笑って、軽口を叩いて、また笑う。
そんな関係が心地好いと思っていた。
だから、その奥にある芯に気づかないようにしていた。
自身の奥底に目を向けないようにして彼女の笑顔を見ることは、本当はとても寂しくて。
自身に嘘をついて笑うことは、本当はとてもとても苦しい。
それでも、底の蓋は決して開けないと、気持ちも、熱も、彼女への全てを自ら作った重石で沈めた。





「………総司?」



きっかけは、ほんの些細なこと。
他の人と笑う彼女の姿。
何度もみていたはずの光景。
それが、胸を深く抉って。
自分の保ち方も、笑い方も、呼吸の仕方さえも、分からなくなってしまった。


閉じ込めていた空間のなかで、外の空気に触れることの出来なかった感情が、腐敗してきてしまったのだろうか。

全てを自分にだけ向けてほしいなんて、いつからこんなに欲張りになったのだろう。
塊のような独占欲に、自身を抑制する事すら出来なくて、気が付けば彼女の腕を引いて、組敷くように股がっていた。



それは、生まれて初めての感覚だった。
血が巡り、煮え立っていく。
耳鳴りのような鼓動が高まる。

震えるような身体は、鉛のように重くて、彼女の上を覆ったまま立ち上がることが出来ない。
そして、その状況に比例するように自分ではない何かが内から生まれ、そのまま全身を覆っていく。


自分の全てに、戸惑っていた。
知らない自分に鳥肌が立った。





持っているはずの自身を抑制する場所が働くことを拒絶してしまっているとしか思えない。
目の奥が熱くなって、脳がぼんやりと霞んでいく気がする。
瞳に写る彼女だけが鮮明で、異常な程透き通って見える白い肌が、眩しいくらい綺麗だった。






「トキさん……」


名前を呼んで、頬を唇でなぞりながら、くしゃりと髪を撫でると、彼女の甘いにおいがした。
そのまま、指先を彼女の線に合わせて流すと、柔らかな感触に目の奥がクラクラとする。

もう戻れないと、脳が叫んだ。




「………っ、」





その瞬間、彼女が息を飲んだのが分かった。
多分、この状況に戸惑っている。
いや、この状況に怯えている。
その状況に、少し興奮している自分がいる。


嗚呼。
………汚ない。




けれど、彼女に触れたくて、独り占めしてしまいたくて、熱を感じたくて、仕方がない。
心掛けていたような平常心は、今の自分には皆無だ。
ただ欲望だけに忠実で、ただ目の前の温もりに飢えて貪る獣のようで、こんなことをしている自分に吐き気がする。
それでも、一度昇り始めた熱は主張したまま、静まることを拒んでいる。






「………い」


「……総、司?」


「………気持ち、悪い」



「総司……」


「すみません、…こんな、こと」





彼女が欲しくて、いとおしくて。
この腕の中に全て閉じ込めてしまいたくて。
押し倒したまま、彼女の手首を掴む手を緩められずにいた。
白い首筋、小さな顔、細い手首。
空気にすら触れさせたくないと思うこの思考は、引き返せないほど異常なのではないかと思う。
自分勝手な感情を汚ないと嫌悪する自分が在るのに、どうしようもないくらい彼女を求める自分も在る。







「すき、」







「………」



「総司が、すき」



「……あの、」




突然の言葉にびくりとして、少しだけ距離を取ると、それは少しだけこの汚ない熱を下げる。
ごくりと唾を飲み込むと、空気が流れていることを久しぶりに感じることが出来た。


それを合図とするように、少しずつ覚醒し始めた脳は、ゆっくりと身体の力を抜いていく。
そうして直ぐに、起きろと命じた。




「すみません」



立ち上がろうと離した腕を彼女は顔を歪めて、しっかりと掴んだ。
突然のことについていけない思考を整理しようと、彼女から視線を移すと、それを拒むように細い腕が頬に伸びて、彼女の熱がゆっくりと伝わる。
そして、目尻から涙がひとつ、ぽろりと流れた。





「トキ、さん」

「すきだよ」

「………ッ」

「責任、とってよ」

「あの………」

「どうしたらいいのか分からないくらい、すきで堪らないんだよ」




真っ赤な彼女のその言葉に溶かされたように、見えなかった周りがスッと視界に飛び込んで、ゆるりと空気が移動した。

暖かな日差しが戸の隙間から差して、宙を舞う埃すら、なぜだかとても綺麗に見える。
汚いと言われる塵でさえも、こうなる前はきっと、綺麗な何かだったのにと、子どもの頃、箒を抱えながら考えたことをふいに思い出した。




「私も、……好きですよ」



汚いこの欲望も、自分勝手な愛情も、いつかは綺麗な想いだった。
にこりと笑う彼女と並ぶ空間が好きで、いつも彼女の隣で笑っていた。
変化など要らないから、同じ毎日が続いてさえくれれば、きっとそれだけで幸せだと思っていた。
ただただ、隣に居られることが、嬉しかった。
飾り気のない、純粋に好きだと言う真っ直ぐな気持ちは、心をいつも温かく包んでくれていた。






「知ってたよ、」




その言葉に戸惑って、二度瞬きをすると、彼女はくしゃりと顔を綻ばせて笑った。



「初めてわたしに会った時から、総司は、わたしのことが好きなんだよ」




「………え」




「………だと、いいなと、………思う」



「………!」






その後のことは、もうぼんやりとしか覚えていない。
彼女が啼くその声に、ぞくりと芯に痺れが走り、髪に絡まる細い指に小さく力が入るた度、彼女の身体はピクリと泳いだ。
そして、そのまま彼女の甘い叫びと柔らかく温かい部分は、全てを麻痺させるように、絡みついて離れない。
無のままに互いを愛して、深く深く捻れていった。







「好きです」




掠れた声に応えるように、何度も、何度も、彼女は私を締め付ける。
いとおしいその感覚は、春の気怠い空気のようで、淡い夢を見ているようだった。















20140517
title ((人魚))







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