きっと逃げられない


苗字名前は男の子が苦手だった。

子供の頃、同じクラスだった体の大きな男の子がなかなかの乱暴者で、女の子であろうと気に入らなければ髪を引っ張ったりぶったりの狼藉を働いていた。名前も例にもれず被害にあったことがあって、そのせいですっかり彼女の中では、“男の子は乱暴者で怖い”という図式が出来上がってしまっている。もちろん、全員が全員そうではなく、心優しい人がいることも分かっているけれど、それでも反射的に、男の子が傍に立つと体が緊張してしまうのだった。

やんわりと男の子を避ける処世術を身につけてこれまで生きてきた名前は、このままでは誰とも交際すらできずに一生独身で尼僧みたいな生涯を送ることになるのではと危機感を感じ始めていた。みんな恋に部活に勉強にと青春真っ盛りの高校2年生。優しそうな男の子と少女漫画みたいな恋がしてみたい。自分でも脳内お花畑な気はしたが、いい加減変わらなければと思っていた。

「苗字!グラマーの課題終わった?」
「うん」

高2の初夏に席が隣になった古森はまさに彼女が思い浮かべていた「優しい男の子」で、名前は少しずつ彼に好感を抱き始めている。
朗らかで優しくてユーモアもある男の子。見た目だって、愛らしい顔立ちに優しい色合いの髪が彼をより柔和に見せている。古森相手なら緊張せずに話せるようになっていた。着席したままグラマーの課題について聞く古森は同じくらいの目線で、安心感を覚える。

「マジで!ちょっとここ教えてよ」
「えーっとね、ここは現在完了形だから…」

彼のノートをのぞき込むように近づいて話しても体が強張ることは無い。あぁ、もしかしたら古森くんのおかげで克服できたのかも、と少し嬉しくなる。聞けば古森には姉妹がいるらしく、そのせいで女子との距離感が上手なのかな、と名前は思った。古森くんみたいに優しい人となら上手くいくかもしれないと淡い希望を抱く。

「名前ちゃん古森といい感じじゃない?」

そんなことを言われたのは、ヒグラシの声が聞こえ始めた時期のことだった。

「そんなことないよ。古森くんが優しいから話しかけやすいだけ」
「でも古森の方は気があると思うよ。だって優しくしてるの名前ちゃんだけだもん」
「そう、かな?」

古森は比較的女友達の多いタイプだ。だから自分もその中の1人くらいにしか考えてはいない。だけど友達曰く古森が一番話しかけているのは自分だという。よく見ているなぁと他人事みたいに感心した。

その頃の名前は1学年上の優し気な先輩にほんのりとした憧れを抱いていた。確か古森と同じ部活だったはず、と名前は先輩の名前を古森に聞いてみようかな、と考える。視聴覚室への移動中にうっかり筆箱を落としてしまった時、その先輩はサッと筆箱を拾って優しく渡してくれたのだ。「急いでるとつい筆箱落としちゃうよなあ」と微笑みながら。その笑顔を見た時、胸を初めての感覚が襲った。あの先輩のことを考えると胸が熱くなる。あの人は何が好きなんだろう。どんな時に喜ぶんだろう。それを知りたいと思った。

「あの、古森くん」
「ん〜?」

席についてぱらぱらと男の子の間で回し読みしている週刊誌をめくる古森に例の先輩について問う。
昼休み、周りの席はみんなどこかへ行っていて話を聞かれる心配もない。チャンスだと思った。

「あのね、古森くんの部活のキャプテンさんって、名前なんて言うの?」
「え、飯綱さんのこと?」
「飯綱さん…」

噛み締めるように今聞いたばかりの名前を繰り返す名前に古森が不思議そうな顔をする。

「飯綱さんがどうかした?」
「えっとね、」

古森なら味方になってくれるかもしれないと思った。だって普段あんなに親切で優しいのだから。

「ちょっと気になるの」
「え、マジで?」

古森が意外そうな顔をした。

「苗字って男苦手なんじゃないの?」
「え、」

なんでそれを、と名前は目を丸くする。

「いや、そりゃあ近づかれた時体硬くしてたり緊張してる空気出してたりしたらわかるよ」
「そっ、か」

あぁだから古森は優しく接してくれていたのか、と妙に納得した。察しが良い。

「苦手、だったんだけど、古森くんのおかげで大丈夫になってきたの」

優しくしてくれるから、とはにかむ。
すると、古森が「へぇ〜でもそこで俺じゃなくて飯綱さんに行っちゃうんだ?」と週刊誌を閉じて立ち上がる。

「あ、れ、」

目の前に立った古森は想像よりも高い位置から名前を見下ろした。座っていると目線が同じなのに、今は名前が立ち上がっても随分遠いところに目線がある。大きい、と名前は目を丸くした。
よくよく見ると足も長く、上背もあり、スポーツマンらしく肩幅もある。そして、手も大きい。外見で可愛い印象を受けがちだが、筋張ったそれは確かに男の子の手だった。

普段佐久早や他のバレー部員と一緒にいるからあまり意識しなかったが古森も相当背が高い。なんで気がつかなかったのだろうと名前は不思議に思う。
古森はまさに、名前が苦手とする体の大きな男の子だった。
魔法が解けたみたいに古森が別人のように感じる。

「せっかく威圧感与えないように注意して優しくしてたのにな〜」

古森が普段通りの口調でそう言う。それが余計にこの知らない人が古森なのだという違和感を増長させて、恐ろしくなった。

「でもさぁ、飯綱さんは無理だと思うよ、俺が苗字狙ってるの知ってるから」
「ねらっ…てる?」
「そう。他の人に靡かれんのいやだからもう少し強引に行くな」

そういってニカッと笑う古森は名前の手を取った。大きな手が名前の日焼けしていない白い手を握る。
怖くはなかった。だって古森だから。体は強張らなかった。だって古森だから。優しい古森だから、大丈夫。と自分に言い聞かせるけれど、それでも心臓は嫌な動き方をしていて、呆然と目の前の知らない古森を見上げる。
飲み込まれると思った。だってその笑顔が、いつもの優しい古森だったから。


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