きみと恋をする


暦の上では秋とはいえ、まだまだ夏真っ盛りの暑さが続いていて、空の高さと入道雲の代わりに空に浮かび始めた鱗雲だけが少しだけ秋を思わせる。
夏休みも終わりに差し掛かった登校日、名前はあくびを噛み殺しながら校門をくぐった。夏休みとはいえ、高校3年生ともなれば進学を考えている生徒は夏期講習でちょくちょく登校している。進学希望の名前も例に漏れず夏期講習に励んでいるため、夏休み中の登校日なんて普段と変わらない1日のはずだった。

友達と明日の夏期講習の帰りにコーヒーチェーンで勉強をする約束を交わし、帰り支度をする。友達は部活に出るため足早に教室を出て行った。コーヒーチェーンで勉強なんて建前で息抜きのお喋りが目的だ。たまには休みも必要だよね、と自分に言い訳をしながら名前も鞄を手に席を立つ。部活動が盛んな稲荷崎高校で、名前は比較的活動が緩やかな華道部に所属していた。夏休みは取り立てて活動はなく、今日も集まる予定はない。年末にかけて最後の作品を仕上げたら、これまた緩やかに部活を引退する予定だ。

「苗字、ちょっとええか」

教室を出ようとしたところで、誰かに声をかけられて出入り口の扉に伸ばした手を止める。
振り返ると、同じクラスの尾白アランが立っていた。

「尾白くん?」
「その…帰るとこ呼び止めてごめんな。少し時間もろてええか?」
「ええけど…」

今年初めて同じクラスになった尾白アランは、名前から分かる通りどこかの国とのハーフで背が高くバレー部に所属している。特別仲が良いわけではないが、クラスメイト以上の関わりもない。名前にとってはよく輪の中心にいる人、という印象だった。
朗らかで面倒見がよいクラスの人気者。外国人だとか日本人だとか言うより関西人って感じの人だなぁと常々思っていた。
そんなクラスの人気者が何の用事か、と不思議に思いつつ尾白についていく。すると、人気のない裏門の辺りで尾白が足を止めた。ここは樹齢何十年だかの大きな桜の木があって、告白の定番スポットだった。その時点で、引っかかるものがあった名前は居心地の悪さを感じながら尾白の言葉を待つ。

「その…俺、苗字のこと好きやねん。あんま関わりない俺にこんなこと言われても困ると思うんやけど、正直告白でもせんと意識してもらえんと思って」

どこか申し訳なさそうな尾白は、そう言ってチラリと名前の様子を伺う。
名前は驚きが隠せなかった。今聞こえたことをゆっくり噛み砕いていく。
ええと、尾白くんは私が好きで、でもそこまで仲良くないから、意識させるために告白したってことでいいよね?
そう理解を終えた途端、顔がブワッと暑くなる。それは燦々と降り注ぐ太陽のせいだけではなかった。告白なんて生まれて初めてだった。まさか自分が、それもクラスの人気者に告白されるなんて、と照れくさくて唇を噛む。

「その、聞きにくいんやけどなんで私なん?」

とにもかくにも、最大の疑問はそこだった。

「苗字華道部やろ?前に花活けとるとこ見かけたことあって、そん時の凛とした感じというか、なんか雰囲気ええ子やなって思ったと言うか、とにかく印象に残っててん」

尾白は一呼吸おいて続ける。

「今年同じクラスなって、あの時の子やなとは意識してたんやけど、眠そうにしながら授業ちゃんと聞こうとしてるとことか、友達のシャツの取れたボタン付け直してやっとるとことか見て、なんかこの子ほんまええ子やなって思った」

そしたら、いつの間にか好きになってた。と尾白は話を締め括った。
名前は話を聞きながら顔から火が出そうな心地だった。そんなに自分のことを見てくれている人がいるなんて思いもしていなかった。ソーイングセットを持っていることも所帯染みてると言われたことはあってもそんな風に好意的に捉えられるのは初めてで、ドキドキと胸が高鳴る。

「そう、なんや」
「付き合って…もらえへんやろか。友達からでもええねん」

普段より落ち着いたトーンの声が真剣だと思わせる。名前は、一度大きく呼吸して口を開いた。

「…ええよ」
「ええの?!」

承諾の返事に尾白が驚く。フラれる前提だった様だ。先程の尾白の言葉に名前は胸を打たれていた。尾白のことは良い人だと思っているし、付き合う、という行為への憧れもあった。だから、乗っかってみようと、珍しく冒険心が湧いた。

「その、失礼な話やと思うんやけど、一度お付き合いってやつしてみたいなって思ってたんよ。尾白くんええ人やと思ってるし、さっき言ってくれたこと嬉しかったし。恋愛的な好きになるかわからへんけど、こんな理由で気を悪くせんかったら」

お付き合いしたいです。と名前は尾白の顔を見た。尾白は信じられない、と言った面持ちで「ほんまに?」と右手で口元を覆っている。その感激した様子がなんだか可愛いなぁと名前は思った。

「よろしくお願いします」

ペコリと頭を下げると、尾白もこちらこそ!と律儀に頭を下げた。その様子に名前は思わず声を上げて笑ってしまう。恋愛に発展しそうな好感はもう十分持てていた。


交際が始まって数カ月が経ち、あんなに暑かったのが嘘の様に吹き荒ぶ風に身震いする季節になった。
アランは想像通り名前に優しくて、憧れていたお付き合いはとても素敵なものだった。下の名前で呼び合い、時折手を繋いで下校する。初々しいカップルそのものだ。
始めは、ちゃんと恋愛対象として好きになれるだろうかという心配があったが少しずつアランのことを知るうち、アランのことを考えるだけで胸がキュッとする様になった。よく言えば控えめ、悪く言えば地味な自分の良いところをアランが見つけてくれた様に、名前もアランの良いところをたくさん見つけた。

