偽物彼女


背が高くて、爽やかで、物腰が柔らかくて、それでいてスポーツ万能。
昼神幸郎のことを、大抵みんなそう褒めそやす。

そして、その彼女の座に収まった私はとても幸運だとも。

私から見た昼神幸郎という人は、爽やかな顔の奥にどことなく得体の知れない部分があって、何だか少し怖い。
私の性格を熟知しているからか、こちらを思い通りにコントロールするのがうまいし、たまに不思議な、熱を帯びたような瞳で私を見つめていることがあって、ひどく落ち着かない気持ちにさせられる。

幸郎くんのことを怖い、と言えば皆きっと「彼女なのに?」と不思議な顔をするに決まってる。
だけど、私は偽物の恋人なのだ。
小学生の時から彼の同級生をしているけど、まさかそんな役割を頼まれるとは思いもしなかった。

あれは、たまたま帰りに体育館のそばを通った日のことだった。

「名前ちゃん」

タイミング良く体育館から出てきた幸郎くんが、歩いていた私を呼び止める。
なんだろう、と足を止めれば「名前ちゃんってさ、彼氏いなかったよね。俺の彼女してくれない?」と、その日の昼休みに「古文の教科書貸してくれない?」と頼みに来た時と同じテンションで幸郎くんは言った。
古文の教科書は、先に頼みに来た星海くんに貸していたから幸郎くんには貸してあげられなかった。なんで光来くんとそんなに仲良くなってるのと不満げにされたけど、そもそも星海くんを紹介してきたのは幸郎くんだ。

「なんで?」

不思議に思って理由を尋ねると、「バレーに集中したいから女避け」と端的に説明される。
日頃おモテになる様子を知っている身としては頷けるが、そんな目立つ上妬まれそうな役引き受けたくない。私は小市民でいたいタイプだから。
大体幸郎くんを好きだという子たちは、中学時代のピリピリして触れば弾けてしまいそうだった幸郎くんを知らないから好きだなんて言えるんだ。ほんとにあの頃は別人みたいだったし、怖かった。
小学生の頃愛犬を自慢げに見せてくれた時くらいは確かにおおらかで優しい男の子だった。正直ちょっと憧れてたし。

「やだよぉ」

首を振りながら言えば「なんで?」と食い気味に言われる。
私は幸郎くんに、嫌な理由を挙げ連ねていく。だけど、あげるそばからその理由を幸郎くんに潰されて行った。目立ちたくない、と言えば名前ちゃんは影が薄いから大丈夫だよ、という風に。
そうだった、幸郎くんは犬っぽい見た目で割と蛇っぽい人だった。この例えを言ってもみんなまったく共感してくれない。うまく立ち回ってるんだなぁ。

結局断る理由を無くした私は小さな子供みたいに「やだよ…やだ…」と首を振るしかなった。そんな私に幸郎くんが気づかないはずがない。

「断る理由もうないんでしょ?じゃあいいよね」

そう強引に決めてしまう。
意思が茹ですぎたパスタみたいにフニャフニャの私は早く帰りたい一心でコクリと頷いてしまった。はるか30センチ以上上にある幸郎くんの顔は満足そうに頷いていて、あぁやってしまった。と速攻で後悔する羽目になった。
子供の頃からそうだ。幸郎くんは優しいようで、私の決死の抵抗もその大きな手でなんなく絡めとってしまう。1度だって口で幸郎くんに勝てたことなんてない。


それから約半年、私はつつがなく幸郎くんの「彼女」をしている。残念ながら私程度で女避けにはならず、幸郎くんは相変わらず秋波を送られ続けていた。

「ねぇ、昼神くん1年の子に呼び出されたんでしょ。いいの?」

昼休み、一緒にご飯を食べている友達はまるで自分の彼氏が呼び出されたかの如く憤っていた。彼女がいるの知ってるくせに!いい度胸してる!と息巻く彼女に「モテモテだねぇ」と返すと、「なに?彼女の余裕?」とニヤニヤした顔で聞き返された。彼女も何も、私はきっと幸郎くんに好かれてすら無いんだよとは言えず、そんなんじゃ無いよ、としか返せなかった。
友達の興味は既に自分の好きな人に移ったようで、今はもうダレダレ先輩と手を繋ぎたいだの、あわよくば放課後の教室でキスしたいだの言っている。
いいなぁ、私も好きな人とそんな風にしたいな、と思わず溢しそうになった。
そうは言っても、もう既に私のファースト手繋ぎもキスも、幸郎くんに持っていかれてしまった。

てっきり彼女として名前だけ貸すのかと思ってたけど、幸郎くんと私は案外しっかり恋人をしている。
帰りが一緒になった時に自然と手を繋ぐようになったし(子供の頃手を繋いだことがあるからハードルが低かったとも言える。だけど、私よりしっかりした幸郎くんの指が私の指の間に入って撫でさするように動くのはちょっと変な気持ちになるからやめて欲しい)、キスだって久々に愛犬を見においでよと、誰もいない昼神家へ招かれ、フワモフボディにメロメロの私の肩をサッと抱いてサッと口付けられた。
プロの犯行だ…!と震える私に「なにその顔」とプッと吹き出した幸郎くんは今度は頬に手を添えてゆっくり口付けたのだった。
最近ではキスされそうな時顔を引いて逃げると、ムッとした顔の幸郎くんの大きな手で後頭部を抑えられることが増えた。そういう時は大抵しつこい。
たしか練習試合を見に行った時だった。試合の合間に差し入れを渡しにいくとキスされそうになったのでフイと避けたら、ムッとした顔の幸郎くんにガッチリ頭を掴まれ思いっきり深いキスをされた。
幸郎くんを呼びにきた星海くんに見られて死ぬほど嫌そうな顔をされてしまった。ごめんね星海くん。

