「苗字さんココいい?」 声をかけられて顔を上げるといつかのブラキオサウルスがニッコリとランチの乗ったトレーを手に立っていた。 初対面から何度も話をする機会があったけれど、からかわれることがほとんどでちょっぴり苦手な人という印象が拭えていない。 「テレビの前の席空いてますよ」 言外に別の席へどうぞ、と匂わせたくてカフェテリアの人気席を進めてみたが、「ダメじゃないみたいだから座るね」と意に介されなかった。わかってやってるのか、はたまた天然か。個人的な勘は前者だ。 「今日はガッツリ系なんだ?」 私が食べていた唐揚げ定食をみて、ブラキオサウルスこと昼神さんはちょっと意外そうな顔をする。私にだって唐揚げ食べたい日もあるし、とカラッときつね色に上がったそれを箸で一つ取り、「たまに揚げ物食べたい日ってありません?」と口に放り込んだ。口いっぱいに広がる肉汁に満足感を感じる。 対する昼神さんは実にバランスの取れたメニューを選んでいて、脳裏に「女子力」の3文字がよぎったがすぐにかき消した。 食欲の前に女子力なんてひれ伏してしまう。 「昼神さん、午後は練習なんですか?」 何の気なしに尋ねると、彼は少し驚いた様子で「あれ、知ってたんだ?」とお米を口に入れた。 一口が大きくてちょっとびっくり。 「田辺さんに聞きました」 「あぁ、田辺さんね」 彼女勤続長いし社内のこと精通してるから親しくしといて損はないよ、と笑う。 もうすぐ五十路を迎えるという彼女は確かに社内のことにとても詳しくて、情報が早い。私にとっては母のように優しい先輩だ。 目の前の彼がバレーボール選手なのだと先輩から聞いたときは、驚きよりも納得が勝っていた。「あぁ、通りで大きいわけだ」と。 同僚がアスリートでもあるというのは、イマイチ不思議な感覚だ。前の会社にも同じようにスポーツチームがあったけど、そこに所属する選手たちは一般の社員に交じって勤務することはなく競技に専念していたから、広報誌で見るくらいの遠い存在だった。 「あんまり興味ない?」 「え?」 「バレー。なんか反応薄いから」 「うーん…そもそもルールわかってないし、興味の持ちようがないというか…」 興味がないとははっきり言いづらくて、ちょっと言葉を濁す。 「敬語」 「ん?」 「敬語で話さなくていいよ。同い年だろ」 そう言って笑う顔はやっぱり無害そうで、ちょっと油断しそうになる。この人隙あらばおちょくってくるから気をつけないと。 「スポーツ全般疎いから、全体的に興味薄いかな」 テレビでやってる国際試合とか見るとすごいなって思うし、応援もしちゃうんだけど。 そう言えば「じゃ、これから好きになる可能性はある?」と昼神さんはこれまたニッコリ笑った。 それは、バレーのことだよね?彼自身のことじゃなくて、なんてよくわからない邪推をしてしまう。我ながら警戒しすぎかも。 「ある、かな」 その場しのぎのウソとかじゃなくて、一応本心だ。そりゃ100%無いなんて言いきれないし。 「良かった。はいコレ」 そういって差し出されたのは、長方形の紙。もとい、チケット。 「え、なんで」 「お近づきの印ってやつ?」 昼神さんはせっかくウチ入ったんだし見に来なよ、と言う。そういわれてもどこか頷けなかった。 「も、もらう理由ないよ」 そういってテーブルに置かれたチケットを彼のほうに押し返した。 「そう?残念だなぁ」 昼神さんはそう言って案外あっさりと引く。 てっきり食い下がると予想していた私は、肩透かしを食らった気分だった。 だけど、その理由は翌日明らかになる。 「おはよう苗字さん。これ見てよ、昼神くんが2人でぜひ見に来てくださいってチケットくれたの」 翌日の朝、出勤してきた私に田辺さんは開口一番そう言った。 やられた。 私が誘いを断れないと踏んでの根回しだとさすがに分かった。やってくれるじゃないの昼神福郎。 先輩に「楽しみです」と返事をしつつパソコンを立ち上げながら、やっぱり苦手なタイプだなぁと改めて実感したのだった。 そして迎えた試合当日。 服装に悩んだ結果、スポーツを見に行くんだから動きやすい格好が良いに違いない!という理論の下、Tシャツにジーンズという色気皆無の格好になってしまった。会場内にはオシャレした若い子が想像以上にいて、服装をミスったことを悟る。なんだかちょっと凹んでしまった。 先輩と落ち合って席に着くと想像以上にコートが近くて驚いた。 先輩は「良い席のチケットをくれたのねぇ」なんて喜んでいる。この距離感なら、私たちが本当に来たかどうかわかるんじゃないだろうか、例えそれがコートの中からでも。 