アカシア


「なんで」

普段から柔和とは言い難い表情を更に厳しくした彼が、不機嫌を前面に押し出しながら私を問い詰める。張りつめた空気感から逃れたくて身じろぎするけれど背後は壁。ひんやりとしたコンクリの冷たさが背中から、冷ややかな視線が前から伝わってきて体感温度は急降下していく。
逃げようとしても手足のリーチの違いでどうせすぐに捕まる気しかしない。誕生日のプレゼントを用意していないのだと告げるやいなや、私はこうして壁際に追い詰められていた。

「ほら、差し入れとかプレゼント嫌がってたじゃん」

視線に耐えられず喉仏を見ながら答える。自分のものより発達したそれを見て男の子だなぁと急に実感した。そうだった、この人男の子なんだった。当たり前のことを改めて自覚したせいで、急に距離の近さを意識してしまう。

「…お前、彼女なんだろ」

その言葉にハッとして顔を上げた。黒目がちな瞳と目が合う。遠目に見ると真っ黒な瞳もこの距離で見ると濃い茶色をしていて、キャラメリゼしたアーモンドを思わせる。その瞳が不安げに揺れている気がした。
彼女。そう何の間違いか、私は佐久早聖臣の彼女なのだった。




佐久早くんはバレーボールの上手さだとか、その長身だとかはたまたそのルックスの良さで話題に登ることの多い男の子だ。同時にその扱いにくさも有名で、やれ潔癖だとか冷たいだとかみんな好き勝手に言っていた。
衛生への意識が高めなのか日頃からマスクを欠かさず、素顔を拝む機会はあんまりないけれど、マスクを外したら不細工、なんてことはなくマスクを外したら更に美形なので素顔がお目見えする体育の時間なんかは、本人的には不本意そうだけど周りの視線を集めに集めている。
私はと言えばきゃいきゃい楽しそうに佐久早くんを見る子たちを横目に、自販機よりも大きいのに顔は小さいから佐久早くんを見ると遠近感が狂うなぁなんて考えていたものだ。

クラスメイトになってからも、噂に違わず佐久早くんは潔癖ぽくて優しい男の子ではなかった。
だけど正しいなと思ったのをよく覚えている。
佐久早くんの言葉は手厳しいように聞こえるけど真っ直ぐだし自分の意見を押し付けることもしない、そして相手の意見を否定することも。あ、訂正することはたまにあるかな。そういう部分に気が付いたときなんとなく好感を持った。主張はするけれど聞き入れられなくても構わないという感じなんだろう。ただその人との付き合い方を変えるだけで。いや、それはそれで面倒だな。
とにかく、私と佐久早くんは可もなく不可もないクラスメイトの間柄だった。

「わっかんないなぁ」
「考える前に言うな」

風向きが変わったのは、ゴールデンウィークが明けてすっかり気温が夏めいた頃のことだった。
数学のプリントを前後の席で交換して採点、間違っている箇所をお互いに教え合うという時間。私は前の席の佐久早くんとプリントを交換していた。
今の席は窓際の列だから佐久早くんが前でも黒板は充分見えるし、なにより佐久早くんに隠れてうっかり忘れていた予習をしたり、心地よい春の風に誘われてうとうとできるところがお気に入りだ。

「考えてるけど数学ってどうも苦手で」

不正解の問題とにらめっこしつつ苦手意識を打ち明けると佐久早くんは表情を動かさず「数学は答えがひとつしかないからシンプルでいい」と答える。流石1問しか間違ってない人は風格が違う。

「数学得意な人ってよくそれ言うよね」

公式を書き写しながら率直な感想を告げた。

「別に、得意ってわけじゃない。…ココ間違ってる」

不愛想にそういいながら佐久早くんは公式の間違いを指摘してくれた。手抜きできないタイプなんだろうな。お礼を言ってさらに訂正を加える。プリントは書き込みで真っ赤だった。
悲しい。数学で80点以上取ってみたいな、と叶いそうにもない理想を想いながら窓の外を見ると、黄色い花を付けていた樹が目に入る。
ふわふわの花が密集するように咲いている様子が可愛らしかったその樹は、もうすっかり花を散らしていた。

「…花散っちゃったんだ」
「なに」

私の言葉に佐久早くんは胡乱げな顔をする。

「あの樹ね、黄色い花がふわふわって咲いてて可愛かったの」
「あぁ、アカシア」
「アカシア?」
「あの樹の名前」
「はちみつとかのアカシア?」
「…うん」

今ちょっとなんでそこではちみつなんだって顔された気がする。

「よく知ってるね」
「俺の誕生花らしい。キョウダイがそう言ってた」
「兄弟?お兄ちゃんとかいるの?」
「姉と兄がいる」
「へぇ、末っ子なんだ」

私弟いるんだけど最近生意気盛りでさぁ、と話すと「ふぅん」と返す佐久早くん。こんな話つまんなかったかな。

「っと、ごめんおしゃべりしすぎちゃったね」
「いや、別にいい」

その言葉通り気を悪くした様子はなかった。意外と雑談もしてくれるんだなあ。その次の席替えでご近所さんではなくなったけれど、何かと話す機会はあって割と良好な関係を築けていると思う。
付き合い方がわかれば佐久早くんは噂ほど面倒な人ではなくむしろ分かりやすくて楽だった。女の子特有の腹の探り合いみたいなのがなくていい。不思議と心地よかった。
でもきっと、来年違うクラスになったなら疎遠になるだろうなと思う距離感。近すぎず遠すぎずのまま、2年生を終えるはずだった。



