池袋、某所。そこは今日も変わらず人で溢れ返り、その一人一人は個々にそれぞれの日常を送っていた。何の変哲もない日常。
そして今、彼と彼が対峙しているのも。彼等にしては“日常”。



「手前…二度と池袋に来ンなっつったよなぁ?いーざーやくんよぉ」

「……やぁ、シズちゃん。どうして君は俺が池袋に来る度に、毎度のように見つけてくれちゃうのかなぁ。ほんと嫌になるんだけど」

「それはコッチの台詞だノミ蟲ィィィ!!!」



ブオッと物凄いスピードで投げつけられた自動販売機を、臨也は何の苦もなく避ける。すぐ真後ろでは自動販売機の大破する悲惨な音が聞こえた。これでこの不快な音を聞くのは何度目で、自分は何度この男に自動販売機を投げられたのだろうかと考え、溜息を吐きたくなった。
そんな臨也の呆れた心中など知ったことではない静雄は、額に青筋を浮かべ、自分の大嫌いで大嫌いで仕方のない性悪な男を睨みつける。それだけで静雄の苛立ちは三割を増す。



「うぜぇ、うぜぇうぜぇうぜぇ!手前の顔を見るだけで苛々する!死ねクソ」

「何ソレ?理不尽にも程があるよシズちゃん。大体さ、苛々しちゃうなら見なければいいじゃん。ていうか俺の断りもなしにジロジロ見ないでよ、吐き気がするから!」

「だったら俺の目の前に現れンじゃねぇぇぇ!」

「……ほんと君って奴は…」



勘弁してよ、という臨也の心からの呟きなど最早耳に届いていない静雄は、怒りのままに掴んだソレ―――標識を二本、両手で構える。どうやら向こうは完全にキレたようで、完璧に戦闘態勢である。そこで臨也は頭を抱えたい気持ちで一杯になった。

本日、彼がこの池袋に来たのは静雄をからかいに来たわけでも、露西亜寿司を食べに来たわけでも、趣味の人間観察をしに来たわけではない。仕事をしに来たのだ。それもとっても重大で重要な大仕事だ。それはもう綿密に慎重に進めていた仕事。あの臨也がここ最近、押詰まってしまうほど大きなものだった。それが今日、もっと言えば先程、全てが終了したのだ。重大で重要な“仕事内容”を、依頼人に届けた。それで臨也の仕事は終了した。完全燃焼だ。
そしてそんな大仕事をこなした臨也は今、猛烈に疲労していた。いくら不規則な生活にも慣れた体と言えど、酷使させればボロボロになる。特に自分の体はそうだ。限界を迎えるのが早い。


だからこそ臨也は、この日、この時、この瞬間。自分の天敵である平和島静雄とは何が何でも会いたくなかった。こんな最悪なコンディションの時に、何時もギリギリで逃げ切れるか逃げ切れないかの瀬戸際で行われる生死を懸けた鬼ごっこなどしたくなどない。



「…ねぇ、シズちゃん。今日は本当に俺、珍しく疲れてて君の相手をしてる余裕がないんだけど……」

「あァ?なら好都合じゃねぇか。弱った手前を気が済むまで殴る」

「どんだけサディストなんだよ……嫌だなぁ、ほんと」



二本の標識を構えている彼は、分かり切ったことではあったがどうやら退いてはくれない様子だ。仕方なく臨也も一応はナイフを構えてみるものの、如何せん、体があまりの疲労のせいでダルくて重い。ついでに言うと、周りの野次馬の声がうざい。別に見世物じゃないんだから見てないでどっか行けよ、と心で念じてみても効果なんてまったくない。口に出していないのだから当然なのだけど。

そんな実に下らないことを考えている内に、痺れを切らした静雄が標識を振り上げつつ一直線で向かい来る。あの鉄の棒を静雄の馬鹿力で思い切り振り落とされては堪ったものではないと、背筋に冷たい汗を流し、臨也はヒョイッと右に移動してかわす。けれど、その方向からはもう一方の標識が横から向かって来て、目を見開く。



「(やっば…!)」



と、思った時には遅くて。横からスライドされた鉄の棒は、臨也の横腹に直撃した。それだけでも激痛であるのに、それをした相手が平和島静雄だ。周りの野次馬ですら思わず痛そうな悲鳴を上げるほどの反則的な破壊力。
只でさえ平均よりも華奢な臨也は、その威力により体ごと横へ吹っ飛んだ。しかも運悪いことに、吹っ飛んだ先は無機質な壁が待ち構えており、臨也は大した受け身もとれないまま壁に後頭部と背中を打ち付ける。

連日の押詰まりによる徹夜、完全燃焼からくる満足感、故の安心感。そして残る、多大な疲労感。それに加え、調子が頗る悪い時に静雄と遭遇。しかもこの仕打ち。横腹は激痛が走るわ、打ち付けた頭と背中は痛いわ、最早全身が痛いわ、エトセトラエトセトラ。
頭を打ったせいなのか次第に視界は歪んでいき、意識が霞みがかっていく。感覚すらも薄れていっている中、臨也は生温かい何かを感じるな、と他人事のように思いながら目をゆっくりと下ろした。



