すれ違い(大学生)


私って欲張りなのかもしれない。
そう思ったのは、幸郎くんと気持ちが通じ合っているだけでは満足できない自分に気がついたからだった。

“ごめん、今週末会えない”

その連絡を受け取るのはもう何回目だろう。大学に進学してから、格段に会う機会が減った。
大学が別なのは元々分かっていたことだから覚悟はしていたけれど、授業終わりや土日に会えばいいやとどこか軽く考えていた。一般的な文系の大学生である私とは違い、獣医さんの勉強に勤しむ幸郎くんはケタ違いに多忙で、常に授業や実習に追われている。その傍らで塾講師のアルバイトもこなしているから、尚更忙しい。デートのお誘いを断られることも、ドタキャンも、珍しいことではなかった。

周りの友達は、彼氏とのデートを存分に楽しんでいて、素直にうらやましいと思った。折角大学生になって去年より自由も増えたから、もっと幸郎くんとしてみたいことや行ってみたい所がいっぱいあるのに。

自室のチェストの上に飾っている幸郎くんとの写真を眺める。コタロウちゃんとの写真、体育祭で応援合戦の学ランを着た幸郎くんとの写真、そして卒業式での2ショット。一緒にいられるだけで充分だったはずなのに。欲張りな私は、それ以上が欲しい。一緒にお出掛けして、色んなことして色んなものを見て二人の思い出をもっと作りたい。何年か経って、「あんなこともあったね」って話せるような思い出。
写真立てのフチを指でなぞると、木製の枠の経年劣化でささくれだった部分がガサガサと指に当たる。まるで私の心みたいだった。


売るほど時間のある夏休みも、幸郎くんの実習などで思うほど会えなかった。私の方もバイトに励んではいたけれど、それでも時間がありすぎてナマケモノに変身してしまうんじゃないかってくらいのんびりしていたものだから、お母さんに「そんなに暇なら家事覚えなさい!」と怒られてしまい、花嫁修業もどきに励んでいた。なんかすごい家事スキルがあがった気がする。
そろそろ寂しさが臨界点を突破しそうな私は、思い切って幸郎くんに会いに行くことにした。バイト先は知っているから終わりの時間に合わせて行ってみよう。幸郎くんビックリするかな。
今度幸郎くんに会う時に履こうと決めていたこっくりとしたカラーのフィッシュテールのスカートを履いてホワイトのトップスをボトムにインする。デコルテ辺りがレースになっていて透け感が可愛い。華奢なデザインのイヤリングを付けて鏡に向かってにっこり笑う。良い感じ。
親にバレないよう、そっと慎重に玄関を開閉する。外に出るととっぷり暗くなった空に星が輝いていた。親に黙って遅い時間に家を抜け出す後ろめたさのせいで少しだけ躊躇したけど、北斗七星を綺麗だねって二人で眺めながら下校した記憶が背中を押した。ヒールの踵を鳴らしながら駅前の進学塾へ向かう。期待に揺れるスカートの裾がひらひらと忙しない。
多分もうそろそろバイト時間が終わるはずだ。塾の横にあるコンビニの前でそっと様子を伺っていると中から学生たちがぞろぞろと出てきた。最後の授業が終わったみたいだ。

それからしばらくしてバイトの人たちが出てき始める。幸郎くんもバイト仲間の子数人と出てきた。その中に女の子もいて、バイトとはいえ少しでも幸郎くんといられることを羨ましく思ってしまう自分の心の狭さに辟易する。

「幸郎くん」
「え… 名前ちゃんなんでいるの」

幸郎くんに声をかけると、驚いた顔で足を止めた。周りのバイト仲間は興味津々といった様子だったけれど、気を利かせてくれたのか幸郎くんに一声かけて足早に離れていく。

「会いたくって」

連絡もせずに来てごめんなさい。と謝りながらも会えた嬉しさで顔が笑ってしまう。本当に久しぶりに顔を見た。記憶より伸びた幸郎くんの髪が、会えなかった時間の長さを物語っている。

