トントントンとリズミカルな音がキッチンに響く。そのリズミカルさとは裏腹に、モヤモヤした気持ちをぶつける様にまな板の上の野菜たちを刻んでいった。 むしゃくしゃした時にやたらと料理をする癖を夫は「食材への八つ当たり」と呼ぶ。結果として美味しいもの食べられるんだから良いじゃん。と思うけれど彼からしたら心配らしい。 何て事はない。ただちょっと、仕事で嫌なことがあって、嫌な言い方をされて、ムカムカしているだけ。普段なら流せるようなことなのに、今日に限って未だにモヤモヤが続いていた。 お皿に並べたスモークサーモンの上にスライスした玉ねぎを乗せて、作っておいたドレッシングをかける。色味が足りないなあと追加で乾燥パセリをふりかけた。出来上がったそれにラップをかけて冷蔵庫へと突っ込む。 続いて冷蔵庫から取り出したトマトジュースを鍋に注いでコンソメキューブを入れ、更に豆乳を注ぐ。ひと煮立ちさせて冷ませば、手抜き版トマトの冷製スープになった。 ふぅ、と一息ついて先程刻んだピーマンや人参、玉ねぎスライスをまとめてバットへ入れる。 「あっ、しまった…」 先に漬けダレを作り損なったことに気づき慌てて酢とみりんを取り出す。軽量スプーンで大体の分量をはかりながら酢とみりんをバットに入れてちょっと味見をした。なんとなく白だしも少しだけ追加して入れてみる。うん。良い感じ。野菜を漬けている間に鶏むね肉を一口大にそぎ切りにしてビニール袋に突っ込む。そこに塩胡椒を入れて揉み込み、さらに片栗粉も入れて満遍なく粉がつくように揉んだ。フライパンに油を引いて揚げ焼きにしていく。火が通ったお肉から先程のバットに突っ込んでいった。 味が染みるまで待つ間、切りすぎたスライス玉ねぎをなんとかしなきゃならない。ちょっと考えて野菜室からゴーヤーを取り出した。 お肉を切ったまな板と包丁を一度洗う。先にゴーヤー切っておけば良かった。スライスしたゴーヤーをタッパーにいれてレンチンする。そこにヘルシーな水煮のツナと玉ねぎを入れてマヨネーズを取り出した。そこではた、と夫の顔が頭に浮かぶ。 そういえば、健康診断が近いって言ってたような気がする。今日はもう揚げ物しちゃってるしなぁとマヨネーズを戻し、鰹節のパックをひとつ開けてお出汁の効いためんつゆをかけた。ちょっと味見をして生姜のチューブを絞る。まぁ及第点だろう。 「ふぅ…」 出来上がった料理を見て、少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。 そこでやっと冷たい料理ばっかり作っちゃったなと気がつく。まだまだ暑いからそこは許してもらおう。 「ただいまー」 「お帰りなさい」 ちょうど良いタイミングで帰ってきた夫に駆け寄り、ギュッとハグをする。 「すぐご飯食べる?」 「うん」 「わかった」 彼が荷物を置いている内におかずを盛り付けてテーブルに並べた。 「はい」 「うん」 キッチンに来た彼にご飯茶碗を渡す。ご飯の量はしっかり管理しているそうなのでいつもこうしてお任せしている。 「いただきます」 多めに作ったつもりだったけれど、おかずがスイスイ消えてゆく。見ていて気持ちいいくらいの食べっぷりだ。 「これ美味いな」 「良かった」 福郎の良いところはこうしてちゃんと褒めてくれるところだと思う。単純に嬉しいし、どういう味が好きかってわかるのは作る側としても参考になる。 土日の予定を相談したり、今日の出来事を話す普段と変わらない食卓。ちょっと心が凪いだ。 「ごちそうさま」 先に食事を終えた彼が食器を下げにキッチンへ行った。食べ終わるスピードにいつもびっくりさせられる。 「名前、食器洗おうか?」 「ううん、大丈夫」 「そう?ならお願いするよ」 「うん」 私にそう確認した彼はリビングを出て行く。少ししてお風呂のお湯を張る音が聞こえてきた。お風呂場に行ってたのか。 食事を終えて洗い物をしている間に福郎が洗濯物を畳んでくれる。最初は下着を触られるのが恥ずかしかったけどもうすっかり慣れてしまった。恥じらい、取り戻したい。 洗い物を終えて手を拭いていると、お湯張りが終わったお知らせが鳴る。 「福郎、お風呂溜まったよ」 「うん。あ、一緒に入る?」 「…早く行ってきて」 「連れないなぁ」 へらっと笑いながら福郎が着替えを持ってお風呂へと向かった。 どうせすぐあがるだろうから、私も着替えを出して準備しておく。 予想通りすぐに出てきた彼と交代でお風呂に入って、脱衣所でお風呂上がりのボディケアを普段より念入りに施した。滑らかになった肌からふんわり甘い香りがする。流さないトリートメントで髪もつるつる。準備バッチリ。 なんたってこれからが本番なのだ。 リビングに戻ると福郎はソファーでテレビを見ながらビールを飲んでいるようだった。 ご飯の量気をつけてるのにビール飲んで良いの?と思わなくはないけど、栄養云々に関しては素人に毛が生えた程度なので突っ込まない様にしている。 