君の残り香を探す


高校生活も一年が経てば自分の学年のことは大体わかってくる。例えば、どんな人がいて、どんな人となりなのかとか。

最初は人気が爆発していた宮兄弟も、その人間性が露わになっていくうちにマスコット的人気へと変わっていった。(それでももちろん彼らに恋する女の子は一定数いる)そして視野が広がっていくうちに、みんなそれぞれ好みの素敵な人を見つけ始める。ちょうどこんな風に。

「なぁ、苗字さん去年も角名くんと同じクラスやったんやろ?」

どんな感じなん、と興味に瞳を輝かせる新しい学年でのクラスメイトたちは、遠慮なくぐいぐいと質問をぶつけてくる。

去年も同じクラスだった角名くんはミステリアスな雰囲気で、昨年の末、宮兄弟の人気に落ち着きが見え始めた頃から稲荷崎高校モテランキング(私調べ)の上位に食い込んできたダークホースだ。関西の人間ではない、ある意味で異質なあの雰囲気が、都会的で素敵に見えるのかもしれない。

「え…っと」

帰宅途中でつかまってしまった埃っぽい昇降口で、何と答えたものかと考えあぐねる。
確かに去年も今年も同じクラスなんだけど、別に仲がいいとかよく話すわけでもない。それに、多分この子たちは恋愛的な期待を彼に抱いている感じだ。
ふと、風に靡く色素の薄い長い髪が脳裏を掠める。余計なお世話だろうけど、傷つく前に芽は摘んであげたほうが良い気がした。

「あくまで私の印象なんやけど、角名くん顔綺麗やし、落ち着いてて大人っぽく見えるんよな。でも、よく見るとずーっとスマホ触っとるし、目つき悪いし、同じクラスの宮くんと中身の無い話しとるし、けっこうはっきりモノ言う感じやで。やめといたほうがええんちゃう?」
「そうそう、それに性格も悪いしね」

被せるように背後から聞こえた声に、心臓が口から飛び出すかと思った。

「え…?」
「俺のお勧めは銀だよ。俺と違って目つきも悪くないしね」

ね、苗字さん。と同意を求められ、ブワッと冷や汗が噴き出す。
いつの間に背後に立っていたんだろうか。気配もなかった。さぞ名のある忍者に違いない。思わず、現実逃避に走ってしまう。なによりも、私の名前を把握していることに驚かされた。
向かいに立っていたクラスメイトたちは「そ、そうなんやぁ」と引き攣った作り笑いを残して「じゃあまた明日」と足早に去って行く。無情にも私を置き去りにして。

「女子に興味持たれるのって、侑と治だけで充分だと思うんだけどな」

気だるそうに話す角名くんは、私なんて見えていないみたいに下駄箱からスニーカーを取り出した。そのまんまどっかに行って欲しい。

「苗字さんって、俺のこと意外とよく知ってるんだね」
「え、いや、知って…ないです…すみません」
「そう?俺は苗字さんのこと知ってるよ」
「え?」

意外な言葉に目を丸くする。相変わらず冷や汗は流れ続けていた。

「石油王さん」
「あっ!」

にんまりと意地の悪い笑みと共に放たれた言葉に、今度は羞恥で体が熱くなる。さっきから冷たかったり熱かったり温度差で風邪引くんじゃないだろうか。

「な、なんでそれ」
「自分で言ったんじゃん」

最高だったよ、と笑う角名くんは自称するだけあって本当に性格が悪いと思った。

“石油王”というのは、去年の授業での私のバカ回答のことだ。
世界史の授業中「ルイ14世は○○王とも呼ばれていた。苗字、答えてみ」と先生に指名された私は、元気よく自信たっぷりに「はい!石油王です!!」と答えた。
どっと教室中で笑いが巻き起こる。“フロアが沸く”ってきっとあんな感じなんじゃないかな。大笑いした直後で息も絶え絶えな先生は「ちょ、気持ちは、ふっ、わかるんやけどな…いや正解にしたりたいんやで?!ボケとしてはな。でも授業やからな〜バツや」とダメ出しをした。

