――――苦しい、苦しい。
どうしてこんなことになったのだろう。何度も頭の中で呟いた言葉を再び反芻しながら、俺は止まることのない痛みと苦しみに必死で耐える。
「……ぐ、っふ…ゥあ、ぁ」
「臨也臨也臨也臨也臨也」
「は―――あァ、ああああああっ!!」
イタイイタイイタイ、クルシイ、イタイ。
ボキリッと嫌な音がしたかと思えば、一瞬にして言い様のない痛みが体全身を襲う。何処が痛いかなんて分からないほど痛めつけられた体は、更に痛めつけられる。今度は何処の骨がイかれてしまったのだろう、そしてこの熱い痛みをあと何度味わえば俺は解放されるのだろう。
俺を痛めつける男は、顔を歪ませて痛みに苦しむ俺の様子を恍惚とした表情で見下ろしていた。そして何度も俺の名前呼ぶ。臨也臨也と、まるで壊れた人形のように俺の名前だけを繰り返す。
ひたすら、俺の名前しか言葉に出来ないみたいに、臨也臨也と俺を呼ぶ。それに返事をする元気も気力も俺はなくて、ただ体中を襲う容赦ない痛みに呻き声を上げて耐える。生理的に零れる涙は止めどなく流れ続け、地面を濡らす。額からは汗も零れ、輪郭を伝って涙と共に地面を濡らした。
ああ、いたい。
「…ァ、はぁ、はっ…!」
「なぁ臨也、こっち向けよ。なぁ」
「…っ、ず…ちゃ、」
「ごめんな、臨也。こんなにしちまって。けど、手前が悪いんだからな」
元気があるならば「俺が何をした」と怒鳴りつけてやりたい。けれど、先程も言った通り俺には元気も気力も残されていない。震える唇から漏れるのは荒い息遣いとか細い声。決して言葉にならない、細い声だ。俺の得意分野でもある言葉が今となってはまったく機能しない。これも全て、彼のせい。
泣きそうな顔で俺に謝っては、しかし、と続ける。このやり取りも何度目だ。痛いよな苦しいよな、こんなことして悪いごめんな、だけどお前が悪いのだ。彼は狂ったように俺に悪を押し付ける。
俺を殴り蹴り、散々痛めつけたところで彼はいつも悲しそうに、けれどその双眸に怒りを宿しつつも言葉を吐く。そして先刻まで俺を殴りつけていた手とは思えないほど至極優しい手付きで俺に触れ、柔らかく抱きしめる。俺の血で染まった手で、俺を優しく撫でる。精一杯の力を振り絞って俺に触れる彼を見上げたら、その双眸にあったはずの怒りは消え失せ、その代わりに愛しみに満ちた目で俺を見る。
これも、いつものこと。
「……し、ず…シズ、ちゃ…ん」
「どうした?臨也」
「な、んで…こんな、こと」
「だって手前、門田達と話してたじゃねぇか」
「…そりゃあ、ね。ふつー、知り合いと会ったら、話すだろ」
「それだけじゃねぇ。アイツらと話してた時、すげぇ楽しそうに笑ってたじゃねぇか」
「俺だって、喜怒哀楽のある、人間だ……楽しければ、笑う、よ…」
「何でだ?」
やっぱり。いつもと同じ応酬をしていれば、彼は心底不思議そうな顔で首を傾げる。どうして、なんで、彼は普通ならば分かりきった答えをとても不思議そうに尋ねる。
知り合いがいれば話す。それがある程度の関わりを持っている人間ならば尚更だ。その会話が弾み、楽しいと思えば自然と口角は吊りあがる。正常な感情を持っていれば当然のことだ。
だから俺は池袋で偶然会ったドタチンと、そこに居た来良の三人と話しをした。話した内容はもう忘れてしまったけれど、確か俺が軽口を叩いて帝人君と杏里ちゃんが困っていて、二人を困らせている俺にキツイ言葉で小さく反抗してきて、そんな彼を宥めつつ呆れた表情で俺に注意するドタチン。その空間が楽しいと思ったから、俺はきっと笑ったのだ。
それの何がいけないのだ。確かに人をからかうことは一般的に考えれば良くないことかもしれないが、彼の疑問はそこではない。
彼の疑問は、到底理解できることではなくて、極めて身勝手な内容なのだ。
