共白髪まで愛して


農家に嫁ぐことに抵抗がなかったと言えば嘘になる。
住んだことの無い関西、知り合いもいない、なおかつ農家。即答で嫁ぐ!と言える人って100人中何人くらいだろう。20代も半ばになって交際の“こ”の字も見せない娘に危機感を抱いた母がもたらしたお見合い話。
いくら兵庫にいる叔母からの打診とは言え、知り合いの知り合いそのまた知り合いくらい遠い関係であろう私に来るような話だ、よっぽど嫁の来てが無いのだと思った。
本人のビジュアルが微妙なのか、やっぱり農家の長男というステータスが重いのか、とにかく嫁に困るほどの問題があるのだろう。ちょうど婚活に励む友達の面白失敗談を聞いたばかりだった私は、話のタネになるかと100%好奇心でそのお見合い話を受けたのだった。



「名前、戻ったで」
「おかえりなさい。今日はもう終わり?」
「おん。雨降ってきてん。流石に切り上げたわ」
「ほんとだ濡れてる」

タオル取ってくるね、と立ち上がろうとすると日に焼けた手で制された。

「もうこんまま風呂入ってくるわ」
「夜に消防団の集まりあるんじゃないの?」
「あるけど2回入ってもええやろ」
「わかった」

お風呂へ向かう背中へわざと「お背中お流ししましょうか?」と聞くと、彼は少しだけ首をこちらに向けて「2回目の時頼むわ」とフッと笑う。その反応が意外で「え、一緒に入る気あるの?」という驚きから固まってしまった。私の反応をみてふふふ、と笑った彼は浴室へと消えていく。くそ、からかったつもりが、からかわれてしまった。


USJに行くついで(もうお見合いとどっちがメインイベントかわからない)に、と遥々兵庫までやってきた私は、叔母に連れられたお見合いの場で初めて北信介と顔を合わせた。
前日に叔母から「北さんのお孫さんなかなかハンサムなのよ」と聞かされてはいたが、ある程度年齢を重ねたら若い=ハンサムみたいな所あるしなぁ、と気にも留めなかった。それよりもUSJをどう回るかの方が重要だった私は、叔母の話をまともに取り合わずガイドブックを夢中で読んでいた。

結論から言えば、北信介はハンサムだった。
イケメンというよりハンサムという言葉が似あう精悍さがあり、日頃の農作業で鍛えられた体はしっかりとした厚みがあった。あれ、思ったのと違うぞ、と思いながらも楚々とした所作を意識しつつなんとか挨拶をし、彼の前に座る。この見た目なら嫁の来てがあるのでは、と思った。いや、もしかしてこう見えてちゃらんぽらんなのかも、あとはほら、やばい性癖があるとか、ギャンブルにはまってるとか、なにかしらの難があるのかもしれない。内心で悪い想像を巡らしながら北信介を観察する。叔母と無難な世間話を交わす彼はそれはまぁしっかりした青年だと充分伺い知ることができた。ちゃらんぽらんではないらしい。
ほら、名前も北さんとお話なさい、と叔母に水を向けられて口を開く。

「その、北さんはなんで結婚したいんですか」

私の質問に北さんは意表を突かれたのか目を丸くした。そして、彼の祖母を安心させたいのだという。その祖母が持ってきた話だから合ってみようと思ったと。おばあちゃんっこなんだなぁと感心した。今時珍しい。