「正解は太陽王な。テストだすで。石油王て書いた奴は倍減点するからなー」

そう告げる先生の声を聞きながら私は羞恥に震えた。ボケるつもりの無いものがボケとして扱われてしまう恥ずかしさたるや。
それからしばらく私のあだ名は“石油王“だった。あの時角名くんも笑っていたかなんて覚えていない。だけど、彼の記憶にはしっかりと刻まれていたらしい。

「今年もよろしくね、苗字さん」

そう言い残して角名くんは部活へ向かった。制汗剤の爽やかな残り香がなんかちょっと嫌味に思える。できるだけ関わらないでおこう、と角名くんに気を付けて過ごす決意をした。

「おはよう苗字さん。生物のプリントした?」
「…した」
「ウニの発生のとこ見せてくれない?」
「…どうぞ」

翌日、実に親し気に声をかけてくる角名くんに警戒心MAXになりながら生物のプリントを渡す。私の様子に角名くんはくすくす笑いながら「なんで俺警戒されてんの」と聞いた。

「だって、昨日あんな悪口めいた事言うてたのに、こうして近寄ってこられるの怖いやん」
「なるほどね」

気にしてないよ、と私の回答を書き写しながら角名くんが事もなげに言う

「ただ、なんで俺のことおススメできない風だったのかは気になった」

角名くんの切れ長な瞳が私を捉える。

「それは、その…」

言葉を濁していると「なに?」と角名くんが少し近づいた。拳をぎゅっと握り、そっと小さな声でひそひそとワケを打ち明けた。

「角名くん彼女おるやん?だから期待させんほうがええかなって」

去年見たのだ。2つ上のきれいな先輩と人気のない視聴覚室で抱き合っていたのを。
窓から吹き込んだ風が先輩の色素の薄い長い髪を靡かせて、一枚の絵みたいだった。その先輩は今年から大学生のはずだ。
角名くんは「あ〜…」と気まずそうに視線を逸らして「あの人はトモダチ」と言った。

「…抱き合ってたやん」
「あ〜…それはまぁそうなんだけど…」

とにかく何でもないよ、と記入し終えたシャーペンを筆箱に戻す。そのシャーペンも、彼女からの贈り物のようだった。だって大事にしている素振りがあるし、こないだ宮くんと「そのシャーペンかっこええなぁ」「あぁ、これ貰い物」「へぇ〜女?」「まぁね」って話していたから。

”Rintaro. S“と刻印されたそれは教室の蛍光灯を反射してきらりと光った。もしかしたら、別れてしまったのだろうか。トモダチからの贈り物をまだ大切に持っている角名くんは、先輩を忘れられないのかもしれないと思った。
それからも角名くんは何かと話しかけてきて、私は次第に警戒した気持ちを解いていった。慣れって恐ろしい。

「苗字さん、購買でプリン買ってきて」
「なんで私が行くん!?」
「行ってくれそうだから」
「理由雑すぎん?」

そんな軽口を叩ける程度には打ち解けた。角名くんは意外と話しやすくて、話題にも富んでいたから話をしていて楽しかった。仲良くなってみれば普通の同い年の男の子という感じで、親しげに接してくれるのも悪い気はしなかった。

「最近苗字さんと仲ええなぁ」

宮くんがメロンパンを食べながらおっとりと言う。こちらの宮くんは優しげで話しやすい印象だった。

「まぁ、俺たち友達だからね」
「そうなん?」
「友達と思われてへんやん」
「やば」

傷ついたんだけど、と全くもって無傷そうな普段通りの表情で言う角名くんは、「友達でしょ」と念を押す。なぜかその目が真っ直ぐ見れなくてちょっと視線を逸らした。
たまにこうして角名くんを直視できない時がある。胸が変な音を立てるから。