冬ともなれば廊下はキンと冷え切っていて一瞬で暖かな教室へ戻りたくなる。放課後のざわめきから逃げ出すように校舎を出ると外気で鼻がツンと痛い。マフラーに顔を埋めるようにしてみるけど、あまり効果は感じられなかった。

「あれ、佐久早くんだ」

前を歩く佐久早くんに気が付いて声をかけると彼は振り返って立ち止まる。駆け寄ると「苗字も帰るの」と私を見降ろした。こうして見上げるとやっぱり大きい。自販機越えは伊達じゃない。

「うん。今日は部活ないし。佐久早くんも?」
「俺も部活が休み」
「そっか」

どちらともなく歩き出す。
佐久早くんの頬も寒さでうっすら赤い。色白だからかそれが目立って余計寒そうに見えた。特に会話もなく歩いていると民家の庭先から道路に飛び出して咲く黄色い花を見つけた。

「あ、見てアカシア」
「うん」
「佐久早くんが教えてくれたから覚えたよ」
「そう」
「可愛いね」
「…あぁ」

なんかこの話題あんまり持ちそうにない。
沈黙に耐えきれず適当な話題を探す。

「…ねぇ、佐久早くん好き、っ」

な食べ物って何?と続くはずだった言葉は急に襲い掛かってきた突風に遮られた。思わず口を閉じてたたらを踏む。
春一番にはまだ早いかな、というくらいの2月下旬。風はとても冷たくて、その冷たさでほっぺたが切れたような気がした。巻き上げられた花弁が風と共に通り過ぎていく。ほっぺたの無事を確認するように両手で触っていると、横から「いいけど」と普段より早口な声が聞こえた。

「ん?」
「…付き合ってもいいけど」
「え、」

急にどうしたの?と思うやいなや、自分の発言を思い出す。とてもややこしいところで言葉が切れていたような。
佐久早くんは立ち止まったまま私の答えを待っている。どうしよう。誤解だっていったら佐久早くんのことを傷つけてしまう気がした。それは、なんだか嫌だった。今思えばそれが私の佐久早くんへの気持ちを物語っていると思う。

「よろ、しくお願いします…?」

そんなこんなで私は佐久早聖臣の彼女になってしまったのである。



付き合う、とは言え、特に連絡もないし、甘い言葉をささやかれるわけでもない、それに手を握られるわけでも。クラスメイトの時と何も変わらない。
ただ少しだけ、視線が交わることが増えた。あと、一緒にいる時間も。その様子はやはり周りから見たら付き合っているようには見えないらしい。それはそうだろう好き合っているわけではないのだから。正直どうして佐久早くんが付き合ってもいいけどだなんて言ったのかわからない。でも、佐久早くんが私を特別な「彼女」というポジションにおいてくれたことに悪い気はしなかった。
「彼氏」という存在になってから、嫌でも佐久早くんを強烈に意識してしまう。目が合うと首の後ろあたりがむずむずするし、横にいるとついその手に触れてみたくなる。その手が冷たいのか温かいのか、どんな風に人に触れるのか知りたいなと思った。
その気持ちはきっとアカシアの花の姿をしている。願わくば佐久早くんも同じ気持ちだと嬉しいなと思った。


状況は深刻の一途を辿っていた。彼氏様のご機嫌は斜めのままで、傾きすぎてもはや地面と平行なのではとすら思う。こういうことを言うと古森くんは笑ってくれるけど、佐久早くんは羽虫でも見たような顔をする。あれ、私彼女だよね?
いわゆる壁ドンの体制で押し問答をしている私たちは正直目立つ。願わくば誰にも目撃されませんように。そりゃお誕生日を祝う準備が出来ていなかったのは心から申し訳ないと思う。だけど今日知ったんだから仕方なくない!?とも思う。そういうことに頓着しそうにないのに、ここで面倒くささを発揮しないでくれと自分のことを棚に上げて思った。
本当にこの人なんで付き合ってもいいけど、なんて言ったんだろう。それはさておき、何とかこの状況を打破しなくてはいけない。頭をひねり最善の言葉を探す。できる限り嘘のない言葉を。

「ごめん。お誕生日だって今日知ったの」

佐久早くんは無言のままそれで?という感じで言葉を待っている。

「今日はおめでとうしか言えないんだけど。改めてプレゼント渡してもいいかな。その、今適当に何かあげるんじゃなくて佐久早くんのこと考えながらちゃんと選びたい」

別にお祝いしたくないわけじゃないのだ。今渡せるものがないだけで。それに渡すならちゃんと考えて用意したものを渡したい。

「わかった」

佐久早くんはそう言って体を離す。やっと解放されるとほっと胸をなでおろした。

「佐久早くん。お誕生日おめでとう」

そう言うと佐久早くんの眉が少し動いた。

「…いつまで佐久早くんなんだよ」
「え…」

いつまでって先月付き合い始めたばかりですけど?と目を丸くしてしまう。

「えーっと、」

下の名前で呼んでも良いんだろうか。

「きよ、おみくん。お誕生日おめでとう」
「ん」

きよおみくん。もう一度声に出さず舌の上で転がしてみるけれど何だかしっくりこない。

「…臣くん。臣くんって呼んでいい?」

尋ねながら顔をのぞき込めば、先ほどまで不機嫌の形をしていた目尻はいつもどおりの曲線を描いている。ご機嫌は元通りのようだ。案外可愛いところがあるなあ。

「好きにしろ」

そういって歩き出す臣くんの背を追いかける。思い切ってその手を掴んでみた。一瞬彼の体がこわばる。そして、無言のまま手を握り返された。ふわり春の香りを纏った風が吹く。その風に誘われるように植物が芽吹き始める季節、私は臣くんの手が想像よりもずっと温かいのだと知った。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -