ご主人様とドレイちゃん

その姿が目に入った瞬間、望んでいた静かな高校生活は叶わないかもしれないと思った。可能性は考えなかったわけじゃない。だけど、偶然同じ高校に入学するなんてそうそう無いだろうと考えていた。

小学生ぶりに戻った故郷。真新しい制服、真新しいローファー、真新しい顔ぶれ。その中に見知った同じ顔が2つ。眠たそうな金色と、ダルそうな銀色。
入学式の群衆の中、嘘みたいにバチっと目線があった。驚いたように見開かれた目は、すぐニンマリと弓形に変わる。「見ぃつけた」と金色の彼の唇が動いた気がした。反射的に身を翻して人の群れに溶け込み掲示板で発表されたばかりの教室へ向かう。きっと気のせいだ、覚えてないかもしれないじゃない、と自分に言い聞かせながら廊下を小走りに駆ける最中、

「うっさいねんブス!!」

あの時の、彼の最後の言葉が頭の奥で警報みたいに鳴り響いていた。

何かと目立つ金と銀の双子を避けるのは思いの外容易だった。もともと目立つ存在な上に、2人の長身も幸いして何処にいるかが分かりやすい。稲荷崎はただでさえ学生が多い高校だし、高校からこちらに戻った私を知る人もほとんどいない為、人伝に聞いて見つかることもないだろうと思い直す。そもそも私を探すとも限らないし。
同じ中学からの進学者が1人もいないということに孤独感を感じていたけど、偶然にも小学生の時の同級生が同じクラスにいて声をかけてくれた事で友達を作ることができた。このまま上手く隠れていれば、静かに高校生活を送れるかも知れないと期待を抱く。
だけどそんな期待はたった2週間で崩れ落ちた。



「見つけたで名前」

入学して2週間目の昼休み。小学生時代の同級生ルリちゃんとお昼を過ごしていると、廊下から黄色い騒めきが聞こえてきた。何事かと顔を上げたと同時に教室の入り口から聞こえた声にギクっと体が強張る。入学当初から彼とその片割れは双子であることを差し置いても、その整った顔立ちで充分に知られた存在だったから思わぬ有名人の登場によりクラスにさざなみのように騒めきが広がった。

「無視せんといてや、俺とお前の仲やろ?苗字名前ちゃん」
「…宮くん」

動けずにいた私にその長いコンパスで近づいた彼は、ニッコリと私の横に立つ。意味深な言い方しないでほしい。ルリちゃんも「侑何しにきたん?」と怪訝そうな顔をしていた。

「宮くんて、そんな他人行儀な呼び方せんで前みたいに侑くんて呼び」
「あんときは子供やったし…」
「なんやねん冷たいなぁ」

春田にお前がおる聞いてわざわざ会いにきたんやで?と彼は空いていた隣の席に腰を下ろした。
私の微妙な顔を察してか、ルリちゃんが「昨日廊下であった時、侑に名前ちゃんのこと聞かれて答えてもうた。ごめんな」と謝罪する。特に口止めしてたわけでもないし「ううん、大丈夫やで」と返した。ルリちゃんは何も悪くないもん。

何をしにきたのかと、警戒しながら彼を見るが相変わらずニコニコと楽しそうにしている。近くにいるクラスメイトがチラチラとこちらを伺う気配がして落ち着かない。

「何にも言わずに転校しておらんようなって、俺悲しかってん」

悲しそうな表情がわざとらしい。しかしその表情はすぐパッと明るいものに変わる。

「でも、こうして戻ったやん?せやからご主人様が迎えにきたで。ドレイちゃん」


ニッコリ。
この日1番の笑みと語尾にハートがついていそうな言い方で放たれたセリフに再度騒めきが広がる。わざと人がいる時間に来て、まわりに聞こえるように言ったに違いない。そういう周到なところ、子供の頃から変わってない。

「…もう時効やろ。そんな馬鹿げたこと高校生にもなって続けるん嫌や」
「時効なわけあるかい。お前約束守らへんのか」

そう言われると悪いことをしてる気分になるのはなんでだろう。ルリちゃんは「ドレイって、そういや小学生ん時そんなこと言うてたなあんた。いつまで引きずんねん」と呆れていた。彼は「お前、俺がここに来てあんま驚いてへんかったな。俺が同じ高校って気付いて知らんぷりしてたやろ傷つくわー」と追撃の手を緩めない。うっ、とまた良心が痛む。一瞬惑いを見せた私に気付いてか、彼が私の右手首を強い力で掴む。

「今度は逃さへんで名前」
「宮くん、痛い」
「な、小学生ん時破った約束今度は守ってや」
「なにしてんの侑。手ぇ離したり!」
「黙っとけ春田。俺らん事に首突っ込むな」
「痛がってるやろ!」
「俺が飽きるまでや」

