その日の折原臨也の運気は、自分でも驚くほど良かった。

先日まで手を焼いていた厄介な案件も今日になってあっさりと解決でき、その際に思わぬ収穫も得た。部下に嫌味を言われることもないし、大好きな人間観察も思う存分に堪能した。そんな最高な一日に飲む紅茶は、滅多に手に入らない臨也気に入りの茶葉だった。



「んー…今日はなんて良い日なんだろ!これでシズちゃんが死んでくれれば言うことないんだけどなぁ」



マジ死なないかなぁ、と臨也は零しつつ紅茶を啜る。やはり中々手に入らないだけあってその味は格段に美味い。口内を広がる甘さに、思わず感嘆の息を吐く。
案件が片付いたとは言ってもまだまだやらなければならない仕事は山ほどあるが、これだけ運も良く、更に美味なる紅茶を堪能できれば頑張れる。

さて、波江が嫌味を言い出す前に仕事の続きでもしよう、と臨也が腰を上げかけた時。



「臨也!」

「どうしたの、波江。珍しいね、君がそんなに慌てるなんて……何かあった?」

「……いいから来なさい」



波江に引かれるがままに付いて行った場所は、リビングだった。そしてテレビの前に移動させられ、臨也は疑問を含んだ訝しげな視線を波江に向けるのだが、彼女の冷めた目は「いいから見なさい」と語る。
彼女が自分の言うことなど聞くはずもないと分かっている臨也は文句を口に出さず、徐に波江から視線をテレビ画面に移す。どうやらニュース番組の生中継をやっているらしく、画面には悲惨な光景が映し出されている。慌ただしいリポーターの声を聞く限り、どうやら池袋で大きな衝突事故が発生したらしい。映像の中に映し出された二台の車は大破しており、両者に乗っていた人間は無傷というわけにはいかないだろうな、と人事のように臨也は思った。

そして同時に臨也は思った。何故彼女はこれをわざわざ自分に見せようとしたのか、と。偶然起きただけの事故に臨也は別に興味など引かれない。寧ろ、どうでもいいとすら思っている。



「…で?波江はこれを俺に見せて何がしたかったの?特になぁーんにも思わないんだけど」

「……さっき、貴方も世話になってる闇医者から電話があったわ」

「ああ、新羅?何だって?」

「この事故に、あの平和島静雄が巻き込まれたそうよ。外傷は大したことはないそうだけど……現在、意識不明らしいわ」

「……マジでか!」



思いもよらなかった知らせに臨也は目を見開き、もう一度食い入るように画面の惨状を見る。見るも無残な姿になった二台の車と周りの惨事を見比べ、相当酷い事故だったのだろうと容易く想像できる。
そんな大惨事に臨也の大嫌いな彼が巻き込まれて、しかも今は意識不明だと言う。新羅から連絡があったということは、静雄の身柄は彼が預かっているのだろう。何故、静雄のことを嫌い臨也にわざわざ連絡したのかは不明だが、しかしそれは臨也にとって素晴らしい朗報だった。


今日はなんて素晴らしい日だ!と高らかに笑う臨也を横目に、波江は溜息を吐きながら眉を顰めた。



「こうしちゃいられない!さっさと仕事終わらせて、シズちゃんの死に目を見に行かないと!!」

「……ほんと最低な男ね、貴方」



しかしこの時は彼女も臨也も知らなかったのだ。

良いこと続きの幸運は、災厄の前兆であったということに。
――――臨也のその好奇心が、自ら不運を招くなるということに。


誰も、知る由もない。











折原臨也が平和島静雄の不幸を嘲笑ったあの日から三日。つまり、平和島静雄が事故に巻き込まれて三日が経った現在、両者の友人である岸谷新羅とその同居人であるセルティ・ストゥルルソンは頭を悩ませていた。



「この三日で、何も変化はなさそうだね…」

「…すみません、先生」

『落ち込むな静雄!大丈夫だ、まだ三日しか経ってないじゃないか!』



セルティの激励に静雄は僅かに頬を緩ませるのだが、その表情には陰りが見える。それにセルティは何とも言えない気持ちになり、PDAに文字をそれ以上打ち込むことが出来なかった。
見るからに肩を落としていて落ち込んでいるセルティを心中で「なんて温厚篤実で高潔無比な心を持ってるんだろうか!流石は僕のセルティ!」と延々と愛する彼女を称賛した後、数日前に比べて甚く大人しくなってしまった友人を見ては困ったように眉尻を落とす。


