鼓動を聞かせて



医者の卵と付き合っていると言うと、大抵羨ましいといわれる。 
玉の輿だとか、将来安泰だとか、専業主婦でいけるじゃんとか、未だ根深い無意識下の性差に関するバイアスを感じさせるコメントを頂くことも多いのだけど、医者の卵だから彼と交際しているわけじゃない。

そもそも交際し始めた時、彼はただのクラスメイトで、バレー部で、学生で、ただの「白布賢二郎」だった。
もともとベタベタするタイプでもなく、尊敬する牛島先輩以外には塩気の強い賢二郎との交際は、想像通りあっさりとしている。正直卒業間際の、玉砕覚悟の告白に頷いてくれるなんて想像もしていなかった私にとっては、賢二郎との交際は棚から牡丹餅というか、寝耳に水というか、兎にも角にも驚きでしかなかった。
こういうことわざや故事を織り交ぜた話し方をすると賢二郎はいつも「賢く見せようとして逆に馬鹿に見えるぞ」と言う。そりゃ賢二郎ほど賢くはないにせよ、私だって名門白鳥沢に通っていたのだ。馬鹿ではないと信じたい。

多くの同級生と同様に4年大を出て就職した私に対して、賢二郎は未だ学生の身だった。お互いに学生だった頃はなんだかんだ会うことができたけど、もともと学生にしては多忙だった賢二郎の忙しさはここにきて格段に跳ね上がった。ドタキャンは当たり前、二言目には「忙しい」。もはや避けられてる?とすら思ってしまう。私だって新卒として覚えることや慣れるべきことが沢山ある中時間を作って賢二郎とあっているのだ。
私は今日も「寂しい」を飲み込んで「わかった。がんばってね」と返事をする。理解のある彼女でいたかった。賢二郎のことだ、ここでごねたら間違いなく鬱陶しいと思うだろう。疎まれるようにはなりたくなかった。だって好きだから。
だけど、そうはいっても寂しいものは寂しい。ほったらかしにされている、という気持ちがないわけじゃない。

だから、積もり積もった小さな不満たちが、久々に賢二郎に会うタイミングで爆発してもおかしくないと思うのだ。

「なに怒ってんだよ」
「別に」
「行きたいところあるんじゃねぇの」
「……別に」
「その似てねぇモノマネやめろ」

はぁ、と賢二郎が深いため息を吐く。私は少し、期待をしてしまったのだ。これだけ会えなかったのだから少しくらい拗ねた態度を取ったって、普段冷たい賢二郎も優しくしてくれるのではないかと。
賢二郎はめんどくさいという気持ちを隠そうともせず表情に出していた。失敗したと悟ったけど、今更引っ込みがつかない。

「ほったらかしにしてたこと、ごめんくらい言ってくれたって良いじゃん…」
「はぁ?」

年甲斐もなく泣きべそで言った言葉に賢二郎は威圧感たっぷりに返す。だめだ、もう泣きそう。涙の膜が張った瞳を見られたくなくて俯く。賢二郎はそんな態度も気に入らないみたいだった。

「言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
「…賢二郎は、私の事どうでもいいんでしょ。ほったらかしてても、呼んだらすぐ尻尾振って来るって思ってるんだぁ」

言っちゃダメってわかってるけど、我慢に我慢を重ねたせいで不満が溢れ出す。

「ぐすっ、私の事好きじゃないなら、そう言ってよ」

ぽろぽろと目から涙の粒を零しながら顔を上げると、眉間にしわを寄せた賢二郎が「言いたいことはそれだけかよ」とため息交じりに行った。ため息ばっか吐かれてる気がする。しまった、と思うも、後悔先に立たず、覆水盆に返らずでもうどうしようもできない。
決定的な亀裂を私が作ってしまったように感じた。傍にいるのに賢二郎が遠い。

人間ってわがままだ。
最初は賢二郎が私を彼女にしてくれただけで充分だと思っていた。それが徐々に手を繋ぎたい、もっと触れたいと変化し、特別扱いされたいと願うようになってしまった。
私は、賢二郎から分かりやすく大事にされたい。私が賢二郎の特別なんだって思わせて欲しかった。私の「好き」に同じ熱量で返して欲しいと望んでしまった。賢二郎の気持ちなんて考えずに。

心の中では、「そうだ、わがままなんて止して賢二郎に謝らなきゃ。忙しいのにわがまま言ってごめんって言わないと」という気持ちと、「仮にも彼女なんだからもう少し優しくしてくれたっていいじゃん。どんだけ普段我慢してるとおもってんの?」という気持ちとが混ざり合ってもう収拾が付かない。

真っ黒な負の感情と真っ白で純粋な愛情が混ざり合ってもうぐちゃぐちゃだ。グレーというか限りなく黒に近いグレー。それって最早黒な気もするけど、とにかく人には見せられないほどの醜い色をした感情が溢れ出して止まらない。めそめそ泣いたって賢二郎が急に優しくなるわけでもないのに。

子供みたいにしゃくりあげていると、急に顔が壁にぶつかった。鼻がつぶれた気がするし何より痛い。この辺に壁なんてなかったはずなのに一体どうして、と目を白黒させていると、くしゃり、と後頭部に触れる手が私の髪を撫ぜた。

「泣くなよ。ガキじゃあるまいし」

私の鼻を低くした壁こと賢二郎の胸板は、ドクンドクンと彼の鼓動を伝える。その心音を聞いている内に、高ぶった気持ちが少し落ち着いてきた気がした。ぐしゃぐしゃと力任せに髪をかき混ぜるように撫でられる。ぼっさぼさにされてないかなこれ。その内背中へ降りた手のひらが、ガラス細工に触れるかのような弱い力加減と繊細さをもって背を撫でた。

「…お前に泣かれるとどうしたらいいのかわからねぇ」

硬い声だった。声色とは裏腹な優しい手は、相変わらず宥める様に背中を撫でている。

「お前、物分かりいいいから、正直甘えてた。ごめん」
「けんじろ…」
「物分かりいいわけじゃなくて、物分かりいい彼女でいようってしてくれてたんだよな」

静かにそう言われてボロッと余計に涙がこぼれた。そうだよ。私がんばってたんだよ。だって賢二郎のことが好きだから。

「悪かった。お前のこともっと大事にする。ちゃんと好きだから」
「けんじろぉ〜」
「ぶっさいくだぞ」

余計に泣き始めた私の顔を見てなんともひどいことを言い放った賢二郎は「早く泣き止まねえとキスするぞ」と脅しになっていない脅しを口にする。そんな賢二郎に、あぁやっぱりそんなところも好きだなぁなんて、惚れた弱みを実感したのだった。


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