好きって言ってよ

「帰るの?」

さて帰り支度をしようかと立ち上がった所で聞こえた言葉に、上着に延ばしかけた手がピタリと止まる。
声の主の方を見ると、プレイ中のゲーム画面から目を離すことなくこちらに背を向けたままだった。なんで帰ろうとしてるのがわかったんだろう。背中に目でもついてるみたい。

「そろそろ暗くなってきたし…」

言葉尻を濁しつつハンガーから上着を取る。すると彼はゲームをする手を止めて此方を振り返りつつ再び「帰るの?」と問うた。
研磨くんはズルい。こういう時絶対「泊まっていきなよ」とは言わない。私から言うように仕向ける。研磨くんが一言言ってくれれば、私は頷くだけなのに。だって、此処には替えの下着も服もスキンケアも歯ブラシだってある。いつ泊まったってなんの不自由もない環境だ。私がもっと研磨くんと一緒にいたいって見抜いて言っているのがタチが悪い。

「…研磨くんが良ければ、泊まってもいいかな」
「いいよ」
「ご飯適当に作るけどいい?」

結局誘惑に負けて泊まることになってしまった。私が馬だったら、人参ぶら下げられた時めちゃめちゃ走っちゃうタイプの馬だろうな。誘惑に弱い。家族に今日は外泊する旨をメールしつつ夕飯の是非を問うと「名前の作るご飯なんでも美味しいからいい」とこれまた手元のゲームに視線を落としたまま返事が来た。その言葉は嬉しいけど、こっちを見てくれないのは少し寂しい。研磨くんが好きなことにまっしぐらなのはそれなりの付き合いで理解してるけど、寂しい時だってある。食材何があったかなと冷蔵庫を覗きつつ献立を考えていく。研磨くんとお付き合いを始めて5年目。未だになんで研磨くんが私と付き合ってるのかわからないでいる。いつまでも解けないその疑問と、最近モヤッと抱えている不安をぶつける様に硬いカボチャを思いっきりズドン!と瓦解させた。



「美味しかった。ありがとう」
「お粗末さまです。味付け濃くなかった?」
「うん。大丈夫」

ペロリと夕飯を平らげた研磨くんは、小食とは言うものの私からしたら充分たくさん食べる方だと思う。あっという間に夕飯は胃の中に消えて、空いた皿を台所へ下げてくれた。

「シャワー浴びてくる」
「え、う、うん」
「…なに」
「なんでもない」

動揺を誤魔化して笑顔を向けると、研磨くんは片眉を上げたまま「ならいいけど」と浴室へ向かった。泊まることになった時から薄々思ってはいたが、今ので確信した。今日はシたい日だ。
ちょっとわかりづらい研磨くんの機微の中で、私がわかるいくつかのひとつ。研磨くんが先にシャワーを浴びるときは大抵そうなるから、思わず動揺してしまった。研磨くんって昔からあまり性的なものを感じさせないから、初めてそうなったときは、研磨くんも性欲あるんだ?!と驚いてしまった。出会った頃は中性的な男の子だったのに、大人になった今はすっかり余裕と色気のあるお兄さんになってしまった。そんな研磨くんに私はずぅっとドキドキさせられている。

研磨くんと私が出会ったのは、まだ彼を孤爪くんと呼んでいた高校2年生の頃。同じクラスになったのがキッカケだった。中性的で、他の男子みたいにバカ騒ぎもしない研磨くんは割と最初から警戒心0で話しかけられるクラスメイトだった。大人しくて、マイペース。そんな印象が変わったのは、その年の春高の応援に行った時だった。コートの中を懸命に駆け、ボールを上げる研磨くんの姿は普段と全く違っていて、なかなかの衝撃だった。チームメイトと奮闘する姿に、あんなに一生懸命になるんだ、あんなに必死な顔するんだ、孤爪くん負けず嫌いの男の子だったんだ、と別人を見た気持ちだった。残念ながら敗退してしまったけれど、私を恋の沼に突き落とすには充分な試合内容だった。大人しくて話しかけやすいクラスメイトはたった数時間で、カッコイイ男の子に変わってしまった。
昂った気持ちを抑えられなくて、3年に上がる直前研磨くんに想いを打ち明けた。このタイミングなら、例え振られてもクラス替えがすぐにあるから気まずくないと言う打算もあった。好きだと気持ちをぶつけた私に、研磨くんは驚いた後、すぐに困った顔になって気持ちには応えられないと告げた。