「そもそもよぉ、何で手前はアイツらと話すんだ?どうして笑うんだ?知り合いだからどうした、そんなの関係ねぇだろうが。アイツらと話して面白いのか?楽しいのか?そんなわけねぇだろ、なぁ臨也。手前が面白いと思うのも、手前を楽しませることが出来るのも、俺だけのはずだろ。なぁ、そうだよな?臨也くん」
「ヒッ…!?や、は…っなせ!やめ…ッ」
「臨也、そうだろ?手前は誰のモンだぁ?俺のモンだろ?」
「ふァ!?」
普段の彼からは考えられないほどスラスラと出てくる言葉の数々に血の気が引く。何度も同じやり取りをしていたのだから、彼が言うであろう言葉を分かっていた。だけど何度聞いても信じられなくて、それと同時に気分が悪かった。
ついでに言うならば、俺の体を這う彼の手の感触も気分が悪い。ああ、嫌だ。気持ちが悪い。けれど一番気持ちが悪いのは、彼の手の動きに順応してしまった俺自身だ。ああ、キモチがワルイ。
痛みと恐怖ですっかり冷え切っていた体は俺の意思とは関係なしに徐々に熱を帯び、感じたくもない彼の手の感触を鮮明に感じ取る。最初は気持ちが悪いだけの行為がいつしか快楽を生み、痛みしか伴わない行為がいつしか快感を生んだ。数を重ねた結果、得たモノがこれだなんて泣きたくなった。それぐらいならば痛みと苦しみで死んでしまった方がマシだった。
「臨也、好きだ」
「…っシズちゃ、ん…!」
「愛してる。俺が手前だけを愛してやる」
愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる。
狂ったように何度も何度も繰り返される、シズちゃんからの一途で純粋な歪すぎる告白。耳が壊されそうなほど延々と紡がれる“愛している”のコトバは、確実に俺の酸素を奪っていった。
愛してる、と一言紡がれた途端に呼吸の仕方を忘れてしまう。耳から更に、脳まで壊されてしまいそうだ。
臨也臨也と、愛してるの言葉の間隙にシズちゃんが俺を呼ぶ。そして愛してるとまた呟く。
その度に壊れる、俺の脳。
「臨也、なぁ臨也。俺は手前が好きで愛してるし、俺だけが手前を好きで愛してるんだ。だからお前は俺のモンなんだよ。分かるか?」
「…あ、い…」
“愛”って何だっけ?“愛している”って何だっけ?昨日までのおれは何を愛していたのだろう。俺は誰を愛していたのだろう。
次第に壊れゆく脳では、思い出せなかった。
「シズ、ちゃん……モノ…愛、し」
「そうだ。お前は、俺のモンでこれからもずっと俺だけの“臨也”だ」
シズちゃん、シズちゃん。
おれが名前を呼ぶ度に随分と綺麗に笑う彼に、損傷の激しい手を伸ばす。俺よりも大きくて温かくて、赤く染まっている手でおれの手を握って、もう片方の腕はおれを抱きしめた。
金色の髪が首筋に当たって少しむず痒かったけど、そんなことどうでもよかった。耳元を掠めるシズちゃんの声に、おれの意識は、感覚は、全て持っていかれたのだ。
「臨也、お前は誰のモンだ?」
「…シズちゃん、の…モノ。おれは、シズちゃんの」
「―――やっと分かってくれたんだな」
とても嬉しそうな声。そんな声でまたおれを呼ぶ、臨也臨也と。
それならおれも呼んであげよう、シズちゃんシズちゃんと。
「愛してる」
「…おれも、アイシテルよ、シズちゃん」
囁かれた“愛している”の言葉で、おれの脳は最早壊れることもできない。
既に全壊した脳は、ゆっくりと“俺”を押し込めた。
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影乃様に捧げます!
うわぁ…シズちゃんがぁぁぁ!臨也がぁぁぁ!書いた加藤本人がドン引きです←
救いのない真っ暗な話ですね(´・ω・`)
けれど、病んでる静雄(略してヤンシズ)に地味にハマってる私はひたすら楽しかったです^^
私の筆力では臨也を幸せにするところまで進めないので、皆様のお力で臨也を幸せにしてあげて下さい(笑)