自分でも流されすぎじゃないかとおもうけど、一線は超えないように頑張っているためまだ純潔は守れている。
ただ、わんちゃんに釣られて訪れた何度目かの昼神家。キスからの流れで制服のブラウスをひっぺがされそうになった事はある。嫌だやめてと抵抗したけれど幸郎くんは聞いてくれず、丁度「ただいまー」と幸郎くんのお母さんが帰宅した声がした事で、私たちは慌てて密着していた身体を離したのだった。それ以降なにやら反省したらしい幸郎くんは、無体を強いることはなくなったのでナイスタイミングだったお母さんには感謝している。

幸郎くんは、良い彼氏なんだと思う。
私がライオンが見たいと唐突に言った時「ライオンて似合わないね」と笑ってたくせにライオンを見に動物園へ連れてってくれたし、雑誌に載ってたケーキ屋さんの話をすればそこに一緒に行ってくれた。誕生日にだって、ちゃんとプレゼントを用意してくれた。

そんなことを重ねていたら、幸郎くんのこと怖がってたくせに、幸郎くんの気持ちが欲しくなってしまった。
幸郎くんにキスされる度に胸が痛んで泣き出しそうになる。このままじゃ辛くなる一方だ。

そんなことを考えていたらいつの間にか放課後になっていて、HR終了の号令で私はハッと我に帰った。これだから幸郎くんに名前ちゃんはぼんやりさんだなぁって笑われるんだ。近い将来幸郎くんにお役御免でさよならを言われる前に私からさよならした方が傷は浅い気がする。
幸郎くんのプライドは、少し傷つけるかも知れないけれど。

「別れた方が良いのかなぁ」

1人になった教室でそう呟けばやけに大きく響いた。

「名前ちゃん別れたいの?」

独り言に返事が来たことに驚いてパッと振り向くと教室の後ろの入り口に大きな影が見える。
影はだんだん私に近づいてきて、夕陽を浴びて幸郎くんの形になった。

「幸郎くん…」

あわあわする私に幸郎くんは、全然昇降口にこないから迎えにきたんだよ。名前ちゃんはぼんやりさんだなぁ。と笑う。
そしてその笑顔のまま「で?さっきのなんだよ」と問いかける。あ、怒ってる。

「私…全然女の子避けになってないし、もういいんじゃないかなって」

幸郎くんの爪先を見ながらそう切り出すと、幸郎くんは笑顔のまま「名前ちゃんがいるからって断れるから助かってるよ」と返される。

「だから問題ないよね。どうしたの?誰かに何か言われた?」

名前ちゃんは心配しなくていいんだよ。と幸郎くんは私の顎をすくい上げる。
キスされる。
そう思った瞬間パッと顔を背けた。幸郎くんはいつもより低い声で、名前ちゃん。と顎にかけた手に力を込める。

「…やなの。もうやだぁ…!手を繋ぐのも、キスも、それ以上も…私のこと好きで私が好きな人としたいよぉ」

そう口にすると堰を切ったようにポロポロと涙が出始める。
こんな時に泣くなんてちょっと卑怯な気もする。涙を手で拭っていると、その手を幸郎くんの大きな手が掴んだ。ひっ、と思わず声が出る。

「どういうこと?」

さっきまでの笑顔は何処へやら。幸郎くんはビックリするくらいの真顔で私を見つめていた。

「名前ちゃん好きな人ができたってこと?」

だれ?いつから?と、幸郎くんは矢継ぎ早に私を問い詰める。ギュッと握られた手首が痛い。幸郎くんの剣幕にビビり上がった私はまたポロポロと泣き出した。

「さ、さちろ、く、ひっく。幸郎くんのこと、好きになっちゃった」

しゃくり上げながら正直に打ち明ける。あ、いまハァ?って顔した。幸郎くんははぁーーーっと深いため息を吐きながら力が抜けたようにしゃがみ込んだ。

「いやいや、じゃあ別れなくていいだろ」
「だって、幸郎くんは私のこと好きじゃないから…」

気持ちが欲しくなっちゃったの、そういってうつむくと、幸郎くんは下から私の顔を覗き込む。幸郎くんの顔が目線より下にあるのって珍しいかも。

「名前ちゃん。ズルいやり方してごめん。名前ちゃん俺のこと少し怖がってる感じあったし、ああいう言い回しで頼んだら名前ちゃん流されてくれるかなって」

そういう幸郎くんの顔はもう怒ってなさそうだった。

「名前ちゃんの事好きだよ」

最初からずっとね。付け加えられた言葉にぱちくり瞬きを返す。

「幸郎くん。私のこと好きなの?」
「うん。好きだよ名前ちゃん」

とりあえず付き合って外堀埋めちゃえば名前ちゃんのことだからその内絆されて、俺のこと好きになるかなぁって思ったんだよねなんて嘯く。

「名前ちゃんの仲いい男って俺くらいだったけど光来くんとも仲良くなっちゃったし、早めに囲い込んどきたかったんだ〜」

そう言われ思わず絶句していると、幸郎くんは「俺たち別れる必要ないね?」と確認する様に聞いてきた。それにコクコクと頷けば、幸郎くんは満足そうに微笑む。私の好きな顔。
スッと幸郎くんの大きな手が私の頬を撫でる。
近づく顔。幸郎くんはたまに見る不思議な熱を帯びたような目をしていた。相変わらず睫毛がフサフサだなぁ。
幸郎くんと付き合い始めて半年目。私は初めて、恋人とキスをした。




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