稲穂の海で捕まえて

「苗字、嫁に来いや」
「えっ」

カシャリ。
ファインダー越しに見つめていた相手の口から聞こえたセリフに、思わずシャッターを切ってしまった。慌ててデータをチェックすると案の定写真はブレまくりで、とても使えそうにない。

「ブレブレやな」

いつのまにか横に来たのか、被写体の彼もカメラの画面を覗き込む。普段と変わらない様子に、やっぱりさっきのは空耳かとホッと胸をなでおろした。北くんがそんなこと突然いうわけないし。「ごめん北くん。もう一回撮ってもええ?変な空耳聞こえて手元狂ってもうた」と丸い瞳を見上げる。北くんは奥歯に物が挟まったみたいな顔をしたかと思うと、「いや、空耳ちゃうで」と言った。

「えっ」
「嫁に来いて言うた」

ハッキリと、誤魔化しようもなくしっかりと目を見て告げられたセリフに今度こそカメラを落としそうになる。

「わっ!っと、」
「しっかりしいや。危ないで」
「いや、だって、北くんが変なこと言うからやん!」

じわじわ熱くなる顔に気づかれまいと、手元のカメラが気になっている振りをしながら言い返す。ちらりと目線を北くんに移すと、ムッとした顔の彼は「変なこととちゃう。求婚や」と言うではないか。古めかしい表現に北くんらしいと思うと同時に、この人案外表情が豊かなんだよなぁと現実逃避に走ってしまう。

「聞いとんのか」
「う、うぅん」
「どっちやねん」
「きいて、ます…」
「なら何とか言うてや」

そういわれても、突然すぎて言葉が出てこない。

「そもそも…私と北くん付き合うてへんよね?」「おん」

やっとのことで絞り出した質問に北くんは当然という顔で頷く。そうなのだ。私たちは突然求婚されるような、甘い甘い仲じゃない。私は農協の広報を担当する部署の職員で、北くんは私が勤める農協の組合員の農家さん。そして、高校時代のクラスメイト。それだけのはずだ。世の中の素敵なものを誰かに伝えていきたいと応募しまくった広報関係の仕事の中で唯一引っかかったのが今の職場だ。
そこでまさか北くんに再会しようとは。若手の農業従事者を広報誌で紹介しようという企画の取材をするにあたり「北さんところはどうや」と上司に取材に行くよう勧められたのが再会のキカッケだった。新人なりにがんばるぞと意気揚々と向かった先でよく見知った顔が出てきたときは本当にびっくりしたものだ。北くんも北くんで「苗字がなんでおるんや?」と不思議そうにしていた。それからは、農協の催し等で顔を合わせる上に、米の出荷や田植えなどの取材で北くんのところにお邪魔することが増えた。好きに写真撮らせてくれるし気安く連絡できるから大助かりだ。その上、個人的に2人でご飯に行って仕事の愚痴を聞いてもらうことなんかも出てきて、なんていうか、仲はいいんだと思う。高校生の時も割と話していたけど、ここ数年でより近しくなった気がする。でも、だからといって突然求婚されるなんて誰が予想できるだろうか。
今日はただ、北くんの生産しているブランド米の「ちゃんと」のアピールのため、お米の袋を抱えた北くんの写真を撮りに来ただけなのに。

「付き合うてないけど、この歳やし結婚前提やと思てそう言うてみた」
「そ、そうなんや」
「今の仕事やめんでええし、嫌なら田畑も手伝わんでええ。食うには困らせん。やから嫁に来てくれへんか」
「ちょ、ちょお待ってや北くん」
「なんや」
「な、なんで私なん」

正直北くんに好かれてるなんて感じたこともなかった。素直な疑問をぶつけてみれば北くんは思案顔であごに手を当てる。

「高校の時からええ奴やな、とは思っとったんやけど、こうして会うようになって、段々会える日が楽しみになるようになった。あとは、実った稲穂見て「金色の海みたいやなぁ」って笑った横顔やな。その顔を来年の収穫の時期にまた傍で見たいと思てん」

その言葉を聞いてぶわっと体が熱くなった。なんかこう、単純かもしれないけどキュンとしてしまった。
ねぇ、北くん。私ね、最近じゃ北くんと会う日は我ながら化粧直しが多かったり職場の制服着てるのに無駄に身だしなみ整えてたりしてたんだよ。私服で会う日なんかは、なにを着ていいか分からなくなって新調したこともある。仕事なのに、いつからか北くんと会うのが嬉しくて仕方なかった。だけど北くんにそんな気はないって思って一生懸命気持ちを隠していた。それが北くんにこんなこと言われるなんて、夢でも見てるんだろうか。とても現実と思えない。
場所は田んぼの脇の畦道なんだけど。

「変なタイミングで言うて悪い。なんか、苗字が嬉しそうにカメラ構えてんの見てつい言うてしもた」
「そうなんだ…」
「その…お見合い、なんやけどな、断ってくれんか」
「お見合い?!」

突然降って湧いたお見合いというワードについつい大きな声がでた。

「聞いてへんのか?」
「なにそれ?」
「こないだ米の集荷に来たおっちゃんが、『苗字ちゃん上司の勧めでお見合いすんねん』って言うてたんやけど…」
「えぇ?」

全く身に覚えがない。

「初耳やねんけど」

私にはまだ言うてないだけかも。と言うと北くんはちょっとバツが悪そうに「気が急いたな」と額の汗を拭った。

「その、お見合いの話もらっても、北くんがいるからって断るから…」

安心して、と言うと、北くんは汗を拭っていた手を止めて「ほんまか」と目を丸くした。

「ほんま。北くんのお嫁さんになりたい」

そう言って赤い顔を隠すためカメラを顔の前に構える。

「ありがとな。大事にするわ」

そう言って笑った北くんをカメラに収める。出来は上々。このデータは私だけのものにしよう。当初の目的を無事に果たした後、北くんは「ばあちゃんに紹介させてくれんか」と私を自宅に促した。

「私もう面識あるで」
「おん、今日は嫁にもらうことになったでって改めて紹介したいんや」
「えっ」

改めて言われるとまだ恥ずかしい。

「そうなんや」
「あかんか?」
「あ、あかんくない」
「そうか」

優しい声でそういうと、北くんは私の左手をとる。
田んぼの横の畦道を2人、手を繋ぎながらそれぞれ片手にカメラとお米を持って、北家へと歩く。この道を2人で歩くのが、当たり前になるのかな、なんて気の早いことを思いながらその景色を胸に焼き付けるように暮れ始めた道を踏み締めて歩いた。


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