高校入学


進路の話の続き


幸郎くんと高校まで同じになってしまった。
そんなショックから早数週間。私はようやく高校生活を楽しむ余裕が出始めていた。幸いと言うべきか、幸郎くんとは別クラスだから意外と会うこともない。相変わらずバレーに打ち込んでいる彼は、中学と同様星海くんと一緒にいることが多いようだった。
あんなに綺麗に咲いていた桜はもう散ってしまって、新緑がまぶしい。頬を切るような冷たい冬の風もすっかり去り、柔らかな春風が新学期の始まりをどこか浮足立たせていた。
入学からしばらく経てばじわじわと何組の誰が可愛いだの、隣のクラスの白馬くんがデッカイだの、2年の誰先輩がカッコイイだのといった話題が聞こえ始める。その中の一つに知った名前があった。

「ねぇ、名前ちゃんは昼神くん知ってる?」
「えっ、ひ、昼神くん?」
「そう!2組の昼神くん。背が高くて格好良いんだって。中学一緒だよね?」
「…一応」

まさか幸郎くんのことが話題にのぼるなんて思わず上澄った声が出る。そっかぁ、幸郎くんってやっぱりモテるんだなぁ。

「ね、彼女いたりするの?」
「彼女?えぇ…どうだろ、聞いたことないなぁ」

彼女、幸郎くんに彼女。そういえば幸郎くんって好きな人とかいるのかな。考えたこともなかった。私のはっきりしない返事にも、クラスメイトは「そっかあ〜!マリに教えてあげよ」と盛り上がっている様子だった。その内幸郎くんにも、彼女ができるんだろうか。
それからしばらくして、幸郎くんが女バレの子と良い感じだという話を聞いた。高校生活満喫してるなぁ。

「あっ、」

雑念が入ったせいか、筆運びがブレた。筆をおいて、半紙の上から文鎮を退ける。後で墨を吸うのに使おう、と脇に置いた。バレー漬けの幸郎くんと違い私はのんびり書道部で活動している。子供の頃お習字を習っていたから、というのが入部の理由だ。(中学には書道部がなかったから、文学部に入って本を読んでいた)墨のにおいは落ち着くし、集中して文字を書くのも好きだった。
「お習字習ってる割に字はそんなに綺麗じゃないんだね」と幸郎くんに言われたことがあるけど、シャーペンで書くのと筆で書くのは勝手が違う。と言い張らせてもらいたい。人が気にしてるところを突かないで欲しい。一通り先輩から与えられたお手本を練習して切り上げる。人数が少ないからみんなで片付けをして部室を出た。
部活の友達とおしゃべりしながら校門に向かっていると、体育館前の手洗い場に幸郎くんを見つけた。
隣には星海くんと、知らない女の子。あれが噂の女バレの子なのかもしれない。手洗い場の前を通り過ぎる時、幸郎くんと目が合った。幸郎くんの口が声には出さずに「名前ちゃん」と動いた気がしたけど、きっと気のせいだと友達とのおしゃべりに戻る。
それから幸郎くんと会うこともあまりなくて、同じ高校でもなんとかやれそうだなぁとホッとした。


そう思ったのも束の間、私は早速幸郎くんの教室に来る羽目になっていた。なんでこうなったかって言うと、至ってシンプルだ。数学の教科書を忘れた。数学の先生は忘れ物に厳しくて容赦なく減点してくる。
そもそも数学が苦手でテストでの好成績が見込めない私にとって忘れ物での減点なんて命取りだった。部活の友達に貸してと頼みに行ったけれど、なんと今日は数学が無いらしい。私が頼れる人は、もう幸郎くんしか思い浮かばなかった。
憂鬱な気持ちで昼休みに幸郎くんの教室へ行くと、クラスメイトと話しているのが見える。他クラスって入りにくいし、しかも話しかける相手が話題にのぼるような幸郎くんだ、ずかずか入ってくのが憚られる。どうしようと、教室の入り口で途方に暮れていると、「なにしてんだ」とひょっこり星海くんが現れた。

「幸郎に用事か?」

どうやら星海くんも幸郎くんに用事があってきたらしい。
星海くんの顔を見てハッとした。なんで思い出さなかったんだろう。私には星海くんもいたのに。

「星海くん!!」
「うおっ、なんだよ」

私の勢いに星海くんがのけぞる。

「あのね、数学の教科書貸してくれない?」
「なんだ、そんなことかよ。良「光来、なにしてんだ」
「ひっ」

ぬっと大きな男の子が現れて、驚きで小さな悲鳴が出た。

「芽生」

がお、と呼ばれた彼は私と星海くんを見て「何、光来のカノジョ?」と面白いものを見つけたみたいに目を輝かせる。
もしかして、幸郎くんより大きいんじゃないだろうか。名札には「白馬」と書いてあった。この人が噂の白馬くんらしい。星海くんがハァ?という表情をして白馬くんを睨む。

「あのなぁ苗字は「光来くん?なにしてるの」

教室の入り口で騒いでいたせいか星海くんを見つけた幸郎くんまで現れた。

「あれ、名前ちゃんもいる」

大きな白馬くんで隠れていた私にも気が付いた幸郎くんは「どういう集まり?」とにこやかに尋ねる。
そんな幸郎くんに白馬くんが「なぁ、この子って光来のカノジョ?」と聞いた。