そっと横に座ってピタッと彼にくっついた。 それに気がついた福郎が肩に手を回す。 見上げると視線が絡んでどうした?と言うように微笑まれた。 「…良い匂いがする」 「新しいボディクリーム使ったの」 「苦くないやつ?」 「あれは、ぬったばっかなのに舐めるから…!」 「首までぬってるなんて思わないだろ」 今日は首まで塗ってないよな?と聞かれて頬がカッと熱くなる。 「…ぬってない」 「へぇー」 にんまりと笑う彼に考えを見透かされていたような気分になる。今日は最初からそのつもりだったってバレてないか冷や冷やした。 身長差があるせいで届かないのでソファーに膝立ちになって両手で彼の顔をこちらに向ける。 にやりとした表情が癪だったけど、意地悪な弧を描く唇を塞いだ。 すぐさま腰を抱き寄せた福郎がキスに応える。スルリと潜り込んできた舌が私のものを捉えてくすぐるみたいに動く。同じようにやり返せば彼が喉の奥で笑ったのがわかった。 呼吸を奪い合うようにキスしていると、舌の上に彼から奪い取ったビールの苦味が移る。 「にっが!!!!」 思わず顔を離してしまった。 「待ってなにこれ」 口に広がった苦味にベーッと舌を出していると「そりゃ苦いよ。IPAだもん」と福郎が笑う。 「ゴーヤー平気なのにIPAダメなのか?」 「それとこれとは違うの!」 「そうか?はは、顔が三割り増しで険しくなってる」 「…昼神さん」 「なんでしょうか昼神さん」 「それだと私が普段から険しい顔をしてるみたいなんですけど」 「今日はそのようですが?」 俺帰ってから一回も笑った顔見てない、と言われハッとする。確かにずっとムゥっとした顔のままだったかも。 「ごめん…」 「なに、なんかあった?」 「ん、」 こくんと頷くと「話聞くけど」と背中を撫でながら提案される。 「…それよりも、なにも考えられないようにして欲しい」 「…それでいいのか?」 確認されて無言で頷く。 福郎はじっと私を見つめたかと思うと「奥さんの仰せのままに」と気障ったらしく言ってまた唇を合わせた。 キスをしながら、大きな手が服の中に入り込んでくる。ブラをしていない胸を迷わず包み込んだ手はふにふにと遠慮なく胸を揉んだ。 「ぅ…んぅ、」 キスをしながらくぐもった声で喘ぐ。結婚してから蓄え始めたヒゲが当たってくすぐったい。 最初はチクチクする感触が気になってガムテープで全部引っこ抜きたいと思っていた。(以前それを口にした時、少し青ざめた福郎に両肩をがっしり掴まれて「絶対にしないでくれよ」と懇願された。) 今となっては、その感触が福郎とキスしていると実感する材料になっている。不思議なものだ。 唇を離して、フニフニと相変わらず胸を弄ぶ福郎がにやりと笑う。 「奥さんベッドにいきませんか」 「…困ります。夫がいる身なので」 わざと恥じらうように視線を逸らしてそう言えば、彼が小さく吹き出す気配がした。 「…旦那さんより良くしてあげるよ」 福郎がノッてくるものだから堪らず笑ってしまった。 「あははっ」 「やっと笑った」 ホッとしたようにほっぺたに口付けた福郎が小さい子にするように私を抱き上げる。 そのまま寝室の方へ歩き出したから、落ちないようにぎゅうと抱きついた。 寝室に入った後、わざと抱きついていた首筋に甘く噛み付く。 「…悪い子だな」 低くつぶやいたかと思うとそっとベッドに寝かされた。 「悪い子は裸にしちゃうぞー」 「んっ」 スルッと器用に肌を撫でながら服を持ち上げられる。ピクッと体を震わせてしまった。 ひょいと上を脱がされ、下もなんの感慨もなく脱がされる。この人あんまり下着とか興味ないみたいなんだよなぁ。可愛い?って聞いたら可愛いよとは言うけど、自ら何か言ってくることはほとんど無い。今度わざとセクシーなの着てみようかななんて考える。 そんな風に思いを馳せているうちに福郎も自分の服を脱いでしまった。 鍛え上げられた身体に浮かぶ筋肉の陰影にドキドキしてしまう。 「なに?じっと見て」 「見てない」 見入っていたのがバレてしまい、ついつまらない嘘をつく。 「またまたぁ」 からかうように笑いながら、シーツに縫いとめるみたいに手を押さえつけられた。 「んぅ、んっ、」 キスを繰り返しながら、手のひらが胸の曲線をなぞり腰の丸みを撫でていく。 ぞくぞくとしたものが這い上がってきて背筋を震わせていると、彼が唇を離してにっこり笑った。 「普段きゃんきゃん吠えるのに、組み敷かれるとしおらしくなるところ本当に好みだよ」 「…は」 絶句する私を見て面白そうに笑った顔が、相手のスパイクを叩き落とした時によく似ていると思った。 この選択間違えたかもしれない、と内心で思いながら、愉しげに腿を撫で上げる蜘蛛の手の持ち主に一矢報いる方法をあれこれ考える。 でもやっぱり、福郎の腕の中で眠れるのならそれで良いかなとも思ってしまうのだった。 |