「こんな遅くに一人で来たの?」
「うん」

幸郎くんは静かに私へ近づく。その顔が全然にこやかじゃないことに気がついた。なんか、怒ってるような気がする。

「危ないだろ」
「幸郎くん?」
「こんな時間に、一人で、連絡も無しに、そんな服装でのこのこ来て、何かあったらどうするんだよ」

珍しく険しい表情の幸郎くんが硬い声で私を責める。

「家の人には言ってるの?」
「…言ってない」

私の答えを聞いて幸郎くんが深いため息を吐いた。
きっと喜んでくれる、「名前ちゃん」って笑ってくれるって思っていた私は小さくない衝撃を受けていた。折角会えたのに、どうして喜んでくれないの?どうして怒るの?なんで…なんでずっとほったらかしなの?

「…会いたかっただけなの」

寂しかったと零せば、「それは嬉しいけど、だからってこんな遅くに出歩くなよ」と強い口調で言われる。幸郎くんも少しイラついた様子だった。

「なんで怒るの…」
「心配だからだよ」
「わ、私、ずっと会えなかったから少しだけでも会いたくて、」

こんな態度の幸郎くんは本当に珍しくて、中学時代の彼を思わせた。表情も態度も乾いていた頃。

「…もう私のこと好きじゃないんだ」
「なんでそうなるの」
「だって、会えないばっかりだもん。周りの子は、彼氏と楽しそうに過ごしてるのに私はずっとほったらかしじゃない」
「仕方ないだろ」

疲れた様子の幸郎くんは言葉少なに答えた。仕方ないって何?と胃の中にずっしり石でも入ったような気持ちになる。内臓がじりじりと焼かれるみたいに痛い。じわり目から滲み出たもので視界が歪む。

「仕方ないで済ませないでよぉ……」
「…はいはい。名前ちゃん帰るよ。送っていくから」
「…っ!」

幸郎くんはたまに、こうして私の言うことをまともに取り合わない。まるで小さい子の癇癪を受け流すようにするりと私の言葉も受け流す。
私の腕を掴んだ幸郎くんが「行くよ」と歩き出す。

「放して!」
「名前ちゃん」
「もう幸郎くんなんて知らない!!」
「えっ、」

別れる!と捨て台詞を吐き、バッと腕を振り払って走り出す。幸郎くんは追いかけてこなかった。
星が輝く街を息を切らして走る。一人ぼっちで見る星は冷たくって涙で滲んであんまり綺麗には感じられなかった。
二人で見るとあんなにキラキラして見えたのに。
幸郎くん大好き。大好きなだけで、それだけで良かったはずなの。だけど欲張りな私はそれだけじゃ足りなくなってしまった。

ガチャガチャと騒がしく帰宅したせいで、遅くに家を抜け出したことがバレた私は親にこってり絞られた。もう子供じゃないのにって気持ちが口から出そうになったけど、帰宅前からずっと泣き続けていたせいで言い返せなかった。泣き続ける私に呆れた様子の両親は「早く幸郎くんと仲直りしなさい」と言い残して寝室へ引き上げる。泣いている原因がバレている、と驚いてしまった。でも、仲直りなんてできない。私、頑張ってる彼に八つ当たりして別れるって啖呵きって背を向けたんだもん。そんな虫のいい話無いに決まってる。ヒールのある靴で走ったせいで足は靴擦れでひりひりしていた。それ以上に胸がずっと痛くて苦しくて、もういっそこのまま死んでしまいたいとすら思った。

いつのまに眠っていたのだろう。
肌に馴染んだ柔らかいシーツの上で、何かが頬に触れる感覚に目を覚ました。カーテンの隙間の光から察するに、陽は登り切っているようだ。
休みだからって寝すぎた、と反省すると同時に、泣きながら寝たせいかかぴかぴする顔に気が付く。そうだ、泣いていた。幸郎くんにサヨナラしたから。事実を反芻したせいでまた涙が滲む。

