太陽の呪い


音を立てないように慎重に玄関を開けると、外はまだ薄暗くいやに静かだった。
キンと冷えた外気に手袋越しに手を刷り合せながら小走りに待ち合わせ場所に向かう。目的地が近づいてきた時、そこそこ大きさのある人影が見えた。待ち合わせ場所にある自販機の明かりに照らされた彼の横顔はやたらと真剣で、普段見せることの多いおちゃらけた表情が嘘みたいに思えた。

「お待たせ」
「うん。寒いのに呼び出してごめんね」
「別に大丈夫」

太陽も昇っていないような早朝に会うことを求められたとき、私は一瞬迷った。行先も、目的も告げられない誘い。それに、私と彼は元恋人であって今はただのクラスメイトだった。それも、後1週間で卒業式を迎えて終わる関係だ。

『他に好きな人ができた』

そんな、へったくそな優しい嘘で、昨年末の私はフラれたのだ。全部、及川のせいにできるようにと、理由づけされた嘘。

『…どの女?岩子?松子?花子?』

ため息交じりの質問に、及川は苦笑いしながら『随分図体の大きな子たちだね』と気まずそうに頬をかいた。

『ホセのところに行くんだ』
『…うん』

口をへの字にしている私に及川は『ごめん。でも譲れないことだから』と告げる。

『そう。じゃあ仕方ないね』

物分かりの良い返事をしたのは、せめてもの意地だった。


「こっちだよ」

そう言って及川は歩き出す。私も、素直にその背中について歩き出した。会話は無い。聞きたいことや言いたいことは沢山あった。スペイン語の勉強はどう?とか、住む場所決まったの?とか、私、遠距離でも頑張れるよ、とか。でもどの言葉も少なからず彼を責める色がまじってしまうことは間違いなかった。
だから、言えない。
別れしか選択が無いのなら、私はせめて、彼のきれいな思い出になりたかった。

長く緩やかな坂道を登っている内に少しだけ空が白んできたのがわかる。もうすぐ、太陽が昇る。

「着いた」

呟きのようにも思える及川の声に足を止めると、いつの間にか坂のてっぺんに到着していた。

「見て」

及川の指差す方向、そちらには朝日が世界を眩しく照らしながら昇り始めていた。

「きれい…」

思わずこぼれた言葉はなんの計算も思惑もない素直な気持ちだった。朝日が引き連れてくる夜明けの色と、月が従える夜の色が混じる空。目が痛いほどの陽の光。赤でもオレンジでも紺色でも無い空。自然だけが出せるグラデーション。

「…朝走ってる時に偶然見つけてさ。日本を離れる前に名前と見ておきたいなって思った」

そう言う及川の横顔は晴れやかで、あぁもうこの人に心残りなどないのだと悟らせた。

「なんで…そんなこと」

ここに来たら及川のこと思い出しちゃうかもしれないじゃん、と唇を尖らせる。

「思い出してよ」
「はあ?!」
「名前にひとつ呪いをかけとこうと思って」

俺のことを忘れない呪い。呪いというおどろおどろしい言葉に似つかわしくない笑顔で及川はそう言った。

「サイテー」

苦々しい表情でそう言った私に及川はただ笑った。
こつん、と及川の手の甲が私の手の甲に触れる。手は、握られなかった。ただ触れ合ったまま、私たちは太陽が昇りきるのをただ見ていた。
黄金色の朝日はやたらと眩しくて、泣いてるのは眩しすぎるせいだと、そう思った。

少しだけ柔らかでぬくもりを運ぶ風が、春の訪れが近いことを気づかせる。静かで頬を刺すように冷たかった冬の風は、すっかりなりを潜めていた。確かに、桜の木々は葉を落とし寒々とした様子だったけれど、そのつぼみは膨らんでいて春へ進んでいると感じさせる。
日の長さも変わり、ゆっくりとゆっくりと、日々は新しい春へと準備をしていた。若葉が芽吹き、桜の花びらが風に乗って舞い踊る春。

その新しい春に及川はいない。


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