実際、選手が入ってくる時に彼がこちらを見て微笑んだ気がした。 試合が始まってしまえば、同僚の昼神さんはそこにはいなかった。コートの中にいる彼はアドラーズの昼神選手で、いつもの柔和な表情が嘘みたいに、闘争心を感じさせる表情を見せていた。 蜘蛛の手、というキャッチフレーズに何故だか納得してしまったのは、彼に言わないほうがいいなと思った。多分しつこくそう思った理由を聞かれる。絶対めんどくさい。 初めて生で見る試合の迫力に圧倒されている内に、1セット目をアドラーズがとってしまった。いつの間にセットポイントになっていたのかも分からなかった。 「昼神君カッコイイわね」 「…はい」 先輩の感想には悔しいけど頷かざる得ない。うまく言えないけれど、研ぎ澄まされた刃物みたいに鋭い雰囲気を纏ってボールを打つ姿は何だか知らない人みたいで遠く感じてしまった。カッコイイと思わざるを得ないアスリートの姿。 その日の試合は、3−2でアドラーズが勝利を収めた。 ソコロフくんの顔面が死ぬほど好みだったのでまた来てもいいかなと思った。別に昼神さんが格好よかったからとかじゃない。本当に。 「どうだった」 「ソコロフくんの顔が死ぬほど好みだった」 「え、そこなの?」 後日、試合の感想を尋ねられた為、率直に答えれば、もっと見るところあったでしょ、と昼神さんは面白そうに笑う。 「俺のことは見てくれた?」 「まぁ一応」 「そっか」 「チケットありがとう。バレーって面白いんだね」 チケットをもらった手前、素直な感謝の気持ちを伝える。 「だろ?バレーは面白いんだよ」 そう言いながら昼神さんは心底嬉しそうに笑った。少年みたいな笑顔に、この人はこんな屈託なく笑うんだと、心臓のどこかが変な動きをした。心臓に悪い顔してくれちゃって。 それから、ソコロフくんを拝みに(目的はソコロフくんなのだ。決して昼神くんではない)時々たまに試合に行くようになった。 そして、昼神くん、苗字ちゃんとお互いに呼ぶくらいに打ち解けた私たちは、有り体に言えば何だかんだで気が合ったのだ。苦手に感じていた部分も慣れてしまえばちっとも気にならなくなっていた。不思議なものだ。 そして、この頃には昼神くんがモテる男なのだと鈍い私も気が付いていた。体格が良くて人当たりが良くてスポーツに秀でた男がモテないわけない。何で私と仲良くしてくれるのかよくわからなかった。 昼神くんとお昼時に廊下で少し立ち話をしていると、どこからか「昼神さーん」と彼を呼ぶ声がした。 声のした方向を見ると、秘書課の女の子が綺麗に巻かれたビーチウェーブを揺らしてこちらへ歩んでくる。女子社員の中では昼神くん狙いで有名な子だった。 彼女は私など見えていないかのように「昼神さん、今度の金曜って練習の後お暇ですか?」と爪までピカピカの手を自然に昼神さんの腕に添える。 いいなぁジェルネイル。と、素のままの爪をチラリと見た。ケアが面倒でなかなかチャレンジできないんだよなぁ。 「その日、何人かで食事に行こうって話してるんです。平和島さんもいらっしゃるし、昼神さんもどうですか」 くるり、きれいに上を向いたまつげがうらやましい。心なしかいい匂いがする。どこの香水だろう。 「金曜ねぇ…」 昼神くんは、少し考えるように視線を上に動かした後「あ、名前も行くならいいよ」と曰うた。 「え?」 「は?」 いやなんで名前呼び?という驚きもあったが、それ以上に男女関係のゴタゴタに私を巻き込まないで欲しかった。秘書課の彼女は、それまで黙殺していた私を視界に入れにっこり笑う。 うわ、絶対敵認定された。 「…ええ、苗字さんもご一緒にどうぞ?」 その背後に、絶対来るなよ?と書いてある気がする。 「わ、私は大丈夫だよ。昼神くん折角だし行ってきたら?」 空気が読める方で良かったと心底思いながら、1人で参加するように促す。 頼む空気を読んでくれ昼神福郎。 「予定あるの?」 「えっ、いや」 言い淀む私を秘書課の彼女がジロリと睨んだ。 「あ、そうそう!予定あるの!映画!映画見に行こうって!もう公開終わりそうだし!」 口から出まかせに嘘の予定をでっち上げた。昼神くんはふぅんという表情をしたかと思うと「じゃ、俺も行く」と言うではないか。 「いや、食事行きなよ」 「俺とは嫌?」 「嫌っていうか、その…折角お誘い頂いてるんだし、ね?」 流石に、そこの女に恨まれるから嫌だよ!!とは言えない。だけど無情にも「特に断る理由ないなら良いだろ」と昼神くんは話を切り上げてしまう。 「と言うことで、俺たちは予定があるからごめんね」 いけしゃあしゃあとそう言ってにっこり笑う彼に、秘書課の彼女も呆気に取られて「…わかりました」と引き下がるしかなかった。 