そしてひとつになる



スゥーーーっと思い切り鼻から息を吸うと鼻腔いっぱいに大好きな香りが広がる。
じんわりと凝り固まっていた心と体が解れていくような気がした。大好きな彼の香りで肺まで満たされてどこかうっとりと脱力してしまう。

「もういいの?」
「うん…、これ以上嗅いだら寝そう…」
「もう目がとろんとしてるけど」

手遅れじゃない?と彼は視線をテレビから私に移し指でほっぺをつつく。胡坐をかく彼の上に正面から抱き着くように座った私は、吸盤でも生えたみたいにピタッと彼の胸にくっついてすりすりと甘えてみせた。

「よしよし」

ふふ、と短く笑った彼がむずがる子供をあやすように背中を撫でてくれるのが心地よかった。
ストレスが溜まってどうしようもなくなってきたとき、彼は必ずこうして好きなように甘えさせてくれる。年下なのにこの包容力。なんてできた彼氏なんだろう。あまりの落ち着き様に、出会った頃はいくつか年上だと思っていたくらいだ。
あれは彼が仕事中だったせいもあるのかもしれないけれど。
そう出会ったのは確か、木の葉が色づいた季節のことだった。


一昨年、祖母が亡くなった。
突然のことだった。生来体が丈夫で健啖家だった祖母は、親戚中が口を揃えて100歳まで生きるに違いないと言うくらい元気な人で、5人いる孫の中で末っ子の私をそれはそれは可愛がってくれていて、私もそんな祖母が大好きだった。
もうすぐ傘寿だからみんなでお祝いしなきゃね、と言っていた矢先、祖母はあっけなく天へ旅立った。秋が深まり、街路樹も色づいてすっかり肌寒くなった頃だった。
寂しくて悲しくて、受けた恩に何も返せなかったとやりきれなくて、涙腺が壊れたかのように泣きじゃくっていた。
あまりにも泣きじゃくるので、外の空気でも吸って落ち着きなさいと言われて1人斎場の外に出る。

泣きすぎに加えてここ最近の寝不足が祟ったのだろうか。
急にガクンと体の力が抜けて地面に崩れ落ちてしまう。過呼吸だと気が付いたけれど、周りに人はおらず自分でも混乱して対処が取れない。
どうしよう、くるしい、だれかたすけて。
助けを求めたいのに声が出ない。
やだ、しんじゃう、だれか。

そこへどこからか駆け寄ってくる足音がしたかと思うと誰かが私の背をさすった。

「大丈夫ですよ。ゆっくり呼吸してください」

落ち着いていて心地の良い声だった。
苦しくて寂しくて、悲しくて助けて欲しくて、背後から私を抱えるようにして背中をさすってくれていた人に、しがみついてしまう。
すると、ほのかに香る線香の匂いの奥に、ヴァーベナのような優しい爽やかさとそれでいてどこかスパイシーな良い香りがした。
落ち着くその香りをもっと嗅ぎたくて鼻を近づける。
私は子供の頃、親に抱かれながら親の匂いを嗅いでいる内に安心してコテッと寝てしまう子供だったらしい。
三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
泣きすぎと寝不足と過呼吸でボーっとしていた私は、あろうことか目の前の人の首筋に顔を埋め、「…良い匂い」と呟いて寝落ちてしまったらしい。

全部夢だと思った。
目を覚ませば祖母は元気で、皆で傘寿のお祝いをしていつものように騒がしく過ごすのだと。

だけど目を覚ましても現実は変わらなかった。
その上、親に自分の醜態を教えられて青ざめてしまう。
私を助けてくれた人は、寝こけた私を抱えて親族の控え室へ届けてくれたらしい。荷物よろしく配達された娘を見て、親は度肝を抜かれたそうだ。ちゃんとお礼をしなさい!と尻を叩かれて、後日恥を忍んで菓子折り片手に再び斎場を訪れた。
近場にいたスタッフに声をかけて、助けてくれた方を呼んでもらう。そして出てきた人を見て私は目を丸くした。

「でっか……」

てっきりおじさんだと思っていたのに、想像よりずっと若くてずっと身長が高かった。
それが彼、松川一静との馴れ初めだ。




「一静」
「なに」
「なに、じゃないお尻揉まないで」

大好きな体温と香りに包まれて微睡む贅沢な時間を不届きな手が邪魔する。

「そこに名前のお尻があるから」
「アルピニストに謝って今すぐに」
「良いむっちり感なんだよね。あ、ちょっと力入れないで硬い」
「どうせむちむちですよ!これから痩せるもん」
「エロいと思ったことはあっても、痩せて欲しいと思ったことはないな」
「なにそれ、いいもん私も一静のおっぱい揉んでやるんだから」
「はいはい、どうぞ」

