なかったコトにはできない



「無い…」

厳重なセキュリティの施された扉の前で立ち尽くす。何回鞄の中身をひっくり返しても探し物は見つからなかった。
大慌ての頭はどうしようの5文字しか浮かばなくて本当に役に立たない。月曜から災難だ。
しまいには頭の中で陽水が歌いだす。探し物は職員証です踊りません。お引き取りください。そんな風に頭の中の陽水と会話していたせいで近づいてくる人物に気がつかなかった。

「何してんの」
「わっ!?」

背後から声が聞こえて思わず飛びのいた。
訝しげな顔の国見を見つけて、気安い同期の登場にほっと胸をなでおろす。ラッキーこれで一緒に中に入れる。

「何だ国見か」
「何だよ不審者。職員玄関で突っ立ってたら通報されるぞ」
「だって職員証忘れちゃったんだもん。入れなくて困ってたの。お願いマダムキラー!一緒に入れて!」
「大変だな。じゃ、俺はお先に」

一瞬米神をヒクリとさせた国見は薄情にも私を置いて中に入ろうとする。

「待って!ごめんなさい!入れてください国見さま!」
「はぁ…二度と呼ぶなよ」

心底不本意そうにしながら、国見は自分の職員証を機械にスキャンして扉を開けてくれた。ありがとう!とそそくさ中に滑り込む。
入ってしまえばこっちのものだ。
じゃあね!とまだ何か言いたそうな国見を無視して女子ロッカーに駆け込んだ。

同期入行の国見は綺麗な顔と切れ味鋭い物言いが特徴で、覇気には欠けるけど仕事はきっちりこなす人だった。その恵まれた長身と綺麗なお顔で来店するマダムたちにそれはもう人気があり(若い女の子にももちろん人気がある)、マダムキラーというあだ名がついていた。本人はどうもお気に召さないようで、呼ぶと不機嫌になる。別に悪くないと思うんだけどな、そのおかげで同期で一番最初に定期貯金の目標達成してたし。
制服に袖を通して鏡で前髪を整える。
うん、大丈夫。出だしから躓いちゃったけど今日も一日頑張ろう、と自分に発破をかけた。

「おはようございます」

事務室に入り、開店するまでカウンター等の準備をする。表に出している投信や保険パンフレットの残数を確認していると「苗字」と声をかけられた。

「なに、どしたの国見」
「なにじゃねぇよ。職員証の代わりのパスもらったのか」
「あっ、まだです…」
「さっきも言おうと思ってたけど、さっさとロッカー入りやがって」
「すみません」

さっき何か言いたそうだったのはこれだったのか。確かにそれがないと今日は単純な入出金すらままならない。

「パス無いと機械扱えねぇだろ」
「うっかりしてた」

えへへ、と笑ってごまかそうとすると、国見は呆れたような目で私を一瞥して去っていった。冷たい視線だった。氷の男ってあだ名にしてやろうか。
国見の指摘のおかげで、支店長に事情を話したところあっさりパスをもらえた。おとがめなしだったのは、日頃の行いだろうか。ほどなく開店をむかえ窓口での対応をしていると、昼過ぎには客足が引いた。
暇だな、という気持ちが顔に出ていたのか先輩に書庫から書類を取ってくるよう頼まれてしまった。わかりました、と素直に返事をして立ち上がる。すると、先輩に呼び止められた。

「まって、そのパスじゃ書庫に入れないから…、あっ、国見くん。苗字さんのために書庫のセキュリティ開けてくれない?」
「…わかりました」

先輩相手だからか私の時と違い随分素直な返事だ。というか国見に書類探し頼めばいいのに。

「ごめんね、付き合わせちゃって」
「サボれるからいい」
「そっか」

磨き上げられたリノリウムの床を歩く私たちの会話は弾まない。それはそうだろう。そもそも職員証忘れというイレギュラーがあったから、パニックで朝は普通に話せてたって言うのが正しい。だって、金曜、国見は、

「おい」
「わっ」
「なにボーっとしてんの」
「ごめん」
「入れよ」

職員証でロックを解除してくれたらしい国見は、扉を開いて入るよう促す。

「ありがとう。あとは1人で大丈夫だから」

言外に戻っていて大丈夫だと告げて中へ入る。目的の書架を見つけてファイルの背表紙を物色していると「なぁ」と声が聞こえた。

「わっ!?く、にみ」

なんでまだいるの?と背後を確認して驚く。今日背後に立ちすぎじゃない?

「戻ってて良かったのに」

一人でも探せるよ。と国見のことなんて気にしていない素振りで書類を探す。すると国見がファイルの背表紙をなぞっていた私の手を取った。

「まだ、傷治ってないな」
「っ、そりゃ、1日2日じゃ治らないよ」

手を引くけど、国見は放してくれない。
じっと、私の手の平を見つめている。先週の金曜みたいに。
私の手の平の傷というのは、先日書類の束の端を揃えようと机にトントンとやった時に束ねていた数枚の書類で手の平を切るというミラクルでできた傷だ。3本の線が入っていて、猫に引っ掛かれたみたいになっている。
金曜の飲み会でその傷を見た国見は、うっわぁと言いたげな顔で日本酒を飲んでいた。国見って量を飲んでも表情に出ない。ケロッとしている。ウワバミってこういう人の事を言うのかもしれない。
このウワバミは、飲み会の後に何を思ったか私を家まで送るという紳士的行為に出た挙句、唇を奪っていくというルパンもびっくりの手腕を披露してくれたのだ。気のおけない同期だった人物からのまさかの行為に私は土日ろくに眠れずもんもんとキスの意味を考え続けていたのだった。そのせいで職員証を忘れるなんて凡ミスを犯した。それもこれも国見のせいだ!なんて責任転嫁したくなる。乙女の唇奪っといて「じゃ、ちゃんと鍵かけろよ」ってなに。もう少し何か言うことあるでしょ。

「ちょ、くすぐったい…」

瘡蓋になった傷を、国見が指でスッとなぞる。くすぐったさと同時に変な艶かしさがあって、つい視線を逸らしてしまった。

「お前さ、金曜のこと覚えてる?」
「な、なんのこと?」

お酒のせいで覚えていない事にしてしまいたかった。あの時はだいぶんお酒でポヤポヤしていて会話の内容もぼんやりとしか覚えていない。国見はまた呆れたみたいにため息をつく。あぁ、そのまま立ち去ってほしい。それか、あれはただの気まぐれだって言って。これ以上胸をぐちゃぐちゃにしないで。

「んっ」

私の願いも虚しく国見はまた、私と彼の間をゼロ距離にした。
国見の睫毛が震えているのが見える。薄く見える唇は意外と柔らかい。じっくり、誤魔化しようのないくらいに唇を重ねて離れた国見は一息置いて、綺麗に微笑んだ。

「これのことだよ。思い出したか?」

思い出したも何も、忘れられるわけないじゃんバカ。


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