絡み合った視線をそのままに2人の距離が縮まる。鼻先が触れて、相手の吐息を感じるくらいまで近寄ったらあとは唇を触れ合わせるだけだった。

「ふぇぇん」

久々とも言える甘ったるい空気を引き裂いた我が子の鳴き声に私は思わず彼と見つめ合っていた視線を声のする方へ向けた。

「行こうか」

泣いてる、と苦笑いで私の背中を押す彼はもう父親の顔で、さっきまでの私を溶かしそうなくらいの熱い瞳はすっかり姿を消している。

「お腹すいたの?」

元気よく泣く子供を抱き上げてベッドに座る。
服をまくり上げて乳首を口に含ませると、すぐに勢いよく飲み始めた。
出生時から父親譲りとしか思えないくらいのサイズで生まれてきたこの子は食欲も旺盛で、順調にすくすく大きくなっている。その分栄養を吸い取られる私は順調に痩せていた。痩せるっていうか、やつれるの方が近い気がする。
なんでこの子こんなにおっぱい飲むんだろう。

「お待たせ」

遅れてきた福郎が哺乳瓶片手に私の横に座る。

「交代しよう」
「うん」
「次はこっち飲もうな〜」

我が子を私の腕からひょいと受け取って、慣れた様子で哺乳瓶を含ませる。首が座ったから抱きやすくて助かる、と言っていたけど、それ以前も危なげなく抱いていた。手が大きいって利点だなぁと思った記憶がある。

「俺も赤ちゃんの時死ぬほどおっぱい飲んでたってうちの母親が言ってたよ」

ごくごく哺乳瓶の中身を減らしていく我が子を見つめながら福郎が笑う。

「俺の子だから絶対におっぱいじゃ足りなくなるはずだ。粉ミルク買っておきなさいって勧められたけど正解だったな」
「うん」

哺乳瓶を空にした我が子は「はぁ〜、いっぱい飲みました」という感じであくびをした。

「はい、げっぷしようか」

慣れた手つきでげっぷをさせて「上手上手」と子供を褒めた福郎は嬉しそうにほっぺをつついている。その光景に、出産頑張って良かったと心底思った。この人を父親にできて良かった。

「名前、俺が寝かしつけするから寝てて」
「いいの?」
「夜泣きの頻度が減ったとはいえ、寝られないのは変わらないだろ。ただでさえ俺は寝室別なんだからそのくらいさせてくれよ」

そう言って、福郎は私の頬を撫でた。
試合中のパフォーマンスを落とさない、という点で睡眠は大事だ。万が一にでも夜泣きで睡眠に影響が出て欲しくないと、私の希望で寝室を分けている。福郎は嫌がっていたけど、最終的には折れてくれた。
彼の言葉に甘えてベッドに転がる。自分で思っているより疲れていたのだろう。私はすぐに意識を手放した。



「いってらっしゃい。気をつけて」
「うん。いい子にしてろよ〜」
「パパにいってらっしゃいしようね」

翌朝、仕事へ向かう福郎を玄関先で見送る。
彼は嬉しそうに息子のほっぺにキスをして、流れるように私のほっぺにもキスをした。

「じゃあいってきます」

手を振って見送った後リビングへ戻ると、テレビから気になる単語が聞こえた。

『本日の特集はセックスレスです』

思わずテレビ画面を凝視してしまった。
朝の情報番組にしては攻めた特集をするなぁ、と前々から思っていたけれど、今日は殊更に攻めている。ソファーに座ってうつらうつらする子供を抱いたまま特集を見た。
レスのきっかけで多いのが出産・育児だとグラフを指し示しながら言うアナウンサーの言葉に、心臓が苦しくなる。

『妻の妊娠・出産を機に、家族としてしか見れなくなってしまったという意見が多数寄せられました。また育児に忙しい妻が構ってくれないとの意見もあります』
『奥さんの妊娠中の浮気も多いと聞きますよね。構ってくれないから浮気なんて自分勝手だわ』