照れ隠しにわしっと目の前の胸板を掴む。胸筋を揉んでもあんまり楽しくはない。一静は、余裕のある表情でお尻から背中へシフトチェンジする。


「なぁ、高校の同窓会去年も駅前のホテルだった?」
「んー…確かそうだったよ」

参加するの?と聞けば、まだ考え中と返ってくる。付き合い始めて知ったことだが、私と一静は青城の先輩後輩だったらしい。
ひとつ下と言えば有名な及川くんのことは知っていたが、一静のことは全然知らなかった。友達について及川くんを見に行ったことがあるけれど、及川くんを含め周りは長身の子ばかりでどれが一静だったかなんてわからない。
私の部活の後輩と一静が実は同じクラスだったりして、そこで初めて、一静が年下なのだと実感した。

「及川くん来ないの?」
「来ないよ。そんなすぐに帰ってこれる距離じゃないし」
「確かに。地球の裏側だもんね」

そりゃそうだ。と1人納得していると、不届きな手が背中から前に回って胸元に伸びてきた。

「ちょっと一静!」
「触るだけ」
「そう言って触るだけで終わったことないじゃん」
「名前があんあん言うからだよ」
「そっ、れは一静が変な風に触るからだって」

濡れ衣甚だしい。触るだけと言ってエロく触ってくるのはどこのどいつだ。確信犯のくせに。
さっきだって湯船に浸かりながら触るだけ、と言われ結局一戦交えてしまった。脱衣所にゴム置いてたあたり最初からスる気だったに違いない。
被告が最初からその気だったのは明白です裁判長!と脳内で1人訴える。

何だかいつも一静の掌の上で私がジタバタしているだけのような気がする。こういう時いつも私の方がお姉さんなのに!とちょっと悔しい気分になるのだ。

「私の方がお姉ちゃんなんだからね…」
「それたまに言うけどさ、名前さんって呼んだ方が良い?」
「…やだ」

こういう時自分のめんどくささに辟易する。自分でもどうしたいのかわかんないまま喋ってしまう。まるで子供みたい。

「お姉ちゃんならさ、こういう時もリードしてくれるの?」

面白そうな顔で、一静は私の乳房をぽよぽよと揺らす。

「んっ、破廉恥なのはいけないと思います!」
「本当?さっきも嫌だった?」
「それは…わかるでしょ」
「俺の勘違いだといけないからさ」

聞かせてよ、と一静は私の目をじっと見る。こんな風に見つめられるといつも一静の言うことに逆らえない。

「…嫌じゃなかった」
「良かった」

一静は嬉しそうに笑って、そのまま胸を遠慮なく揉む。

「ま、あっ、待って!」
「どうした?」
「どうしたじゃない!揉まないで」

もう眠いの!と、ぽかぽか一静の胸板を叩く。

「名前に癒されてんの」
「えぇ…」

そう言われるとなんか拒否しづらい。

むぅ、と唇を尖らせると、すかさずちゅっと唇が触れる。キスして欲しかったわけじゃないけど、まぁいいか。

「もうすぐさ、おばあさん3回忌だよね」
「うん」

法事の日を伝えると、「仕事だな」と一静はうーんという表情。

「どのみち流石に恋人の身分でついてくのはなんか違うと思うし、ちょっと頼まれてくれない?」
「なにを?」

我が家の法事で一静がすることなんて何かあっただろうか。

「おばあさんの葬儀の時、親戚の人が話してるの聞こえちゃってさ。おばあさん、名前の花嫁姿見るまで死ねないって言ってたって」
「…そうなんだ」

楽しみにしてるのは知ってたけど、そんな風に思ってたなんて。

「だから法事の時、おばあさんに花嫁姿見せられるよって報告しといて」
「うん。ん?なんて?」
「松川名前になりますって言っといで」
「え?一静、それって…」
「うん、プロポーズ。結婚しよう名前」
「えっ、えぇっ?!」

眠気が一気に吹き飛んだ。
驚く私に「そんなにビックリする?」と一静は笑う。
結婚したらこういう家に住みたいね、とか子供は何人欲しいね、だとかそういう話は確かにしたことがあるけどまさかこのタイミングで結婚を申し込まれるなんて誰が思うだろうか。
直前まで胸揉まれてたんですけど。

「返事、くれないの?」
「あ、えっと…」

何だか急に気恥ずかしくて、一静の顔が見れない。もじもじとしていると、一静が両手を私の頬に添え顔をクイッと上に向かせた。

「名前」

じっと見つめながら名前を呼ばれる。

「いっせぇ…」
「その甘えた呼び方、俺好きだな」
「その、ね、」
「うん」
「私、一静と同じ苗字になりたい」

そういう言い切ってポスンと顔を一静の肩口に埋める。すると、一静はポンポンと私の後頭部を優しく手のひらで叩いた。

「具体的なことはまたこれから一緒に決めて行こう」
「うん」
「はは、耳真っ赤」
「いっせぇうるさい」
「ごめんごめん」

そう言って一静は私を抱える腕にぎゅっと力を込めた。
私も一静の腰に回した手に力を込めながら、吹き飛んでしまった眠気をどうしようかと額をグリグリと一静の肩に擦り付けたのだった。


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