俺が飽きるまで、ちゃんと約束守ってや。と掴んだ手の力を緩めずに彼が迫る。じっと見つめてくる瞳から視線を逸らせない。
ルリちゃんが心配そうに、クラスメイトが興味津々に私たちを見守る中、根負けした私はまぁすぐに飽きるだろうとタカをくくり「…わかった」とため息交じりに白旗を上げた。


小学生の時も双子の宮兄弟はそれなりに目立つ存在だった。私も割と話す仲ではあったけど、侑くんと仲良くなったのは彼に助けてもらったことがあるからだ。

清掃の時間、昇降口の外へ砂を掃いていると、側溝の隙間からにょろりと黒いモノが現れた。
百足、と書くくらい足の多いそのビジュアルに悲鳴を上げた私は、腰が抜けてその場に尻餅をついてしまった。黒いニョロニョロは、そんな私の方へずるりと近づく。前に近所のお兄ちゃんがソレにやられて足が酷いことになっていたのを見た経験があった為、近づくソレへの恐怖はひとしおだった。逃げようと力の抜けた体を叱咤してなんとか立とうとするけど、また尻餅をついてしまう。もうダメだと諦めかけた瞬間視界から急に黒い恐怖が消えた。

「大丈夫か名前!」
「侑くん…」
「箒で吹っ飛ばしたったから、もうおらんで」
「…あ、ありがと」

近くの廊下を掃いていた侑くんは、私の悲鳴を聞きつけていとも簡単にムカデを倒してくれた。ホッとする私を侑くんは手を引っ張って立ち上がらせる。

「すごいなぁ侑くん。ムカデ怖ないんや」
「おん、平気やで」
「そっかぁ。ありがとな。侑くんヒーローみたいでむっちゃかっこよかったわ」
「そうか?」
「ほんまやで!」

侑くんは照れた様子で首の後ろをかいたかと思うと「ヒーローかぁ、ええな!」とにパッと笑った。

「いつでも名前んこと助けたる!」
「ほんまに?ありがとう」

嬉しい、侑くんは私のヒーローやね。と笑えば侑くんは意気揚々と胸を張った。
そんな出来事があってから、侑くんはなにかと私を構うようになった。私も我先にと駆けていく彼の背中を追いかけるのは嫌いじゃなかったし、仲良しが増えるのは素直に嬉しかった。

そんな関係がおかしくなり始めたのは小学生5年生の時だった。
たまたま、一つ上の近所のお兄ちゃんにバレンタインチョコを渡しているところを侑くんに目撃された。毎年のことなので、もはやただの義務チョコと化していたそれをみた侑くんは「俺にはないんか」と聞く。

「あ、ごめん。侑くんには作ってないねん」

正直に謝るが侑くんの機嫌は治らない。

「…まぁええわ。お前に貰ても嬉しないし。アイツもお前みたいなブスからチョコ貰ても嬉しないと思うで」

そう言い残して侑くんは走り去っていった。サラリとブスと罵られた事にショックを受けた私は、その翌日から侑くんによってブスやのろま扱いを受ける事になってしまったのだった。


「はよせぇのろま!」
「どこみてんねんブス!」
「お前まさか真面目に走ってそのスピードなんか?亀のが速いで」

などなど、侑くんの罵倒は今思えば小学生のボキャブラリーなので可愛いものだが、当時の私はそう言われるたび涙目になって堪えていた。純粋だ。今なら無視すると思う。
そんな中、6年生になった私は突然侑くんからある提案を受ける。

「名前、次のテストの点数勝負しよ」
「なんで?」
「負けたら勝った方の言うこと聞くねん!」

おもろいやろ?という意見には賛同しかねたが、成績的には明らかに私が有利だった。
つい、勝てば前みたいに仲良くしてもらえるかもと期待してしまった。これで勝てば、罵倒されたりスカートをめくられることも無くなるだろうと。
そして愚かにもその提案を飲んだ。

後日、勝てるだろうと余裕をこいて受けた算数のテスト、結果はまさかの1点差での敗北。後で片割れに聞いたところによると、珍しくめちゃめちゃ勉強していたらしい。勝ちへの執念がすごい。
結果に驚愕する私に、侑くんは「名前はこれから俺のドレイや!俺の言うこと聞いてずっと俺の側におるんやで」とテストを見せながら告げた。