「ごめん。今は彼女とかそういうの考えてない」
「大丈夫。私こそ急にごめんね」
「…なんで、俺のこと好きになったの」
「えっとね、春高の試合見て、一生懸命な孤爪くんがすごくかっこいいなって思ったの。すごく根性のある人なんだなって」
「俺は…根性の使い手なんかじゃないよ」
「私からしたら、充分その、根性の使い手?ってやつだったよ」

その時の研磨くんは鳩が豆鉄砲食らった様な、変な顔をしていた。あぁ、なんか変なこと言っちゃったんだなと自己解釈した私は時間とってくれてありがとう。とその場を終わらせた。
そして、直後のクラス替えで再び同じクラスになってしまい、声にならない悲鳴をあげることになる。これはもう研磨くんから腫物のように扱われるコースかなと悲観していたが、そんな予想を裏切るようにそれまでと変わらず接してくれた。そして、卒業間際のある日、偶然清掃時間に2人きりでゴミ捨てに行くことになった。私は1年前の気まずさなんてすっかり忘れていて、呑気に卒業式後のクラス会の話題を振れるまでになっていた。研磨くんは行かないと答え苗字さんは?とこちらを見た。篠田に一緒に行こうって誘われてたよね、と。確かに、場所がわかるか不安だと言う話をしたらクラスメイトの篠田くんが一緒に行くと手をあげてくれたのだ。

「あぁ、うん。場所わかんないから連れてってくれるんだって」
「そう」
「親切だよね」
「…下心だよ。篠田、苗字さんのこと気になってるらしいから」
「えっ?!」

寝耳に水だった。というか、それ本人にバラしちゃダメなやつじゃ?と頭に疑問符を浮かべていると、研磨くんはポイとゴミ袋を指定の場所に放ってこちらを向いた。

「なんか、苗字さんと篠田が並んで仲良く歩いてるの想像したら面白くないんだよね」
「え、」
「本当にクラス会行くの?」
「いや、まだ返事してないけど…」

でも、友達も行くだろうし…と口籠っていると、研磨くんは薄く笑って「俺と篠田どっちを取るの?」と聞いた。思えばこの頃からズルかった。そんなふうに聞かれたら、眠っていた恋心はパッチリ目を覚ますに決まってる。ジッとこちらを見る眼力に気圧されて「こ、孤爪くん…」と答えを絞り出した。すると、研磨くんは「わかった」と一言いうと校舎に向かって歩き出す。慌ててその背中を追いながら、内心どういうこと?!と大パニックだった。結局クラス会はお断りして、その時間は研磨くんと過ごしたのは懐かしい思い出だ。
それから2人で会うことが増え、私のなんてことない連絡に返事をしてくれるようになり、交際を申し込むはっきりとした言葉は無いけど、私と研磨くんは順調に交際をスタートした。交際、そう交際のはず。最近引っかかってるのはソレだ。付き合い始めて少し経った頃、ばったり会った黒尾先輩に、研磨くんは私のことを「友達」と説明したことがある。それに、好きとか愛してるとか、それに準じる台詞を聞いたことがない。それで5年も一緒にいるのか、と言われそうだが、惚れた方の負けという言葉をお返ししておく。そばに居られる方が重要だった。
だけど、人間は欲深いもので心の隙間を埋める言葉が欲しいと思い始めてしまった。その隙間に不安が入り込まないように。
私たちの交際は、互いの大学が違うこともあってスローペースで、1年くらい手を繋ぐとか身を寄せ合うとかくすぐり合うとか、スキンシップはその程度だった。キスも割と長い期間バードキスのみだったし。それが、ある日研磨くんの一人暮らしのお家で取り留めのないことを話していたら、いつものように私の手の甲をくすぐるように動いていた手が撫でるように肩まで登って行った。びくりと反応した私に、研磨くんは「嫌だった?」と顔を覗き込む。擽ったいだけだったので「嫌じゃないよ」と返すと、「そう」と口付けられる。そしてそのまま深いキスへ移行し、驚いているうちに一足跳びに初体験まで済ませてしまった。正直この時、ドキドキする以上に「研磨くん性欲あるんだ?!」とびっくりしていた。一度経験してしまえば、その行為はすんなりと私たちに馴染んで今ではまぁ、その、それなりに回数もこなしている。特に波風もなくて順調な交際だと思う。友人にも安定してて羨ましいと言われる。だけど、確かな言葉を貰ったことのない心の中で、たまに不安が鎌首をもたげる。私って、都合の良いオトモダチじゃないの?と。

「名前?」
「わっ」

夕食後の片付けをしながら、随分ぼんやりしていたらしい。背後から聞こえた研磨くんの声に驚いて振り返れば、髪が濡れたままの彼がタオルを肩にかけて立っていた。乾かさないと風邪ひくよ、と言えば、名前もシャワー浴びておいで、と返される。微妙に噛み合ってない気がする。食器を洗って濡れた手を拭いていると、何か言いたげな研磨くんが視線彷徨わせているのに気がついた。どうしたんだろう?と様子を見ていると、ポスンと正面から抱きつかれる。背中をポンポンとあやすように手で叩きながら、最近こういうの多いなぁ疲れてるのかなぁと心配になった。何か言いたげな研磨くんが、何も言わずにただくっついてくることが度々あるので、お仕事大変なのかなと心配しているのだが、本人が何も言わないのでそっとしている。研磨くん、あんまり詮索されるの好きじゃないし。しばらくそうしていると、研磨くんの手が私の背に伸びて、服の上からプツンと下着のホックを外した。なんて器用なことを。最初うまく外せずに悪戦苦闘していた男の子はどこに行っちゃったんだろう。てこずっている様子に「私がしようか?」と聞けば、悔しそうな顔で「いい、自分でやる」と返されたのが今となっては可愛く思える。それから比べたら格段にレベルアップしたなぁ。

「名前、早くシャワーいってきなよ」
「うん」

スッと身を離した研磨くんに促されるままに浴室へ向かった。ついついスキンケアの類が念入りになるのは乙女心というやつだろうか。寝る支度を済ませて寝室を除けば研磨くんはベッドの上で、夕飯前とは違うゲーム機をプレイしていた。ほんと、何個ゲーム持ってるんだろう。

「名前」

私に気が付いた研磨くんが、布団をめくって空いたスペースへ誘う。この瞬間はいつもひどく照れ臭い気持ちに襲われる。自らまな板の上に上がるようなそんな感覚。ベッドについた私の手に、研磨くんの手が重なる。そうすれば後は身をゆだねるだけ。


部屋に響く甘えた声が、とても自分から発せられていると思えない。恥ずかしくて堪えようにも素直な声帯は正直に反応を返してしまう。研磨くんはその観察眼でもってこちらの反応を注意深く観察しながら、私の体をまるでゲームを攻略するかのように暴いていく。私はいつも研磨くんの起こす波の中で、ただただ溺れないように必死に息をするので精一杯だ。
言葉数が多くない研磨くんの瞳に灯る欲望の炎が私に向けられていることに、ほの暗い悦びを覚えてしまう。必要とされてる気持ちになる。研磨くん、好き。大好き。研磨くんは私のこと好きですか?そんな簡単なことも聞けないのってなんて情けないんだろう。少しずつ月日をかけて積もっていった小さな不安が些細なきっかけで雪崩を起こして溢れ出す。

「名前どうしたの」
「え?」

驚いた顔の研磨くんが動きを止めて私の顔を覗き込む。目尻を手で拭われて初めて、自分が泣いていることに気が付いた。

「痛かった?」
「ううん」
「じゃあ、嫌だった?」

そうやって確認する研磨くんは珍しく動揺しているみたいだった。そりゃコトに及んでる最中に突然泣かれたら動揺もするだろう。

「嫌じゃないよ」
「どうして泣いてるの」
「なんでもない」
「だめ、ちゃんと言って。俺は名前に無理させてまでシたいわけじゃないよ」

心配そうな研磨くんの表情にまたちょっと泣きそうになる。そんな顔するのズルいよ。大事なもの、扱うみたいに頬を撫でないで。ますます研磨くんから離れられなくなる。
言うまで許されそうにない雰囲気に、おずおずと口を開いた。

「どうして、研磨くんは好きって言ってくれないの?」
「え、」
「態度で、示してくれてるのかもしれないけど、年々自信がなくなるの。なんで付き合ってくれてるんだろう、私は研磨くんのなんなんだろうって」

黒尾先輩にも、友達って紹介されたし。と胸の内を吐露する。研磨くんはバツが悪そうな顔で「…ごめん」と目線を下げた。そして「あ―……」と声を上げたかと思うと額を私のそれにコツリとつける。

「…好きだよ。名前には手の届く範囲にいて欲しいから一緒にいる。他の人の横に立ってほしくないから、付き合って側にいてもらってる。クロのことは、その、冷やかされるのが嫌で、友達って誤魔化した。ごめん。」
「…ほんと?」

心臓が痛いくらいにキュッとなった。嬉しいとこんなに胸が苦しいのか。やっともらえた言葉がもっと欲しくてつい疑ってる風の返答をしてしまった。私も研磨くんのこと言えないくらいズルい。
研磨くんは何を思ったのか「ちょっと待ってて」と下履きだけを身に着けてベッドを出て行ってしまった。どうしたんだろう。心細く感じながら、待っている間にごそごそと衣服を身に着けてしまった。

「名前、これ」

戻ってきた研磨くんは手に持ってきた何かを私の手に握らせる。硬い感触を不思議に思いながら手を開くと、コロンと銀色の鍵が転がっていた。

「これって…」
「ここの鍵。ずっと渡そうと思ってた。けど、もし断られたらって思うとなかなか渡せなかった」

研磨くんは気まずそうに視線を泳がせる。そこでやっと、最近何か言いたげだった理由を理解した。断るわけないのに。研磨くんから与えてもらえるものはなんだって嬉しいのに。

「…その、ここで一緒に暮らさない?」
「研磨くん…!」
「わっ、と」

感極まって研磨くんに抱きつくと、勢いに少しグラつきながらも受け止めてくれた。背中をさする手の恐る恐るという動きは何年経っても変わらない。研磨くん、私に断られるのが心配なくらい私のこと好きなの?本当に?夢じゃない?
ズルいよ。もっともっと好きになってしまう。

「住む。研磨くんとここに住みたい」
「そっか」

ホッとしたような声の研磨くんはそっと私の左手を取って薬指を撫でる。

「ここ、もうちょっとだけ空けといて」

選ぶときは一緒に行って名前の好きなのを買おう。と、研磨くんは少し瞳を細めた。嬉しいが上限突破してどうしたらいいのかわからない。抱きつく力を強くすると研磨くんはちょっと笑いながら「苦しいよ」と私を抱きとめる腕に力を込める。

「明日、一緒にキーケース買いに行こう。この鍵用のやつ」
「うん、いーよ」
「あ、…続き、する?」
「もう寝よう。明日買い物行くし」

問いかけにちょっと照れまじりの困った表情を返した研磨くんは、少し強引に私を抱きしめたままベッドに倒れ込むと、そのまま瞳を閉じた。ぬくぬくとした体温に私もだんだんとまぶたが重くなってくる。不思議、研磨くんの言葉ひとつであんなにチクチクしていた気持ちがこんなに穏やかになるんだ。ずっと、側にいていいんだ。明日目覚めたら、朝はちょっと寝坊助な研磨くんの頬にキスをして、おはようって言おう。そうしてきっと、それが日常になっていく。そんな当たり前を一緒に増やしていきたい。そんなことを思いながら、私を包む心地よい体温に微睡んだ。


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