女性のコメンテーターの言葉に、妊娠中の友達が浮気されたと泣きながら電話をかけてきたことを思い出す。結局彼女は、許せないからと離婚を選んだ。
妊娠が分かってからこれまで、福郎には浮気のうの字も感じられなかった。帰宅は練習が終わって速攻帰ってきてると分かる時間だし、遠征に行っても必ず連絡をしてくれる。そのへんの心配はなかった。

『育児で忙しい妻が身ぎれいにしなくなったことで女性として見れ無くなった、という意見も少数ですがありましたね』
『そういう人に限って育児任せっきりなのよ』

身ぎれいにしなくなったという言葉に引っかかるものを感じて、眠ってしまった子供をソファーに寝かせて洗面台に向かう。
鏡に映った私をじっくり見ると、化粧っけは無いし、肌の艶も落ちている。クマも酷いし唇はカサついていた。髪だって、自分に構う暇がなくなるからと、出産前にバッサリ切ったというのに、今はもう纏められるくらいに伸びている。つまりそれだけの時間が経っているということだ。その髪だってパサついて荒れていた。我ながら自分に構わなすぎだと思ってしまう。
とぼとぼリビングへ戻ると、我が子は相変わらずすやすや眠っていて愛らしい。
この子を妊娠してから今までそういうことには及んでいないから、もうかれこれ1年半は経っている。

ちょっと甘い空気になっても、子供が泣き出したりして忽ちそんな空気は吹き飛んでいた。このままずっとレスになってしまうんだろうか、と不安が過る。
レスになる前は、しつこいとか回数減らしてとか不満に思ってたくせに、いざそれがなくなるとそれはそれで不安になるなんて随分勝手だ。
彼の愛の形が変わってしまったように思えて胸が痛い。

「ねぇ、お母さんちょっと頑張ってみたほうがいいかな」

そう問いかけてみると、我が子はまるで言っていることを理解しているかのように、元気のいいモロー反射を見せた。

「ふっ、ふふ、元気だね」

なんかちょっとだけ、勇気がもらえた気がする。
その日から、なんとか時間を見つけては、化粧水を丁寧に塗り込んでみたり、密林で買った流さないトリートメントを使ってみたりと、自分に手をかけた。髪も適当に結ぶのでなく綺麗にまとめてみたりした。ちょっとずつだけど、状態は良くなっていると思う。夜泣きも減ってきて、まとめて眠れる日も増えた。

シーズンを終えた彼が家にいる時間も増えて、久々に土日まるまる家にいられるという福郎は今日は朝から子供と遊んでいる。しっかり反応が返ってくるようになって構うのが楽しくて仕方ないようだった。
毎日会わないと泣く子もいるというけれど、子供はパパが大好きなようで遠征で数日家を留守にしていても帰ってきた時は嬉しそうに抱っこされている。 
手が空いた私は、家事をガーっと済ませてこっそり薄化粧をしてみたりなんかした。洗濯物を干して戻ると、リビングに二人がいない。
散歩にでも出たのだろうか?でも玄関の開閉音しなかったなぁと首を傾げていると、リビングに福郎が入ってくる。

