夏の午後


お盆ともなれば夕方は暑さも少し和らぐ。
涼しい麻のワンピースの裾を揺らしながら、私はいそいそと幸郎くんのお家に向かっていた。
今年はお互い高3だから、夏期講習やらなんやらで忙しくって、偶然にも今年は帰省せずに二人ともお家にいる予定だった。今日は幸郎くんに会う予定は無かったのだけど、どうしても数学の問題が理解できなくて相談したら「ちょっとおいでよ」と誘ってくれたのだ。苦手科目って答えを見ても、何故その答えになるのかが理解できない。答えだけじゃなくて計算の過程も載せて欲しいなあ。
視線の高さをとんぼが2匹連なって飛んでいく。つがいなのかもしれない。とんぼがこの高さを飛ぶってことは、ひと雨来るかもしれないなぁ、とまだ綺麗に晴れ渡った空を見上げた。
確か小さい頃に幸郎くんが教えてくれたんだよね。とんぼやつばめが普段より低いところを飛んでたら雨が近いんだよって。確か「とんぼが低く飛ぶと雨」だったかな。当時とんぼを虫取り網で上手に捕まえて見せてくれた。そのビジュアルに怯えて逃げようとする私の手を掴んで逃げられないようにされた記憶がある。今思えばヒドイ。

「わっ」

ぶわっと強めの風が吹き抜ける。風に揺れる草むらに小さなころの私たちが見えた気がした。

「いらっしゃい」
「おじゃまします」
「先に部屋行ってて」
「うん」

幸郎くんにそう促されてお部屋に入る。適当に座って待つけれど、いつまで経っても幸郎くんが来ない。段々寂しくなってきて、今は幸郎くんしかいないはず、と部屋を出た。物音に誘われるようにそっとリビングの扉を開ける。光がたっぷり入る明るいリビングにあるソファー、そこに幸郎くんの後ろ姿を発見した。
座って何かしているらしい。そばにはコタロウちゃんが寝ていた。そーっと忍び足でにじり寄ると、コタロウちゃんが私に気づいて立ち上がる。そして尻尾をぶんぶん振りながら近寄ってきた。そんなコタロウちゃんをよしよしと撫でて、幸郎くんの後ろに立つ。そしてソファー越しに「幸郎くん」とぎゅうと抱き着いた。

「わ!?」
「え?!」

急に抱き着かれた幸郎くんは驚きの声を上げる。でもなんか、その声が、違う気がした。

「え、え?!」

なに?!誰!?と腰を抜かした私はそばのコタロウちゃんに抱き着く。コタロウちゃんは落ち着きなさいよ、と諌めるように私のほっぺをペロッと舐めた。ソファーに座る人物が開いていた雑誌を閉じてこちらを振り向く。

「幸郎じゃなくてごめんね」
「あ、あ、おにいさ、」
「こんにちは」

大丈夫?とお兄さんが手を差し伸べてくれる。その手を取ろうとした時、後ろから「何してんの?」と幸郎くんの声がした。

「さ、幸郎くん」
「どうしたの」

歩み寄ってきた幸郎くんが「よっこらせ」と私の胸の下に腕を通して抱えるように立ち上がらせる。

「座ってた俺のこと幸郎と間違えたんだよ」

びっくりさせてごめんな、とお兄さんはにこやかに説明した。

「後ろ姿そんなに似てる?」
「似て、たよ?」
「後ろから抱き着いちゃうくらいにね〜」
「え?」
「あ、幸郎くんあの、」

なんで言っちゃうの!?と思いながらあわあわと胸の下に通ったままの幸郎くんの腕に触れる。幸郎くんはおもむろに手の平を私の胸の間に押し当てた。

「うわ、ドキドキしてる」
「さ、幸郎くん」

やめて、と身を捩るけれど逃げだせなかった。

「兄ちゃんに抱き着いてドキドキしたんだ?」
「びっくりしたからだよ」

からかうような声に必死に言い返す。じたばたし続けていると、お兄さんが「仲良しだな〜」と微笑んだ。こ、この状況のどこがそう見えるんだろう。

「あんまりからかってやるなよ」

かわいそうだろ、とお兄さんが幸郎くんをやんわりと諌める。

「からかってないよ」

そう言う幸郎くんに嘘付き!と叫びたかったけど、さすがに家族の前で非難するのは気が引けた。

「…どこ行ってたの?」
「ん?光来くんから電話来ちゃってたんだごめんね」

顔を上に向けて背後の幸郎くんを目を合わせるようにすると、にこっと微笑まれる。

「戻ったら部屋にいないから探した」
「ごめんなさい」
「部屋戻ろうか」
「幸郎」
「なに?」
「またクローゼットにしまうなよ〜」
「あはは、しないよ」

捕まえなくてももう逃げないからね、と幸郎くんがぎゅっと腕に力を込めた。その途端に逃げ出したい気持ちになる。なんかこのまま部屋に連れてかれたらダメな気がした。だけど逃げようにも前にはお兄さん後ろには幸郎くん、まさに前門の虎後門の狼だ。
やっと私を解放した幸郎くんがリビングを出ようとドアノブに手をかけた。すると、お兄さんが「幸郎、部屋のドアは開けておけよ」と言う。

「…わかった」

少しだけ不満そうに返事した幸郎くんが「名前ちゃんおいで」と私を呼ぶ。私はお兄さんにぺこっと頭を下げて幸郎くんの背中を追った。

「なんでドアは開けておけって言ったのかな」

部屋に入って言われた通りドアが閉まらないようにストッパーを噛ませつつそう尋ねる。幸郎くんは、私のそばにしゃがんで「名前ちゃんの為だろうね」と言った。

「私?」
「ドア開けてたら、こういうことできないだろ」

悪戯を思いついたみたいに笑った幸郎くんが、私の唇を彼のソレでかすめ取る。

「…してるじゃん」
「これ以上は流石に無理だから」

ほら課題見せて、とスイッチを切り替えた幸郎くんとは違い、私はまだキスされたというぽやぽやした気持ちから抜け出せずにいた。

「名前ちゃん」
「ん、なぁに」
「そのぽやっとした顔何とかしてくれる?」

ドア閉めたくなるからさ、となんとも怖いことを言われたものだから、私はひえっ、と飛び上がって、慌てて教材に集中した。その様子に幸郎くんがくすくす笑う。

「あ、雨」

幸郎くんの声に窓を見るとしとしとと雨が窓ガラスを叩き始めていた。

「本当だ。あ、ここに向かう途中でね、とんぼが低いところを飛んでたんだ。昔教えてくれたよね」
「懐かしいな〜。覚えてたんだ」
「うん」
「ちゃんと傘持ってきた?」
「…ううん」
「ぼんやりさんだな〜、帰りは送ってあげるよ」
「ありがとう」

帰りは相合傘かな、なんて期待したけれど、結局気を利かせたお兄さんが車を出してくれて、申し訳ないけれど、私はちょっとだけがっかりしてしまったのだった。だって、多少濡れたって幸郎くんと二人で歩きたかったから。でもからかわれちゃうから、そのことは絶対幸郎くんには言わないでおこうと思う。





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