隣人の恋(モブ視点)


花の女子高生になって最初の隣人は、高原の空気のような爽やかさを纏った男の子だった。
男の子というには随分背の高い彼は、周りに優しく親切でそれでいて爽やかな、好青年と呼ぶのがしっくりくるような人だ。そのにこやかで柔らかな外見も、きっと彼を好ましく感じる一助になっているに違いない。 

でもいつしか、その“優しさ”が薄皮を一枚纏っているような温度の無いものだと気がついた。だって、クラスメイトなんかよりずっと仲のいい部活仲間の星海くんなんかには平気で「チビ」だとか「自意識過剰」だとか毒のある言葉を吐くのだ。
きっとこっちが本当の昼神幸郎くんに違いない。そう確信した。それに気がつくと、彼が素を出す相手とそうでない相手が見え始める。次第に観察が楽しくなってきた。

昼神くんは女子生徒に優しかった。なんでもお姉さんがいるとかで、そういう兄弟構成故に女の子に優しいのかな、なんて考える。
見てくれも良くて性格も良い。そうなってくれば当然放っておかない女子もいる。だけど、どんなタイプの女の子にも彼は頷かなかった。
「部活に集中したいから」なんてもっともらしい理由でお断りしているらしい。その内、バレーボールでの“不動の昼神”という呼び方になぞらえて、恋愛面でも不動だといじられるようになり始めた。もちろん面と向かってではなく陰でこっそりではある。「不動の昼神、3組の子に告白されたらしいよ」といった風に。
とはいえ、秋波を送っている女子の中でも告白までたどり着く猛者は一握りである。そんな一握りの猛者たちを、彼は悠々と退けていった。こっぴどい言葉で振るわけでもないので、あえなく玉砕したとしてもなかなか諦めがつかないようだ。たちが悪い。

「…幸郎くん」
「あれ、名前ちゃんだ」

来た!と私は予習プリントを埋めるふりをしながら耳を隣に集中させた。他クラスの苗字さんは、漏れ聞こえた会話から推測するに昼神くんの小・中の同級生らしかった。
いたって普通の、と言ったら失礼だろうけど、穏やかそうな子。時折彼の元を訪れる彼女に、昼神くんは優しくない。
そう、“優しくない”のだ。

「また何か忘れたの」
「またって言わないで」

そんなにしょっちゅうじゃ無いもん、と苗字さんは俯く。確かに頻繁ではない。月に1度あるかないかだ。

「どうだろ、名前ちゃんぼんやりさんだからな〜」

そんな意地悪を織り交ぜながら、「それで、何借りたいの?」と昼神くんは微笑んだ。苗字さんは困った顔で「今日、調理実習があるの、私と幸郎くんのクラスだけで、だからその、エプロン、貸して欲しいの」しどろもどろになりつつも、昼神くんに目的を告げる。

昼神くんは「いいよ」とにっこり笑って机の横にかけていた紙袋を渡した。

「こっちのクラスはもう終わったから、返すのは今日じゃなくて大丈夫だよ」
「わかった」

今日は随分優しいなと思った。そう思うのは、先日の出来事のせいだった。

苗字さんと昼神くんはお互いを下の名前で呼んでいる。高校生にもなって下の名前で呼び合う男女。もちろん気づいた人は下世話な勘繰りをする。
いち早くそのことに勘付いたらしい苗字さんは、先日彼に声をかける時に「昼神くん」と呼んだ。噂されたり変に勘繰られるのを避けるには、正しい行いだ。
ところが、昼神くんは明らかに聞こえているはずなのに、机に頬杖をついて窓の外を見たまま動かない。

「ひ、昼神くんっ」

完全なる無視。

「昼神くんってばぁ…」

泣き出しそうな声で呼んでも無視。

「…幸郎くん」
「なに、名前ちゃん」

にっこり笑う昼神くんは、それまで無視を決め込んでいたのが嘘のように苗字さんに応える。
明確な「昼神くんって呼んだら返事しないよ」という意思表示だった。

「い、意地悪しないで」
「意地悪じゃないよ」

意地悪っていうよりわがままだ。下の名前で呼んで欲しいというわがまま。
そのシーンを目撃した私は「これはもしかして…」と下世話な勘繰りをし始めてしまった。

「ありがとう幸郎くん」

おそらく今日一だったと思われるミッションを終えた彼女は、ホッとした表情で紙袋を胸に抱いて去っていく。
サイズや色味が明らかに男物のエプロンを身に着けて、周りがどう思うかは気にならないのだろうか。それよりも、忘れ物で減点される方がもっと嫌なのかもしれない。
もしくは、彼女の中で昼神くんが“男子“のカテゴリーに入っていないかだ。そっちの線もあるな、と昼神くんの横顔を眺める。

「なに?」

視線に気がついた昼神くんがこちらを見た。

「もしかしてなんだけど」
「うん」

できるだけ小さな声で内緒話をするように尋ねる。

「昼神くんってさ、苗字さんの事…好きだったりする?」

昼神くんは、2、3度瞬きをしてニッ、と意地悪く笑った。
そして、唇の前に人差し指を立てる。

「秘密にしてくれる?」

バレたら逃げられちゃうからさ、と苗字さんが去っていった方を昼神くんは見つめた。

「わかった」

私は一つ頷いて、不動の昼神の秘密を握ったワクワク感とスリルににやけそうなのを必死にこらえる。
際立って美人、だとか飛びぬけて可愛いだとか、そういうわけでもない、一般的な女の子。理想が高くて告白に応えないわけじゃない。
昼神幸郎の心には既に、苗字名前が住んでいるだけの話だったのだ。

「幸郎くん!」

後日、苗字さんが例の紙袋を抱えて昼神くんの元へやってきた。

「エプロン洗濯してきたよ」
「別によかったのに」

ありがとう。とにこやかに昼神くんが紙袋を受け取る。

「あと、これも」

苗字さんがおずおずともう一つ手に持っていた袋を差し出す。可愛くラッピングされた袋からはクッキーが覗いていた。

「昨日クッキー焼いたからお礼に…その、星海くんとか白馬くんと食べて」

緊張した面持ちで差し出された袋を、昼神くんが受け取る。

「ううん、全部俺が食べるよ」

ありがとう名前ちゃん、と昼神くんは微笑んだ。

「うん!」

無事受け取ってもらえて安心したのか、苗字さんも嬉しそうに笑った。にこっと聞こえてきそうな笑顔。
じゃあね、と苗字さんが教室を出ていった直後「はぁー…」と昼神くんが脱力したように机に突っ伏した。

「良かったねぇ」

思わず声をかけると、昼神くんはクッキーの袋を見つめながら「うん」と頷く。

「あんな風に笑ってくれたの久々なんだ」
「そうなんだ?」

でも、今日ああやって笑ってくれたし、これからはもっと笑ってくれるんじゃないの?と何の気なしに言う。

「そうだと良いんだけどな〜」

力なく笑った昼神くんの表情は、昼神くんを見つめる女の子と同じ、恋する顔だった。
不動の昼神、そんな顔もできるんだ、と意外に思う。
昼神くんの気持ちが届くと良いな。そんなことを内心思いながら、「応援してる」と昼神くんを励ました。
その後昼神くんが、強引な方法で苗字さんを彼女にするなんて知らずに。





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