「寝たから寝室に連れていったよ」
「うん、ありがとう」
「一応見守りカメラ付けたからタブレットオンにしといて」
「はーい」

言われた通りにタブレットでアプリを立ち上げると、ベッドの上で眠る我が子が映った。便利な世の中だなぁ、とダイニングテーブルにタブレットを置く。

「あれ、どこか出かけるのか?」
「え?」
「化粧してる」

流石目ざとい。私の変化に彼も気がついたようだった。

「ううん、どこもいかないよ」

たまにはいいかなって、と彼を見上げると「そうだな」と笑顔で頷く。

「あの子が生まれてから子育てで自分に手が回らなかっただろうし、良いと思うよ」

そう言われて、こないだの特集が頭を過った。

「あのさ…私ってもう家族としか見れない?」
「ん?そりゃ家族だろ」
「もう女としては魅力ない?」
「え、」

驚いた顔の福郎が私をまじまじと見る。

「だから、もう触れてくれないの?」
「なに、どうしたの」

そっと私の背を押して、ソファーに促す。隣に座った福郎は、ゆっくりと語りかけた。

「思ってること教えて」
「…レスだと思います」
「まぁそうだな」
「朝の情報番組がレス特集してて、その、妊娠・出産で女として見れなくなったとか、子育てに忙しくて身ぎれいにしてないから抱く気が出ないとか、そういうの見ちゃって…」
「随分攻めた特集するなぁ…」
「そしたら不安になりました」
「はい。話してくれてありがとう」

急に笑顔から真面目な顔になった彼は「結論から言うと、女として見れなくなったということは無いです。めちゃくちゃ見てます」と告げる。

「…はい」
「なんで今ちょっと引いた顔したの」

引いたからです、とは言えなかったので「引いてないです」と嘘をついた。

「嘘だろそれ。まぁいいや。とにかく、確かに1年以上妊娠・出産でレス状態ですが、名前から許可いただけるなら今日にでもという気持ちはあります」
「…はい」
「俺は家を空けることも多いし、子育ての負担が名前に偏ってしまうってことは分かっていて、実際疲れてる様子とか見てるととても俺の欲求を解消するために相手してなんて言えなかった」

でもそれは、女として見れないからじゃない。子供と名前が最優先だからだよ。と福郎はきっぱりと言う。

「はい」

私も彼の目を見ながら深く頷いた。やっぱり、一人でうだうだ考えないで、こうして話すべきだったと反省する。

「それで、どうでしょう」
「はい?」

福郎の問いかけにきょとんと彼を見上げる。

「子供は寝てます」
「はい」
「見守りカメラもあります」
「はい」
「こちらの寝室に帰ってきませんか」

彼の言う帰ってきませんか、という言い方の理由は、もともと使っていた寝室がそちらだからだ。身体の大きさ的に新しいベッドを仕入れるのも大変だから、と私と子供が新しいベッドに寝ている。

「…妊娠線できてる」
「知ってるよ」

お腹大きいときに出来たって見せてきただろ、と彼は何でもなさそうに言う。

「体型戻ってない」
「気にするわけない」

命がけで俺と名前の子を産んでくれたんだから、と彼は笑う。

「…母乳が出ます」
「良いと思います」

やけにきりっとした顔をされてちょっと腹が立った。なんだそのキメ顔。

「両親が仲良しだと子供の精神が安定するらしいよ」
「育児書を書いた人はそういう意味で書いたんじゃないと思う」

ぷっと顔を見合わせて笑ってしまった。

「…そっちに帰る」
「うん」

そっと福郎が私を抱きしめる。
それがどうしようもなく嬉しくて、胸がいっぱいで、空になりかけの心に愛情がなみなみに注がれていくような感覚に襲われた。
顎を掬い上げられて唇が重なる。ちゅっちゅとしばらく軽いキスをして、深いキスに移る雰囲気になった。
両手を彼の首の後ろに回してこちらからも引き寄せる。

「ふぎゃあぁぁ」
「「あっ」」

タブレットから聞こえた声にお互いの声が重なった。

「あ…」
「お預けだな」

チャンスはまたあるよ、と福郎が軽くキスをする。

「うん」
「行こう」

私の手を引いて足早に寝室へ行く。
空調の効いた寝室に入るなり「パパだぞ〜」と彼が子供を抱き上げた。
ふにゃふにゃいいながらも、子供は泣き止み始める。抱っこが安定してるからかもしれない。
「ちょっと暑かったかなぁ」と空調を調節する姿を見ながら、あぁこの人と一緒になって良かったなぁと、つい自分の幸運を噛み締めてしまった。


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