「うん。そうやね」
「おし、じゃあ購買ダッシュね」
「友達なんやと思ってんの?」
「ちぇ、じゃあ治でいいや。プリンよろしく」
「なんでやねん」

メロンパンを全て平らげた宮くんは「まぁパン買うついでやからええわ」と教室を出る。本当に購買へ行くみたいだ。まだパン食べられるなんてどんな胃袋なんだろうとゾッとした。

「苗字さんてさぁ、最近角名くんとよお話しとるよなぁ」
「そう…やな」

掃除時間、箒で教室の床を掃く私に以前角名くんのことを聞いてきた子たちが黒板を消しながら話しかけてきた。黒板2人もいらないと思うんだけど。

「なんかさぁ、角名くん先輩と付き合うてたんやって」

知っとる?と聞かれ首を横に振る。嘘をついた。

「でも別れたっぽいんよなぁ、苗字さん、角名くんに聞いてみてくれへん?」
「私…聞けへんよ」
「ええやん、ちょっと聞くだけやし」

ちりとりに集めたゴミをゴミ箱に捨てながら私は「悪いんやけど自分で聞いてや」ともう一度断りの言葉を口にする。

「なんでそんな嫌がるん?」
「別に嫌がっとるわけや…」

角名くんは、あのシャーペンを大事にしている。まだ忘れられない思い出を、興味本位で掘り返されたくないだろうと思っただけだった。

「…苗字さんも角名くん好きなん?」
「え?」

"好き"、降って沸いたその単語に、パズルがカチリとハマる感覚がした。最近角名くんに感じる気持ち。その正体に私は突然気がついてしまった。

「やから、そんな風に嫌がるんやろ」
「ち、ちゃうよ、角名くんとは仲良くないし、やたら話しかけてくるんも迷惑やって思ってんねん」

咄嗟に口をついて出た嘘。好きになってはいけないという防衛本能。

「…そんな風に思ってたんだ」
「え…、」

なんでいつも、最悪のタイミングで現れるんだろう。
教室の後ろの入り口から入ってきた角名くんは、冷気すら感じそうな冷たい瞳で私を見ていた。

「迷惑かけてごめんね、もう話しかけないから」
「す、角名く、」
「じゃあね」

くるりと背を向けた背中は遠くて、あっという間に見えなくなった。制汗剤の残り香だけが、そこにずっと留まっている。

「なんか…ごめん…」

角名くんのことを聞いてきた彼女たちは、優しくそう言ってくれたけど、なんの慰めにもならなかった。

ショーウィンドウに飾られる洋服の色が徐々に深くなっていく。まだ蝉が元気いっぱい鳴いているというのに、季節はもう変わろうとしていた。

角名くんは、宣言通り私に話しかけなくなった。宮くんは少し心配そうに「喧嘩したんか?」と聞いてくれたけど、「喧嘩やないけど、私が悪いねん」としか言えなかった。
距離ができて初めて自分が角名くんを好きなのだと実感する。
話したいことができても話しかけられない。ジレンマの嵐。ギリギリと徐々に首が閉まっていくような感覚。角名くんと同じ制汗剤の香りを纏った人とすれ違うとパッと顔をあげてしまう。

みんな叶いっこない恋心をどうしているのかわからなかった。そんなこと学校じゃ教えてくれない。

「よろしく」
「…よろしく」

その日は生物の解剖の授業で、犬の餌として売られている鶏の頭の水煮を解剖すると言う割とハードな物だった。
先生の気まぐれでグループを割り振られた結果、角名くんと同じ班になってしまった。
気まずい空気が流れる。
書き込むプリントが配られた後に、各班ごとにひとつ、鶏さんも配られた。

「ひっ…」

なかなかの生々しさに同じ班の女の子が悲鳴をあげる。筆舌に尽くし難いものがあった。言ってしまえば鶏の生首、しかも煮込まれて若干ほろほろ感がある。そんなの牛肉の赤ワイン煮込みだけにして欲しい。
悲鳴を上げた彼女はガタン!と立ち上がって教室を飛び出した。手を口元に当てていたから気分が悪くなったのかもしれない。

