蒸し暑い、夏の夜が揺れていた。
灯る灯りは優しげに、強くはっきりと世界を照らして、隣を歩く彼は子どものように、輝かせた瞳にその世界を映している。



活気溢れる人混みの中、揉みくちゃにされ、離れそうになる距離が、何だかとても心細くて、彼の袖をキュッと握る。
視界に入った彼の横顔は、一瞬口元が上がった気がした。






「混んでますね」

「前が全然見えない」

「それはトキさんが小さいからですよ」



アハハと笑いながら、少し前を歩いていた彼は、「ほら、こんなに」とでも言うように、わたしの頭をポンポンと優しく叩く。




「縮んだらどうしてくれる」

「頭を引っ張って伸ばしてあげますよ」

「結構です」

「それは残念」




大袈裟に肩をすくめて見せる彼の背中を小さく叩くと、艶やかな髪がふわりと揺れた。
女のわたしよりも綺麗なのではないかと思うその髪は、歩く度に小さく踊る。
それがとても心地よいと思ったのは、いつからだろう。

並んで歩く彼の背丈が大分伸びて、斜め下から見上げる瞳がとても優しいと、幸せを感じるようになったのは、いつからだろう。

当たり前のように隣で過ごしていく中で、当たり前が特別に変わっていたことに気が付いたのは、いつだっただろう。


ふざけあって、いつも笑って。

たまに触れる彼の手に心が鳴って。


わたしは恋と言うものを知った。







「ねぇ」

「なんですか?」

「皆の誘い断っちゃって良かったの?」

「誘い?あー…、原田さん達との話聞いてたんですか」

「左之の声大きいもん」



その言葉を肯定するように、彼はくすりと笑う。
そして一度、わたしから目を離して、宙を見たその後に、小さく咳払いをした。
少し改まったようなその仕草が、いつもと違って新鮮だ。




「飴がね、食べたかったんです」

「飴?」

「天ぷらも」

「食べ物ばっかり」

「なんですかその呆れた感じは!お面だってね、欲しかったんです!」




改まるような仕草をしたくせに、いつもと変わらないゆるりとした答えを出すものだから、わたしは大袈裟に呆れてみせる。
その表情を見た彼は、なぜかいつもよりゆるやかに、にこりと笑った。




「それからね、トキさんと」

「………?」

「二人きりでこうして歩きたかった」





予想を反するその言葉に、大分時を止めてしまったわたしの手を彼は自分のそれとそっと絡めて、おでこに小さく唇で触れる。
柔らかいその感触を理解するには、わたしの思考は拙すぎて。
それでも、無意識に反応したのは、心の臓が送り出す巡る血のせいだとなんとなく考える。
顔を上げるのが恥ずかしくなると同時に、急に周りの温度が上昇した気がした。


手うちわで冷まそうと風を送ってみるけれど、その効果は得られない。
わたしの体は爆発寸前のようだ。




「………ッ」


「隙だらけですね」


「………そ、じ」




強く握り締められた手の合わさった血管から、痛いほど血が走っているのが分かる。
それが、わたしの物なのか、彼の物なのか、それとも二人の物なのか、判断出来ない。
速まる心音と煮え立つ血は、目の前が眩むほど、騒がしかった。




ぐんぐんと人混みを掻き分け、突き進む彼の背中は、泣き虫だった幼い頃とは違って、見惚れるほど、大きくて温かい。



「離れないでください」

「嫌だって言ったら?」

「わたしの中に閉じ込めて、無理矢理にでも側にいてもらいます」

「強引」

「大切なものを手に入れるためには多少、必要でしょう?」





彼には珍しく少し自己中心的なその言葉は、火照った感情に、とてもとてもくすぐったく響く。



「離れないよ」

そう素直に言いたくて。


握られた手を少しだけ、力を込めて握り返した。














20130714
title((ゼロの感情。))







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