「…?オイ…」



流石にいくら経っても起き上がろうともしない臨也に不信に思ったのか、静雄が近付く。未だに持ったままである標識をコンクリートの地面に引こづっているので、歩く度にガーッガーッという耳触りな音を立てる。
けれど臨也は起き上がらない。それどころか、身動き一つしない。細い四肢を投げ出し、自慢の黒いコートを砂だらけにし、黒い艶やかな髪を乱したまま、臨也はそれでも微動だにしなかった。

あの、臨也が。野次馬も多くいるこの場で、天敵の静雄に殴り飛ばされたというのに、すぐに起き上がって得意の嫌味を零すことをしなかった。
その瞬間、静雄の中で嫌な予感が過った。



「っ、オイ!?」



手に持っていた標識を放り投げ、右手で臨也の胸倉を掴み上げる。その体は大した力も入れていない腕力で簡単に持ち上がり、あまりの軽さに静雄は思わずギョッとする。しかしそれ以上に驚愕することが目の前にあって、サングラスの奥の目を思い切り見開かせる。

普段から白い肌は青白く、滑らかな黒い髪は一部が束になり、色付いている。恐る恐る左手をそこに這わせれば、ネチョリ、と嫌な感触がする。生温かいそれは、分かりたくなくとも静雄には分かってしまった。けれど見たくはない。見たくなどない自身の左手、生温かいそれに触れてしまった左手。
無意識に這わせていた左手を離し、静雄はゆっくりと離れたソレを眼で追った。

そして見てしまった。赤く紅く染まった、自分の左手を。



「―――ッ、」



臨也の目と同じ色をしたそれは、紛れもなく血だった。誰のでもない、臨也のものだ。彼をぶっ飛ばして、壁に打ち付けて、そして流れてしまった血。自分の力加減が招いたことである。


――――そこからの静雄は素早かった。

喧嘩し始めていた時よりも増えた野次馬などにも目もくれず、静雄は大嫌いで大嫌いで仕方がない天敵の男を抱き上げ、渋谷の街を走り抜けた。擦れ違う人々は、バーテン姿の男と、その男に抱きかかえられている黒い男を思わず凝視するが、今の静雄は世間の目を気にしていられる余裕は微塵にもなかった。
それよりも、腕の中で微動だにしない臨也のことで頭が一杯である。恐ろしいほど軽い肢体、今にも折れそうな四肢、凍えてしまいそうな冷えた体温。その全てがまるで臨也の生存を否定しているかのようで、心臓が脈を打つ。



「…ッ、ざけんなよ…!クソ臨也ッ」



今まで自分は、そんな相手と喧嘩をしていたのだ。昔からずっと。出会った学生時代から、ずっと。少々行き過ぎた危険な喧嘩を、数年間続けていた。
それが自分達の“日常”だったから。静雄がキレて、臨也がおちょくり、静雄が投げて、臨也が逃げて、静雄が殴って、臨也がナイフで応戦。学生時代より繰り返されてきた喧嘩は、静雄と臨也が顔を見合わせた瞬間から始まる。それが彼等の日常で、彼等の普通になっていた。



『―――確かに臨也は強いよ。そこら辺の一般市民では敵わないほど』

『………』

『けどね、静雄……忘れてはいけないよ』



だから、忘れていた。
学生時代、いつになく真剣な表情で言う友人の言葉を。ゆっくり丁寧に、言い聞かされた言葉を忘れていた。否、忘れようとしていたのだ。

静雄と臨也の関係は互いに嫌悪し合っていて、埒の明かない喧嘩を続ける自他とも認める犬猿の仲だ。それ以外は認めない、認めてはいけない。だから静雄は臨也には、多少の手加減はするものの、それでも溢れだす破壊衝動をぶつけたし、臨也はそれを憎らしくい嫌味を吐き捨てながらヒョイヒョイとかわす。それに静雄がキレて、臨也が逃げる。
それが彼等の喧嘩。埒の明かない喧嘩。彼等の日常で、普通。殺伐とした殺し合いのような喧嘩をするのが、平和島静雄と折原臨也の日常なのだ。



『彼は―――…臨也は、…』



けれど今、臨也は体調不良により油断し、結果的に静雄に吹っ飛ばされ。静雄は静雄で、慣れてしまった日常通りの喧嘩に力加減を誤り、結果的に臨也の意識を吹っ飛ばした。そして臨也は目覚めない。まるで、友人が真剣な顔して自分に忘れるなと言い聞かせていた、あの時のようだ。
ただ違うのは、現実の臨也は自分の腕の中でグッタリとしていて、記憶の中の臨也はその友人の家の真っ白なベッドで真っ青な顔で寝ていること。それ以外は同じだ、状況も臨也の衰弱加減も。

それが重なって見えてしまい、最早静雄は友人の言葉を「忘れた」なんて言い逃れは出来なくなっていた。あの時の告げられた言葉は忘れてはならない。忘れては、いけないのだ。



『臨也の身体は、欠陥だらけなんだから』



いくら大嫌いで憎くてどうしようもない相手だとしても、それは忘れてはいけない事実であり。忘れてはいけない、真実。


静雄が臨也との“喧嘩”を“日常”にする限り、臨也が静雄との“やり取り”を“普通”だと思っている以上、これは忘れてはならないのだ。

――――だから今のような非日常は、日常ではない。





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病弱臨也と、死にかけ(?)臨也を目の前にしてうろたえる静雄。
シズちゃんは優しいからきっと、どんなノミ蟲野郎でも最終的には助けてくれると信じてる!←

続きそうで続かない(笑)




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