「あっ…!」

勢いよく立ち上がった衝撃で、角名くんが大事にしているシャーペンが机から転がった。
角名くんの大事な物。そう思った途端、床に落ちるそれに手が伸びた。教室を飛び出した彼女を追いかけようとした別の女の子の足がシャーペンを踏みそうになって、何も考えず足とシャーペンの間に手を入れた。

「…っ!」
「きゃっ!ごめん苗字さん!!大丈夫?!」
「う、うん…」

思いっきり踏まれてジンジンと痛む手を隠し、大丈夫と嘘をつく。あとは角名くんにシャーペンを渡せば終わりのはずだった。

「何してんだよ!」

「きゃ、」
角名くんが私の手を掴んで、先生に「保健室行ってきます」と言い無理やり立ち上がらせる。
有無を言わせない迫力があった。先生は「わ、わかった…」と返事して、私たちを止める様子などは全く無い。角名くんの剣幕に気圧されたようだった。
無言で教室を出て廊下を歩く。

「す、角名くん、大丈夫だよ」
「……」

角名くんは返事をしてくれない。踏まれた手より、胸がズキズキと痛む。掴んだままのシャーペンが鈍く光を反射していた。
保健室に行くと、養護教諭の先生が私の手を確認して冷静に湿布を渡してくれた。大したことはなさそうだと、ホッとする。

「なんでシャーペンなんて庇ったの」

保健室を早々に追い出され、廊下で私の手に湿布を貼りながら角名くんがしかめっ面で聞く。湿布の匂いが広がる中、その手は優しかった。

「…大事にしてたやん。彼女からのプレゼントなんやろ?」
「は?」

シャーペンを手渡しつつ言った言葉に角名くんは、困惑の表情を浮かべる。

「違うけど」
「え?」
「いや、あのシャーペンは兵庫来る時に母親からもらった物だよ」

その瞬間頭の中に"女の人からのプレゼント=母"という図式が浮かんだ。え?あの先輩じゃないの?

「そのために苗字さんが怪我する必要なんて無かった」
「…角名くんの大事な物やと思ってたから」
「俺の大事な物…なんで守ろうとすんの」

確信を突こうとした質問。
どうせ叶わない想いなら本人に引導を渡して欲しいと思った。

「…好きやから」
「え?」
「角名くんのこと、好きやから…先輩のこと忘れられへんのはわかっとるけど…ごめん」

それ以上言葉を続けられず俯く。手はまだ握られたままだった。

「先輩のことは、マジでなんとも思ってないんだけど」

ちょっと待って。と角名くんは私の手を離して、両肩をガッチリと掴んだ。

「俺に話しかけられるの迷惑だったんでしょ」
「…それは…あの子達が好きなんちゃう?って聞くから…」
「あー…照れ隠しか」

なるほど、と角名くんはその切長の瞳を弓形にした。どこか楽しげだ。

「じゃああの時から俺のこと好きだったんだ?」
「それ、は…その…」
「へぇいいこと聞いた」

角名くんは、私の肩を掴んだまま膝を曲げて視線を合わせる。

「俺、あの先輩とはもうなんの関係も無くて彼女もいない。苗字さんとは仲良くしたいなって思ってる。ちなみに彼女募集中」

苗字さんはどうしたい?と問いかけられた。
ズルい。そんな期待のこもった眼差しで私を見るなんて。まるで、私の答えを知ってるみたいだ。
状況を理解しても、私の心臓はいっぱいいっぱいで、ドキドキと騒がしい。

「…角名くんと、また話したい…」
「欲無さすぎ」

ふっ、と綻ぶように笑った彼は「今はまぁそれでいっか」と肩から手を離した。

「少しサボってから戻ろうよ」

あんなグロ授業受けたくねぇ、と言いながら角名くんは怪我してない方の私の手を取る。角名くんの制汗剤の香りが未だかつてないほど近い。

「これからどうするか話そう」

ニッと笑う角名くんに引っ張られるまま歩きながら、何かが始まる予感に胸を高鳴らせたのだった。


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