チャイムが鳴るまであと5分



ギギッと音を立てて古めかしいドアを開けば、廊下よりひんやりとした空気が私を迎え入れる。ドアノブから手を離すと、ドアはまたギギッとその古さに相応しい音とともにパタリと閉じた。途端に外界と謝絶されたような気分になるのは、それが防音の扉だからだろうか。昼休みの喧騒がピタリと聞こえなくなる。
聞こえるのは、私と、彼のたてる音だけ。

「苗字先輩」

思ったよりも近くで声が聞こえて、ビクリと肩を揺らしてしまう。少し距離をとって、彼の顔を見ないように「なに?」と返事をした。
彼を意識していることがありありと態度に出ているけれど、それもこれも彼のせいだ。
月に2.3回の放送委員の当番。
先生が気まぐれにあみだくじで決めたペア。一つ歳下の男の子。それだけだったはずなのに。

「髪、なんかついてます」
「え、ど、どこ?」
「ここ」

そう言って頭に伸びてきた手は歳下と言えど私よりずっと大きくて、思わずギュッと目を閉じてしまった。

「取れましたよ」
「ありがとう川西くん」
「いえ。苗字先輩、髪柔らかいんすね」
「そ、そうかな」

吃ってしまった私に普段と変わらない顔で、そっすよ、という彼は、いったいどう言うつもりなんだろう。誰にでもこういう距離感なんだろうか。でも、それを知る術は私には無い。
学年も違う部活も違う。共通の知り合いだっていない。私たちの繋がりは委員会活動のこの一時だけ。
ペアになった春先は普通に活動出来ていたのに、ある時期から川西くんは、どこか距離が近く、どこか思わせぶりな態度を取るようになった。
女の子に対して距離感が近い人なんだろうか、と思ったけど、それなら最初からこうだったはずだ。

「先輩、放送することなんか聞いてます?」
「…ううん。今日は無いみたい」

奥に進むことを促すように触れられた背中の掌の温度を必要以上に意識してしまう。

睫毛の角度が綺麗だ、恥ずかしがった時の赤くなる頬が可愛らしい、唇の形が良い、手が小さい、爪の形が丸っこい等々、今まで川西くんに言われた言葉は嫌でも見られている、と意識させられるものばかりだ。
なんでそんなに、私を観察しているのかわからない。そんなことしたって面白い部分なんて無いのに。

昼の放送と言っても、全校集会の連絡や持ち物検査の通知など、簡単な連絡事項を流すだけだ。正直、連絡事項のない日の方が多い、それでも当番の日は昼休みの間、放送室に居なければならない決まりだった。
上履きを脱いでカーペットが引いてある部分に上がる。壁に背をつけて持ってきたお弁当を取り出した。川西くんも、ガサガサとビニール袋から購買のパンを取り出す。

「苗字先輩って、英語得意ですか?」
「え、んー、そこそこかな」
「俺ちょっと今の単元怪しいんすけど今度教えてもらえませんか」
「…私よりもっと得意な人に聞いた方がいいと思うよ」
「先輩に教えて欲しいんです」

ほらまた、思わせぶりな言葉。きっと、私が顔を赤くするのを面白がっているんだ。歳上の女をからかってみたい年頃なのかもしれない。ひとつしか変わらないのに。

「私は、教えられないよ」

強豪と呼ばれるバレー部のレギュラーで身長も高くって見た目もそれなりとくれば当然女の子からの視線も集めるわけで、そんな彼が同じ学年の女の子と談笑している姿を何度も見たことがある。きっと喜んで教えてくれる子がいるはずだ。

「なんで?」
「なんでって、そういうの得意じゃないし…」
「俺と過ごすの嫌っすか?」
「そういう聞き方、良くないよ川西くん」

お互い確信に触れないどこか焦点のぼやけた会話。
好意を寄せられている気がするけど、もし、川西くんが女の子に積極的な人なら、わたしは確実に遊ばれているわけで。
そんな心配が、確信に触れることを躊躇させる。

「ね、川西くん」
「なんすか」

食べ終わったお弁当を片付けながら、川西くんに話しかける。私より随分早く食べ終わっていた彼はバレー雑誌に目を通していた。

「委員会活動、私1人でも大丈夫だから部活の昼練行っても大丈夫だよ」

他のペアは交互に1人ずつ昼当番をこなしているらしい。なにも律儀に2人でここにいる必要は無いのだ。
それに、川西くんの所属するバレー部は自主的なものとはいえ、昼練があるらしい。ならば、そちらに行くべきなんじゃないだろうか。仮にも強豪のレギュラーなのだから。

「それ、もう来るなってことっすか」
「…そう言うわけじゃないけど」
「俺は次の当番の日も来ますよ」

そう言って、川西くんは私の方ににじり寄る。咄嗟に後退りしようとしたけれど、そもそも壁に背をつけていたからそれ以上下がりようがなかった。

「か、わにしくん、近いよ」
「苗字先輩、そろそろ意識して下さい」
「いし、きって」

所謂壁ドンスタイルで川西くんに迫られる。騒いだって、防音のこの部屋じゃ私の声は外に届きやしない。

「この時間しか俺は苗字先輩と接点ないんですよ、来ないわけないじゃないすか」
「川西くん」
「それとも、これ以外の接点作ってくれるの?」

気付いてますよね、俺の気持ち。と、川西くんは眉根を寄せながら私の肩に触れる。
触れられた肩から全身に熱を帯びていく感覚がした。

「からかわないで」
「俺はずっと真剣に口説いてましたよ」

逃れようにも肩を掴まれているせいで動けない。

「好きなんです。苗字先輩」

少し頬を赤らめて気持ちを告げる川西くんは、「先輩のこと、名前で呼びたい」と地面についた私の手に体格に見合ったサイズの手を重ねる。逃げ場がどんどん無くなっていく。川西くんに正面から向き合わされる。

「答えて、先輩」
「川西くん…」

空いた手で川西くんの頬に触れる。自分とは違う体温。
予鈴がなるまで後5分。それまでに私はこの腕から逃げおおせることは出来るだろうか。それとも、川西くんの腕に収まってしまうんだろうか。
答えはもうわかりきっている気がした。


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