裏社会パロディ
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「……あァ?情報が盗まれただぁ?」
「ヒッ…!!すみっ、すみません!」
「盗まれたモンは謝って済むような軽いモンなんだろうなぁ?あぁ!?」
ブチ切れた理性と共に、顔を青褪めさせ情けない面で謝っていた男達の内一人をぶっ飛ばした。一応は手加減してやったつもりだったが、ぶっ飛んだ野郎は壁に叩きつけられたまま意識を失ったようだ。チッ、情けねぇ。それでも裏の人間かよ、よくそんなんでこの世界で生きてこられたもんだ。
俺は苛立ちを隠すことはなく大きく舌打ちをして、気絶した男を見て更に顔を真っ青にさせる部下達の方を睨みつける。すると途端に体を強張らせ、面白いぐらいに体を震わせ始める。まるで俺が悪ィみたいで腹が立つ、これも全部自分達の守備の甘さが招いた結果だっつーのに。
「で?一体、何を盗まれた?」
「あっ、の…それ、は」
「とっとと言え。……手前もああなりてぇか?」
顎で気絶した男を指せば、更に体を震わせる。そして慌てたように口を開閉させて、何とも情けない声で「個人情報のデータ」だと男の一人が答えた。
それに俺は更に眉間の皺を深くさせる。俺が考える中で一番最悪な事態だからだ。別にココがどうなろうが正直俺には関係ねぇ。潰れるなら潰れるでもいいし、そうじゃねぇなら何となく生き残ってればいい、その程度だ。俺がココのボスになってるのは不本意だし、別に裏社会で伸し上がってやろうだのなんて野望はねぇ。だから組織の情報が流れるなら良いことはねぇが、俺の中ではまだどうとでもなることであり、あまり気にならねぇことだ。
けど、個人情報のデータ、これは不味い。かなり不味い、非常に不味い。そこには俺が最も死守してぇ情報がある。他の同業者には知られるわけにはいかない、俺にとっちゃあ大事なモンがそこにはあった。
俺のことだったらいい。組の頭である俺の個人情報を盗んだなら、俺自身が警戒すればいいのだ。大体、俺のデータを盗まれて困ることなんざ一つもねぇし大したことなんざ書いてねぇ。
けど、もし。もしも。盗まれたデータの中に、俺が最も死守したいモンが入ってた場合――――こいつら全員ぶっ殺す、殴り殺す、嬲り殺す。
そう胸に誓って、俺は少しだけ気を落ち着かせながら冷静に言葉を紡いだ。
「…誰のが盗まれた」
「しっ、静雄さんの…と……――――最奥に隠されてた、幽さんのデータっ、ぉふッ!!?」
「手前らぁ…!最悪のパターンじゃねぇか、ゴラァァァ!!!」
最、悪、だ!一番最低最悪な展開だ、俺が最も死守したいモンだった。畜生こいつらマジで死ね、本気で死ね。もしも幽の身に何かあったらこいつらどうする気だ。死ぬだけじゃあ許されねぇ、楽に死ねると思うなよこいつら、絶対ぇ地獄落ちようが何だろうが何処までも追っかけて殴り続けてやる。
大体、だ。俺がなりたくもない組の頭をしてんのは幽にその被害が及ばない為であり、幽と俺が平和に静かな生活を送れるようにするために俺は今、こうしてやりたくもねぇことをしてんだ。全部幽の為。
俺にとっての一番の弱点は幽だ。それ故に幽が俺の弟で唯一の肉親というのがバレて危険に晒されないようにするために幽のデータは俺のデータよりも、もっと複雑で難しいごちゃごちゃした奥底のとこに隠していた。この組織が持てる最大限の技術により、幽のデータは隠されていた、筈だったのだ。
それなのに、盗まれたと言う。
本当に最悪な事態だ。
「どうすんだ、オイ!もし幽の身が危険に晒された場合、どう責任取ンだよ!?」
「まっ、待ってくれよ静雄さん!そ、それについて、まだっ、続きが…ッ!」
「あ?続きだぁ?」
