※これの設定
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俺の小さい頃の記憶はほとんど同じようなものばかりだ。真っ白な天井、真っ白なシール、不愉快なニオイ、自分の腕に繋がれた管。それが子供の頃の、俺の日常だった。
そして何時も思うんだ。嗚呼、また此処に戻ってきてしまった―――と。毎朝のように訪れる看護師は既に俺の顔なじみで、三日に一度は訪れる医師も顔なじみ。彼等は俺の体をよく知る人間。自分の家族よりも見慣れてしまった人間。
―――親は、此処には来ない。俺の下に双子の妹がいるというのも理由の一つだけど、一番の理由はそうではない。ただ単に、病弱な俺に興味がないのだ。
現に、妹達が生まれた時にぐらいに彼等はまだ小さな子供だった俺に対して「お前には何も期待はしない」と無表情に告げられた。そして、金ならば好きなだけ払ってやるからその不安定な一生を、病院で過ごせばいいのではないか、とも言われた。つまりは病院で生きて、病院で死ねよ、ってことだね。今思えばなんて非道な親だ、こんな親もいるなんて面白いよね。
けれど俺の体は、小学六年生になった辺りから健康体とは言えなくとも、私生活を過ごすだけならば問題ないぐらいに成長した。欠陥だらけの体は、普通の生活を過ごせるだけの耐久性を手に入れた。
俺の両親はそれを聞いて「良かったね」と笑った。その掌を返したような真逆な反応の理由―――それは俺が普通の子供よりも優れた脳を持っていたことと、世間体を気にした結果での言葉だ。だって、もう大丈夫ですよと笑う医師達を目の前にして「ずっと病院に置いて下さい」なんて言えるわけがない。人間とは周囲の目を気にする、俺の親もそれと同じだった。
そして小学校を卒業し、中学生になった。その三年間、俺の体は特に変化はない。別に運動したからってどうこうなる訳ではなかったから、色々なことをし始めたのはその頃。当時から俺は人間の生態を知ることが趣味で、その為に多少の無茶は日常茶飯事。けれど酷使しすぎると、俺の体は一気に壊れる。それを意識して使っていた。
それさえ守れば、この欠陥だらけの体も何てことない。俺は馬鹿じゃないから限度を弁えてたし、守るのも簡単だった。だから自分の体について悔しい思いをしたことないし、今更普通の体に対して憧れはなかった。
――――けれど、高校生になった時。
『……悪ィ…臨也』
俺は、初めて自分の体を心から恨んだ。
▽
「―――起きたかい?」
「……し、んら…?」
重い瞼を上げた時、一番最初に映ったのは高校からの付き合いがある闇医者。最初は上手く覚醒しきれていない脳内だったけど、新羅の姿と、周りの光景を見て集めた情報から此処は彼の家の一室だということに気付く。
それと同時に、俺はシズちゃんとの喧嘩最中に気を失ったんだと悟る。自分の体調不良のせいで普段は避けれるはずの攻撃をモロに受け、恥ずかしいことに気を失ったのだと、数秒足らずで俺の脳内は結論付ける。
だとすれば、俺を此処まで運んだのはそのシズちゃん本人だろう。本当に最悪だ、俺の汚点だ。よりにもよって、シズちゃんによって倒されて、その本人に助けられたなんてとんだ羞恥だ。
「あー……さいあく、だ」
「まだ具合でも悪い?」
「ちがう……シズちゃんに助けられたことが、最悪、なんだよ」
「嗚呼。しかも今回で“二回目”だもんね」
「…………」
クスクスと喉で笑う新羅を横目で睨みつければ、そんな怖い顔しないでよ、とヤツは肩を竦めてみせる。その仕草がやけに俺の癇に障って、思わず舌打ちが零れる。
“二回目”―――新羅が言った通り、俺がこんな風にシズちゃんによって助けられたのは今回で二回目。俺がこの世に生を受けて二十年以上、これ以上の屈辱は後にも先にもないと思っているほどの行為をまさか二回も経験することになるなんて、最悪最低にも程がある。
あの時も今回と同じように喧嘩してた時だ。シズちゃんが俺を見つけて、有りっ丈の力で俺に襲いかかり、俺は当然のように逃げ回ってた。そしてあの時も今回同様、最悪最低に体調が優れなかった。
病気にかかったとか、そういうのではない。ただ純粋に、俺の体に限界がきたのだ。幾ら小さい頃と比べて良くなったと言っても、俺の体は欠陥だらけなのに変わりない。毎日のように酷使していた俺の体は、あの朝目覚めた時には既にボロボロだった。
吐き気、頭痛、貧血、眩暈、その全てが一気に襲いかかってきた。原因なんてない。ただそれが限界の合図だ。俺の体はそういうものだった。