「えぇ!いややー!」
「なんでや!約束は守らんとあかん!」
「侑くんいじわるなんやもん」
「いじわるちゃうし。むっちゃ優しいやろ」

どの口が、と思ったが約束は約束だからと押し切られ抵抗は早々に諦めた。これからのことを思うと憂鬱だった。

ドレイといっても、小学生の考えることだから、宿題見せろとか、荷物運べとかそんなレベルで、周りに私を従えていると見せつけるような物が多かった。自分を強く見せたかったんだと思う。
相変わらず、ブスだとかのろまだとかの罵倒は続いていてもう前みたいにただ楽しく遊ぶのは無理なんだなぁと切なくなった。


そんな時に告げられたのが、親の転勤だった。6年生の3学期というはちゃめちゃ微妙な時期ではあったが隣の県に行く、と告げられた時私が考えたのは、侑くんになんて言おう、と言うことだった。どういっても怒りそうだな、と頭を抱える。
言うタイミングが見つからないまま、日にちだけが過ぎていく。
引越しの日が迫るある日、件の近所のお兄ちゃんから選別にとプレゼントをもらった。素直に喜んでいると、いつのまにか侑くんが家の前に立っていた。治くんも一緒だったから帰宅途中かなにかなんだろうと思う。そうだ、転校の話をしようと侑くんに近づき口を開いた。

「侑くん、あの「うっさいねんブス!!」

面白くなさそうな顔をしていた侑くんは、そう言い放つとダッとどこかへ走っていく。その背中を「おいツム!!」と治くんも追いかけていった。走っていくその背中でパタパタ動くランドセルの蓋に、「侑くんまたランドセル閉めてへん…」と心配になった。ブス!と言われる事には、もうすっかり慣れてしまっていた。
結局、侑くんに転校のことを告げられないまま私は生まれた街を去ったのだった。

中学生を引越し先の街で過ごした私は、友達もできて誰かにパシられることもない普通の学校生活を送ることができた。そして再び親の転勤でこの街に舞い戻った。そのせいで、また侑くんにドレイ扱いを受けるなんて誰が想像できるだろうか。
どうしたもんか、と思いながら「ほなまた連絡するわ」と私の連絡先が入った携帯を振りながら去っていく侑くんの背を見送るしかなかった。
ルリちゃんは「侑のバカのことなんか無視したったらええねん!アイツ小学生から進歩してへん!!」と怒り狂い、変なこと言われたら私に言い!シメたるからな!と頼もしいことを言ってくれた。そんな面倒見のいいルリちゃんと高校生でまた仲良くなれたことを嬉しく思った。
侑くんのせいで私と侑くんの隷属関係はクラスを超えて学年に広がってしまい、私はひとたび廊下を歩くと遠巻きにひそひそ言われるようになった。私に直接何かを言ってくる子がいるわけではないので、もう放置している。気にしないほうが精神衛生上良いと気が付いた。

ドレイとは言うけど、侑くんの命令とやらは小学生の時とさほど変わらない。課題を見せたり、購買でパンを買ってきたり、試合に差し入れ持って来いだったり。正直、侑くんを「侑ぅ」と呼んでちやほやする爪の先までピカピカの女の子たちのほうが喜んで引き受けてくれると思う。

「宮くん」
「なんや。あと侑くんて呼べ」
「彼女つくったらどう?」
「なんや急に!?ていうかお前いつまで侑くんて呼べいうん無視すんの!?」

侑くんは枕にしていた私の膝からガバッと起き上がって、驚いた顔で私を見る。

「いや、私に命令してることって彼女作ったら解決すると思て。あと宮くんは宮くんやから」

そういうと侑くんはつまらないといった顔でまた私の膝を枕にする。昼休みに空き教室の床で私に膝枕をさせるのがここ最近の侑くんのブームだ。
最初は戸惑ったけど侑くんが大人しくなるので好きにさせている。寝顔はかわいいし。ちなみに、頑なに宮くんと呼び続けるのは侑くんへのささやかな嫌がらせだった。

「お前にさせるから意味あるんやろ。ご主人様の命令にケチつけるな。宮くんて呼ぶんやめろ」
「はいはい」
「流すな!」
「も〜寝えへんなら教室もどるで」
「…寝る!!!」

勢いよく就寝宣言した侑くんはギュッと目を閉じる。スポーツする体なのにこんな固い床で寝て大丈夫なのかとも思うけど、仮眠程度だから問題ないのかもしれない。昔から顔は整っていたけど、高校生になった侑くんは上背が随分と立派になっていて、男の子から男の人に変化していってるんだなと感じさせた。中身は小学生から変わってなさそうだ。
思わずトントンと小さい子にするように胸元を叩いてやれば、唇を薄く笑みの形にして「名前ん太もも柔いなぁ」と言うので「誰がデブや」と額をスパンと軽く叩いておいた。