「俺達が何重にも仕掛けたトラップが、おいそれと破られるワケねぇってのはアンタも分かるでしょうよ!?それがあっさり破られたんだ、相手は相当腕の立つハッカーなんスよッ!」
「それとこれとは関係ねぇだろ。相手が誰にしろ盗まれた事実は変わらねぇ。手前らのセキュリティが単に甘かった、それだけだ」
「確かにそうかもしれねぇ…!けど、相手が“アイツ”なんだ!俺達どころか裏のどんな連中だって“アイツ”のハッキング技術に敵わねぇよッ」
「“アイツ”…?」
その言葉に、俺は思わず眉を寄せて、そいつを睨み上げた。ガタガタと震えるそいつは俺に殴られないと分かると安堵の息を吐き捨て、少し冷静さを取る戻しては静かな声で「アイツ」だと、また意味深に呟く。
「どんなに巧妙なセキュリティを張っても、どんなに巧妙な仕掛けを施しても、アレの前では悉くいなされる。…アレは、俺達じゃあ、手に負える奴じゃないッス」
「…そんな凄ェ奴、なのか?」
「今じゃあかなり有名ですよ…―――自身を“ナクラ”だと名乗る、正体不明の天才ハッカー」
▽
――――“ナクラ”という正体不明のハッカーが、俺達のような裏社会で生きる人間の前に初めて現われたのは、ほんの数ヶ月前からだと言う。
最初に被害にあったのは、地位的にも申し分のない上位層に位置する組だった。
ありとあらゆる情報をハッキングやらで根こそぎ盗まれたらしい。何故、それが分かったのか。答えは簡単だ、そのハッカーが盗むついでにウイルスを送りつけ、それに感染した機材は全て使い物にならなくなったらしい。
しかも、完全にショートする前。ウイルスに侵されるウィンドウに突然、一つのメッセージが残された。
『存外、簡単すぎてつまらなかったです。手に入れた情報は貴方方が邪魔になった次第、有効に活用させて頂きますね。さようならお元気で、ご愁傷様。
――――HN.ナクラ』
一週間後、その組は潰れた。とても簡単に崩れ、崩壊した。
そのナクラとか言う奴が手を回したのだと当時は考えたらしいが、実際はそうではない。単に組織内部で反乱が起こり、自滅したらしい。何が理由でそうなったかなんて知らないが、潰れたのは事実で反乱も事実だ。
けど、当時の俺は一つの組織が潰れたことに関してまったく興味を示さなかった。ただラッキーだったな、という軽い気持ちしか抱かなかった。
―――何故ならその組織は、俺達の組に何かと敵対してきたところだったから。
「――――やぁ、随分と面白い顔してるね」
「……手前…何で今日もいるんだ」
「俺はここで働いてるんだから仕事でいるに決まってるだろ?あと、俺から言わせれば君の方が今日も来たんだねって感じなんだけど」
「うるせぇ。それが客に対する態度が、ノミ蟲野郎」
「おー恐い恐い。そんな態度の悪いお客様には即刻退室してもらいたいね」
飄々とした笑みを浮かべ、客に対して有るまじきことを言うそいつに無意識のうちに舌打ちが零れる。けど俺はその対応に気分を害せど出ていく気はなく、既に指定席と化してる“いつもの席”に座る。すると当たり前のようにそいつは俺の前にグラスを置く。褐色透明なその酒(確か名前はスティンガーだったか)を見て、俺は何の迷いもなくそれを口に含む。ちらりと男を一瞥すれば、ニヤニヤと厭な笑みを浮かべていて心底うざい。
けど、口に含んだそれは文句のつけようがないほど上手い。認めたくはないが俺の好みを十分に把握し、しかも相当の腕を持つそいつだからこそ出来る味だった。
「お味の方はどうですか?お客サマ」
「…ほんと手前、その口が塞がれば言うことねぇのにな」
「褒め言葉として受け取っても?」
「好きにしろよ」
そいつとの会話が面倒になり、俺は酒を一気に喉へと流しこんだ。目の前のそいつは相変わらず笑みを浮かべたままで、こいつと出会って一年以上は経つが未だにその笑みの裏に隠された感情は読めない。