絶っっっ対彼女の閻魔帳に私の名前が載ったに違いない。めちゃめちゃ睨んで去っていった。 「わかってたんでしょ」 「なにが」 「あの子が昼神くんに気があるってわかってて私のこと利用したでしょ」 「人聞きが悪いな」 「絶対私敵対視される…」 巻き込まないでよ…と項垂れる私を他所に、昼神くんは当たり前のようにその日から名前、と私を呼ぶようになってしまった。 もちろん翌日から秘書課の彼女は私を殺さんばかりの勢いで睨み始めた。勘弁して! そして迎えた金曜日、仕事を終えてさっさと帰ろうとした私の携帯が震える。 ディスプレイには「昼神福郎」の名前。 「……もしもし」 「あ、俺だけど。まだ会社?」 「うん。今から出るところ」 「じゃあ〇〇駅に7時集合で」 「え?なんで?」 「映画、見に行くんだろ?」 「待って、あれ本気だったの?!」 「当たり前だろ。じゃ、待ってるから」 そう言って電話は切れてしまった。まさか本気だったとは…。時計を見て慌てて駅へ駆け出す。 約束の時間まであまり余裕は無かった。 「断った方便を現実にする事ないんじゃない。アリバイ作りなの?」 「言い方が悪いな。名前とデートしたかっただけだよ」 「ほんと勘弁して…」 こんなとこ見られたら本格的に殺される。と頭を抱えた。 結局上手く誘導されて、気になっていたファンタジー映画を見ることになった。 俺、他の人の邪魔になるからと一番後ろの席をパパッと選んだ昼神くんは、そのまま私にポップコーンを買い与え、スムーズに席までエスコートした。あれ?と思った時にはポップコーンの容器を抱えて席に座っていた。 私の抱えたポップコーンに大きな手が伸びてきたのを見て、ハッと我に帰る。 「ちょっと!チケット代!ポップコーンも!ていうか、さっきの、足元を携帯のライトで照らしてくれるやつ!あの技初めてみた!」 ビックリが追いつかなくて、抑えた声で思いつくままに喋る。その上、片手で掴んだと思えない量のポップコーンが手に乗っているのが目に入ってギョッとしてしまう。蜘蛛の手おそるべし。 「後でね」 「んぐ」 クスクスと笑いながら、昼神くんが手の平のポップコーンを少し取って私の口に押し込むものだからそれ以上チケット代の話は出来なかった。 「はぁ〜面白かった」 「俺も、名前が百面相してて面白かったよ」 「ちょっと映画見てよ!あ、そうだチケット代!」 「あぁ、いいよ」 「私が良くない」 「じゃあこの後飯付き合って」 それでチャラにしよう。そう言われてしぶしぶ昼神くんについて行った。 連れて行かれたのは餃子専門店だった。どうやら以前餃子が好きだと話したのを覚えていたらしい。今日なんかめちゃめちゃスマートなところ見せられてないか私。 「美味しい…!!」 「そりゃ良かった」 文句のつけようが無いくらい、雰囲気も味もバッチリだった。なんか、小慣れている。 「どうして秘書課ちゃんの誘い断ったの?」 行けば良かったじゃん。とビールを煽る。 すると、彼は「好みじゃ無い」とスッパリ言った。 「えっ!あんな細部まで手抜きなしで可愛くしてるのに?!」 「見た目はともかく、計算高いタイプはあんまりグッとこないな。もっと見てて面白い方がいい」 「……性格悪」 「なんて?」 「素敵なご趣味で」 「どうも」 笑顔で凄まれて、ヘラッと笑ってごまかす。お酒で口が滑ってしまった。危ない危ない。 「つまらない飲み会に行くほど暇じゃ無いし」 「へぇ〜」 じゃあ私と過ごすのはつまらなくないってこと?という疑問が喉元まで迫り上がってきたが、ビールと一緒に飲み込んだ。何故かそこに触れるのが憚られた。 美味しい食事と美味しいお酒は話を弾ませるのに充分で、気がつけば終電の時間が近づいていた。 「今日はありがとう」 結局食事もご馳走になったので、今度は私にご馳走させて、と言えば「うん。よろしく」と昼神くんは微笑んだ。 改札を通るのが少し名残惜しい。 「じゃ、また」 「うん」 スッと昼神くんが身をかがめる。どうしたのかな、と見上げると想像よりも顔が近くにあった。 ビクッと身を引くとクスクスと笑う。酔っ払いめ。私もそうだけど。 「無事に家着いたら連絡して」 「うん」 じゃあね、と改札をくぐり電車へ乗り込む。 そこでハタと、あれ、今日本当にただデートしただけでは?!と思い至り、1人羞恥に苛まれることになったのだった。 やってくれたな昼神福郎! 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