「…そうなの?」

幸郎くんは何故か私に確認をする。にこやかだけど、目が、笑っていない。

「違います」
「苗字は幸郎の幼馴染だよ」

私が否定すると同時に、星海くんが白馬くんに私と幸郎くんの関係を説明する。

「なんだ」

つまらなそうに言う白馬くんを無視して幸郎くんが私のそばに来た。

「名前ちゃんは何してたの」
「わ、たしはその、」

言い淀んでいると星海くんが口を開く。

「数学の教科書借りに来たみたいだぞ」
「忘れたの?名前ちゃんぼんやりさんだな〜」

俺の貸してあげるよ、と幸郎くんが笑う。
私は咄嗟に星海くんの背中にピタッと張り付くようにして「星海くんに借りるから大丈夫!」と首を横に振った。星海くんの背中側のシャツをギュウッと掴んだせいで、前身ごろが後ろへ引っ張られたのか星海くんが「ぐえっ」と言った。首が締まったみたいだ。ごめんね星海くん。

「ふぅん」

そう言ってスッと目を細めた幸郎くんが私の両手首を掴む。そして、ベリッと私を星海くんから引っぺがした。

「わっ!」
「名前ちゃんおいで」

私の態度が気に入らなかったんだろうか。そのまま教室内へ引っぱられる。
助けを求める顔で星海くんと白馬くんを見るけれど二人は「わかったか?ちょっかいかけんなよ」「そうするわ」「“アレ”絡みの幸郎めんどくせーんだよな」と今関係なさそうな話をしていた。薄情だ。

「問題集は?」

自分の机から教科書を出しつつ幸郎くんが聞く。

「…忘れました」
「もしかして一式忘れたんじゃない」

図星だった。
答えない私に「図星か〜」と笑った幸郎くんは「書き込んでいいよ」と一式まるっと貸してくれた。教科書、問題集、ノートを両手で抱えた私は「ありがとう…」と蚊の鳴くような声でお礼を言う。幸郎くんに借りを作ってしまった。
ふと、幸郎くんの手が私の首の後ろに伸ばされる。

「髪、伸びたね」

中学の頃より伸びた髪を今日はひとつに結んでいた。

「ここスースーするんじゃない?」

自分の手とは違う硬い皮膚が首の後ろに触れる。そっと視線を上にあげると幸郎くんと目が合った。その目が、なんていうか、いつもと違うような気がした。瞳の奥に、なにか違う色というか熱を帯びているような、そんな感じ。
そんな幸郎くんの瞳を見て何故だかひどく落ち着かない気持ちになった。なんでそんな目で私を見るんだろう。首の後ろをひと撫でして幸郎くんの手は離れていく。

「名前ちゃん。俺も忘れ物した時、名前ちゃんに借りていい?」

そう幸郎くんが聞いた。こうして借りておいて断れるはずもない。

「うん」
「ありがとう」

幸郎くんは嬉しそうに笑う。
こうして、幸郎くんと私は高校でも繋がりを持つことになった。
自分の教室に戻ってパラパラと借りたノートを見る。見やすい上に分かりやすくてちょっとラッキーだと思ってしまった。返す前にコピーしたい。そこへ数学の先生が教室に入ってきたので、急いで教科書を開く。
するとひらっと教科書の後ろから何かが落ちた。
後ろに張り付いていたみたいだ。床に落ちたそれを拾いあげたとき、見覚えがあることに気がついた。慌てて机の中の読みかけの小説から栞を引き抜いた。私の持つ栞と同じ柄をしたそれは、私が幸郎くんにプレゼントした栞だった。小学生の図工の時間に作った栞は、好きな模様の紙を厚紙に貼ってラミネートしただけの簡素なものだ。覚えたてのアルファベットで「SACHIRO」と書いてある。コタロウちゃんと遊ばせてくれたお礼にと、2つ作った片方を幸郎くんにあげたのだ。上部についたリボンの色を幸郎くんの分は青にしていた。
まだ持ってくれていたのかと驚いたと同時に、可愛かったコタロウちゃんのことを思い出して愛おしくなった。元気にしているだろうか。この栞を持っているのはただの成り行きで、理由なんてないのかもしれない。でも、嬉しいと思ってしまった。居なくなってしまったと思っていたあの頃の幸郎くんを見つけた気分。
栞をそっと教科書の適当なページに挟む。気がついていない体で返そうと思った。授業が終わって、すぐにペンケースから高校入学時に買った可愛い付箋を取り出す。
そして「幸郎くんへ 教科書貸してくれてありがとう。 助かりました。 名前」と書いた。
それを教科書の表紙に貼り、幸郎くんの教室へ急ぐ。

「幸郎くん。これありがとう」

そういって差し出した教科書に貼られた付箋を見た幸郎くんは「名前ちゃんって、書道部なのにそこまで字が綺麗じゃないよね」と笑った。
人が気にしてることを、と思いながらも、その笑顔が栞をあげた時の笑顔と重なって、なぜだか胸がきゅうっと変な音を立てた。






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