けど俺はその日も学校に行った。正直に言えば“行かざるおえなかった”。その頃の俺はまだ、親と呼べる男女と妹と呼べる双子と同じ家で住んでいたからだ。もしも彼等に知られれば、俺の生活は以前と逆戻りになると分かっていたからだ。俺の親は、やはり俺の存在が疎ましかったらしい。少しでも体調が悪い素振りを見せれば、半強制的に病院へと押し込まれる。それが嫌で、俺は普段から貼り付けている笑顔をそのままに、普段通りに振舞った。
その結果、最も大嫌いな彼に、最も見られたくない姿を曝すことになった。
そして同時に、俺が誰にも知られたくなかった事実を知られる羽目になった。
「……臨也」
「…なに」
「君は、本当に自分の体について分かってるのかい?」
笑った顔を引っ込め、真面目な顔してそう言う新羅に俺は口を閉ざす。彼がその言葉を言うであろうと、何となく想像は出来ていた。闇医者であっても、医者は医者。彼は俺の体についてほぼ全て分かっているのだ。あの時から新羅は、誰よりも俺の体について忠告を俺に対してしてきた。
だからこそ新羅は、こんな顔してるんだろう。普段は見ることが出来ない、少し怒った顔だ。
「俺はね、臨也。あの時から幾度となく君の危うい行動を示唆し、忠告してきた。少しでも君の顔色が悪ければ薬を渡したし、セルティにも君の体調を注意深く見て欲しいと頼んでた。それぐらいには、俺だって君の心配はしてるんだ」
「分かってるさ………だから君の薬は素直に飲んでたし、俺だって最善の注意を払ってる」
「それじゃあ今の状態はなんだい?今、こうして、君は倒れてる。しかもあの時と同じ状況で」
「……今回は運が悪かっただけさ。偶々疲労困憊してた俺の目の前にシズちゃんが現れ、いつものように喧嘩して、こうなった。いつも通りの“日常”に少しのズレが生じただけだ」
そうだ、これは偶然が重なって起きた事故だ。俺は偶々厄介な仕事を引き受けて、疲れ切っていた。その時に運悪くシズちゃんに会った、それだけなんだ。俺の調子が偶々悪かっただけ、それ以外なんでもない。
だから俺は何も変わらない。俺の取り巻く“日常”も変わらない。今日みたいな“非日常”は極稀に発生する異分子なんだ。これは偶然が起こした“非日常”で、こんなことそう簡単には起こらない。
だから、変わらない。俺も、俺の“日常”も、シズちゃんも、シズちゃんの“日常”も。何も変わらない。変わってはいけない。じゃないと何かが崩れる―――俺達の間にある不安定で曖昧な均衡が、脆くも崩れてしまう。そんな気がする。
「俺は、平気だ。何ともない。今回は俺が油断してただけ、それだけ…」
「違うよ、臨也」
新羅は俺の言葉をきっぱりと否定した。何が、と問おうと新羅を見上げたら、レンズ越しの新羅の眼は歪んでいた。こんな顔、見たことない。新羅とは中学の時からの知り合いで、結構長い付き合いだけどこんなこと、今まで一度もない。
あの時だって、真剣な顔して俺に忠告はしたけど、こんな顔ではなかった。怒ったような顔ではあったけど、こんな顔じゃない。違う、全然違う。
俺には新羅の言いたいことが全然分からなかった。けど、問おうとした俺の言葉が実際に音となって吐き出されることはない。それだけ新羅の表情は、俺を困惑させた。
その時だ。ガチャリと音を立てて、一つしかない扉が開いた。
「…――――シズちゃ、ん」
「………」
見慣れた金色の髪といつもとは違い、感情の分からない無表情。俺の大嫌いな、やつ。シズちゃんは無様にも寝ていることしか出来ない俺を笑うでもなく、無表情のまま見下ろしていた。
新羅と言い、シズちゃんと言い、何なんだよ。何で揃いもそろってそんな顔するんだ。どうして今まで見せたことのないような、そんな顔。しかもシズちゃんなんてよりにもよって俺の目の前でそんな顔するなんて有り得ないだろ、信じられないよ。
どうして、どうしてだよシズちゃん…―――。
何で、どうして。
―――どうして、泣きそうなんだよ…っ!
「新羅…少し、コイツと話がしたい」
「……分かってる。その為に前以って君に全てを話したんだ、後は頼むよ」
「ああ」
そう言って新羅はシズちゃんと入れ替わるように部屋から出て行って、この部屋には俺と、シズちゃんしかいない。顔を合わせれば殺し合いばかりの俺達が同じ空間に二人きりなんて可笑しい光景だ。思わず笑いたくなるけど、何でだろうね、全然笑えない。
それは俺の体調が悪いから?それとも二人の見たこともない顔を見たから?
