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一夜明け、私たちはキャンプ地のすぐ側に位置する山小屋を訪れていた。
本来ならば寄り道をしている場合ではないのだけれど、先に進もうにも橋が壊れていて渡れないのだ。いろいろと考えあぐねた結果、私たちはここの住人から情報を得ることにした。
追われる身となった今、他者との接触は出来る限り避けたいところだが、さすがにこのような秘境にまで話は届いていないだろう。
密林に居を構える人間がいること自体驚きではあるものの、現地の住人ともなれば森を抜ける何らかの手段を持っているかも知れない。
何にせよ現時点ではどうすることも出来ないのだから、駄目元でも話を聞く価値はある。
「ごめんくださーい。…あれ、誰もいない?」
しかし、ドアをノックしても反応がなかった。
少し躊躇したが、鍵は掛かっていないようなので扉を開ける。
けれどもそこはもぬけの殻で、主人と思わしき人物は見当たらない。
「出掛けてるのかな?」
そもそも本当に人が暮らしているのだろうかという疑念もあったが、それは小屋の内装を見て打ち払われた。
生活用品が一通り揃っていることと、それらが埃を被っていない様子から住人がいるのは恐らく間違いない。だとすればその者は、今どこで何をしているのだろうか。
「ただの外出なら良いけど、この辺りは魔物だらけだしちょっと心配だね。」
「こんな場所に住むようなやつがそう下手を打つとは思えねえけどな…。」
眉を八の字にしたイレブンの言葉に、カミュは肩を竦める。
確かにここに住む者は、きっと只者ではないだろう。
一体どれほど屈強な人物なのだろうか。頭の隅で想像を巡らせながら、私は二人に提案する。
「このまま待つのも時間が惜しいし、探してみる?」
イレブンの心配は恐らく杞憂に終わるとは思うけれど、万が一ということもある。
それにじっと帰りを待つよりは、こちらから赴いた方が早いだろう。入れ違いになる可能性は否めないが、件の人物探しはさほど困難ではないように思えた。なかなかに広く入り組んだ森ではあるが、現地の人間なら尚更その危険をよく理解しているだろうし、闇雲に歩き回ったりはしないはずだ。きっと遠くへは行っていない。そう考えた私の言葉に、二人は頷いた。
異論はないようなので、一先ずここを離れることにする。
「うおっ?!」
しかし小屋を出るや否や、犬が私に飛びついてきた。
恐らくここの主人の飼い犬だろうと思うのだが、それが偉く人懐こいのだ。
来た時にも見かけたので一度撫でてやったが、顔をベロベロと舐められてしまった。
動物は好きな方だし懐かれるのも悪い気分ではないけれど、些かその勢いに気圧されてしまう。
「よーしよしよし、今から君の主人を探してやるからね。良い子にしててよ。」
両手で顔を挟むようにしながらわしゃわしゃと撫でれば、尻尾を千切れんばかりに振ってワンと一鳴き。まるで言葉が通じたかのようにも思えたが、犬はそのまま私の足元をクルクルと回り始めた。ダメだ、やっぱり通じてない。…当たり前だけれど。
「お前だけやけに懐かれてるな。」
「オスなのかな?きっと女性が好きなんだね。」
この犬の性別については考えもしなかったけれど、そう言われればそうなのかもしれない。
とはいえ、あまりまじまじと見て確認をするのも憚れるが。
「なあ、そこの脇道を調べてみないか?」
犬のじゃれつきに辟易している私をよそに、カミュは小さな道を指差した。
小屋の脇から裏手の方へと延びているらしいその道は、なんだか他と比べて少し異彩を放っているようにも見える。ここまでの道中、大きく拓けたような所もあればまだ人の手が加えられていなさそうな所もあったが、このような細い小道は他に見かけなかった。確かに何かありそうな気配はある。冒険者の勘というものだろうか。そちらへ歩き出した二人の背を見て、私は慌てて犬の猛攻を振り切った。
*****
脇道は思いのほか短く、すぐに行き止まった。
犬も私を追って来たらしく、気づけば背後で尻尾を振っている。
それを一瞥したイレブンが、小さな笑みを溢した。
小屋の主人らしき人物の姿はここにもなく、やはりそう上手くはいかないのだなと少々落胆した。しかしその奥には何やら光る木の根のようなものが生えていて、自然と目を引かれる。
どうやらそれは他の二人も同じのようで、物珍しげに眺めていた。
そこで私は、あることに気づく。
イレブンの手の甲にあるアザが、光っているのだ。
まるで、木の根と呼応するように。
「ねえ、イレブン、それって…。」
私がその手を指差すと、イレブンは目を瞬かせた。
彼は首を傾げたが、やがて何かに導かれるように木の根へと手をかざす。
するとその瞬間、辺り一面を強い光が覆い尽くした。
あまりの眩しさに思わず目を閉じると、頭の中に映像が流れ込んでくる。