「苗字さんは、なんで結婚したいんですか」

同じ質問を返される。

「結婚したいって言うか…、全く縁のなさそうな人に会うの、面白そうだと思ったからです」

私の失礼な質問と正直な返答に、横にいる叔母が焦っているのが分かった。北信介は気を悪くしたような様子もなくぷっと吹き出す。

「そうですか」

そういって笑った顔が、可愛いと思った。その後は彼がお米を作っていることだとか、家族の話だとか当たり障りのない話をして終わった。

そして翌日、何故だか私は北信介の田んぼを見に行くことになってしまった。叔母が北家の前に私を降ろして去っていく。帰りは北信介が送ってくれるらしい。
なんでこうも一足飛びに話が進むのか。昨日経過報告をした婚活の有識者たる友達は、通話音声が割れるくらい爆笑していた。「なにそれ!意味わかんない面白い」と笑う彼女は心底楽しそうで、他人事だと思って!と一人ムゥっとしてしまった。
緊張する指先でインターフォンを押せば(古い日本家屋にカメラ付きインターフォンがついているミスマッチさが面白い)「はーい、どちらさんですか」という柔らかい声と共にドアが開く。きょとん、とおばあちゃんが私を見上げていた。きっとこの人が北信介のおばあちゃんだろうと直感する。

「苗字といいます。北さ、あ、いや信介さんはいらっしゃいますか?」
「あぁ!ちょっと待ってな、信ちゃーん!」

大変!と聞こえてきそうな勢いでおばあちゃんが家の中へ駈け込んでいく。私の訪問はおばあちゃん的に一大事らしい。

「おぉ、来たか」
「こんにちは」
「わざわざ悪いなぁ」

作業着姿の北信介が玄関に現れる。彼のことを知るには普段してることを見てもらうのが手っ取り早いというのが彼の意見だった。

「ほんなら行こか」

玄関を出る私たちの背中をおばあちゃんの明るい声が追いかける。

「ごゆっくりねぇ」

その声に一度立ちまり会釈して、北信介を追いかけた。

「田んぼだぁ…」
「そら田んぼやからな」

田植えが終わって水が張られた田んぼは鏡のようにキラキラと太陽光を反射する。メインの作物はお米だそうだがキュウリなどの野菜も自家消費分くらいは作っているらしい。
半袖から除く腕はくっきりと日焼けの跡があってまだほんのりと赤みが残っていた。

「日焼け、痛くないの?」

楽に話していいと言われたのでお言葉に甘えて普段通りに話す。

「痛いっちゅうか多少痒いな」
「日焼け止め塗ったらいいのに」

そう言うと彼はフハッと笑って「そんなん次から次に汗かくからぜーんぶ流れるわ」と言う。そういうもんか、と頷きつつも「じゃあ鎮静効果のある化粧水とか塗るといいかもね」と彼の腕を眺めながら言った。
すると彼は丸っこい目で私を見ながら「ほんなら自分が塗ってくれるか?」と笑う。からかわれたのだ、と気がつく前にとすんっと何かが胸に刺さった。とすんって何だ、と思ったけれど何かの芽生えが始まっている気がした。
その後、家に戻るとおばあちゃんが嬉しそうにお茶菓子を出してくれた。そして、北信介がどんなに自慢の孫なのかということを語る。北信介は「ばあちゃん恥ずかしいわ」とおばあちゃんと諫めていたけれど、そこまで自慢に思ってくれるのは素敵だなあと思った。
北家から帰る車内で、地元で目ぼしい女性がいるのではないかと問うてみた。このルックスに性格なら、いくら農家の長男とはいえ誰かしら刺さりそうだ。

「ないなぁ」

そう言って彼は薄く笑う。学生時代の恋人には「農家の嫁にはなれない」とフラれたらしい。農協のつながりで女性の職員を紹介しようか、と言われたこともあるらしいが仕事で関わる人はどうもなぁ、と気乗りしなかったという。農家なりにしがらみがあるらしい。大変だ。

「自分、昨日縁のない人に会うのは面白い言うてたけど、これもなんかの縁やと思うで」

北信介と私、それぞれに縁のある人が繋いだ縁だと、彼は言う。あぁ、確かにその通りかもしれないとすんなり納得してしまった。そつのない安全運転が北信介らしいと思うあたり、私はすでに彼を知った気になっているようだった。
翌日のUSJではしゃいでいるはずだった時間も、ぼーっと北信介のことを考えていた。そのせいか、強かに乗り物酔いした私はグロッキー状態で叔母の家に帰ることになったのである。こうして、私の早めの夏休みは終わりを告げたのだった。