それとも……――――それとも。
「臨也」
シズちゃんが俺を呼ぶ。気付けばシズちゃんは俺のすぐ真横に立っていて、近くにあった椅子に座った。こんな近い距離にシズちゃんがいる。本当に変な光景、意味が分からないよ。
だけど俺は何も言葉を発することが出来ないで、ただただ無表情なのに泣きそうな顔のシズちゃんを見上げてた。まじまじと見た彼の顔は、やはり人気俳優の弟がいるだけあってか、とても整っている。何度も染めた金髪も思いのほかサラサラで、普段よりも近いせいで彼が好んで吸っている煙草に匂いがする。
けど、今はそんなことどうでもいい。今俺が最も欲しい情報は、シズちゃん達が知っていて俺が“まだ知らない”情報。俺が知らなければならない、俺の、情報。
新羅の口ぶりからしてシズちゃんが俺にそれを伝えることになっているらしい。とても気に入らないけど。でも、シズちゃんに教えてもらわないと俺は知れないことだ。だから早く言うなら言ってほしい、けど、心のどこかで言ってほしくないとも思っている。矛盾した本音が、俺の中で葛藤として広がる。
「…臨也、」
「…馬鹿みたいに俺の名前呼ぶな、言いたいことあるなら言えよ。いつもみたいに思ったこと支離滅裂でも何でもいい、少ない語彙でとりあえず全部俺に言いたいことあるなら話せばいいじゃん。何をそんなに躊躇ってるの、君らしくないよシズちゃん」
「臨也」
「っ、何なんだよ、さっきから!言いたいことあるなら言えよッ、俺に何か言いたいことでもあるんだろう!?新羅に何か聞かされたんだろ!?俺のこと、何もかも、全部!俺よりも全部、知ってるんだろ!?」
「……ああ、全部新羅に聞いた。お前の今の状態も、全部…」
「だったらッ……、だったら、それ言ってよ。いいよもう、全部言って」
知りたい、知りたくない。だけど俺は知らなければならない。
もう見て見ぬふりなんて出来ない。俺は、本当に受け入れなければいけない。
全部、全部を。
「…高校のあん時、俺はお前の体が普通より欠陥ばっかっつーことを知った」
「……何、今更そんな…」
「あの時はただお前がムカついてて、そんなこと言われても俺には関係ねぇと思ってて。だからそれ聞いた後も変わらずに手前と喧嘩しまくった」
「別にそれでいいよ。変に気遣われても逆にムカつくから」
「俺も、それでいいと思った。手前がそう思うと分かってたから、俺はその“日常”を崩さなかった。俺はお前が嫌い、だから喧嘩する。それが俺の当たり前の“日常”でなければいけなかったから」
シズちゃんが言う“日常”は、俺にとっての“日常”でもある。それが当然のように行われなければならない、一種の義務のように繰り返されていた意味のない殺し合い。俺達が大嫌いで相容れない天敵同士である為の“日常”だった。
それは崩れてはいけないし、壊れてはいけない。だってそれがなかったら、俺達は何もなくなるんだ。日常に縋り、日常に甘え、日常に安堵する。俺達にはこれが精一杯だったから。
だから俺はナイフを持って応戦した。だからシズちゃんは全力で俺を殺しにかかった。お互いの安定された“日常”を守る為に、俺達は俺達の日常の為に殺し合いを繰り返す。
「―――けど、お前も本当は気付いてたんだろ?」
安定された“日常”と、不安定な“非日常”。俺は曖昧で頼りない非日常なんかよりも、安堵を得られる日常を選んだ。
俺が、俺でいる為に。俺が生きる為に。何も望まれもしなかった、何も期待もされなかった、何も存在理由もなかった。そんな“折原臨也”という一つの生命体が残る、唯一の手段。
“平和島静雄”という一つの生命体の脳内に深く刻めるだけの印象を、与え続けなければならない。それが俺の“日常”で、俺の“願望”。
―――だから、知らないふりをし続けた。
「お前は」
認めたくない。
認めた瞬間に全てが終わってしまう気がしたから。
既に限界だと分かっていても、俺は縋らずにはいられなかったんだ。
「もう、限界なんだろ…?」
―――俺が俺で居られる、最後の手段に。
俺は、今でも縋ってた。
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棗様/綾部様に捧げます!
あれ…?何か中途半端(^q^)??
ももも申し訳ないです…!