まるで、誰かが見ている光景を間接的に見せられているような、とても奇妙な感覚だった。
『カッコンカココン木を切るべ〜♪
オラは木こり 森の恋人〜♪
は〜ぁ よっちょれ よっちょれよぉ〜♪』
先程まで私たちがいたあの山小屋を背景に、そんな歌声が聴こえてくる。
それから間も無く、ヒゲを伸ばした小太りの男性が姿を現した。
彼が歌声の主であり、恐らくは探し求めた山小屋の住人なのだろう。
一体どんな強者かと思いきや、意外にも優しそうな顔をしたおじさんである。
しかし彼は、壊れた橋を目にした途端激怒した。
『昨日直したばかりの橋がまっぷたつ!またいちからやり直しだ!誰だべやこんな酷いことするやつは!』
かなりご立腹の様子ではあるが、さほどの迫力は感じられない。
やはりその丸いフォルムや、柔らかな顔立ちがそうさせるのだろうか。
人は見かけによらないものだが、どう考えてもこの男が危険地帯に居を構えて無事でいられるとは思えない。引越しを強く勧めたいところである。
『ジャジャーン!それはこのオレ!いたずらデビル!』
男の言葉に答えるように、橋の下から魔物が現れた。
いたずらデビルと名乗った魔物はその名に相応しく、絵に描いたような悪魔の姿だ。
しかしこちらもどことなく迫力に欠ける、丸みを帯びたフォルムをしていた。
『せっかく壊した橋を直されてたまるか。これでも食らえ!いたずら変身ビィ〜〜ム!』
なんとも気の抜ける技名だが、それを言うや否や魔物の指先から怪しい光が溢れ出る。
見た限りではそこまで強い魔法だとは思えないが、なんだか嫌な予感がした。
『ぎょえーーっっ!!』
男は真っ向から光を浴び、恐怖からか苦しみからか、なんとも言えない叫び声をあげる。
やがてその光が消えると、彼はすっかり変わり果てた姿となっていた。
『ワンっ!』
…先程まで私にじゃれついていた、あの犬と同じ姿に。
『ケッケッケー!いたずら大成功!木こりを犬にしてやったぞ!オイラやっぱり天才かもね〜。さーてとっ!次はどんないたずらをしよっかなぁ〜♪』
魔物はさぞかし愉快そうに笑い、意気揚々とその場を後にする。
それから程なくして、密林の一角らしき場所にある宝箱の前に辿り着いた。
どうやらまた何か、良からぬことを閃いたらしい。
デビルの名に恥じないニヒルな笑みを浮かべ、魔物はこう溢した。
『そういやこの宝箱は空っぽだったな。しめしめ…それじゃあお次はこの宝箱の中に隠れて…』
眩い光が収束し、視界が元に戻っていく。
ここで映像は終わりのようだ。
「今の光景は一体なんだ?イレブン…お前、この光る根っこに何かしたのか?」
この場にいる全員に、同じものが見えていたらしい。
カミュの問いかけに対し、よくわからないといった風に首を傾げたイレブンは己の手と木の根を交互に見やっていたが、その仕組みが明かされることはなかった。
差し詰め、勇者さまの不思議な力といったところだろうか。全てをそれで片付けてしまってよいものかはわからないが、他では説明がつかないのだから仕方がない。
「くぅ〜ん…」
私の足元で、犬がどことなく居心地悪そうに一声鳴いた。
一同の視線が自然とそこに集まる。
「マジか…このワンコロが木こりのおっさんだってのか…?」
そんなカミュの言葉に、私の脳裏にはあらゆる光景が呼び起こされた。
犬に顔を舐められたこと、足元に擦り寄られたこと、じゃれつかれたこと…。
なんだか嫌な寒気がして、思わず両手を交差し二の腕を掴む。
そしてそれは他の二人の思うところでもあるらしく、イレブンはなんとも言えない顔で犬を凝視し、カミュに至っては何故か鬼のような形相をしていた。…そんな顔をしたいのは、どちらかと言えば私の方なのだけど。
「えーっと、それじゃあのいたずらデビルっていう魔物を倒せば、おじさんは元に戻るのかな。」
冷え冷えとした空気の中、イレブンが口を開く。
「別に戻してやる義理はねえけどな。」
吐き捨てるように返答したカミュに、勇者さまは曖昧な笑みを溢した。
私がされたことなのに、彼がここまで怒ってくれるとは非常に意外である。
やっぱり君は良い奴だなあ、それでこそ私の友達だ。なんてことを思いながら怒り顔を眺めていると、視線がぶつかった。カミュは忽ち眉間の皺を深くして、私に言い放つ。
「お前も少しはキレろよ!」
「…へ?」
「だって、あんなおっさんに…!嫁入り前だろ?!」
「うーん、君は私のお父さんか何か?」
もう耐えきれないと言わんばかりに、イレブンが肩を震わせる。
カミュは頭を掻き、酷く不機嫌そうに「もういい」と呟いた。
正直彼の言うようにキレたい気持ちはあるのだけれど、自分以上に怒れる人間が側にいると何故だか冷静になってしまうのだ。
「でもまあ、リップスとかに舐められるよりはマシだよ、たぶん。」
自分でも何のフォローをしているのかよくわからないが、イレブンのツボにハマったらしい。
ついに吹き出した彼を横目で見つつ、あの魔物が身を潜めた宝箱の場所に思考を巡らせた。