太陽を背負う人

 

おいそれと戻っては来れない場所に彼は行くのだという。
皆徐々に進路が決まり始めたという頃、及川徹が海外へ行くらしいという噂が広がり始めた。それは、風が吹き抜けるようにあっという間に学年中に広まり、果ては学年を超え学校中が知る次第となった。
てっきり、及川は東京の有名な大学にスポーツ推薦か何かで進学するのだろうと思い込んでいた。
東北という枠に収まる人物ではないと思っていたけど、日本という枠をも飛び出すなんて。いったいバレーボールの何が彼をそんなに突き動かすのだろう。考えたところで私には到底わかりそうにもない。

及川徹という人間を、私は小学生の頃から知っている。特別仲が良いわけでも悪いわけでもない幼いころからの同級生。時折一言二言言葉を交わすことはあるけど、あくまで必要最低限。
この高校には、及川と私が顔見知りだって知らない人のほうが多いんじゃないだろうか。
そういえば、IHの予選が終わった頃に一度及川から声をかけられた記憶がある。
「苗字的にさ、俺ってどういう人間?」という漠然とした質問に、少しの間をおいて「バレーが及川を捨てたとしても、及川はバレーを捨てないよね」と答えた。
質問の意図をきちんと汲めていたのかはわからないけど、及川はなるほどと言うようにひとつ頷いて「ありがとう」と去っていった。
きっとあの頃には海外に行くことは視野に入っていたのではないだろうかと思う。なんとなくだけど。
及川が大きな決断をしたと知って、私もずっと悩んでいたことを実行に移す決意ができた。思い立ったが吉日とばかりにすぐネットで予約を入れる。
翌日、及川が一人になるタイミングを見計らって声をかけた。
及川は私の顔を見るなり「やっと切ったんだ」と少し驚いた顔をする。

「うん」
「久々に苗字の目を見た気がする」

前髪、なんで伸ばしてたの。と及川はジッと前髪のあたりを見る。
目が隠れるくらいに長く伸ばしていた前髪は、私の世界を守るブラインドだった。
小学生まで男女入り混じって楽しく過ごしていたのに、中学生になった途端、線引きを求められたことについていけなかった。
だんだん周りが愛だの恋だの言い始め、女の子から女になり始めたのが怖かった。急に大人になることを求められているようで戸惑いが大きかった。
そんな言い訳はいくらでも出てくるけれど、私は私の世界に変化が訪れるのが怖くて視界を覆ってしまった。見たくないものを見なくていいように。

「子供だったの」
「ふうん。ここに来て大人になろうと思ったのは何でさ」
「卒業する前に及川の顔をちゃんと見ておきたくて」
「…じゃあ一番いい顔見てもらわないとだね」

深く追及することなく及川は静かに微笑んだ。
女子に囲まれているときのキラキラした笑顔でなく、何かに挑むようなそんな笑顔。及川徹の本当の笑顔だと思った。
明瞭になった視界でそれは本当に鮮烈に映って、自分の中の名前が見つからなかった感情にやっと名前を付けることができた。
及川を見ると感じていた得体の知れないそれは、羨望でありきっと恋だった。
それ以来私たちは言葉を交わすことなく卒業した。
淡い初恋の時計の針を止め、心の奥底に仕舞い込んだ。きっと時々思い出しては懐かしさに浸るのだろう。あのペールグリーンに想いを馳せながら。


それから数年の時が経ち、風の噂で及川がアルゼンチンで頑張っていること、帰化を選んだこと、そしてオリンピックのアルゼンチン代表になったことを聞いた。
あれから私の前髪は目元を隠すことなく、視界はちゃんと開けたままだ。
オリンピックの熱気が高まる中、私の携帯に珍しい人から連絡が入る。メッセージは同じ大学に進学した岩泉からだった。なんだかんだキャンパスで会うからと連絡先は交換していた。なんちゃらトレーナー(聴き慣れない名称で忘れてしまった)になったと言う岩泉は、オリンピック代表のトレーナーとしてチームに帯同し、しばらく東京にいるらしい。私が東京で就職したことを知っている彼からの会えないかという連絡に特に疑問も持たず了承した。(トレーナーと言えどそんな暇あるの?とも思ったが向こうが言い出したことだしまぁいいかと思うことにした。)


岩泉が指定したのはおしゃれスポットが多い場所で岩泉にしてはミーハーだなぁと思った。なんていうか、歌舞伎町にゴジラ見に行きそうなイメージ。大人になったのかな、と待ち合わせ場所に立っていると「おまたせー!」と明らかに岩泉ではない人物が近寄ってきた。なんだろう?と携帯から顔を上げると、そこには及川がいた。

「あれ?どうしたの。もしかして誰かわからないとか?」
「…及川」
「わかってんじゃん」
「なんでここに」
「ん?苗字の顔を見ておこうと思って」

岩ちゃんに呼び出してもらっちゃった。殴られたけどね!そう言って及川は快活に笑う。陰のない様子に、向こうでの生活が充実しているのだろうと思った。

「元気そうだね」
「うん。及川も」
「まぁね」

なんで、どうして、わたしになんの用事が、と知りたいことがたくさんあるのに言葉が出てこない。

「まぁ、立ち話もなんだしさ。カフェでも行こうよ」

年単位で話すことあるし、と及川は陽気に肩を竦める。

「もしかして、外国人の男は嫌い?」
「ふふっ、そっか。そうだったね。ううん、嫌いじゃないよ」
「そりゃ良かった」
「私、外国の人とカフェに行くの初めて」
「本当?エスコートできて光栄だね」

そんな軽口を叩きながら、及川がインスタで見つけたというカフェに向かう。
カチリ、どこか遠くで時計の針が動き出した音がしたような気がした。


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