ベッドに上半身を起こし、不安そうな顔つきをしている彼はこの広い池袋で最強の称号を持つ、喧嘩人形だ。そして三日前に偶然、大きな衝突事故に巻き込まれた被害者でもある。
怪我自体は流石と言うべきか、あれだけの大惨事にも関わらず彼は軽傷だった。目立つ外傷は見られず、頭を強く打ち付けたようだが脳にはまったくの異常もない。意識だって本当は臨也に連絡をした時には既に戻っていた。

けれど、目覚めた彼には記憶がごっそりと抜け落ちていた。自分の名前、新羅やセルティの名前、ここが何処なのか、自分に何があったのか、そういった情報が今の静雄にはないのだ。
所謂、記憶喪失といってもいいだろう。闇ではあるが、医者として腕は良い新羅の判断はそれだった。



「まぁ、忘れてるのは自分のことと他人との人間関係だけだから日常生活は送れるだろうけど……でも困ったな。今の静雄を池袋に一人で放り込むことは出来ないし」

「…俺、何かやってたんスか?」

「何かって言うか……君が何か仕出かしたというわけじゃないけど、君に理不尽な言いがかりをつけてくる人間は少なくはないと思うよ」

『静雄は悪くないから気にしなくてもいいんだが……やはり心配だな…』

「以前に比べて大人しいし、沸点も高くなってるみたいだしね。変な輩に絡まれても全部甘受してしまいそうだよ」



静雄が池袋最強と謂われるようになったのは、それまでの過程があるからだ。誰にも負けない力、戦闘能力、圧倒的な強さを静雄は持っている。彼は根は優しいが沸点は非常に低く、その度にそれらの力を全力で揮った。それ故に、その圧倒的すぎる静雄の戦闘能力に恐れた人間は静雄を池袋最強と呼び始めた。

しかし、だ。今の静雄は新羅の言う通り以前と比べて沸点が高い。纏う雰囲気も以前の鋭くも殺伐としたものではなく、大らかで柔らかい。それは以前の静雄が親しい間柄になった気を許した人物しか見せなかったものだ。しかし今の彼は常にこれだ。


以前の彼が望んでいた平穏になる為には、こちらの方が余計な争いを生まなくていいのかもしれない。
けれど、彼がこの街で常にその空気を纏うには、彼の存在はあまりにも有名になりすぎた。


それが二人は心配だった。だからこそ二人は以前の静雄の記憶を戻すため、この三日間色々なことを試した。彼のこと、彼と所縁のある人物達のこと、池袋のこと、仕事のこと、今までに起きた様々なこと。ある一人のこと以外、新羅とセルティは自分達が分かる範囲で全てを教えた。しかし静雄の記憶は戻らなかった。



「(……やっぱり、最終手段しかないか)」



出来れば彼には極力関わってほしくなかったが、自分達の出来得る全てのことをしても静雄の記憶に変化は見られなかったのだから、仕方がない。今日の早朝に彼からの電話で静雄の容態について嘲笑混じりに聞かれたから、きっと漸く仕事に片がついたのだろう。そうなれば彼は絶対に池袋に来るはずだ。自身の嫌いな天敵の様子を笑う為に。あの男はそういう男だということは新羅はよく知っている。

これは一種の賭けだ。
静雄自身の彼に対する嫌悪と憎悪が再び呼び覚まされれば、彼は間違いなく池袋最強に戻れる。しかし彼を見ても、静雄の本能的衝動が湧き上がって来なければそれは本当に打つ手がない。全ては静雄の彼に対する怒りという感情に賭けるしかなかった。



「――――セルティ、少し頼みたいことがあるんだ」

『何だ?』

「…静雄を、池袋に連れて行ってほしい」



果たして吉と出るか凶と出るか、それとも何かが出てくるか―――。

全ては池袋の地で、犬猿の仲と有名な戦争コンビの邂逅によって決まる。





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静雄が全然喋ってなくて申し訳ないです…。


あと、どうやって簡潔で分かりやすい文って作れますか?
加藤は自分の文才のなさに今更絶望した(´・ω・`)



 

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