名前が目を覚ますと、ベッドルームはまだ暗く、カーテンの隙間から感じる外の気配もまだ夜の静けさを感じさせた。
枕元のスマホに手を伸ばして時刻を確認してみたところ、寝入ってからまだそう時間は経過していないようだった。スマホのライトで視界がほんのり明るく照らされたおかげで、名前はベッドの上に足りないものがあることに気がつく。
「あれ…」
彼のサイズ感に合わせた名前の部屋より大きなベッドの上、彼が眠っていた場所にぽっかりとスペースが空いていた。
手を伸ばすと、シーツはひんやりと冷たい。
その冷たさが、彼がベッドを出てからの時間の経過を感じさせた。まだぼんやりとした頭で上体を起こせば、ひんやりと冷たい空気が肌を撫でる。つい温かな毛布の中に舞い戻りたくなるのを堪えて、名前はそっと床に爪先を付けた。
リビングへと続くドアの隙間からは明かりが漏れている。彼がそこにいるのは明らかだった。
キイ、静かにドアを開けたつもりでも、寒いせいだろうか少しだけ開閉音が鳴ってしまう。彼は小さなその音を聞き漏らさず、名前が扉を開けたことに気がついたようだった。
「名前ちゃん?」
名前に背を向けたまま、彼は名前を呼ぶ。こちらを見てくれないことが少しだけ寂しくて、名前はわざと返事を返さなかった。彼女はタブレット端末で何かを見ているらしい様子の彼にそっと近づいて、ソファーの空いたスペースに滑り込み仔猫のように彼に擦り寄った。
「さちろぉくん」
「目ぇ覚めちゃった?」
「うん」
まだ半分眠りの国から意識が戻っていないせいで舌ったらずに彼を呼ぶ名前に、幸郎は優しく微笑む。
「寒いからベッドに居なよ」
そう言いつつ傍らにあったブランケットを彼女に掛けた。そしてポンポンと安心させるように彼女の背中を優しく叩いた後、再び視線をタブレット端末に戻す。
「…ねないの?」
「寝ようとした時に今日診た子の症例どっかで見たなって思っちゃってさ」
ちょっとだけのつもりが読み耽っちゃった、と幸郎はバツが悪そうに首の後ろを撫でた。
仕事熱心なのは良いことだと名前は思う。
好きなことだから頑張りたい、と思う彼の気持ちもその為の努力も知っているから、名前は幸郎のことは全面的に応援している。だけど、自宅で安らぐこの時間だけは、名前だけの幸郎でいて欲しいとも思ってしまうのだ。
口には出さなくてもついその気持ちが行動に現
れてしまったのか、小難しい記事を読む幸郎に名前はぎゅうとしがみ付くように腕を回す。
「…寂しくなった?」
そう聞く彼に返事をせずに、名前は抱き着く腕
に力を込めた。引っ付いているせいで、幸郎が声を出さずに笑ったのが振動で伝わってくる。
「もうちょっとで読み終わるから待ってて」
優しい声色でそう告げた幸郎は引っ付き虫と化した名前をそのままにして、タブレット端末をスクロールする。しばらく論文に目を通した後「終わりました」と端末の電源をオフにした。
そして、名前の指先と足先を触り「ほら、ここにいたせいで冷たくなってる」と言うことを聞かなかった子供を答めるように言った。
「…じゃああっためて」
拗ねた子供みたいな口振りの名前に幸郎は思わずふふ、と笑ってしまう。
「はいはい」
わかったよ、と幸郎はブランケットごと名前を抱え上げてベッドへと連れて行く。リビングの電気を落として、ベッドルームに入りそっと名前をベッドに降ろす。
「もうちょっとこっち寄って」
幸郎に言われるままに名前はベッドに転がる。
そして、冷たくなった足をわざと幸郎の足に付けた。
「冷たっ」
「あはは」
「何笑ってるんだよ」
まったく、と聞こえそうな表情で、幸郎は名前を抱え込むように抱きしめる。その温かさに、名前はすぐ験が重くなるのを感じた。
「おやすみ名前ちゃん」
「おやすみさちろぉくん」
幸郎に抱きしめられて、おやすみなさいの挨拶を交わして、名前はやっと安心して眠りにつけるのだった。
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