困ったことに、自宅に帰ってからも私は北信介のことを考えていた。どうしようもないのは理解していたけれど、ふとした瞬間に田んぼの横で見たあの横顔を思い出す。
そんな私に北信介から電話が来たのは、私が兵庫を去って一週間が経った頃だった。

「結婚せえへん?」

シンプルな言葉に、私は瞬時に「いいよ」と返してしまったのだ。
信じてもらえないかもしれないが、私は元来慎重なタイプで通っている。そんな私の決断に、「その兵庫の男は私たちの名前にいったい何をしてくれたんだ」と友人たちは祝うどころかいきり立っていた。騙されているに違いないと。
しかしながら、結婚式で信ちゃんに会った友人たちは即座に手のひらを返し、信ちゃん派に寝返った。今となっては私が多少彼の正論パンチのことを愚痴ったとして、あんたが悪いんでしょ、と切り捨てられる。裏切者共め。
それから信ちゃんと一緒に季節を一巡した結果、北信介はちゃらんぽらんではないし、変な性癖も無いし、ギャンブルもしないとわかった。真人間だ。弱点とかあるんだろうか。

「名前、次の婦人会いつや」
「えっとね、確か月末だよ」

夜、消防団の集まりから戻ってもう一度お風呂に入った信ちゃんが寝室に入ってくるなりそう聞いた。(結局一緒にお風呂に入ることはなかった)

「今日な久々知さんから梅味噌もらってんけど、奥さんの手作りらしいねん。婦人会で奥さんに会うたら名前からもお礼言っといてくれるか」
「わかった」

冷蔵庫に入れてると言うので明日にでもきゅうりにつけて頂こう。結婚してからというもの、農協主催の組合員の奥さま会に顔を出すなどそれなりに奥さん業に精を出していた。こればっかりは人と話すのが苦にならない性分が幸いしたように思う。田舎は噂が早い。私が北信介の嫁であると私が知らない人が知っているなんてザラだ。急に声をかけられて何度ビックリしたことか。
静かな衣擦れの音と共に信ちゃんが横に座る。どうかしたのかな、と顔を見上げるとジッと見つめられた。眼力がすごいからちょっと緊張する。

「なに?」
「名前、俺と結婚して良かったんか」
「どうしたの急に」
「いや、割と勢いやったよなと思て」

意外な質問だった。

「良かったと思ってるよ。それに結婚はタイミングと勢いって聞いたりするし良いんじゃない?」
「そうか」

私の返答にどこか安心した面持ちの信ちゃんに問いかける。

「信ちゃんは?私と結婚して良かった?」
「そりゃな。ええ嫁さんもろたと思てる」
「そっか」

またとない言葉だと思った。笑顔になった私に、信ちゃんはゆっくりと顔を近づける。
今だにこの人のスイッチの入るタイミングは良く分からない。もしかしたら、寝室に入った時点でオンになってたのかもしれないなぁと思う。唇が離れてゆっくりと寝具の上に倒された。

「…これ使わんでもええか」

いつの間に準備したのか避妊具を見せられる。

「それ聞くの?」
「同意ないと夫婦でも強姦やろ」
「あ〜…なるほど。いいよ」

さすが、こんな時までちゃんとしている。使わなくていいよって言うのなんか積極的みたいでちょっと恥ずかしいんだけどな。

「子供欲しいんだ?」
「欲しい」

やけにはっきりした返事に目をぱちくりさせる。

「名前に似とったらかわええと思うわ」

そういって薄く微笑んだ信ちゃんはまた私に顔を近づけた。私は信ちゃんに似た眼力のある赤ちゃん見てみたいな、と思いながらゆっくりと目を閉じた。
恋のときめきも恋愛のアップダウンもない始まりだったけど、このおだやかな愛をこれからも紡いでいきたい。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -