王子様は意地悪

うちの学校には王子様がいる。

長身で眉目秀麗でスポーツが得意で、女の子に優しい王子様みたいな男の子。
そんな青城の有名人である及川君と私は3年生にして初めて同じクラスになった。3年生になっても、今まで見かけていた姿や噂に違わず及川君は行く先々で女の子に囲まれては、その関心を引こうとアピールされまくっている。及川君はどんな時も笑顔で対応していたので、いつも偉いなあと思っていた。

そう、及川君は女の子に優しい。ただ一人、私を除いては。

隣の席の及川君の話をさせてほしい。もちろん青城の王子様、及川君と同一人物なんだけど、ある時から別人のようになってしまった。
それは、多分というかほぼ確実に私に非があるのだけど。春、最初の席替えで隣になった時は「苗字さん」や「苗字ちゃん」なんて呼んで私にも他の女子生徒と変わらずニコニコと対応してくれていた。私はというと、学校の有名人と隣の席になるなんてと恐縮すると同時に、ちょっとワクワクしていた。芸能人のプライベートを覗き見るようなドキドキ感に似ていたように思う。今となってはすっかりビクビクである。
及川君もすっかり私のことは「苗字」と呼び捨てるようになっていた。私が教科書を忘れれば机をつけて見せてくれながら「苗字時間割みてないの?」と鼻で笑われるし、消しゴムを落とせば「どんくさいなあ」と小馬鹿にしながら拾って渡してくれる。お昼休みにお弁当をつつきながら「最近料理の練習してるからお弁当自分で作ってるんだ」と友達に話していた時は、横から卵焼きをかすめ取られ「俺もっと甘いほうがすきなんだけど」と牛乳パン片手にわかってないなぁと言われてしまった。それからはちょいちょいおかずをかすめ取られるのでちょっとおかずを増やすようになった。私の取り分が減るのは困る。
友達は「ちょっと及川!人のおかず取るのやめな!」と怒ってくれるけど、及川君はいつもの顔で「ごめんごめん怒んないでよ〜」と返していた。どちらかと言えば私に謝ってほしい。

廊下を歩いている時なんかは、背中に衝撃を感じたと思ったら両手をズボンのポケットに入れた及川君が後ろに立っていて、その広い胸板で私の後頭部をグイグイ押して歩きながら「歩きながら寝てるの?そんなのろのろ歩いてたらみんなの邪魔だよ。ほらほら急げ〜」と急かされる。それが嫌で今では廊下を競歩みたいに歩くようになってしまった。それでも及川君は私を見つけると膝カックンとか仕掛けてくるのだけど。ビックリするからやめてほしい。

恐ろしいのは、そんな及川君の姿のせいで私が及川君に厳しくあたられる女として知られ始めてしまったことだ。当然及川君のファンからは及川君が嫌ってる女として睨まれるし、バレー部の人からは憐みの視線が注がれる。
私への厳しい態度に友達も「あんた何したの?」と首を傾げていた。

キッカケは私の失言だ。
進級して日が浅い春のこと。職員室で用事を済ませて退出しようとした私を担任が呼び止めた。なんでも、試合のための公欠の件で及川君にプリントを渡してほしいという。お安い御用と引き受けた私はその足で体育館に向かった。そっと体育館をのぞき込めば、相変わらずギャラリーの女の子たちの黄色い声援が響いていて及川君の人気に舌を巻いてしまう。どう話しかけたものかと悩んでいると、ついこの間まで同じクラスだった岩泉君が私に気づいてくれた。

「なにしてんだ?」
「先生から及川君にプリント渡してって頼まれたの」

そう言って手に持ったプリントを見せれば「補修のやつか。俺ももらったわ」と岩泉君は合点がいったという表情で、ちょっと待ってろと及川君のほうへ歩いて行った。サーブ練習をしている及川君を見れば、いつもの笑顔は鳴りを潜めて鋭い視線で相手コートを見据えている。その真剣な表情にギャラリーが色めき立つ。そして、ボールが手から離れたと思うと凄い音のサーブがコートに叩き込まれた。ワッと歓声が上がる。あれ当たったら死ぬやつじゃないかな。サーブを打ち終わったところで岩泉君に声をかけられた及川君は、練習の手を止めて私のほうに駆け寄ってきてくれた。

「ごめん苗字ちゃん」

プリント持ってきてくれたんだって?ありがとね。とファンが卒倒しそうなキラキラした笑顔で及川君はプリントを受け取る。

「及川君がバレーしてるとこ初めて見たんだけど、サーブ凄いね」

当たったら衝撃でバラバラになって死にそう。と感じたままに言えば、及川君は「何それグロい」と笑った。「まだ改良中なんだ」という及川君にあれ以上?!と驚くと「磨けるところは磨きたいからね」となんでもなさそうに言った。その言葉に感心してしまった私は思わず「それだけ全身全霊で打ち込めることがあるってすごいね。及川君中身もカッコいい人だったんだ」とこぼしてしまった。すると、及川君はびっくりした顔で汗を拭おうとした腕を止める。私は及川君の表情が変わったことで急に緊張してしまい、咄嗟に口を開く。緊張した時にしゃべりすぎてしまうのは昔からの私の悪い癖だった。「その、及川君のこと顔がカッコいいだけの人って思っちゃってたというか。すごい人だと認識したっていうか…」と半ばしどろもどろに言葉を紡げば「ふぅん」と及川君は見たことのない好戦的な顔をする。まずい、失言した。と確信した。

「顔だけねぇ」
「いや、その、本当ごめんなさい」
「苗字にそう思われてたなんて俺知らなかったなぁ」

そういって悪そうな顔をする及川君は岩泉君が助けに来てくれるまで私を体育館の壁にジリジリと追い詰め続けたのだった。その日から隣の席の王子様だった及川君はいなくなってしまった。一度何とも言えない表情の岩泉君に「なんつうか、及川がホントすまねぇ」と謝られたことがある。謝るなら何とかしてよとも思ったが、岩泉君が悪いわけじゃないからその謝罪はひとまず受け取っておいた。

季節は流れて夏。席替えで離れられるかなと一度は期待したものの、私と及川君はいまだに隣の席に座っている。本当はくじ引きの結果席が離れていたはずだった。隣の列の前の方の席に座った及川君の背中にホッとしていたら、担任が「及川が前の方にいると後ろのやつらが見えないだろう。及川、お前一番後ろに移動しろ」と言ったのだ。おのれ180オーバーめ。
一番後ろと言えば即ち私の隣の席を意味するわけで。ガタガタと机を持って移動してきた及川君は私を見るなり「また苗字の隣かぁ」と意地悪そうに笑う。反射的に「佐藤ちゃんと席代わるもん」と返した声は、及川君の圧に押されてかふにゃふにゃしていた。

「は?なんでさ」
「廊下側がいいから」

嘘っぱちを言って席交換の交渉の輪に入ろうと立ち上がる。及川君の隣に座りたい子は沢山いるから、佐藤ちゃんがだめでも誰かしら代わってくれるだろうと踏んでいた。すると、立ち上がった私の手首を及川君がガシッとつかむ。及川君の手は私の手首を掴んでもまだ余裕があるくらい大きくて、急に自分の腕がか細く弱弱しく見えた。

「ダメ。ここにいて」

そういった及川君はいつになく真剣な顔をしていて有無を言わせないオーラがあった。美人の真顔って怖い。気圧された私はストンと元通りに座ってしまう。すると、及川君は満足そうにフフンと鼻を鳴らして前を向いた。なんなんだ。
そういう訳で私のお隣さんライフは継続されてしまい。相変わらず及川君にお弁当のおかずを取られている。
「顔だけ」発言はさすがに自分でも反省しているので、多少の意地悪は大目に見ることにしているけど、ちょっとだけ我慢ならないのは私の文房具やノートなんかを貸すと、時々そのまま持ち去ってしまうことだ。及川君を探し出して返してと訴えると、及川君は来た来たという顔で貸したペンなんかを私の頭上に掲げるのだ。「とってごらん」と笑う顔はすこぶるハンサムで憎たらしい。及川君よりずっと小さい私は当然ジャンプする羽目になるのだが「ほらほらそんなジャンプ力じゃ届かないよ〜」とおちょくられる。岩泉君が近くにいれば及川君をどやして取り返してくれるのだが、毎度毎度そういうわけにもいかず及川君のおもちゃにされている。松川君や花巻君、それにバレー部の後輩たちにそのシーンを目撃された時は本当に気の毒そうな顔をされた。いや助けてくれないのか。一度後輩君が、ピョンピョン飛ぶ私を見て「うお…めっちゃ揺れてる…」と呟き及川君に睨まれ、松川君たちにどつかれていたけどあれは何だったんだろう。
閑話休題。
及川君は私に優しくない。だけど、時々そうじゃない。躓いたわたしをすぐに支えてくれて「怪我無い?」って聞いてくれたり、他の男子が私をからかってきたらさりげなく間に入って遠ざけてくれたり、重い物を運んでいたら「危なっかしくて見てらんないよ」と持ってくれたり。そんな時、私は及川君がわからなくなる。優しい及川君と優しくない及川君。どっちが本当の及川君なんだろう。
そんな風に考え事をしながら体育のハードル走を走ったことが祟ってか、思い切りハードルに引っかかって転んでしまった。じくじく痛む膝を見ると、膝から脛にかけて広範囲をすりむいて血が滲んでいた。体育の先生は変な風にひょこひょこ歩く私の膝を見て、近くにいた生徒に私を保健室に連れて行くように言う。不幸にもそれは正にさっきまで頭に思い浮かべていた及川君だった。
思わず「ひとりで行けます」と言い張るも、そんな虚勢は早々に見破られ、私はしぶしぶ及川君の手を借りて保健室へ向かうことになった。

「及川君、あのごめんね授業抜けさせちゃって」

肩を支えてくれる及川君にそう謝れば「別に」と素っ気無く返される。高飛車な女優か。てっきり、どんくさいとか言われるんじゃないかと思っていた私は少し拍子抜けする。足を洗い流してから到着した保健室は先生が不在なようでシンとしていた。リノリウムの床って静かな中で見ると、急に冷たく見えるのはなんでなんだろう。と取り留めのないことを考えていると、及川君が「足出して」と椅子にどっかり座る。及川君が椅子に座ったことで座る場所がなくなった私は、及川君が座った場所に近いベッドに腰かけた。

「うわ、痛そ…」

及川君が消毒液を手に顔をしかめる。

「あ、待って。私自分でするよ、っていったあ!急にやめてよ!!!」

無慈悲にかけられた消毒液でピリッとした痛みに襲われる。
「すごい勢いで転げたから心配したけど、そんだけ騒げるんなら大丈夫だね」と及川君は短く息を吐く。あれ、なんか言葉が少なかったのは心配してくれてたの?と思ってもみない言葉にちょっと嬉しくなる。てきぱきと及川君が手当てしてくれる物音がシンとした保健室にいるとやけに大きく感じて、保健室に二人きりなのだと急に自覚してしまった。
よくわからない緊張感に耐え切れず「及川君って高校はバレーで入ったんだっけ」と脈絡のない話題を切り出してしまう。「そうだけど?」と不思議そうな顔で及川君は頷いた。無言にならないように話をつなげなきゃと思い「私、白鳥沢受けて落ちちゃったんだよね。やっぱりあそこレベル高くって。後期で青城に合格できてよかった」と笑うと、及川君は「ウシワカ野郎のとこ行くつもりだったのかよ」と苦々しげに呟く。

「ウシワカ?」
「牛島若利。まぁ知らないだろうけどさ」

その名前を聞いて、頭の中で点と点が繋がる。

「バレーしてる牛島くん?」

そう聞けば頷く及川君。「私、小学校一緒だったんだ。そう言えば中学から白鳥沢だったね」と懐かしい顔に思いをはせる。

「え?マジで」

及川君はびっくり顔だ。珍しい表情になんだか気分が良くなった。

「取っつきにくい感じだけど優しいんだよ。昔転んだとき泣いちゃった私にハンカチ貸してくれたりしたし」

男の子でハンカチ持ってるって珍しいよね。と言えば「ウシワカの話とか聞きたくないし」と及川君は面白くなさそうな顔。私はめげずに話を続けた。

「バレンタインあげたりしたことあるんだよ。律儀にお返しもくれたの」

バレーの試合見に行ったら若利君に会えるってことだよね?と及川君を見ると鼻のあたりにグッとしわを寄せて如何にも不機嫌です。という顔をしていた。あれ、私また失言した?と焦る私に「ウシワカの話をなんかするなって」と不機嫌顔のまま及川君は私の腕を掴む。ピリッとした空気に私はまた悪い癖が出てしまい何かしゃべろうと口を開いた。

「ねぇ及川君は最近若利君に会ったことある?」

大きくなってた?と続けようとした口は、急に顔を近づけた及川君のそれに塞がれてしまった。
人間ってびっくりすると動けなくなるらしい。至近距離の及川君の顔は相変わらずハンサムで、まつ毛の長さに嫉妬してしまう。ちゅ、と音を立てて唇を離した及川君は「俺といるときにウシワカの話なんかするなよ。バカ名前」と、してやったり顔だった。

「ウシワカ、ウシワカってにこにこ嬉しそうにしちゃってさ。頭の中アイツでいっぱいなわけ?俺はお前に全身全霊で打ち込めることあって凄い。カッコいいって100%本気でそう思ってます!って笑顔で言われてから名前で頭いっぱいなのに。お前なんなの」

と、固まったままの私に及川君は好き勝手に言う。そして、どうしていいのかさっぱりわからない私の肩を掴み、私の首筋に柔く歯を立てた。

「ひっ」

体験したことのない感覚にゾワリ背筋が泡立つ。

「これでお前も俺で頭いっぱいになるだろ?ざまーみろ。ばーか。ばか名前」

小学校みたいな態度の及川君は、そう言い捨てて保健室を出て行った。
1人残された私は、足の痛みなどすっかり忘れてさっきの及川君の言葉を思い返す。ばかって言われちゃった。待って、それよりも私さっき及川君とキスした?あと、なんか首甘噛みされた?及川君、私で頭いっぱいって、どういうこと。及川君最後楽しそうに笑って出て行ったけどなんなの。頭の中で及川君の色んな表情がループする。これじゃ及川君の思う壺だ。もうすでに及川君で頭がいっぱいになっている。私は両手で顔を覆って、どんな顔をして教室に戻ればいいのかとひたすらに逡巡した。あぁもう!及川君ってほんとに優しくない。


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