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木こりを人間に戻すか否か。いろいろと思うところはあったが、答えは一つしかなかった。
あの不思議な映像で見たことが事実ならば、彼は恐らく橋を直す技術を持っている。私たちが先に進む為には、些か不本意ではあるものの木こりを助けてやるしかなさそうだった。

件の魔物が隠れた宝箱の在り処は、カミュが記憶がしていた。さすがは盗賊である。思えば前にそれを見かけた時、中身が空であることに勇者さまが酷く落胆していた。カミュは盗賊としての鼻が効くのか勘付いていたようで、ただ涼しげな顔をしてそれを眺めていた。私はと言えば素直すぎるイレブンの反応に、勇者とはいえ普通の若者なのだなあと微笑ましく思ったものだ。

あの時はまさか引き返すことになろうとは思いもしなかった。
それも、こんな複雑な気持ちを抱えて。

犬の姿であったとはいえ、壮年の男性に顔を舐められるというのは非常に衝撃的な出来事だった。恐らく人生初の経験である。幼少期の記憶が一部欠けている私だが、こんなことが何度も起きるはずがない。いや、そうであって欲しい。そうでなければ、記憶を取り戻すという最大の目的に、躊躇いが生じてしまう。


「…これだな。」


目的の場所に辿り着くと、カミュが宝箱を指差した。
この中に、いたずらデビルという魔物が潜んでいるはずだ。
確かに微弱ながらも魔力を感じる。映像で見た通り、あれが扱う魔法はさして強いものではなさそうだが、なかなかにタチが悪い。攻撃魔法ならばともかく、対象の姿形を変えてしまう魔法となっては対処に困るというものだ。術者本人でなくとも解くことは可能かもしれないが、あの手の魔術は些か面倒なのだ。専門の魔導書やら道具やら、そういったものが必要になるだろう。
苦戦せずに倒すことができればいいのだが。

宝箱を開けようと近づく私を、カミュが制した。どうやら彼が開けてくれるらしい。
先程あの犬の正体が判明してから、彼は何故だかこれまでにないほど過保護なのだ。
少々棘のある言動は変わらないものの、その端々からは慈愛のようなものが以前より多く読み取れた。なんというか、まるで厳しい父親のようである。”嫁入り前”という単語がカミュの口から飛び出したことがあまりに意外で、思い出すと笑ってしまいそうになる。年は近いはずなのに、これでは本当にお父さんみたいだ。しかしながら私に父と過ごした記憶はないので、この父親像が正しいのかは不明である。


「ジャジャジャジャーン!参上!オレは…いたずらデビル!!」


箱が開かれるや否や、あの魔物が飛び出した。
予想通りの展開に、一同は思わず黙り込む。
ふとカミュを盗み見ると、まるで般若のような顔をしていた。


「ふ〜ん。…で?」


地を這うような低い声だ。
そっとしておこう。触らぬ神になんとやら、だ。

どうやら私たちの反応が気に障ったらしく、いたずらデビルは激昂した。
「ならこれでビックリさせてやる!」などと言いながら、指先からあの怪しい光を生み出し始める。何故そこまで人を驚かすことに情熱を燃やしているのかわからないが、それを叶えてやるつもりはない。あれに当たるとろくな事にならないのはわかっている。
何としても避けなければ。そんな緊張が走り、思わず生唾を飲み込んだ。

しかしそこにすかさず、カミュの短剣が振り下ろされる。
……会心の一撃だった。


「ごめんね。彼、今は虫の居所が悪いみたいでさ。」


苦戦の「く」の字もそこにはなかった。
まだ息はあるようだが、魔物は一瞬にして瀕死の状態へと追い込まれた。
これではもう何もできないだろう。一体誰が被害者なのか、よくわからなくなってきた。
何気なくイレブンを一瞥すれば、開いた口が塞がらないといった風に呆然と立ち尽くしている。

しかし会話のできる魔物というのは、時に少し厄介だ。
もしもこの魔物がしっかりと反省し、木こりにかけた術を解くと約束するのなら、見逃してやっても良いのではないかと頭に過ぎる。
けれどもよく考えれば、これがそこまで物分かりの良い魔物だとは思えなかった。
今までどれほどの人間を困らせ、苦しめてきたのだろう。想像に難くはない。木こりを犬に変えたのだって、下手をすれば彼の人生を奪うようなものである。いたずらなどという言葉では済まされないはずだ。

…事情が事情とはいえ、木こりを救うのを少しでも躊躇ってしまった以上あまり偉そうなことは言えないのだが。

私はヒャドを唱えた。
手元に形成された氷の刃が、魔物を目掛けて飛んでいく。
もはや風前の灯火と化していたその命は、為すすべなく消え失せた。


「おーい!旅人さん方ー!!」


ひと仕事終えほっと胸を撫で下ろした矢先、ある人物がこちらに駆け寄ってくる。
その丸みを帯びた体型はまさしく、先の映像で見た木こりの姿であった。
魔物を倒したことにより、彼にかけられていた術が解けたようだ。
ああよかったと喜びたいところではあるが、いざその姿を目の当たりにすると、なんだか胸の傷を抉られるような思いがする。


「す、すまなかっただ…!あれはつい出来心で…!」


マンプクと名乗った木こりは、私と目が合うと慌てて釈明した。


「あんまり上手に撫でてくれたもんだから、嬉しくなってしまっただよ。」

「あー、うん、そっか…。」


もしも人語を話す犬がいるなら、言われて嫌な気はしなかっただろう。
しかし今ここにいるのは、人間のおじさんである。


「だけんど嫁入り前のお嬢さんに申し訳ないことをしてしまっただ…なんとお詫びしていいか…ああそうだ、オラんとこに嫁に来るか?」

「は?」


あまりにぶっ飛んだ責任の取り方を提案され、思わず固まってしまう。
カミュが彼を殺さんばかりに鋭く睨みつけていた。
…まずい、このままでは橋が直る前に木こりが死ぬ。


「じょ、冗談だ!こんな可愛らしいお嬢さんオラなんかには勿体ないだ!!」

「…もういいから橋直して。」


カミュに怯え、いろんな所から汗をかき始めたマンプクに対し、私は手短に要求を述べる。
なんだか酷く疲れてしまった。この男にされたことも、もうどうでもいい。…いや、よくはないが、もうこれ以上思い出したくない。考えるのをやめて、なかったことにしてしまいたい。

私の要求を、マンプクは二つ返事で受け入れた。
せめてもの詫びという意味も勿論あるのだろうが、彼はどうやら私たちにとても感謝しているようである。確かにこんな密林に住んでいては他の人間と出会う機会はあまりないだろうし、運が悪ければ彼はあのままずっと犬の姿でいたかもしれない。
結果として人ひとりの人生を取り返せたのだから、一先ずは良しとしよう。
…無理矢理にでもそう納得しなければ、私はこの先どんな思いで進めばいいのかわからない。

橋の修理が終わるまで小屋で休んでいてくれ、というマンプクの言葉に甘え、私たちは引き返してきた。カミュはその間険しい表情を変えなかったが、私が宥めると幾らか落ち着きを取り戻したようである。被害を被った張本人が既に気持ちを切り替えているのだから、彼もこれ以上腹を立てるだけ無駄だと思ったのだろう。どのみち森を抜けるには、マンプクの力が欠かせないのだ。必要以上に邪険にしたところで、得られるものは何もない。


「やーやー。お待たせしてすまんかっただ。」


木こりの仕事は、思った以上に速かった。
橋の壊れ具合を見るにしばらくかかると踏んでいたが、なんとほんの数時間で修理が終わった。
まさに神業である。この男、やはり只者ではなかった。秘境に住むだけのことはある。
前より頑丈にしておいた、という彼の言葉通りとても丈夫そうである。壊れる前の造りは知らないが、素人目に見ても完成度の高さが窺えた。これをたった一人で、しかもこの短時間にやってのけるとは。もはや人知を超えているのではなかろうか。

各々感嘆していると、マンプクの視線がイレブンへと注がれる。


「それにしても、そこの兄ちゃんが木の根に近づいたらオラが犬になんのが見えたってあの話だがよ…ありゃあ命の大樹の導きに間違いねえべ。」

「…命の大樹の導き?」


聞き慣れぬ単語をカミュが復唱し、その隣でイレブンが首を傾げる。


「んだ。大樹の導きは、オラが子供の頃から今は亡きじいさまからよく聞かされてただ。」


世界の中心に浮かぶ大木が、命の大樹と呼ばれ人々から大事にされていることを、私も知っていた。
その葉の一枚一枚にこの世の全ての命を宿し、世界の調和を保つと言われている神の樹木。
生きとし生けるものは全て、大樹より生まれて大樹へと還るらしい。
芽吹いた命の数だけ葉がつき、散りゆく命の数だけ落ちる。
私たちは皆、命の大樹の一部なのだという。


「この森にある輝く木の根は、世界中に張り巡らされた大樹の根っこが顔を出したもんなんだ。そしてあの根は、選ばれし者だけに大樹の意思を伝える。」


選ばれし者。その言葉にイレブンが目を見開いた。

彼が勇者である証だという手のアザが、木の根に反応して光っていたのを思い出す。
私たちが見たあの光景は、大樹が見ていたものなのだろうか。
あれを見なければ木こりを救うことはできなかったし、木こりを救えなければ森を抜ける手立ても得られないままだった。つまりは勇者の行く道が断たれるということ…それを阻止しようと言うのが、大樹の意思とやらなのだろうか。


「兄ちゃん…あんた、命の大樹に愛されてんだな。髪の毛もサラサラだし羨ましい限りだべ。」


余計な一言を付け加えて笑った木こりに、イレブンは困ったような笑みを返した。

彼が背負う使命の全容は、未だ本人でさえも知るところではないという。
成人を迎えた途端お前は勇者なのだと告げられて、半ば強引に旅に出されたらしいイレブンは、本当のところは全く実感がないのだと溢していた。けれども今回の事で、それは彼にとっても幾らか真実味を帯びてきたはずである。
命の大樹に愛された、選ばれし者。世界に光を齎す、伝説の勇者。


「…じゃあ、行こうか。」


彼の故郷、イシの村はもうすぐだ。
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