紛いなりにも裏で生きてる俺は得意ではないにしろ、それなりに人の顔を見てそいつが何を考えているのか読み取ることは出来る。けど、こいつの場合はまったくだ。笑うばかりで他の表情を見てないからか、頭のどこかでこいつは笑うことしか出来ないのではないのかと、少しだけ馬鹿なことを考えたことがあるぐらい、こいつの感情は読み取れない。
別にこいつが何を考えてるなんて関係ねぇ。けど、いつからだろうか。顔色を読む必要性のない表社会で生きるこいつの顔を見て、どうにかして裏に隠された感情を覗いてみたいと思ったのは。
いつからだろうか。何かある度に、このバーへ足を運んでしまうようになったのは。
「なに、シズちゃん?そんなにジーッと見ても、スティンガー以外はサービスしないよ。オーナーにバレたら厄介だし、最悪クビになるかもだし」
「別にされようとも思ってねぇよ。つか、いい加減シズちゃん言うのやめろっつってんだろ」
「それじゃ、羽島サンとか静サンとか他人行儀に接した方がいい?俺は是非遠慮したいね、今更すぎて気色悪いし」
「……あー…そう、だな。まぁそうだった」
「?何だよ、一人で納得しちゃって」
「こっちの話だ、気にすんな」
「ふぅん…。ま、どうでもいいけどさっ」
そう言った直後、少し離れたとこから「臨也くーん」という少し年老いた男の声が届く。それにそいつ―――臨也は「やっばい」と焦ったように呟き、俺に簡単に別れを告げてその声の元へ小走りで向かっていった。俺はというと、まだ残っている酒に口をつけ、去っていく背中を見続けていた。
そして完全に臨也の姿が消え、ここで重い溜息をこぼす。まさかこんな姿を臨也に見られ、変に勘繰りされても困るからだ。
「(羽島サンに、静サン…か。どっちで呼ばれても反応出来なさそうだな)」
羽島静、それは臨也に告げた俺の名前。けれどそれは本名ではない、偽名だ。本当の名前は平和島静雄という、今の職業柄、あまり似合わない名前が俺の本名だった。いくら一年ほどの付き合いのある顔馴染みであっても、アイツはただ此処でバイトしているだけの人間で表社会で生きる奴だ。俺のような、組の頭とかしている奴とは本来関わりがあるはずないのだ。
本当ならば、何度も何度も通うべきではない。もしも俺がここの常連で、臨也が俺の友人だと他の奴に勘違いをされれば臨也に被害が及ぶ。俺の弱点が、幽だけではなく一つ増えることになりかねない。
けど俺は何度も此処へと来る。何故か、なんて考えたことはない。自然と足が此処へと出向き、此処に来るのが当たり前になり、臨也と下らない口論をするのも、臨也が必ず俺に入れる酒も、当たり前になっていた。そんな“当たり前”を、俺は手放せれなくなったのだ。
だから偽名を使った。少しでも俺が“平和島静雄”だと隠す為に。臨也への被害をなくす為に。
これで何が変わるのかは分からないが、俺が思いつくのはこれぐらいしかなかった。
「あ、シズちゃん。そう言えばさ、」
「また来やがったな手前…仕事はどうした」
「ちゃんとしましたー。でさ、素敵で無敵なアルバイターな臨也くんに新しいスキルが追加されたんだよ。だから試飲してみて」
「その言い方が一々うぜぇな。素直に最後の部分だけ言えよ」
「まぁまぁ。で、これなんだけど」
「……ンだこれ?色大丈夫かよ、つかトマトの匂いが半端ねぇ…」
「そりゃ、トマトベースだし。色もそれ故にってね」
「ふーん。何つー酒だ?」
「あ、これはね、」
「――――ブラッディ・メアリーって言うんだよ」
そう言って笑った臨也の表情は、男のくせにやけに綺麗で―――やはり、感情など微塵にも読めなかった。
細められた目の奥に覗く紅い目が、血の色のように見えたのは俺の気のせい。
血みどろメアリー
知らぬ間に流動する物語