「おはよう」
「お…はよう」
「随分寝てたね」

一生起きないんじゃないかと思った、そう言って二度と会えないと思っていた顔が至近距離で笑う。
昨日別れを告げたはずの幸郎くんが、なぜか私の部屋の私のベッドの横に座り込んでいた。驚きで勢いよく起き上がる。もっと優しく動きなさいよ、とでも言うように、ベッドがミシッと悲鳴を上げた。

「なんでいるの」
「あれで本当に別れたって思われてたらやだな〜って思ってさ。家来てみたらお母さんが「まだ寝てるから起こしていいわよ」って入れてくれた」

お母さんなんてことを、と口をパクパクさせてしまった。頬に触れていたのは、幸郎くんの手だったらしい。

「名前ちゃん本当に寝てるし、全然起きないし、なんか寝顔じっくり見るのも新鮮だな〜って思って見てた」

幸郎くんの膝の上には小難しいタイトルの大学で使う教材らしきものがあって、割と長い時間私の目覚めを待っていたのだと知る。

「…週末用事あるんじゃなかったの」
「教授の手伝いだし、他の人に頼んだよ」

あっちは俺の代わりがいるけど、こっちは俺の代わりがいないからね、と幸郎くんは寝癖でぼさっとしてるであろう私の髪をなでる。

「寂しい想いさせてごめん」
「…うん」
「昨日心配だからってきつい言い方した」
「…うん」
「別れるって言われたの結構きつかった」
「・・ごめん」

俯く私に幸郎くんは「別れるって言うのは無しの方向でお願いします」とほっぺを軽くつねった。

「会いたかったの…」
「うん。ごめんね今後は気を付ける」

困ったように眉を下げる幸郎くんに、胸が痛んだ。

「ううん。無理しないで。私のために自分のやりたいこと犠牲にして欲しくない」
「俺は、俺のやりたいことのために名前ちゃん泣かせたくない」

お互い顔を見合わせて少しの間沈黙が落ちる。そして、どちらからともなくくすくすと笑い出した。

「どう2人で過ごすか決めよう」

その通りにするのは難しいかもしれないけど、臨機応変に行こう。と幸郎くんが言う。私はこくりと頷いて「わかった」と返事した。それ以上の言葉は余計でしかない気がしていた。

「…一人暮らししたかったんだよね」

突然、独り言みたいに幸郎くんがそう溢す。

「一人暮らし?」

実家から大学まで充分通える距離なのにどうしてだろう、と不思議に思う。

「合鍵を名前ちゃんに渡したかった」

そしたら、一緒にいる時間が増えると思って、と幸郎くんは苦笑いする。

「結果としてバイト詰め過ぎて悲しませちゃったけど」

近いうちに名前ちゃんに合鍵を渡すよ。と大きな手のひらが私の頬を包む。
暖かい。
暖かくて氷が溶けていくみたいに、ぽろぽろと目から涙が溢れた。彼が私の手を離す気がないことに喜びを覚えてしまう。

「なんで泣くんだよ〜」

困った顔をする幸郎くんに「嬉しいからだよ」と手を伸ばす。意図を理解して、幸郎くんが私を抱きしめた。ぎゅうっと腕の中に閉じ込められて安心感が私を包んだ。

「名前ちゃん」
「なに?」
「そろそろ久し振りにキスさせて」
「…いいよ」

ゆっくりと幸郎くんの顔が近づいて優しく唇が重なる。
よく知った温度、よく知った柔らかさ。
誰かと一緒にいるって、恋をするって、愛を保つって難しい。でもね、幸郎くん。私は欲張りだから、その難しいに立ち向かってでも幸郎くんと一緒にいたいって、そう思うんだよ。






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