高校生になった侑くんは接触が多くなった、話しかけてくるとかそういうのじゃなくて物理的に触れてくる。膝枕もそうだし、横に並んで話しているときに肩や頭を肘置きにされたり、背中側から顎を頭に乗せてきたり。重たいからやめてと言っても聞き入れられない。こっちだってドキドキしないわけではないのだ。昔馴染みとはいえ顔も体格も上等な男の子が至近距離にいたら、きっと誰だって一瞬くらいときめく。それもきっと気の迷いだと信じたい。
人前でそれだけ触れ合っていても彼女だと言う噂が出ない上、女の子からのやっかみもほぼないのは、ドレイというワードのパンチのおかげだろう。侑くんはただ、ドレイの私を所有物として扱っているだけだから。



「苗字さんちょっとええ?」
「うん」
「委員会やねんけど」

明くる日の昼休み、侑くんのところへ行こうかと教室を出たところで他クラスの同じ委員会の子に呼び止められた。委員会で知り合った話が面白くて付き合いやすい男の子だ。なんでも委員会のペア分けが急遽変わったらしい。委員会の面子は割と仲が良いから相手が誰でも大丈夫だろうなぁと彼の説明を聞いていると「おい」と後ろから肩を掴まれた。

「全然来えへんと思ったら何してんねん」
「あ、今な原田くんに委員会の話聞いててん」
「ふーん。終わったんか?」
「おぉ、宮か。終わったで。あ、苗字さん連絡先きいてもええ?」
「うん?ええけど」
「いやな、今度委員会の何人かでスイパラ行こ言うてんねん。苗字さんも行こ」
「わ、楽しそう」

行きたい、と携帯を取り出そうとする私の手を侑くんが押さえる。

「あかん。いくで名前」
「えっ、ちょっと待ってよすぐ終わるやん」
「あかんもんはあかん!お前は俺んやろ。ドレイやったら言うこと聞け」
「ちょっと、」
「早よ来いブス!」

そう言って私の腕を引っ張り侑くんはズンズン廊下を進む。後ろを振り返ってゴメンとジェスチャーすれば、原田くんはオッケーと返してくれた。やっぱり人がいい。
ズルズルと引きずられていった空き教室で、ドン!と壁に押し付けられる。

「いった「名前お前いつもあんな風にしとんのか」
「な、なにが」
「男とホイホイ連絡先交換しとんのかいうとんじゃ」
「そんなことないけど」
「…ふーん」

私の答えに満足したのか、押さえつける力を緩めた侑くんは、脱力したように首筋に顔を寄せる。クラスの男子何人かと連絡先を交換しているのは黙っていたほうがよさそうだ。

「お前…どうやったら俺のモンになんねん」
「なに言うてんのちゃんとドレイしとるやん」
「いや…まぁ今はそれでええわ。名前、俺の許可なしに彼氏作ったらあかんで」
「横暴!それ私の自由やろ」
「なんや!好きなやつでもおるんか?!」
「おらんけど…」
「ほんならええわ」
「宮くんの言う通り私はブスやし、モテへんから彼氏とかできんと思うねん」

ブス!と言われすぎてなんかもう、あぁ私ってブスなんやと受け入れてしまった。

「はぁ?」

それを聞いた侑くんは、いかにも心外ですと言う声を上げる。

「なに真に受けてんねん。名前は可愛ええやろ」
「え?」
「あ、」

聞き間違いかと思いつい聞き返す。

「今なんて?」
「何も言うてへん」
「いや嘘やろ!」
「うっさいねん!言うてへんもんは言うてへん!」

お前の空耳や!とギュッとしがみつかれる。抱きしめられた、と感じないのは、思いっきりのし掛かられているからだろう。重みでズルズルと侑くんごと床に座り込む。なんだか大型犬に懐かれてるみたいな気持ちになってきた。

「侑くん重い」
「おま、名前」
「宮くん」
「なんで戻すん?!」

私も動揺していたらしく、うっかり侑くんと呼んでしまった。

「私可愛ええの?」
「うっさい。お前はごちゃごちゃ気にせんと俺の側におったらええんや。また急におらんくなったりすんな」
「宮くんの態度によるかな」
「…ドレイの癖に生意気やぞ名前」

ご主人様に似たんやろ、と言い返せば、ほぉん?と侑くんは面白そうに笑う。
まるで私に捨てられるのを恐れているかのような様子に、昔お別れも言わずに引っ越した罪悪感で胸が痛んだ。

「侑くん」

名前を呼べば、バッと顔が上がる。

「私はここにおるよ」
「…せやな」

存在を確かめるように腕に力を込められる。早々に飽きられて終わると思っていたこの関係。なんだかもう少し続いてしまいそうだ。


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