アランは名前を優しいという。甘いのではなく、人に厳しくできる優しさがあると。そういうの案外難しいやんか、と笑ったアランの顔を名前は忘れられずにいる。
人の美点を見つけられることもまた美点だと名前は思う。そう告げた時、アランは照れ臭そうに「名前に褒められると照れるわ」とそっぽを向いた。そんな照れ屋なところも名前のお気に入りだった。

始まりがどうであれ、名前は今やきちんとアランに恋をしていた。嬉しいことがあったら一番に聞いて欲しい、悲しいことがあったらそばにいて欲しい。そう思うのはアランにだけだ。
アランも、そうであって欲しいと願う。


最近名前が少しだけ引っかかっている事は、模試の判定結果でもアランが春高にむけて多忙であることでもなく2人の進展だ。
手を繋ぐのはクリアした。じゃあそろそろ次はどうですかというわけだ。
そもそも、そう考える様になったのは先日遭遇した宮兄弟のせいだった。



「「アランくんの彼女?!」」

綺麗に揃った驚きの声が辺りに響く。何dBだろう。肺活量がすごい。部活終わりのアランと落ち合って校門に向かっていると、突然視界に現れた双子が急にそう叫んだ。驚いて固まっていると「おい、ビックリしとるやろ。はよ、あっち行き。見せもんとちゃうぞ」とアランが双子を追い払おうとする。双子はアランと名前のそばをちょろちょろしながら、「思ったより地味やな」「アランくんオクユカシイ女が好みなんか」「なぁもうちゅーした?」「しとるやろ、ちゅーなんか今日日小学生でもするやん」と好きに騒ぎ立てた。結局双子はどこからか現れた北にお口チャックさせられ静かになったが、名前の頭には「小学生でもちゅーする」という言葉がしっかりと残ってしまった。

ちゅー、キス、接吻。
どんな感じなんだろう。初めてするのなら、それはもちろん相手はアランが良い。
名前がそう思ってはいても、アランがそういうそぶりを見せた事はない。みんなどうやって初キスに漕ぎ着けているのか疑問だった。
交際経験のある友達数人に問い合わせたところ、今どき男からなんて待つなこっちからガツンといってやれ!との回答を得た。それ以来名前は虎視眈々とガツンのチャンスを窺っている。

「名前、スマン待たせた」
「お疲れ様」

アランの部活が休みの放課後、ミーティングを終えたアランが教室に名前を迎えに来た。アランと連れ立って教室を出て、校門を出たら手を繋ぐ。いつもの流れ。ここからどうガツンに持ち込むのか、それが問題だった。名前が背伸びをしても長身のアランが屈まなければ目的は達成できない。アランの協力が必須だった。

「アラン、こっち行こ」
「お?どないした」

帰り道の途中で公園へと誘い込む。寒い季節が幸いしてか、人気はなかった。
ベンチに座って、他愛もないことを話す。その内、アランが「長居すると風邪ひくで。帰ろか」と帰宅を促し始めた為、名前は覚悟を決めた。アランの肩に手を置いて顔を近づける。
唇が触れそうになった時、「アカンアカン!何してんねん!!」とアランが名前の唇を強烈なスパイクを打つ大きな手で覆った。

「何で止めるん」
「いやお前そら止めるやろ」
「外やから?」
「そらな」
「中ならええの?」
「いや、そういう問題とちゃうやろ!」

そう言われて少し悲しくなった。アランは私とキスしたくないんだろうかと。

「アランは、私とキスしたくないん?」
「ばっ、なにを言うてんねん」
「どっちなん」
「いや、そら、したいけども」
「ならええやん」
「待て待て、猪か!」
「人間やけど」
「知っとるわボケや!説明さすな!…そういうのは、好きな人とせなアカン」

急に真面目腐った顔でそういうアランに、名前はキョトンとしてしまう。いや、今まさに好きな人としようとしてますけど?と。

「付き合うことに憧れてるって言うてたけど、自分は大切にせな」

そう言うアランはちょっと切なそうだった。

「私…アランのこと好きやで」
「おぉ!なら問題ないな、ってハァ?!」
「そんな驚く?」
「…そら好きじゃない状態から始まってますし?」
「言うてなかったな、ごめん」

好きやでアラン。そう告げると、アランは両手で顔を覆って俯く。

「アラン?」
「俺明日死んだりせぇへんよな」
「何を縁起の悪いことを」
「彼女でおってくれることに満足してて、好きになってもらえるとは考えへんかった」
「驚くほど謙虚やな…。あんな、私めっちゃアランのこと好き。だから、恋人らしいこともっとしたい」
「…随分と可愛い殺し文句やんか」
「せやろ?」

なんで、誇らしげやねん…と、アランは名前の頬に手を伸ばした。
今までで1番、2人の距離が近くなる。名前はそっと瞳を閉じた。

「あっ、アランくんと名前ちゃんや」
「ほんまや、ちゅーしてへん?」
「今からするところでしょ」
「お前らあかんて。はよ行くで!」

アランと付き合い始めてから聞きなれてしまった宮兄弟の声と、あと2つ知らない声が耳に入った名前はパチッと目を開ける。アランは双子の方を見ながら「上手くいかんなぁ」と苦笑いしていた。
名前は、初キスにはもう少しかかりそうだなぁ、と奴らから顔を隠すべくアランの胸に顔を埋めた。そんな名前の後頭部をアランが優しくポンポンと撫でる。
先はまだ長いけれど、今日のところはそれで充分だった。


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