いんじゃないかと思ってしまった。桜の蕾がふっくらと膨らんで行く内に、彼の中でも何かが膨らんでいたらしい。
それを彼女がいない故の、半身を求める故の錯覚だと思ったけれど、揺れる彼の夜色の瞳が、彼女が戻ってくるまで、と私に理由を見つけさせた。
時折彼女から送られてくる絵ハガキの景色が、彼女が外国の風の中にいるのだと私に教える。彼と彼女が連絡を取っているのかは知らない。それは私が関与するべきことではないと思っていた。

夕凪の海のように穏やかで美しい日々だった。口数の少ない彼と過ごすのは苦ではなく、尋ねれば答えてくれるので充分だった。

「バレー抜きの聖臣といるのが苦じゃない人間って割とレアだけどな〜」

そう古森くんは感心したように言うけれど、彼を同等だと思っていないから平気なのかもしれないと思った。それを聞いた古森くんは「聖臣も人間だよ」と困ったように笑ったけれど、彼がただ人である瞬間に私はまだ立ち合えていなかった。
そんな彼からの口づけは予期せずに訪れた。
月の隠れた夜、別れ際にもたらされたぬくもり。月が隠れていたからセレネの目を盗めると思ったのだろうか。私を見る夜色の瞳は、ほのかに紅い光を滲ませていた。
罪悪感は、不思議となかった。
私と変わらぬそのぬくもりに、彼を、ただ人だと知った。私と触れ合ってただ人になってしまった。月の光がそば無いから、彼はただ人のまま私のそばにいるのだ。

ただ人の彼といるのは楽しかった。美味しいものを半分こして、美味しいねと笑えば佐久早くんも「あぁ」と微笑んでくれる。手を繋いで街を歩いて、コーヒーチェーンの新作をはしゃいで飲む私を佐久早くんは優しく見ていた。夏の木陰で、一口飲んで「甘い」と苦々しい表情をした佐久早くんを私は愛おしく思った。
どちらのスカートが良い?と聞いて、無言で好みの方を指差す佐久早くんも、待ち合わせ場所で私を見つけた時に和らぐ視線も、「名前」と私を呼ぶはちみつを溶かしたホットミルクみたいな声も、きっと忘れない。明かりを落とした部屋で、彼が私を見詰めるときの瞳の色を、息遣いを、触れる手の温度もきっと。
ただ人の彼と過ごした日々は、甘く、優しく、繭の中に護られているようで、私は二人の花園へ入ることを許されたような気持ちになっていた。そこへ咲く花を一輪だけ手折らせてもらったような、そんな気持ち。

そんな日々の最中、その知らせは訪れた。

「アイツが帰国するらしい」

佐久早くんの言葉に、持っていたカトラリーを取り落とす。秋の穏やかな光が差し込むカフェテラスでのことだった。

「え?」

驚く私に、彼は「…もっと喜ぶと思った」と怪訝そうな顔をしていた。夜色の瞳が揺れている。

「…嬉しいよ」

それは嘘ではなかった。だけど、彼女が何故私にも帰国を知らせてくれなかったのかと、ショックだった。やはり、二人の世界に私は入れやしないのだと思い知らされた気分だった。
入ることを許されたのではない。私は二人の花園に押し入って、勝手に花を一輪手折った花盗人だ。
彼女が彼のそばに戻るということは、彼がセレネの愛しい人に戻るということを意味する。
私の役目は、終わったのだ。
嫌だと思った。彼女が戻ることを、嫌だと思う私がいた。今になってやっと気がついた。私は二人でいる時の“彼”が好きだったのだ。あの穏やかな表情を私にも向けて欲しいと、そう願っていたのだ。
「聖臣をよろしくね」という彼女の言葉をたてにして、私は彼女の場所を簒奪した。浅ましくも、さもそこにいるのが当然のような顔をして。
彼女のことは好きだった。だけどそれよりも、目の前の彼の方がもっと、焦がれるほどに好きだった。やっと彼が私にあの表情を向けてくれるようになったのに、その手を放さなくてはいけない。

「帰国したら三人で会うか」

そう聞く彼の瞳は嬉しそうで、私はまた横っ面を叩かれたような気分になる。そうだ、私たちの頭上にクピドは現れなかった。一度たりともその矢を放ちはしなかった。なにを、いったいなにを勘違いしていたのか。

「…予定が、合えば」

ハッキリしない口調で答えてティーカップに口を付ける。彼はそれ以上何も言わなかった。
テラスの横に茂る木々が彼のかんばせに影を落とす。静かな終わりが迫っていた。

ちょうど、卒業後の彼の進路が決まりかけていた頃だった。決まったら言う、という言葉にありがとう、とだけ返した。
正直、どこへ決まろうともう私には関係のないことだと思っていたから、戸惑ってしまった。私の就職先も決まっていたけれど、彼には言わなかった。時折就活の進捗を聞かれたけれど、曖昧に誤魔化した。
心の準備だった。セレネに彼の人を返す準備。
少しずつ、少しずつ日常から彼の気配を消していく。最終的にはスマホも変えてしまうつもりだった。そして最後に、この想いを手折る。悲しくはあったが、怖くは無かった。
この夢から覚めたあと、どこへ向かおう。どこでもいい、暖かな風の吹く方向へ。
だけど今だけは、純白の白蓮華を一輪だけ抱えて彼との思い出の中に横たわらせて欲しい。
白蓮華を大切に胸に抱いて、この気持ちを殺すその日まで、愛という泉に沈むのだ。


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