ハロウィン


「トリックオアトリート」

今日限定のお決まりのセリフを笑顔で口にする彼は、私が渡すお菓子など持ち合わせていないことを分かっているのだと思った。幸郎くんは昔から、私の隙を逃さない。逃げ場なんてどこにもなかった。

母に頼まれて郵便ポストにはがきを投函した帰り道、部活終わりの幸郎くんとばったり会ってしまった。日曜日もご苦労なことだ。恋人ととは言え、仮の恋人だから、なんというかどうしたらいいかわからない。嬉しいというより、どうしようが勝っている。私を見つけた幸郎くんは、少し離れたところから「おーい、名前ちゃん」と駆け寄ってくる。身体が大きいから、駆け寄られると迫力があった。

「なにしてるの」
「お母さんに頼まれてポストにはがき出しに来たの」
「そうだったんだ」

一緒に帰ろうよ、と幸郎くんが自然と私の手を握る。私はそれを拒否することもできずに、幸郎くんに付いて歩き出した。

「今日さー、ハロウィンだよね」
「うん」
「名前ちゃんはハロウィンしないの?」
「明日学校でお菓子交換するくらいかなぁ」
「駅前のイベント行かないんだ?」
「うん。誘われたけど、あんまり気乗りしなくて」

駅前で行われるのは、魑魅魍魎とパリピが跋扈するハロウィンイベントだ。仮装必須のそれに、あんまり参加しようという気にはならなかった。友達だけならいいけど、他の人にも仮装を披露するのはあまりにもハードルが高い。

「ふぅん」

あんまり興味が無さそうに返事した幸郎くんは次いで、「トリックオアトリート」と言った。

「え、」
「お菓子くれないといたずらするぞ〜だっけ」

名前ちゃん、お菓子ちょうだい。と幸郎くんは笑う。

「…お菓子ないから明日でもいい?」
「いいと思う?」

正直、容赦してくれないことは分かっていた。

「お菓子持ってないの分かってるのに言うのずるいよ」
「え〜、名前ちゃんも言っていいよ」
「なにそれ…」

意味わかんない、と思いつつも一応お決まりのセリフを言ってみる。

「…トリックオアトリート」

すると幸郎くんはたくらみが成功したみたいな顔をして「お菓子無いからいたずらしていいよ」と言った。そうは言われても、いたずらなんて何をすればいいかわからない。

「とりあえず家まで送るよ」

幸郎くんの言葉に大人しく従って、家路を歩いた。

「あら、幸郎くん」
「こんにちは」

間の悪いことに、家に着くとお母さんが玄関先のプランターの花を植え替えていた。お母さんは私と幸郎くんが本当に付き合ってるって思っているから、にこにこ楽しそうに幸郎くんを家に招く。

「お邪魔します」
「…どうぞ」

なんでいっつも急に来るかなぁ、と思いつつ出しっぱなしにしていた物をバタバタ片付ける。

「名前ちゃん」
「なに?」
「いたずらなんだけどさ」
「それまだ有効だったの?!」

てっきりその場だけの話かと思っていた私は、自分が袋のネズミかもしれないと焦り始めた。そんな私を知ってか知らずか、幸郎くんは私のほっぺを軽く引っ張る。

「名前ちゃんはさ、こうして俺に触られるの嫌じゃないの?」
「子供の頃も触ってたから平気」
「あ〜…そういうことか」

幸郎くんは少しだけ残念そうに眉を下げて、私の顔を覗き込む。

「名前ちゃんは俺の彼女だから、キスしてもいいよね」
「だ、だめ!」
「なんでだよ」
「だって、私は偽物の、んむっ」

まるで反論する私の口を塞ぐようにキスをされた。柔らかく、優しく、慈しむようなキス。すっかり、こういう時はどう応えればいいのか覚えてしまった。
幸郎くんに、本当に好きな人ができた時、私はどうするんだろう。そう想像したら、胸がずきん、と痛んだ。胸が痛い理由も、キスを拒否できない理由も、もう分かっているけれど、ズルい私は少しでも幸郎くんと一緒にいたくって、気がつかない振りをしていた。

「…次は名前ちゃんがいたずらしていいよ」
「えっ」

どうしようなんにも考えてない、と焦った私は「しゃがんでくれる?」と幸郎くんにお願いする。

「はい」

素直に応じてくれた幸郎くんの前髪を持ち上げておでこを出す。そして、少しだけ背伸びして額に口づけた。
幸郎くんがたまにするコレが、私は好きだった。愛情の魔法をかけられているような気分になれる。
例えそこに愛なんてないとしても。

「終わったよ」

そう告げると、幸郎くんはそのまましゃがみ込んで「今日は相手が強かったな〜…」と呟いた。

「え?今日練習試合だったの?」
「そうじゃないけどもうそれでいいや」
「なにそれ」

幸郎くんはしばらくその体勢のままで、顔を見せてはくれなかった。しばらくして何らかのショックから復活した幸郎くんは、私を後ろから抱えるようにしてぎゅうぎゅうに締め付けた。
私はなにか機嫌を損ねることをしちゃったんだと怯えながら、早く帰ってくれないかと半泣きで願ったのだった。





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